第5話 ヨシナガ君(下)

 この言葉を間違えてとったらしい、ヨシナガ君は帰宅部をやめてどこかの道場に通い始めた。

 関係があるのか、勉強も熱心になって他の子にまじって勉強をききにくるようになった。相変わらず生理的にちょっときついのだけど、それを表に出すのもね。

「あんまりああゆうの、甘やかさないほうがいいわよ」

 稽古相手のさえちゃんに警告された。

「甘やかしてるつもりはないんだけどなぁ」

「ひどいことも言わないようにしてるでしょ。あいつに告白されたらどうするの? 」

「いやぁ、ムリ。さすがにムリだよ。せめて大金持ちの有名人のハンサムになってから来てほしい」

「うわぁ、贅沢だなあ」

 さえちゃんは笑ったが、すぐにまじめな顔になった。

「勘違いをなんとかしないと、いざというとき逆上して何するかわかんないからね」

 そんな誰かが身近にいるのだろうか。彼女の家のジジョウには触れないようにしているので、うちの親情報というほぼ尾ひれと思われる話しか知らない。

 さえちゃんの警告と裏腹に、告白されるということはなかった。事件が起きるまでに上級生二人を含む三人に交際を申し込まれたのだからわたしも捨てたもんじゃない。全部断ったが、自分の変化を確かめるためにも一人くらい清く正しくつきあってもよかったかも。いや、それは相手に失礼か。

 ヨシナガ君はあいかわらず勉強を聞きに来る。通ってる道場は「厳しい」指導をするらしい。あざがついていたり、突き指が痛々しい感じだったり、生傷たえないようになった。それと体作りもやってるのかぽっちゃりでもなくなってきた。ニキビ跡は消えそうもないが、オークくらいだったのがオークよりはハンサムになってきたと思う。ときめいたりとかそんなことはないが、少し彼を見直した。

 でもスケッチブックにはやっぱり漫画の模写がぎっしり。前より上達してる。

 そしてとうとう事件が起きた。


 事件のあらましはこんな感じらしい。

 あの三人組がつまらない成り行きでヨシナガ君にちょっかいだしたところ、反撃されて一人が怪我をした。それを聞いた高校生の兄貴分が彼を呼び出したそうだ。のこのこ出かけて行ったそうだが、何考えているのか。

 兄貴分の皆さんはアルバイトで稼いだ金でオートバイを買って夜間ににぎやかに乗り回すツーリング仲間でもあるらしい。かかわらないほうがいいという集団で、警察にも目をつけられているし、地元の暴力団の人には目をかけられているそうだ。

 ヨシナガ君には悪いけど、今回は何もしてあげられない。警察に任せるしかないよね。

 なのに、帰り道の人けのないあたりで変なお姉さんに声をかけられた。スカートながいし、そのパーマはちょっとどうかと思うし、偏差値と沸点の低さでは有名な私立の制服の上にやたら漢字刺繍したジャケットひっかけてるし。

「角田エリカってあんただろ」

「違います」

 他人のふりをして通り過ぎようとしたら足で他所んちの塀を蹴ってふさがれた。

 なめんじゃねえとか、いろいろ口汚い言葉を叩きつけられるのを聞きながら、前世で遭遇した女山賊みたいだなと思っていた。

「聞いてんのか」

 裏拳で平手打ち? と思ったが嫌な予感がしてステップバックすると、髪の毛が一、二本切られて舞うのが見えた。指の間にカミソリの刃をしこんでいるらしい。あ、これスケバンってやつだ。

 よけなきゃどうなってたかは想像できたが、彼女がどうしたかったかがわからない。

「で、そのエリカってのだとして何か御用ですか? 」

「黙ってついてこい」

「いやです」

「うるせえ」

 またはたきに来るけどこれもうそろそろ反撃してもいいよね。

 このセンパイ、まるで喧嘩馴れしてない。護身具の不意打ちで体制を崩し、手首を変な音がするまでひねり、かかとで足の小指を折るまでろくに反撃もなかった。

 これなら箪笥の角にいきおいよく小指ぶつけてひっくりかえったら変な具合に手をついたってストーリーにできる。

 仲間もいないし、打たれなれてないのだろう。少し痛めつけるだけで彼女の心は折れていろいろ聞き出せた。

 ヨシナガ君がのこのこ出かけて行った理由がわかった。わたしに手を出すと脅かされたらしい。そのいらない男気は前世のおかげで理解できるが、さすがに無策にすぎないかな。

 さらにわたしを呼び出して「仲間にしてやる」とかそんなことを言いだしたらしい。ほっといてほしいなぁ。

 ふりかかる火の粉はなんとかだし、聞きだした場所にいくか通報するかしてなんとかしないと。

「センパイはお医者さんにいったほうがいいですよ。ほっとくと〇〇〇になっちゃうかもしれません。心配しなくても行きますから」

 〇〇〇は片足の不自由なことを示す言葉。ユカリの時代には差別用語として使用を禁止された表現だが、わたしの育った社会ではまだまだ普通に使われていた。

 かばんを家に投げ込んでわたしは現地に向かった。理由はわからないが、長年放置されている廃工場だ。そこの草ぼうぼうの駐車場にオートバイが十数台固めてとめてある。値段の関係だろう中古車が多い。

 操業をやめて長いのに、工場は変な薬品の臭いが残っていた。触りたくない色の水たまりもあったし、不自然に枯れたままの芝生もある。最近問題の公害ってやつだろう。黒っぽいジャージに着替えてきたわたしは工場側から見えにくいルートで偵察に出た。こういうことをするのはひさしぶりだ。

 視界をさえぎるもの、ということで止めたバイクに隠れることになる。

 工場の破れた壁の向こうではいかにもな連中がシンナーを吸ってるのが見える。

 うーん、思ったより人数多いな。これは無理。帰ろう。ヨシナガ君のことは忘れるしかない。

 と、思ったら何か聞こえる。驚いた、目の前の古いバイクは精霊が宿ってる。大事に使われたものにそういうものが宿るのは前世では常識だったけど、こっちもであるんだな。でも、前世でも精霊の言葉はわたしには聞こえなかった。素質が必要なんだ。こっちに転生してそれがそなわったというのはうれしい。

 精霊はあんまり賢くはない。しかし手入れや使い方について的確なことを教えてくれる。このバイクの精霊もたくさんやってほしいことをつぶやいていた。

 今の持ち主はきれいに磨く以上の手入れをやってないらしい。

 中の誰かが投げたすいがらが転がった。火を消してない。これは使えるかも。

 バイクのタンクの蓋をハンカチをあてていくつか緩める。

 そっと距離を取り、ポイズンミストの要領で揮発したガソリンを吸い殻に誘導した。

 ぱっと着火した、火の魔法でそれをバイク全部に広げる。

 あとは気配を殺してとにかく逃げるだけだった。後ろのほうで爆発のような音が聞こえた。

 これで一人死んだそうだ。トップが度胸を見せて水の入ったバケツで消火しようとしたらしい。自殺行為だと新聞を読んだ親がつぶやいた。


 わたしも取り調べを受けたが、どちらかというと被害者扱いだった。スケバンのお姉さんを痛めつけたこともばれたようだが追求はされてない。整備不良のバイクからもれた燃料にポイ捨てタバコが引火、それで解決だった。少し理不尽も感じるが、それが一番おさまりがいいと思われたのだろう。

 ヨシナガ君とは相変わらずで、二学年の終わりごろに東京に引っ越していった。親の転勤だそうだ。

 このころには画力と筋力がずいぶんあがっていて、ニキビ跡はきえなかったが前のように生理的に嫌われることはなくなった。スケッチブックも模写だけでなく自作の四コマ漫画でうまっていたらしい。

 高校でのできごとのせいで、わたしはその後の彼を知る機会はなかった。でも、きっとそれらは無駄になってないだろうと思う。

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