ー第三章ー
文久二年(一八六二年)
月冴(さ)ゆる年の暮れ、十四代将軍、徳川家茂(いえもち)の上洛が決まり、幕府は治安の悪い京に浪士を送り込もうと浪士組募集を決定した。
「我々の剣が公方様のお役に立てる、またとない機会ではないか!」
「千載一遇の機会だな」
「はいはーい。俺も行く」
「今や京は不逞浪士が蔓延(はびこ)っているといいますからね。気を引き締めないといけませんよ」
「平助はいの一番に斬られそうだな」
「だな」
浪士組募集の張文(はりふみ)を見たという近藤が、試衛館に帰ってくるなり意気盛んに声を弾ませていた。
この好機を逃すまいとする土方に、まるで物見遊山にでも行くような軽快さを滲ませている藤堂。そしてそれをやんわりと窘(たしな)めるが上洛に積極的な山南に永倉、原田。皆が浪士組に参加しようと盛り上がっていた。
「で、いつ行くんですか?」
総司に至っては、近藤に付いていくのが当たり前だというような反応だ。
鐐は八郎より得た情報で、かねてから上洛することを切望していた。
しかし江戸から京へ行くには関所を通らなければならない。その関所では女、特に武家の女は厳しく取り締められる。人質として江戸に住む諸大名の子女が、自国へ逃げ帰らないようにするためだ。 一般の旅人が関所を通るには、奉行所が発行した身分を証明する通行手形を見せなくてはならない。
そのようなものを鐐が手に入れる事など出来るはずもなく、浪士組に紛れて上洛するのは鐐にとっても、またとない好機であった。
「私も行きます!」
鐐の一声にその場にいる皆が押し黙る。一斉に向けられた視線はどれも困惑しているようだった。
それはそうだろう。近傍に出稽古に行くわけではない。京の都、いつまで行くことになるのか、それも不逞浪士と対峙する事が予想される危険な所へ行くのだ。容易に承諾を得られるとは思わない。
「女が行くような所じゃない」
案の定、土方が反対した。
想定内の反応に、鐐は負けじと詭弁を弄(ろう)する。
「これは異なことをおっしゃいます。土方さんにこれまで女扱いを受けたことはありませんが?」
「ちっ、こういう時だけは弁が立つじゃねぇか。遊びに行くんじゃねぇんだ」
「無論、私も遊びに行くつもりではありません」
正直皆のように将軍の護衛や剣を振るい幕臣に近づきたい、などという野望は微塵にもない。
自分の出生を知っているかもしれない、京にいる筈の明楽八五郎を探したいだけなのだ。何としても付いて行くつもりだった。
「別にいいんじゃない? 自分の身くらいは守れる腕があるんなら」
平行線を辿るかけあいに、総司が鐐に同調した。
「いいわけねぇだろ」
「まぁまぁ、トシ。鐐がこれだけ意思を通すのは滅多にないことだ。何か事情があるんだろう。まずはその事情を聞かせてくれないか?」
今もなお、難色を示す土方を宥めて近藤が鐐に向き合った。
初めて試衛館に来た日を思い出す。身を隠さないといけないという素性の分からない自分を預かり、秀業の死後も行き場がなくなった身を引き受けてくれた。義理人情の厚い近藤には感謝の念が尽きない。
「私は、この刀と共に伊庭の父上の元に預けられましたーー」
鐐は磨り上げが完成し受け取ったばかりの刀を前に置き、これまで語ることのなかった自身の生い立ちを話した。
「ーー自分の父と母が誰なのか知りたいのです。私はなぜ、生まれて直ぐに夭折したことになっているのか、なぜ剣術を学ぶ必要があったのか、無き自分の存在を知りたいのです」
話し終えると近藤は同情するような顔付きでうんうんと頷いた。
「そうか。そうであったのか……京で八五郎殿が見つかると良いな」
「それでは一緒に!」
「あぁ、出来る限りの協力はしよう」
「良かったね、鐐」
これで京へ行けるとホッと胸を撫で下ろすと、その場を離れる土方が見えた。
近藤が了承したので問題ないだろうが、やはり土方の承諾もしっかり得ておきたい。几帳面な鐐は土方を追いかけた。
「梅の花、一輪咲いても、梅は梅」
一つ花を開かせた梅の木を前に、土方が句を詠んでいる。
「……そのまんまですね」
「うるせぇ。しっかしお前、随分と磨り上げちまったんだなその刀。それに、なんだぁその拵(こしらえ)は! 随分と地味だな。あぁ、折角の則宗の銘が無くなるのはもったいねぇ」
「名刀を持っていても、使いこなせなければ宝の持ち腐れ。鈍刀(なまくらがたな)でも手利きが持っていれば容易に近寄れぬ。刀というものは折れさえしなければいい。丈夫で手頃なものを選んで使いこなせ」
「何だ?」
「伊庭の、父上の一家言(いっかげん)です。見てくればかりで女子を選んでいる土方さんには、分からないかもしれませんね」
「違うな。俺は選んじゃいねぇ。見栄えのいい女が寄ってくるだけだ」
「そうですか……」
「……八郎に、ちゃんと話して来いよ」
「え?」
「過保護なんだよ! お前の兄は。京に行くなんて心配するに決まってるだろ」
なんだかんだ言って土方も心配してくれているのだろう。
「はい!」
こうして鐐は試衛館の面々と京へ上洛する事となった。
年が明けた文久三年(一八六三年)二月八日。
総司、二十二歳。鐐、二十歳。
集められた浪士組は京に向け出立した。
約二百名あまりの大所帯となった浪士組は、一番から七番に小隊分けされていた。近藤は宿割係を任命され、道中の宿の手配の為、本隊より先に出発しており、試衛館の主な顔ぶれは三番隊に所属された。
総司は隣を歩く鐐を盗み見た。
面長で目鼻立ちの整った顔。きりりと締まった口元は凛として勇ましくも美しい。
こんな隊士の中に紛れているのだ。女と露見されてはならないと、普段以上に気を配っているのが伺える。髪をきっちり高く結び、袴には大小二本、背筋を伸ばし堂々と歩く姿は一人前の、それもどこか品高い武家の侍そのものである。
伊庭の家紋の入った羽織は旅立つ前日に過保護な兄が持たせていた。
「沖田さん。鐐の事、くれぐれもよろしくお願いします」
「君によろしくお願いされるほど、鐐はもう子どもじゃないよ。兄はお役目御免なんじゃないの」
「そうですね……。兄としては、もうお役目御免ですかね」
「……君、鐐の事」
「……私と鐐は血を分けた兄弟ではありませんから」
八郎と二人で交わされた言葉は総司の心の内を騒がせた。
「兄として」を強調して言った意味を理解できない程、鈍くはない。そもそも、これまでの鐐への接し方を見ていれば容易に想像できることなのだ。兄として慕っている鐐に甘んじて、ただ兄を演じている事など。
鐐は恋慕というものを知らない。
周りの事など、どうでもよくなる程に、相手のことで自分を埋め尽くされる想い。幸福を願い、痛みや悲しみまでも共感したいと想う気持ち。時に自分を見失ってしまいそうになる程に焦がれる想い。
きっと鐐は無くなった自分を取り戻したら分かるだろう。人を想うことがこんなにも満たされ、豊かになるものなんだと。人の気持ちばかり優先する鐐だから、きっとすぐに分かる。
それを知った時、側にいるのが自分でありたいと願う総司は、八郎の宣戦布告を真向から受け取った。
「芹沢先生、道中は禁酒とのことですよ」
「構うものか! 馬を使って自分で歩かぬ老害の言うことなど、聞かんでもよいのだ!!」
道中を歩く少し前が騒がしい。
年の頃、三十七、八か。酒が入ってるのであろう瓢箪(ひょうたん)をぶら下げた大男が、配下の者と思われる男に鉄扇で威嚇していた。
総司は前を向いたまま鐐に尋ねた。
「誰? あの剽悍(ひょうかん)な面構えの男は?」
「良いように言いますね。私には傲岸不遜(ごうがんふそん)な男に見えましたが? 三番隊伍長の芹沢鴨(せりざわかも)殿です。その隣にいるのは新見錦(にいみにしき)殿ですね。水戸藩の天狗党の生き残りらしく、過激派で気に食わない部下の首を刎ねたそうですよ。浪士組参加者は今まで犯した罪を免除されると聞きますから、それで今回も参加しているのではないでしょうか?」
「そんなこと良く知ってるね」
「聞き耳を立てるのは得意なのですよ。情報収集は身を守る為の最大の武器ですから」
生き様か。与えられた生を隠すように試衛館に来た鐐はいつもそうだ。出来る限り存在を消しながら、周囲をよく観察している。
鐐はいつだって影になろうとするのだ。
江戸を発って三日目。
本庄宿に到着した浪士組に事件は起こった。
「すぐに消してくれ! 燃え広がってしまう」
舞い上がる火の粉が宿場一面に降り落ちる。
「今日は一段と冷え込んでいるな。このような日に火も焚かず野宿をさせるとは、非情なことを言いおる」
男は駆けつけた宿場の役人に鉄扇を振るうと、今にも大火となる勢いの炎を見上げて薄ら笑った。火を消そうとする者を拒むように、悠々と床几(しょうぎ)に腰をかけ、燃えろといわんばかりに鉄扇を扇ぎたてる。
火の手がこれ以上広がらないよう、手水桶(ちょうずおけ)で各家の屋根に水を撒く者達は、その様子を固唾を吞んで見守っていた。
事の発端は、芹沢の宿が取り忘れられていた事にある。宿がないことを知り、腹を立てた芹沢は、宿場の真ん中に薪を集め火を放ったのだ。
「芹沢殿! 申し訳なかった。何とか部屋を用意してもらえましたので、どうか火を消させて頂きたい」
平身低頭して許しを請う近藤。その一間ほど後ろで総司は憤りを覚えていた。
「ふんっ。謝り方も知らぬのか。ここには紛(まが)い者の武士が多いのぉ。なぁ、新見」
「そうですね、芹沢先生。誠意をもって詫びるには少し頭が高いように思われますねぇ」
既に頭を下げている近藤に対して、更に頭を下げろと土下座を強要する彼らは、自分達が上であると誇示したいのであろう。
総司は本当は近藤に責任がないことを知っていた。宿を取り忘れたのは別の宿割係の者なのだ。道中目付の役にも就いているその者は、近藤に責任を押し付けるように素知らぬふりをしていた。
何分にも身分の差別化の元ではどうすることも出来ない。
しかし膝をつき頭を下げようとしている近藤を見て、総司は思わず駆け寄ろうとした。が、それを止めるかのように土方が立ちはだかった。全身から凄まじい殺気を発し、こちらを見るその目は「耐えろ」と訴えている。
分かってはいる。ここで自分が前に出ても事を荒立てるだけなのだ。筋の通らない物事でも耐えなければならない。
総司はぎりりと歯を食いしばった。やり場のない怒りで、きつく握り締めた拳が小刻みに震える。
すると、それに同調するかのように拳に手が添えられた。
ふっと横を見ると、芹沢に視線を向けたまま眉根を寄せる鐐がいた。
総司にとっても鐐にとっても、近藤は自分達の居場所をくれた恩師だ。
言葉を発さずとも、同じ思いでいることが伝わるその手に、圧迫された怒りが緩まる。
総司は拳を解くと添えられた鐐の手を握った。そしてこちらを向いた鐐と視線を交えると、黙ったまま頷き、再び目に芹沢を映した。
権力の後ろで轟々(ごうごう)と音を立てて燃える炎は己の心のようだ。
この屈辱はいつか必ず晴らす。思いを一つに手は強く繋がれていた。
二月二十二日、大津宿。
ここを出たら翌日は京に入る、ということで振舞い酒が配られた。
篝火(かがりび)事件の後、芹沢は無理矢理浪士組の取締役付きになったり、三番隊であった試衛館の面々は六番隊へ異動したりと、彼の横暴は止まらなかったが、この日は三馬鹿の一人、永倉新八を捕まえ上機嫌で盃を交わしていた。
「永倉君。君はれっきとした武士の生まれだ。これからも共に誇り高くこの隊を率いろうではないか!」
「いやぁ〜。まぁ、そのぉ〜。はぁ。ハハハハ」
農民上がりの偽物武士と見下している近藤や土方と違って、脱藩したとはいえ松前藩士であった永倉。それに永倉は芹沢と同じ剣流の神道無念流の使い手だ。芹沢は永倉を一目置いているようだった。
対する永倉は分かりやすい愛想笑いを浮かべて、少し離れて座るこちらに向かって手を伸ばしていた。
「永倉さんから縋(すが)るような視線を感じますが……」
「大丈夫でしょう、永倉さんなら。それより、鐐はあまり飲まない方がいいんじゃない?」
そう言って総司は鐐の手にある盃をひょいと取り上げそれを飲み干した。
「あっ、何するんですか! 私のお酒ですよ!」
鐐は酒に弱いわけではなかった。寧ろ酒豪なのではないかとも思われる。
初めて酒と知らずに飲んだ時の失態が嘘のように、それ以降は皆の前ではどれだけ勧められて飲んでも酔うことはなかった。
だがそんな鐐も部屋に戻って一人になると様子が変わってくる。理性的で普段は感情をあまり出すことのない鐐もこの時ばかりは素直なのである。
程よい高揚感に包まれ、心が解放されているように饒舌になるものだから、総司は鐐が眠りにつくまでそばにいて話し相手となっていた。話している内容はいつも月を一緒に眺めている時と何ら変わりないが、この時の鐐は妖艶なのだ。
総司は自分だけが知る鐐の一面を他の誰にも見せたくなかった。
「何だ? 総司、酒が足りなかったか? それならこれもやろう」
「おいおい近藤さん、それはあんたのだろう? 俺たちの大将が酒を飲まずにどうするんだ。総司には仕方ねぇから俺のをやるよ」
「土方さんは、あまり飲めませんもんね。仕方がないので飲んであげますよ」
「何だと! 俺は飲めねぇんじゃない。飲まねぇだけだ。いつ何時も近藤さんの腹心として気を緩めることなくだな……」
土方は浪士組として江戸を発った時から「かっちゃん」という呼び方を変えた。
揶揄(からか)えば試衛館にいた頃と変わらないが、腹の中は真っ黒な土方。彼は近藤を大将に武士として伸し上がる心づもりなのだ。幕政や謀(はかりごと)に興味がなく、ただ刀で近藤の役に立てば良いと考える総司は、近藤や土方そして鐐のように目的があり上洛するのではない。
それでも総司は、これから始まる血なまぐさい混沌とした道程を駆けていくのである。
天満月 内田千侑祢 @schimmel327
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。天満月の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます