第33話 10年の割合

 10年の割合



 私と中西君は絵描き少女と鯉の池を挟んだ反対側のベンチに並んで腰かけた。


 「中西君、飴食べる?」と言って私はポケットから幾つかの飴玉を取り出す。

 「そんな物はいいから話とは?」と言いつつも飴を一つ手に取り口に入れた。

 食べるんかい。



 私は若葉7戦隊のここまでの経緯と今ぶつかっている疑問について簡単に説明した。


 「それで、なぜそのメンバーだったかが判らないんだ。それが判れば残りのメンバーの見当もつきそうなんだけど」

 中西君は私がそう言い終わるか終わらないかで、

 「君の母上は幾つだい?」と聞いてきた。

 ん? なんで今お母さんの話?


 「私のお母さん?」

 「そうだ」

 「ええと、今年41歳かな」

 「母上には電話したのかい?」

 「なんで?」


 「まず、普段ならすぐバスに乗って帰るんだろう? だがその日は違った。なにかイレギュラーな事があってね。違うかい?」

 そうなんだろうけど。


 「まだ解らないのか、相変わらず君はたわけ者だな」

 「はあ……」

 「10年という歳月は僕らにとってはおおよそ3分の2に当たる。ものすごい割合だ。4歳や5歳の記憶など縹渺ひょうびょうとしていて当たり前だ」

 「ひょ?」

 「縹渺ひょうびょうだ。霞かかってハッキリしない様だ。そのくらい知らないのか、本当に君はバカだ。ライバルとして情けないぞ水原君」

 新しい単語を覚えた。今後生かそう。


 「それで?」

 「普段とは違うイレギュラーな事がありバスに乗り損ねた。そんな日の事を君の母上が覚えていないと思うのか? 僕たちにとっては大きな10年でも大人達からすればほんのちょっと前なんだ」

 そうなのか。10年前の記憶など本当に中西君が言うように縹渺だ。でもお母さんにとっては違うのだろうか。


 「大方、保護者会やら保護者面談やらそんな理由で待たされていただけだと思うがね」

 すごい、中西君すごいよ。君こそまさに我が校の頭脳だ。偏屈だけど。


 「とんまな君でもここまで言えば分かるだろう? とっとと母上に電話でもしてその日何があったか訊くがいい」

 本当にこれは大きな情報だ。今夜早速電話してみよう。


 「もう要件は済んだのかい? ヒマな君と違って僕は忙しいんだ。だいたいこんな所でとんちき間抜けな君とくだらないデートごっこをしている暇はない」

 「うん、ありがとう中西君。すごく助かった。お礼にジュースでも奢るよ」

 「そんなものは要らんが僕はメロンオレが好きだ」

 結局飲みたいんだね。


 私達は渡り廊下の自動販売機まで行き私はメロンオレを買って彼に手渡す。それとイチゴオレとバナナオレも買った。


 「それではおたんちんの水原君、また会おう」と言って去って行った。


 中西君を見送ってから私は再び中庭に戻った。宇佐美葵うさみあおいさんはまだサルビアのベンチに座って絵を描いている。私はスケッチブックの中が見えない位置でベンチに腰掛けた。


 「水原さん、なんか用?」と彼女はコチラを見ずに言う。

 「ううん。絵を描いている宇佐美さんを見ているの」

 「なにやねんソレ、キモチわるいわあ」

 「絵は覗かないからここにいていい?」

 「気ーが散るねん。まあべつにええけど」


 「さっきもいうたけど、今日は出来へんで」

 「過去作とかないの? それでもいいから見せて欲しいなあ」

 すると彼女は絵を描く手を止めコチラを向き、

 「ただのスケッチやで。そんなんみたいんか? あんた変わってるなあ」

 あれだけ綺麗に着色されたスケッチというものがあるのだろうか。先程私が見たサルビアの蕾の絵は色鉛筆とは言えしっかり絵画のていを成していた。


 「見たい見たいー」

 彼女はしばし思案している様子だったが、

 「ほんならコッチおいで」と言ってくれた。

 私はさっき買ったジュースを出し、

 「どっちがいい?」と聞いた。

 彼女は目を丸くし、

 「なんや、買収か?」

 いや、そんな浅ましい事考えてないから。彼女はしばし悩んでイチゴの方を選択した。本当は私もイチゴが良かったのに。イチゴ二つ買えば良かった。


 「ええとな、これみてや。『タンポポ畑』や」

 一面黄色い絵を見て、

 「すご……」と無意識に声がでた。


 タンポポの畑に4、5歳くらいの少年と少女。黄色い学童帽をかぶり、黄色い虫かごと虫網。着ている服も色の違いはあれど黄色を基調としたものだ。タンポポの茎も緑に見えるけれど良く見ると黄色だ。更には空も淡い黄色。もっと薄い黄色の雲まである。全て黄色で描かれているのにしっかり色の違いがあるのだ。タンポポ茎も空も雲もそれら単体で見ると黄色いのに絵を全体でみると緑や青に見えるから不思議だ。


 「なんで?」

 「は?」

 「なんで黄色いのに緑とか青に見えるの」

 「さあ。脳が勝手に脳内変換してるんちゃう。知らんけど」

 ただため息しか出なかった。同時にこんなに黄色が好きなのになんでイチゴオレを選んだんだという疑問も浮かぶ。普通バナナでしょそこは。

 こんな事が出来るのか。これを頭の中で構想してそれをカタチにできるものなのか。私は彼女の顔を凝視する。ただただすごいと思って。


 「なんやねん、あんまみんといて」と顔を背けた。耳が少し赤くなっててかわいい。


 「もっと無いの? もっと見たい」

 「もっともっとって、あんた際限あらへんなあ」

 「いいじゃん、みたいーみたいー」

 ジタバタ。


 「ほなこれみて」と言って見せてくれたのは西日の当たる午後の部屋の中にソファーが置いてありその上に丸くなって眠る一匹の猫。

 セピア色がかったこちらの絵はしっかり着色されているけれど、どこかぼんやりとして懐かしさを覚える。さっきのタンポポ畑と違ってこの絵は光と影のコントラストがしっかり表現されており、それが西日の強さを強調している。

 私はおもむろに顔をあげて彼女を見つめ、

 「君は天才か」と言ってしまった。


 「なにゆうてんの、こんなんじゃ全然あかんわ」

 いやいやいやいや、これがアカンなら私なんて虫けらかもしくは道端に落ちてるタバコの吸い殻ですけど。


 「絵ー描いてるとな、夢中になれんねん。嫌な事もつらい事も全部忘れてな。あんたはなんかそんなんあんねんか?」

 ありません。本当に情けないです。才能もないです。

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