第25話 子猫

 子猫



 陽は地平線に沈み教室は薄暗くなってくる。


 沢村君は私の肩から手を放し、両手をズボンのポケットに入れ机に寄り掛かるように腰掛け黙って私を見つめている。

 机に腰掛けているのに彼の顔は立っている私の顔と同じ高さにありつくづく彼の背の高さを実感する。


 「……っく……、ひっく……、ご、ごめんなだい……ひっく……」


 「お前、ハンカチ持ってねーのか? 鼻水が口に入ってるぞ」と若干引き気味に言う。


 「ゔん、もっでる……」

 私はスカートのポケットからハンカチを取り出し鼻水を拭う。顔からハンカチを離すと鼻水が糸を引きハンカチと鼻とを繋ぐ。

 あまりの惨めさとカッコ悪さと醜さも、もうどうでもいい。


 私は鼻水を拭ったハンカチで更に涙を拭う。

 沢村君は、『あーあー……』といった表情で私を見つめている。



 「良く解んねーけど、女が泣くのは失恋か、同性間でのトラブルだろ? なんかあったのか?」

 言えない。沢村君に限ってそんな事は無いだろうけど、酒井田さん達の事を話して彼が報復に走る事にでもなればそれこそ後が怖い。それにそもそも失恋って何? 経験したことないからワカリマセン。


 「な、なんでもだい……。本当にごめんださい」


 彼はしばらく黙って私を見ていたのだけれど、


 「ちょっと付き合えよ」と言った。

 「え?」

 「いいから付いてこい」と言って教室を出て行ってしまう。

 私は日誌を教卓に置き、自分の鞄を持ってあわてて彼の後を追う。


 校門を出て寮の方向に歩き出す。陽はすっかり沈み辺りは薄暗い。

 私は彼の斜め後ろを俯きながら歩いた。


 学校と寮の中間辺りにある公園に沢村君は入って行く。曲がり角にあるこの公園は中央を突破すれば寮へのショートカットになるのだけれど、公園の入り口に『ちかん注意!』の立て札や浮浪者やホームレスが居たりと治安に不安がある為、私は通らない事にしている。

 彼はなおもどんどん公園を進んでいき、更に奥の樹木が生い茂っている中へ進んでいく。


 え? ちょっ、こんな人気のない場所へ私を連れて行ってどうするつもり? こんな場所で嫌だし、私、まだダメだよ。

 私の頓珍漢な心配をよそに彼は振り向きもせずどんどん進んでいく。


 やがて、公園の一番奥の銀杏の木の下まで行き、更にその奥の雑草の中から一つのダンボール箱を持ち上げ私の前に置いた。


 彼はしゃがんでその箱の蓋を開ける。


 「ミャー……」


 「え?」

 この鳴き声は、こ、子猫?


 「なあ、コイツどうしたらいい?」



 私は慌てて箱の中を覗く。そこには掌に乗るであろう子猫と、紙皿に水、そして蓋の開けられたキャットフードの缶詰が置かれていた。缶詰は殆ど空っぽになっている。

 茶トラの子猫は縋る様に私に訴えかける。――助けて――と。


 私は思わずその子を抱え胸の前でそっと抱く。その子は両手で私の胸を交互に押し付け「ミャーミャー」と鳴く。

 い、愛おしい……

 散々泣いた癖に更に涙が溢れてくる。


 「このままほっといてもソイツ死んじゃうだろ? なあ、どうすりゃいい?」

 「この水と缶詰って……」

 「ああ、俺が置いた」


 私はまた泣いた。ありがとう。助けてくれてありがとう。沢村君、ありがとうと子猫を抱きしめまた泣いた。

 涙はとっくに枯れ果てた筈なのに未だに瞳から溢れ出す。

 彼は舌打ちし、

 「まだ泣くのか」とうんざりしたようにつぶやく。

 ううん。これは嬉し泣き。溢れ出る母性がそのまま涙となって溢れ出す。

 ……本当に嬉しい。ありがとう……


 「助けてくれて……ありがとう……」

 私は子猫を額に寄せて沢村君にお礼を言った。


 「んで、どうするよ?」

 「連れて帰るよ」

 「おい、寮はペット禁止だぞ」

 「でもほっておけないよ」

 「クラスで誰かに声かけられないのか?」

 なるほど。その手があったか。でもクラスで呼びかけるなんて私にできるのであろうか。


 「さ、沢村君も手伝ってくれるなら……」とボソッと言ってみる。

 沢村君は『マジか』という表情で私を見つめ、

 「俺は何すんだ?」

 私は微笑み、

 「隣にいてくれるだけいい」と言った。


 


 「缶詰が空になってるな、買ってくるか」

 「あ、ちょっと待って」と私は言い、スマホで子猫の写真を撮った。

 「写真撮ってどうすんだ?」

 「コンビニでカラープリントして明日学校でみんなに見せる」

 「ああ、なるほど」


 私は子猫をそっと箱の中に戻し、

 「すぐ戻ってくるから待っててね」と囁く。

 「ミャー……」と返事をした。


 


 沢村君が缶詰を買っている間に先程撮った子猫の画像をカラープリントした。明日、黒板の隅にでも貼ろう。


 公園に戻り缶詰の蓋を開け箱に入れる。水も入れ替えた。


 「明日必ず迎えに来るからね」と、もう一度子猫を抱き上げ腕に抱く。

 もし明日里親が見つからないようなら寮に連れて帰る決心をしていた。バレっこないし最悪バレたら実家へ持っていくつもりだった。


 私は子猫を箱に戻す。心配と寂しさで胸が苦しくなった。


 「んじゃ寮に戻るぞ」

 「うん」

 沢村君を先に行かせ私は斜め後ろを付いていく。


 「そういえば沢村君、なんで教室に戻ってきたの?」

 彼はグルンと振り返り、

 「あー! スマホ忘れたんだった。テメーが泣いてるから忘れちまっただろうが!」

 「びぇーん! ごめんなさいー」

 「明日寝坊したらテメーのせいだからな!」

 「そ、そんなあ……」

 

 彼は再び前を向きプンスカという感じで歩き出す。


 私は彼の背中を見つめ今日何度目かの「ありがとう」を小さな声で言った。

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