第11話 救世主

 救世主



 現在、私は寮から学校までの道をひた走っている。人間、朝走る理由は様々あるだろう。ジョギングなんかもそうだ。例えば学校に遅刻しそうになり朝ごはんも食べ損ね、髪のセットもそこそこに寮を飛び出し、学校までまっしぐらの今の私なんかもそうだ。

 「バカバカバカ! なんで鳴らないのよ!」とスマホの首根っこをつかんで激しく揺さぶる。「ぼ、僕はちゃんと鳴ったよ。君が止めたんだよ」というスマホの叫びが聞こえた気がしたが黙殺する。

 ジョギング中の若者を疾風のごとく置き去りにし彼のプライドをズタズタにする。


 昇降口に滑り込み自分の下駄箱へ向かおうとして方向転換した時、下駄箱の影から人が現れ激しくぶつかり盛大に尻餅をついてしまった。

 私は慌てて立ち上がると、

 「ごめんなさい!」といって頭を下げた。

 「ごめんじゃねえんだよ! いてーだろ!」と肩を怒らせながら私に詰め寄ってくるのは黄色い上履きを履いた上級生。

 ひぇ! 見るからに真面目とは正反対にいるお方だ。

 「おい、お前。いてーだろ。どうすんだよ? あ?」

 うう、これは今世紀最大のピンチだ。私はなおも謝ろうとし、

 「本当にごめんさな……」と言いかけた時、「ドン!」と音がして私は壁ドンされた。

 いやーん。私がされたいのはイケメンにされる胸キュン壁ドンであって、あなた方不良がするDQN壁ドンではないのよ。


 「おい、おまえ。連絡先教えろよ」と言いつつニヤリと笑い、まるで蛇の様に唇の間から舌がペロンと出たかと思うと、その舌が右から左に上唇を添うように移動した。

 私はそれを見て震え上がってしまった。まさに蛇に睨まれた蛙状態である。


 その時である。私に壁ドンしたままの体勢の上級生の背後から大きな影が近づき、首の後ろの襟をつかんで豪快に私から引き離し、反対側の壁に激しく叩きつけた。

 背中から壁に激突し、思わず「うっ」と声を上げる上級生。

 「朝からみっともねえ事してんじゃねえよ、先輩」

 私は声の主を見て驚いた。顔の絆創膏がすっかりなくなった沢村君の姿があったのだ。『ジャジャーン』という効果音がどこからか聴こえた気がした。

 「沢村君?」


 壁に叩きつけられた上級生は、

 「おい、1年! なめてんのか? てめー」と言って動き出したその刹那、再び「ドン!」と音がして今度は沢村君がその上級生に対してDQN壁ドンを炸裂させた。沢村君はその姿勢のまま、

 「あ?」と怒気を含んだ声で凄む。

 沢村君に比べると明らかに小さい上級生は完全に意気消沈してしまい、

 「お、覚えてろよ」と、お決まりのセリフを残して去って行った。


 「あ、あ、あ……」と言葉にならない声を出しながら只々戸惑っている私に、

 「うるさいハエを払っただけだ」と沢村君は低い声で言うと、そのまま教室に向かって歩き出した。

 私は蝿先輩が去った方向を一度だけ振り返ると、沢村君の後を近づきすぎないようにして教室に向かった。


 さっきのは助けてくれたんだろうか。沢村君にかぎってそんなこと。本当にただうるさい蝿を払っただけなのかもしれない。絡まれているのが私じゃなくてもそうしただろうか。でも結果的に助かったのだ。沢村君の後ろ姿を見つめながら胸が熱くなるのを感じていた。



 ◇



 翌朝、私は校門の前に立っていた。


 昨日の朝の出来事の後、沢村君にお礼が言いたかったのだけど、「気軽に話しかけるな」と言いつけられている為、教室で話しかける事が出来なかったのだ。

 ここで沢村君を待って一言だけでもお礼が言いたかったのである。


 遠くに沢村君の姿を確認することが出来る。背の高い彼は周りの生徒達から頭だけ飛び出しているのだ。


 校門から入ってきた沢村君に近づき、「沢村君、昨日は助かりました。ありがとう」と早口で言って頭を下げる。

 沢村君は立ち止まり私を見下ろしたけれど、特に何も言わなかった。

 まあ別に無視されるのは分かってるし怒鳴られなければいいんだけどね。


 その時である。


 校舎の方から人が近づいてきて私達の横で立ち止まる。


 「おい、1年坊主。要件はわかってるだろ? ツラ貸せや」とニタニタしながら言う昨日の蝿先輩とお仲間二人。

 「ひぇ!」と私は声を出してしまっていた。


 不意に沢村君は私の肩の辺りを手で校舎の方に強く押し出し、「先に教室に行ってろ」と言った。私はその勢いで2、3歩フラフラとよろめく。


 「で、でも」と私が言いかけるけど、「行けっつってんだろ!」とすごい剣幕で結局怒鳴られてしまい、慌てて校舎の方へ走り出した。

 一度振り返ると沢村君と先輩方は体育館の方へ歩いていくのが見えた。


 どうしよう、どうしよう。私は教室まで走る。誰かに言わないと。助けを呼ばないと。私のせいで沢村君に危険が迫っている。

 こんな時4階にある教室までの距離が恨めしい。


 私は教室にたどり着き、その人物の姿を捜す。


 彼を見つけた私は叫んでいた。




 「ま、松葉君!!」

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