第22話 風のしわざ〈風のいたずら〉
「あ?あいつら何やってんだ?」
薄暗くなった土手沿いの道路脇に停めた車の側で、制服姿の女子と男が揉み合っている様子を叉羅鬼が上空から見つける。
「って、栞那じゃん‼︎」
その瞬間、一緒にいた彪鬼の顔が赤黒く染まった。と同時に右手を振り上げる。叉羅鬼はその姿を見て慌てて彪鬼を抑えようとする。
「あっ、待てっ、お前っ!」
「わかっている」
叉羅鬼の静止を振り切り、彪鬼は高く上げた右手を空気を切り裂くように勢いよく振り下ろした。ゴオッ‼︎という音が地上の2人に向かって放たれる。
突風が栞那達の周りを吹き抜け、砂や小石がバラバラと音を立てながら舞い、「ぐあっ!」という男の声と、ゴン、という鈍い音がすると、男の腕を振り払い栞那が走っていくのが見えた。
それを追うように彪鬼はマンションへ勢いよく飛んでゆく。
「はぁ、まったく……」
叉羅鬼は、男がフラフラと車に乗り去っていくのを見届けた後、頭を掻きながら彪鬼達を追った。
***
栞那はマンションの階段を駆け上がり、震えた手でドアを開け、中に入ると急いで鍵を閉めた。カバンが腕からずり落ち、とたんに腰が抜けたように座り込んだ。
「はぁ、はぁ……」
「栞那」
「ひゃああっ‼︎」
「すまん、大丈夫か?」
「ひゅう……き‼︎」
ゆっくりと近づいてくる彪鬼に栞那はなんとか駆け寄ると思わずしがみついた。
「こ、怖かった……」
「無事で良かった……」
「間にあってよかったな」
叉羅鬼が部屋の方から現れた。
「叉羅鬼も……?もしかして2人が助けてくれたの?ありがとう……」
「あいつは大人しく帰っていったよ。だからもう大丈夫だ」
「良かった……」
「怪我はないか?」
「うん」
栞那の呼吸がしばらくして落ち着くと、彪鬼はそっと体を離し栞那の両肩を優しくつかんで顔を見つめた。
「さあ栞那。早く大人に知らせるんだ」
「何を?」
「この事に決まっているだろう」
「うん……、でももう大丈夫なんでしょう?怖かったけど、何もなかったし」
「だめだ」
栞那は、びくっとする。
彪鬼に初めて言われた、だめだという言葉。しっかりと見つめる彪鬼のその表情は、久しぶりに見てもよくわかるほど顔色が悪かった。
「でも……」
栞那がしぶっていると、叉羅鬼がダイニングの椅子に座り、足を組んで言った。
「あいつは常習犯だ。また繰り返す」
「え……」
「ここには来ないかもしれないが、別の場所で同じ事をするだろうな」
「そうだ、だからきちんと話して大人の力を仰ぐんだ」
「オレ達がいるだろ?」
ニッコリと笑う叉羅鬼の言葉と、彪鬼の強い眼差しに押されて、栞那は仕方なく1番話しやすい祖母に電話をかける事にした。
「うん。わかったよ」
こんな事を話せば、事が大きくなるのは目に見えてわかる。大変な、面倒なことになる。怪我もないし何もなかったのだから、できればすぐに忘れて過ごしたい。
思い返せば、これまでもそんな事がなかったわけではない。
1人でショッピングセンターに行った時、知らない男の人に声をかけられ、無視したけれど後をつけられている気配を感じて急いで逃げ帰ったこともあった。
知らない人に「可愛いね」と勝手に写真を撮られたこともあり、それが盗撮だということも後で知った。
報告をしたところで、行ってはいけない所に行ったり、遅い時間に遊んでいるのを知られれば、責められるのはまず自分だ。誰のせいでこんなことになったのか、ちゃんとしていればこんなことにはならなかったのではないか、と大人は言うだろう。
ただ、叉羅鬼のいう通り、あの男がこれからも同じことを繰り返すと言うのなら、助けてもらえた自分は今まで通りの生活を送れるかもしれないけれど、今度はどこかで別の誰かが、被害を受けることになるかもしれないということに気がついた。
それなら、自分のできる事は何だろう。
栞那が祖母に電話をすると、すぐに駆けつけてきてくれて、今度は祖母から警察に、母親に、学校に連絡をしてくれた。そしてじきに大人が集まってくると、彪鬼と叉羅鬼はベランダでずっとその様子を見守ってくれていた。
***
「ふう……」
彪鬼は押し出すようなため息をついた。
「大丈夫か?」
「ああ」
「いやー、一時はヒヤっとしたぜ。お前が暴れるんじゃないかって」
ししし、と笑いながら叉羅鬼が言った。
「もう大丈夫だ」
「まっ、転ばせるくらいよくやるけどな。うまく言ったもんだ、風のいたずらってな」
「そんな事をしているのか」
「いやいや、いたずらって言ってもな、風を起こすだけだ。下を見ていた者は顔を向けるだろう?雲を払って光を当ててやると空を見上げる。ほんのわずかなきっかけ。オレ達に出来る事はそんなもんさ」
彪鬼は、大人達に囲まれ少し辛そうに笑っている栞那を、窓越しに見つめて言った。
「もしも……」
「ん?」
「もしも、栞那がこの先、ひどく傷つき苦しむような事があったら、どうか消してやって欲しい」
「消すって、記憶をか?」
「……ああ」
「まぁ、そんなの簡単だけどな」
叉羅鬼は、ふっと息を漏らした後、ニヤっと笑った。
「じゃあ正直に言うけど、実はもうそれ言っちゃった」
「なに?」
「オレが記憶を消してあげるって。そうしたら辛い事もみんな忘れられるんだよって」
「……」
「ルール違反だなんて言うなよ?栞那がそれを望むわけないのはお前だってわかってるはずさ。全部絶対に忘れたくないと。なのにねぇ」
ヒヤリとした叉羅鬼の視線に、彪鬼は思わず目をそらす。
「……すまない」
「つまりオレのお役目はもう終わり。だいたいそれを言うならもっと早くにそうしてやるべきだったんだ。なんかそういうとこ、人に似てきたんじゃねーの?」
「ふ、そうなのかもしれないな」
「そこで笑う〜?」
「俺は可笑しいか?」
「なあに、この世界は少しおかしいくらいがちょうどいい」
やはり叉羅鬼にはかなわないな、と彪鬼は思う。すると、栞那がそうっと窓を開けてベランダに出てきた。
「なんか2人で楽しそう」
「もう話は大丈夫なのか?」
「うん。結構おおごとになっちゃったけど、みんな親身になって聞いてくれてる。怒られなかったし……。話して良かった。2人が居てくれたおかげだよ。ありがとう」
「そうか、良かった」
「でも、叉羅鬼、ごめんなさい」
「ん?何が?」
「フラフラ出歩くなって言われてたのに」
「なんだそんなことか。気にするな。でも今日は頑張ったな、栞那はもう大丈夫だ」
「うん……ありがとう。彪鬼もごめんね。あ、じゃなくてありがとう。さっきなんか顔色悪い気がしたけどどこか具合でも悪いの?平気?」
「大丈夫だ。あ、いや、少し……。でも心配はいらない」
「そっか、それなら安心した」
「恋の病ってやつじゃない?」
叉羅鬼が言うと、栞那は少し顔を赤らめて控えめに微笑んだ。その笑顔に彪鬼はしばらく見惚れる。
「……栞那、なかなか来れなくてすまなかった」
「ううん、忙しいのに今日もずっと居てくれてありがとう」
「また必ず来る」
「うん、待ってる」
「ゆっくり話をしたい」
「私も彪鬼に話したい事があるの」
「あれ、オレ邪魔?じゃあ、そろそろ行くわ」
叉羅鬼はひゅるんと消え、声だけを残した。
「栞那」
「え?叉羅鬼どこ?」
「元気でな」
「なにそれ?どこか行くの?」
「いや、どこにもいかない」
「へんなの。またね。ありがとう叉羅鬼」
「ああ、じゃあな、栞那」
叉羅鬼は風も残さず、軽やかに去っていった。
まるで初めから何もなかったかのように。
「相変わらずだね、叉羅鬼」
そう言って楽しそうに微笑む栞那に、彪鬼は静かにうなずいた。
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