第19話 呼び覚ます時〈かけら〉
大きな木から、はらはらと葉が落ちてくる様子を栞那は眺める。
守山神社はこのあたりでは比較的新しい神社らしく、樹齢何百年というような大木はないけれど、敷地内を覆うように続く広い森は長い間この地を大切に守ってきたのだろうと思う。
石段の下から吹き上がってくる風は、役目を終えて主の元を去ってゆく枯れ葉達を、時には舞い踊らせながら軽やかにどこかへ運んでゆく。
カサカサと葉の鳴る音に紛れて、小学生らしき女の子達のささやき合うような声が聞こえてきて、栞那は彼女達と目が合うとすぐに視線をそらした。昨日もこの時間に会ったので、なんとなく少し気まずい感じがした。
夕刻を知らせる街の音が聞こえてくると、その幼い声は遠くなってゆく。暗くなるのもずいぶん早くなってきたみたいだ。
「やっぱり、いないか……」
放課後、栞那は毎日神社に通っていた。
鳥居をくぐり本殿の脇の石碑を見上げる。仰いだ空は高く、乾いた空に雲は筋を作り、いつのまにか終わってしまった夏を、あの祭りの夜を思い出す。
あれだけ気楽で安らぎだと感じていた1人の時間は、今は退屈を埋める方法を探すのに費やしてしまっている。そして、ずっと知りたかったはずの彪鬼の想いを知ってからは、会いたくて楽しみだった日々が、会えなくて寂しい日々に変わってしまった。
一緒に見れば、どんな暗闇の中でも、光や灯りが優しく、見慣れた景色が美しく輝いて見えた。そして、体の中からどんどん湧き出す沢山の感情に出会うたび、温かく愛おしく、ただそれだけで良かった。良かったはずなのに。
時間は止まる事なく、季節は変わってゆく。同じ場所にいれば、それも心地よい流れの中だったものが、はじかれた途端、波に乗れないまま漂い続ける居場所をなくした1枚の葉のようだ。
どんなに望んでいた事だったとしても、そうでなくても、変わってしまう事が今は怖い。
さあっと風の吹き抜ける音と小さな声が聞こえて栞那は振り返る。見ると、さっき遊んでいた女の子の1人が戻ってきて鳥居を見上げていた。その視線の向けられた方を栞那も見て、心臓がドクン、と冷たく脈を打った。
彪鬼‼︎
いつのまにか、鳥居の上に座っていた彪鬼は、下を見下ろしながら何か話している。あの女の子を見ているのだろうか。まさか。2人は会話をしているというのだろうか⁈
栞那は思わず石碑の後ろに身を隠した。2人の様子を息を殺して見つめる。
彪鬼は、ふわりと鳥居から降りて女の子の前に立った。彼女の髪がその風を受けて柔らかく膨らむ。2人が見つめ合い、何かを話している様子に、栞那は自分の手が震えてくるのを感じた。
あの子、彪鬼が見えるんだ……!
手を振りながら去って行く女の子を、彪鬼は見送るようにしばらくたたずんでいた。
栞那は、石碑の裏からすぐさま飛び出して声をかけに行く気にはなれなかった。体が凍りついたように重たい。ただ、自分に気がつかないでこのまま去って欲しいとすら思っていた。
そしてその望み通り、境内に枯れ葉がさらわれてゆく音だけを残して彪鬼は風と共に消えた。
また知らない、とても嫌な感情が胸の中に生まれてきた。この胸を掻きむしりたい。
「……どうして?」
栞那は、ふらふらと彪鬼が座っていた鳥居を目指す。その柱に手をそえて見上げた。
栞那の身長の3倍はある大きな鳥居は、ただ静かに栞那を見下ろしている。冷たい石の感触を手に残して、栞那はその先の石段の隅に崩れ落ちるように腰掛けた。
「こんなに待ってるのに……」
栞那は強く膝を抱え込む。
自分にしてくれているのと同じように、彪鬼があの子を抱き上げて、どこかに行っているのだとしたら。一緒に夜空を眺めながら2人で過ごしていたら。想像が湧いては頭を支配して、じわっと目の奥が熱を持つ。
すると、ふわりと吹いた風が背中を撫でた。
「もうすぐ暗くなるのに、こんな所で1人でいたら危ないぞ」
「えっ、叉羅鬼?」
「久しぶりだな、栞那。彪鬼と待ち合わせ?」
「ううん、違う……」
「何かあったのか?」
その優しい声は導くように勝手に口を動かそうとする。頭で考えるよりも先に、まるで何かの術にかけられたように、いつも不思議と言葉を吐き出させてしまう。飲み込んでしまいたくなるような隠したい気持ちでさえも。
「……彪鬼は忙しいのかな。最近、全然来てくれないの。ずっと待ってるのにさ」
「まあ、時間の流れが違うからな」
よいしょ、と叉羅鬼が栞那の隣に腰を下ろす。
「他の子の所にはちゃんと行ってて、私の所にだけ来てないんじゃないかな」
「それはないんじゃない?」
「だって今、知らない女の子と彪鬼が喋ってるの見ちゃったし」
「へぇ!栞那の他にも見える子がいたんだな」
こっちが絶望的な気分で話しているのにも関わらず、叉羅鬼はいつものようにニコニコと楽しそうだ。
「彪鬼が他の子と会ってるなんて想像もしてなかった。ううん、知ってたけどこうして目の前で見たらなんか……。こんな嫌な気持ちになるなんて思わなかった」
「嫌な気持ち、ねぇ」
「私なんか、きっと沢山いる中の1人なんだよ」
思わず叉羅鬼を睨むように見た。それでも真っ直ぐこちらを見つめる叉羅鬼の優しい瞳に心をほぐされ、我に返る。
「ごめん、八つ当たりだね……」
「栞那はほんと素直だな」
「素直なんかじゃないよ。結局何も変わってない情けない奴だって叉羅鬼も思うでしょ?」
「そんな風に思うわけないだろ」
「なんでこんなにモヤモヤして苦しくて嫌な気持ちになるんだろう」
「彪鬼と話してみればいいじゃない」
「話そうにも何も、来てくれないんじゃどうしようもないよ。それに、彪鬼は何も悪くないんだから。悪いのは私だってわかってる……」
叉羅鬼は少し顔を上げて空を眺めた。珍しく静かな時間が流れる。
「栞那、辛い?」
「わからない。でも誰かを恨むのも、自分を嫌いになるのももう嫌だよ」
「彪鬼だって栞那が苦しむのは嫌だろう」
「わかってる。だからわかんないんだよ」
「忘れちゃえばいいんじゃない?」
「……え?」
「忘れれば、辛くないよ」
「忘れるって何を?」
「オレが忘れさせてあげよーか?」
叉羅鬼は、膝に頬杖をついていた顔を栞那に近づけて言った。
その笑顔は、どこか怪しげに紫の瞳を輝かせていた。栞那はドキっとするのと同時に寒気のようなものを感じて気づく。いつも優しいこの人は、やっぱり人とは違う、鬼、だという事に。
「……忘れるってどういう事?」
叉羅鬼が、ぽっと指先に小さな鬼火を灯した。
「それは、邪気を浄化できる鬼火だよね?」
「そ。これで浄化と共に、人の記憶も消せる」
「そうだったの⁈」
「本来、オレ達は人に見られてもこれで記憶を消していく」
叉羅鬼が指をくるくると回すと、青い炎が遅れて小さく渦を巻く。
「でも私、記憶、あるよ?」
「それは、彪鬼が消してないからだろう?」
「そうなの……?」
「まぁ、なんにせよ、これでオレが栞那の心を浄化しつつ記憶も消せれば、辛さなど一瞬で消えうせるであろう!」
指先をこちらに向けながら、自信満々に言うけれど、という事は……。
「そうしたら叉羅鬼の事も、彪鬼の事も忘れちゃうの?」
「たぶん」
「今までの事全部⁈」
「きっと」
「そうなっても、叉羅鬼は平気なの⁈」
「オレは平気だけど?」
栞那は叉羅鬼の笑顔を見ながら言葉を失った。なんでそんな事をあっさりと笑顔で言えるのだろう。今までの思い出が全てなかった事になってしまうというのに!
「私は何も忘れたくない。たとえこの先どんなに苦しくても辛くても。忘れればいいなんてそんなのおかしいよ」
「うん、そうだね。栞那ならそう言うと思ったよ」
叉羅鬼は指先の炎を、ふっと息をかけて吹き消した。
「オレだって、栞那の事忘れたくないなって思うし」
「え?さっき忘れても平気って」
「嘘じゃないよ。栞那を忘れたくないのも、忘れられて平気なのも、本当」
「全然言ってる意味わかんないよ……」
「ま、どちらにせよ人は忘れていくもんさ。でも1度出会ってしまった記憶は、体やもっと深い部分に刻まれている。そのほんのひとかけらでも、栞那の中にオレがいるとしたら、それで栞那が創られているとしたら。それは逆も同じこと。記憶ってそういうもんだろ?」
栞那の頭に叉羅鬼はポンと手を乗せた。
「きっと繋がりがあるはずなんだ。そんな知りえない力の中だとしても、こうしてお互いに存在を分け合える、そんな出会いは忘れようにも忘れられないものになるに決まっているのさ」
叉羅鬼の言葉は難しくて理解できない。でもなんとなくどこかで聞いたような、なぜか懐かしいような感覚に襲われる。知らないはずなのに、覚えている。
頭では理解できないけれど、何かが体の中で喜びを感じている。それが、創られた何かの、刻まれたかけらの呼び起こされた衝動だというのだろうか。
栞那は自分でもわからない、どんどん深くから湧いてくる何かが指先にまでみなぎっていくのを、手を、ぎゅっと握りしめていた。
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