第18話 告白〈狭間〉

 ゆかりの母親との待ち合わせを守山神社の近くのコンビニにした。雨はすっかり上がっていて、濡れた地面に映る街の灯りが、いつもよりキラキラとして見えた。

 しばらく店の明かりの下で2人で話していると、1台の白い軽自動車が現れ、やっと来たよ〜と言いながら、ゆかりが近寄っていく。

 栞那はゆかりの母親と軽く挨拶をして、手を大きく振って車を見送った。ゆかりの母親は栞那の母親よりもずいぶん年上のように見えた。そして、ゆかりとは雰囲気の似ていない、あまり笑わない人だった。


 栞那は神社の脇の坂道を下りながら、境内の様子を覗いてみる。森に囲まれた暗闇にもちろん人影などなく、しんと静まり返っていた。

「栞那」

「彪鬼!」

 見上げると、神社の石段の中間に彪鬼が腰掛けていた。急いで栞那は階段を駆け上がる。

「もしかして、待っててくれたの?」

「ああ」

 彪鬼は、穏やかな笑みで応えると立ち上がっった。彪鬼のこの笑顔を見ると胸の中がきゅっとなる。あ、もしかして、これが「きゅん」なのだろうか⁈

「今日はもう会えないかと思ってた」

「ああ、でも驚いたな」

「ほんと!私もびっくりしちゃった。ね、土手まで散歩しよう」

「もう、暗いだろう?」

「大丈夫。彪鬼が一緒だもん」

 そう言うと、彪鬼が右手を差し出した。栞那は勢いよく左手でそれを捕まえる。

「彪鬼……会いたかった」

「俺もだ」

 栞那は、胸の中がまたきゅっとなるのと、彪鬼の手から伝わる温もりが、体の奥まで染み渡ってゆくのを愛おしく感じていた。

 

 土手に登ると、日は落ち、辺りは真っ暗だった。満月が近いはずの空はまだ残る厚い雲に覆われていて星も見えない、本当に黒の世界だった。

 雨上がりの湿った風が、隣にいる彪鬼の香りを運んでくる。どこか似ているそのふたつの香りは、近くにいるほど強くてそれでいて儚く消える。


「なんか、久しぶりだね」

「そうだな」

「……最近忙しい?」

「ん?」

「なかなか来てくれないからどうしたのかなぁって思ってた」

「ああ……、そうか」

「ずっと待ってた」

「……すまない」

「ううん、彪鬼も会いたいって思ってくれてたんなら、いいんだ」

 昼間はまだ厳しい暑さが残るこの頃も朝晩はずいぶん過ごしやすくなった。きっとこうしていつのまにか季節は変わってゆく。

 時の流れが違うとわかっていても、会えないもどかしさが埋まる事はきっとないのだ。


「彪鬼はさ、こっちが昼間の時って何してるの?こちら側じゃないどこかにいるの?」

「いや、こちらにいる時もある」

「えっ、そうなの⁈」

「ああ、ただ日の光が強すぎて俺達の存在はほぼないに等しい」

「太陽の光に消されちゃう、みたいな?」

「それに近いだろう」

「そうだったんだ……。え、てことは、もしかして昼間の私の事も見てたりする……?」

「それはまぁ……、あ、いや、俺は、その、ストーカーでは……」

「へ?ストーカー?」

「いや、違う、俺はそういうつもりでは……」

 前髪で隠れていてもわかるくらい、彪鬼の顔が赤くなっている。照れているのだろうか。なんだろう、すごく、可愛い。

「ふふっ、誰も彪鬼のことストーカーだなんて思わないよ〜」

「そうか……」

「あー私も昼間、彪鬼のこと見えたらいいのにな。そしたら夜だけじゃなくて、もっともっとたくさん会えるのに」

 彪鬼の手を強く握ると、彪鬼は目を細めて微笑んだ。

「そうだな……」

「でもまさか彪鬼からストーカーなんて言葉が出てくるなんて」

「ずっと見ているとストーカーだと言われると叉羅鬼が」

「あ〜もしかしてあの時の事かなぁ?冗談のつもりだったのに。もう叉羅鬼は余計な事まで彪鬼に言うんだから」

 そういえば、そんな叉羅鬼もしばらく来ていない。


 自分の知らない間に見られているのは少し恥ずかしいけれど、それほど気にしてくれていたというなら素直に嬉しいと栞那は思った。

 それにもし彪鬼が同じ学校にいたら、間違いなく自分がストーカーになっていただろう、と思う。きっといつも彪鬼を探して、追いかける毎日だったに違いない。

 そう考えて栞那は思考を止める。

 ……彪鬼が同じ学校?

 なんでそんな事考えてる?ありえないのに。

「……あ」

 そこで今日ゆかりに話した事を思いだした。

「あのね、さっきの子がゆかりちゃん。初めて家に遊びに来てくれたの。それで……、彪鬼の事ちょっとしゃべっちゃった」

「なんて?」

「彪鬼は、ゆうき先輩って事になってる」

「?……でも、彼女には見えていなかったのだろう?」

「そうみたい、ちょっと残念」

「残念?」

「だって彪鬼の事、ちゃんと紹介したかった」

 栞那は繋いだ手を少しぶらんぶらん、としながら言った。

 その時だった。


 ぐわん、とした浮遊感と、ものすごい圧力に体が押しつぶされそうな感覚がやってくる。ひどい寒気がして鳥肌が立ち、呼吸が荒ぶり、音が遠のいてゆく。

「ど、う、した?」

 彪鬼の声が、とぎれとぎれに聞こえた。


 そうだ。

 彪鬼もゆかりもとても大切な存在だ。

 けれど3人は同じ空間に存在できないのだという事に改めて気づく。きっと笑い合う事さえもできない。ましてや、彪鬼との出会いをゆかりが受け入れてくれるとも限らない。

 ゆかりとの時間は本当に楽しくて、これからも同じように過ごしていけるだろうと思っていたけれど、こうして彪鬼と一緒にいる時間もまた、この世界をずっと望んでいる。

 どっちも自分にとっては現実なのに、どっちも現実じゃない気がしてくる。別々の世界を行き来しているような、また居場所を失ってしまうような、たとえようのない強い不安と恐怖が襲ってくる。

 栞那はぐるぐるとめまいがしてよろけた。

「あれ?私、どうしたんだろう……」

「栞那⁈」

 膝の力が抜けて、ふっと倒れそうになった体を彪鬼が支えてくれた。

「俺がいるから大丈夫だ」

「うん……」

 伝わってくるぬくもり、彪鬼の力強い腕の感触と、かけてくれる優しい声。栞那は体を彪鬼に預けると、自然と目が閉じて意識が遠のいてゆくのがわかった。


「彪鬼?」

 しばらくして呼吸が落ち着き栞那は目を開ける。今包まれていたはずの彪鬼がいない。

「え、彪鬼⁈」

 辺りを見回すけれど人影などない。真っ暗な土手には自分1人だけだ。

「どうして?どこ⁈」

 1人になったとたん、黒い空気が目の前にあるような世界に飲み込まれそうになる。見慣れたはずの夜の景色が、自分を消し去ろうとする恐ろしい闇に変わる。

「彪鬼……‼︎どこ⁈置いていかないで‼︎」

 走り出そうとした足が、ガクンと折れて転びそうになった。


「大丈夫か?」

 声が聞こえたと同時に見慣れた天井が見え、心配そうな彪鬼の顔が上から覗き込んでいる。

「あれ……?」

 いつのまにか栞那の体はベッドに横たわっていた。靴もちゃんと脱いでいるようだった。今のは夢だったのだろうか。

「もしかして……彪鬼が運んでくれたの?」

「ああ」

「そっか……ありがとう」

 栞那の瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。

「栞那?」

「ごめん、大丈夫。ホッとしたみたい」

「……すまない、俺のせいだな」

「なんで?違うよ」

「俺が栞那を不安にさせているのだろう」

「彪鬼は何も悪くないよ」

 起きあがろうとした体を、彪鬼が押さえた。

「まだ寝ていた方がいい」

「うん……わかった」

 彪鬼が手を握ってくれた。すると、ぽっと青い炎が2人の手を包みこんだ。だんだんと温かくなってきて、心地良い眠気に襲われる。

「彪鬼……、またすぐ会いに来てね」

「ああ、わかった。必ず」


 その後何かを言おうとした時には、もう眠りについてしまっていた。その日から、目が覚めていても夢の中にいるような頭のぼやけた感覚はしばらく続いた。


 気づけば、彪鬼が「必ず」と言ってくれた日からまた少し季節は変わってしまっていた。


 

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