第3話 特別な日

 花が散ってしまうと、青々と密集した葉が、くっきりと地面に影を作る。日に日に強くなる日差しに初夏を思わせるような午後、帰宅した栞那は息を整え、部屋のドアを思い切り開けた。

「ただいまー!」

と、言いながら本棚の方を見て、期待外れの結果にがっくりする。

「やっぱり、いないかあ……」

 栞那は窓を大きく開けて、カバンをどすん、と椅子に置いた。

 母親は、仕事を早めに切り上げて、栞那の好きなお肉屋さんの唐揚げと、駅前でいつものケーキを買ってきてくれると言っていた。思わず顔がほころぶ。

「ふわぁー、疲れたー」

 栞那は、ごろん、とベッドに横になった。

 中学校生活は、思っていたより悪くない。

 みんな優しく声をかけてくれる。ただ「部活は何にするの?」と何人かに聞かれ、部活に入るつもりはないので、誰とも話が膨らまなかったのが少し気がかりだ。感じ悪い人、と思われてしまったのではないかという不安だけがいつまでも拭えない。

 声をかけられれば話せるけれど、すぐ集まったり群れるのはどうも苦手だ。「普通」を装うのは、まだ少し疲れる。それでも昔に比べれば平和で穏やかな毎日だ。

 栞那は先日、父親から届いた欲しかったミュージックプレイヤーを枕の下から取り出し、耳にあてて目を閉じる。

 13才という響きは、なんだか大人な感じがする。

 いつもの日々と何も変わらないのに、誕生日だというだけで一日中ワクワクがとまらないのは不思議だ。

 今から土手に行こうか、それともベランダで待っていようか……。

 あれこれ考えていると、音楽に紛れて話し声が聞こえた気がして栞那は目を開けた。

「あ、起きたー。おはよ」

 手足を広げ大の字で寝ている栞那を、彪鬼と叉羅鬼が見下ろしている。

「わぁっ!」

 栞那は慌ててイヤホンを外して飛び起きた。

「気持ち良さそうだったね」

 叉羅鬼がニヤニヤして言った。

 ノックぐらいしてよ……と言おうとして、今までそんな風に思った事なかったのにな、と思う。とりあえず急いでベッドから降りて、栞那は制服の乱れを直し、髪を手櫛で整えた。

「おかえり」

 彪鬼が言った。

「うん、ただいま」

 別に家で待っていない時でも、彪鬼はいつからか「おかえり」と言ってくれるようになった。それがなんだか嬉しい。

「今日はどうして2人なの?」

「たまたま?」

と、叉羅鬼が首を傾げながら言った。

 たまたまで今日この日に2人に来てもらえたのなら、偶然にしてもこんなに嬉しい事はない。

「えっと、突然ですが、今日は私の13才の誕生日です!」

 両手を腰にあてて、栞那は2人に報告する。

「あっ、そうなの?!おめでとう!」

 叉羅鬼はとてもいい反応をしてくれたけれど、彪鬼はいつものきょとん、とした顔をした。「誕生日?」

 やっぱりわからないようだ。

「誕生日ってのは生まれた日の事だ。13年前の今日、栞那がこの世界に生まれたって事。人にとっては1年に1度のめでたい日って事だ」

 叉羅鬼は、得意げな顔でわかりやすく彪鬼に説明してくれた。

「そうなの。人にとっては特別な……」

と、栞那が言いかけた瞬間、強い風が部屋に吹き込んだ。渦を巻くような風が髪を乱す。花のような香りのするこの風は……。

「何やってるの。2人で」

 聞き覚えのある声に、栞那は背中がゾクっとした。

 紫月鬼さんだ!

 真っ赤な髪を片方の肩に三つ編みのようにゆるく結い、薄い紫色の着物姿。部屋が咲き乱れる藤の花のような甘い香りに包まれた。栞那に緊張が走る。

「わぁ、珍しい。どした?」

 そう言った叉羅鬼を、紫月鬼はちらっと見てからため息まじりに言った。

「今日は、こんな所で油を売ってる場合じゃないでしょう」

 こんな所って……。

「相変わらず真面目だな、紫月鬼は。少しくらい寄り道したっていいだろう?なぁ彪鬼」

 叉羅鬼の声が少し心細くなって、彪鬼に助けを求めているように見える。

「それに、ほら、栞那が今日、誕生日だって」

 今度は栞那に話を振ってきた。栞那は慌てて目をそらす。

「ふうん……。いくつになったの?」

 紫月鬼の声は、少し柔らかに聞こえた。目が合ったけれど細い目がさらに細くなり、鋭い眼差しが怖くて栞那は床を見ながら答えた。

「……13になりました」

「ずいぶん大きく見えるわね」

 紫月鬼の言うとおり、4月生まれというのもあって、栞那の身長はどの学年になってもクラスで高い方だ。それが昔はコンプレックスだったけれど、今は大人っぽく見えるからいいのだと思えるようになった。

 そういう紫月鬼も彪鬼よりも背が高く、すらっとしていてかっこいい、と栞那は密かに思った。

「ま、そういう事だから、めでたい日だし今日は大目に見ろって」

 叉羅鬼は紫月鬼の肩をポンと叩いて、にっこり爽やかな笑顔を見せた。

 一気に部屋の空気が変わる。その笑顔に思わず栞那も見惚れた。叉羅鬼の笑顔は、頭で考えるより、言葉を選ぶより、なによりも早く心をほどいてしまう。その笑顔の魔法にかけられたように、紫月鬼も少しだけ微笑むように首を傾げた。すると、

「栞那、欲しいものとかある?」

と、叉羅鬼が栞那に近づいて、肩をぐっと抱いて言った。

「えっ!」

 顔がかぁっと熱くなる。男の人にそんな事をされたのは初めてだ。叉羅鬼の腕は、がっちりとしていて硬く、押さえつけられた胸も硬くて広い。 

「なんでもいいから、言ってごらん?」

「ちょっ、ちょっと……」

 栞那は、ささやかな抵抗をしながら、心地よい安心感に身を預けていた。とても懐かしい感じ。子供の頃に抱きしめられた記憶と似ている。

 大切にされているのだと思えた揺るぎない自信。大好きだと思っていたかけがえのない懐かしいぬくもり。

 どうして叉羅鬼にそれを重ねてしまうのかはわからないけれど、ただこのまま、ずっと包まれていたいな……と思って、はっと我に返る。

 視線の先には彪鬼がいた。

 無表情のまま、じっとこちらを見ている。栞那はなぜか気まずい気持ちになった。

「しゃ、叉羅鬼は平気なの?」

「何が?」

「人と、触れても」

「なんで?」

 顔が近すぎて、変な汗が出てくる。

「だって……」

 叉羅鬼は彪鬼と違って人の事をよく知っているし、慣れているというより、いろいろと知りつくしていそうだ。とはいえ、これは近くなりすぎだと思う……。

「叉羅鬼、いい加減にしなさいよ」

 紫月鬼が、ぴしゃりと言い放って、叉羅鬼は「はーい」と言って栞那をそっと解放した。

「オレからのハグの贈り物でした」

 満足そうな叉羅鬼の笑顔。嬉しいような迷惑のような……。

 すると、彪鬼が近づいてきた。

 そして、少し身構えた栞那の横を、すっと通り過ぎ、ベランダへ出ていってしまった。

「えっ、彪鬼、もう帰るの?!」

 どうして?せっかくの誕生日なのに!

 彪鬼は、空の様子を伺うように、ぐるっと見上げてから言った。

「栞那、こっちへ来てくれ」

「うん……」

 栞那は、とぼとぼと部屋を出る。

 すると、彪鬼が栞那の腰に手を回して抱えこんだ。

「きゃあ!」

「つかまれ」

 そう言われた瞬間、体がベランダから浮いた。訳が分からず彪鬼にしがみつく。

「ひゃあぁー!」

 彪鬼は栞那を抱えて飛んだ。


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