第23話 霧の中
お正月が過ぎても守山神社にはまだお参りをする人達がちらほらいて、お守りや熊手などを販売していた臨時の白いテントが境内に残ったままだった。
栞那は本屋の帰り道、神社に寄ると石の鳥居を足早にくぐる。立ち読みをして長居してしまったので外はすっかり暗くなってしまった。この時間、神社の境内の赤い灯籠に電気の灯りが灯されると、神秘的な雰囲気に包まれるこの柔らかい光がとても好きだ。
社務所の窓からもれる明かりがぼんやりと照らす石畳を進み、鈴を鳴らし拝殿の前で手を合わせると、冷たい風が白い紙垂をふらふらと揺らした。人の気配を感じて振り返ると、思ったより近くにいた人影に、びくん、と体が跳ねた。
「わっ、びっくりした……彪鬼?」
いつのまにか彪鬼が参道に立っていた。明かりをまとうように白く浮き上がって見える。いつも暗い中でも、彪鬼の姿や色や輪郭がはっきり見えるのは不思議だ。
「どうしたの?」
「栞那の方こそ、暗い中で何をしてるんだ」
「これを、返しに来たんだ」
栞那はポケットからお守りを取り出した。お正月に新しいお守りを祖母に買ってもらったので、去年のものを納めにきたのだ。こういうしきたりみたいなものを祖母はよく教えてくれる。
栞那はお守りをお納め所に置いて、かじかんだ手をそっと合わせた。本当にお守りが自分を守ってくれていたかどうかはわからないけれど、それでもランドセルの隅で変わらずそこにある姿を見ると、なぜだか安心したものだ。
「彪鬼も神社に何か用があったの?」
「いや、栞那の姿が見えたから」
「どこから?」と聞くと、彪鬼は人差し指を立てた。見上げると藍色の空に星が3つ見えた。
「ああそっか。鬼は飛べるから簡単にどこでも行けるんでしょ?いいなあ」
「そうか?」
「あっちの街にも簡単に行けたら、お父さんも寂しくないのかも」
「あっちの街?」
「うん、もしかしたらお父さんのいる街で暮らす事になるかもしれないの。そこは海も川も綺麗な所なんだって。それに犬も飼っていいって。ずっと欲しかったんだぁ」
「犬……」
「どうかした?」
「いや。もう帰るのだろう?家まで送る」
「え、大丈夫だよ、1人で帰れるよ」
「そうか」
石段を一緒に降り、道路に出ると彪鬼は少し後ろをついてきた。神社からマンションまでは大通りなので、街灯もあって車の往来も多いので明るい。1人でも大丈夫だけれど、これじゃあ送るっていうか……なんだか尾行されてるみたいだ。
そういえば熱があった時も、彪鬼はしばらく部屋にいてくれた。本当はとても心強かった。
時々振り返ると、ちゃんと彪鬼はついてきていて、何度か立ち止まってみたりした。前から歩いて来る人が怪訝な顔をして通り過ぎていく。1人で笑っている変な子だと思われたとしても、顔がニヤけてしまうのを隠せなかった。
「すぐ、行くのか?」
マンションの前で彪鬼に聞かれて振り返る。
「引っ越しの事?まだ、卒業してからかな」
「楽しみなのだろう?良かったな」
「まあそれはそうなんだけど……。あ、そうだ。今日漫画の発売日だったの。見ていく?」
「いや……。また、来る」
「うん。送ってくれてありがとう」
冷たい風が空から降りてきて、彪鬼と一緒にそっと舞い上がっていった。風が消えた空にも星は変わらずそこにあった。変わらない景色。いつも見ていた風景。いざ離れるとなると、栞那は少し寂しい気持ちになった。
頃合いをみて引っ越しの話を母親にすると、案の定賛成できないと言われた。納得のいく理由なんてなかった。結局は大人の都合だ。
栞那は無性に部屋を片付けたくなって、古い教科書やプリントの仕分けをしたり、もう読まない本を集めてみる。思い切って捨ててしまおう。いつでも必要な物が持っていけるように。
ふとベランダに大きな人影を感じてレースのカーテンを開けると、叉羅鬼が爽やかスマイルで手を振っている。
「こんばんは☆」
「どうしたの?」
「いや、何してるのかなーって見てた。彪鬼は?」
「今日はまだだよ。ねぇ、見てたっていつからいたの?もしかしてずっと覗いてた……?」
「あれ?覗いてたっていうと、誤解があるよね?」
「じゃあ声かけてよ、もう」
「へへへ」
相変わらず顔じゅうをゆるゆるさせながら笑っている。そしてするりと部屋に上がり「よいしょ」と椅子に座って足を組んだ。
「叉羅鬼はこれから見回り?」
「見回り?」
「彪鬼がいつも見回りに行くって言ってるから」
「ははっ、見回りね、確かに。あいつ面白い事言うなぁ」
叉羅鬼は椅子に寄りかかりながら、髪をかきあげた。深緑色の髪がふわふわと揺れる様子に見惚れる。
「ん?何?将来の夢、秋川栞那」
「ちょっ、やめて、読まないで!」
「私の将来の」
叉羅鬼が読み上げる前に、机の上のプリントを奪い取る。
「なんだよー、いいじゃん」
「いやですー」
栞那はプリントを丸めてゴミ箱に入れた。
「そりゃないだろう!」
「いいの!下書きだから!もう本番は書いたから!っていうか、なんで勝手に見るかなー」
「あーあ、せっかく書いたのにな……」
叉羅鬼はゴミ箱の紙を物欲しげに見ている。
何度も何度も書き直しては、結局当たり障りのない内容になった卒業文集の下書きだ。
「じゃあ、栞那の将来の夢教えてよ」
「夢なんてないよ。適当に書いただけ」
「そうなの?なりたいものは?」
「別にないし」
「あーあれだな。栞那ならね、きっとアイドルとかモデルとかでしょ」
「ふつーの事言うんだね」
「栞那なら、何にだってなれるさ」
「なれません。適当な事言わないでください」
「だーかーらー、オレは適当な事も嘘も言わないって言ってるだろ?」
「そうだっけ?」
他にも見られたくないプリントやらテストが残っていたので、まとめて捨てようと机に近づくと、叉羅鬼が椅子をキュっとひいて机に頬杖をついて栞那を見上げた。
「わかった。もう見ないから、ね?」
見つめられた視線に顔が熱くなったのがわかった。思わず顔をそらす。なんだろう、この変な感じ。でもそれは嫌なものではなかった。
「なら、なりたくないものはあるだろう?」
「なりたくないもの?」
叉羅鬼から少し距離をとる。部屋が暑い。
「こんな風には、なりたくないとかさ」
「それだったらいっぱいあるよ」
改めて考えた事はなかったけれど、探してみると沢山の顔が浮かんでくる。
「人の悪口ばかり言う人。1人じゃないと調子に乗る人。知ったかぶりする人。人のものを壊す人。謝らない人」
「なりたいものいっぱいあるじゃない」
「は?」
「そういう人じゃない人になりたいって」
叉羅鬼の言葉に、はっとする。
「痛さも苦しさも経験しなきゃ知れない。だからそうなりたくないと感じるものがあればあるほど、傷ついてきたっていう証なんだよ、栞那」
「同じように、優しさや嬉しさも、与えてもらって知る事ができる。それが人、だろう?」
そう言った叉羅鬼の笑顔は陽だまりのように暖かくて、眩しくて、とても優しかった。
この
もっと早く出会えていたなら、いろんな気持ちや想いを聞いてもらいたかったな、と栞那は思った。叉羅鬼みたいな先生がいたら良かったのに。
「ところで、なんでこんなに片付けてる?」
「引っ越すかもしれないから」
「は?いつ?どこへ?!」
「卒業してからだけど、飛行機で1時間くらいのとこ?新しい家にも遊びに来ていいよ」
「はぁ〜、マジかよ……。せっかくお友達になれたのに」
「え?」
「あのね、オレ達はこの街から出られないの」
「え?なにそれ?!」
「ちなみに、この話、彪鬼には?」
「したよ。でもそんな事は言ってなかった。良かったな、って……」
「そりゃあ栞那が良ければ、良かったよな」
なんだろう。胸がモヤモヤする。
彪鬼は何も教えてくれなかった。どうしてあの時、彪鬼はこの街から離れられない事を話してくれなかったんだろう。いや、よく考えたら彪鬼には関係のない話だ。でも引っ越したらもう友達ではなくなるかもしれないという事はわかるだろう。彪鬼にとって言うほどの事でもないという意味なのだろうか。違う。彪鬼の問題じゃない。相手がどう思うかじゃない。自分の事なのだから……。
「かーんな。どした?」
叉羅鬼がそばに来て顔を覗きこんできた。
「なっ、なんでもないよっ」
「じゃあさ、これからたくさん思い出作ろう!今日は何して遊ぼう?それとも何か手伝う?」
「えぇ……」
2人きりのこの空間が落ち着かない。初めて出会った時の印象が最悪で気付くのが遅れたけれど、叉羅鬼はとてもかっこいいのだ。そう気づいた時から、この奇妙な暑さに襲われるようになった。
ただ、今はそんな叉羅鬼の笑顔でもぬぐえない、霧がかったような気持ちが、栞那の中でいつまでも晴れずにいた。
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