第21話 一緒に

 彪鬼は、みぞれ状に薄く雪が積もった手すりに手を置き、空をじっと眺めていた。何を見ているんだろう。栞那の吐いた息が、窓ガラスを白く曇らせる。

 部屋の灯りはつけていたから、居るのはわかっていたはずだ。声もかけずにどうして、と思いながらも、窓に手をかけたまま彪鬼の姿を見つめる。

 もしかして、会えなかっただけで、彪鬼はこうして来てくれていたのではないだろうか。

 どんどん曇っていくガラスごしの彪鬼がぼんやり見えなくなって、静かに指でなぞってその姿を見つける。

 彪鬼の横顔は、どこか遠い所を見つめるようにいつもどこか寂しそうだった。何が彪鬼をそうさせているのだろう。もっと彪鬼の気持ちをわかってあげられたらいいのに、といつしか考えるようになっていた。それなのに。

 雪に包まれながら、青い髪をふわふわと揺らし、どこかを眺める彪鬼の姿は今までと変わらない。どんな姿をしていたって、どんな知らない事がこれからわかったとして、きっと彪鬼は何も変わらない。それは、自分も同じだ。

 栞那は勢いよく窓を開けた。冷凍庫のような風が部屋に吹き込む。

「彪鬼!」

 その声に驚いたのか、彪鬼は目を見開いて何度も瞬きをした。

「寒いでしょ?早く入って!」

 声と白い息が、風にかき消される。彪鬼は少し間を置いて言った。

「……いいのか?」

「当たり前じゃん!」

 彪鬼が部屋に入り窓を閉めると、彪鬼の手はほんのり赤く染まっていた。

「何か拭くものもってくるよ」

「いや、大丈夫だ。濡れてはいない」

「そうなの?」

 確かに着物も綺麗だし、髪もふわふわだ。

「でも、寒かったでしょ?そんな薄着で」

「寒さや暑さはほとんど感じない」

「は……、なんだ、そうだったんだ」

「栞……」

「彪鬼」

 彪鬼の言葉を遮る。

「この間は、本当にごめんなさい」

「栞那は何も悪くない。醜いものを見せてすまなかった」

「……何言ってるの?どうしてそんな事言うの?彪鬼のどこが醜いの?!私、そんな風に思った事ない!」

「栞那」

「あの時はちょっとびっくりしただけ。どんな目でも彪鬼は彪鬼だし、何も変わらないよ!」

「……そうか」

「このまま彪鬼が来てくれなかったら、どうしようかとずっと不安だった」

「そんな事はない」

「来てくれて本当に良かった……ありがとう。ごめんね」

 長い沈黙が部屋に漂う。

 きっと、前髪が長かったのは、あの目を隠す為だったのだろう。それは見られたくないからという意味じゃない。見てしまった相手を思っての彪鬼の優しさだったのだと思う。それなのに、そんな自分を醜いなんて言う彪鬼が、とても悲しい。

「彪鬼、お願い」

「ん?」

「もう自分の事、醜いだなんて言わないで」

「……わかった」

 栞那は、本棚に近づいて、一冊の本を取り、彪鬼に差し出した。

「……漫画、読む?」

 彪鬼はうなずいて、漫画を手に取り、いつもの場所にあぐらをかいて座った。

「私も読もうかな」

 栞那もベッドに寄りかかり、彪鬼と同じ漫画を読み始めた。

 雪の音が聞こえる。

 向かい合い、会話もなく過ぎてゆく静かな音を、さらに消し去る音がする。それは凍るように冷たいというより、覆われて包まれる暖かさのようだ。

「ふふ、あ、ごめん。このシーン何度見てもウケちゃうんだよね」

 時折笑いをこらえきれず吹き出す栞那をよそに、彪鬼は相変わらず静かなままだ。それでも時々そっと視線を向けると、漫画を読む彪鬼の表情は、その日ほんの少し楽しそうに見えた。


 冬休み1日目は、真っ白な朝だった。

「うわあ!」

 栞那は急いで朝食を食べて、土手にむかう。

 土曜日という事もあり、すでに家族連れが雪合戦をしたり、雪だるまを作っていて、雪と土が混ざり合ってしまっている場所を見て、寝坊した事を栞那は後悔した。

 真っ赤なソリで土手を滑って歓声をあげている子ども達。段ボールを敷いて滑っている子を見かけ、栞那は急いでマンションに駆け戻る。

 周りの目を気にしながらあまり雪が汚れていない部分を探して、家からもってきた段ボールをお尻の下に敷く。

 簡易ソリは思っていたよりスピードが出て、冷たい空気が頰をかすめ、一瞬で平らな地面に着地した。栞那は誰も触っていない雪を手袋ですくい、少し口に入れてみる。あまりいい匂いはしないけれど、天然のかき氷のような雪はふわふわと柔らかだった。今度は両手でたっぷりとすくい、空に投げる。

 高くは飛ばず目の前でバラバラになって舞った雪は、眩しい朝日に照らされてキラキラと反射しながら、自分に降り注いだ。

「冷たっ!」

 その瞬間、ぶわっと何かが体中に湧き上がってきた。

 一緒に。

 彪鬼と一緒に。

 この嬉しさを、楽しさを、感動を、誰よりも一緒に味わいたい!

 同じものを見て、同じように感じたい。離れていても、誰よりもわかってくれて、わかってあげられる。辛い時、手を差し伸べてくれて、差し伸べてあげたい。

 今までは、誰かが隣にいなくても平気だったし、困らなかった。1人の楽しみ方や過ごし方も知っていた。けれど今は違う。

 何をしていても顔が浮かぶ。そんな、約束上の友達ではない、友達。

 そんな風に思える人に初めて出会えたんだ。

 栞那は、目の前を流れる川の輝きと、強い日差しに次第に溶けて、表面が白から透明になってゆく雪をしばらく見ていた。

 手袋が濡れて、指先の感覚がなくなっても、空に舞い上がらせては自分だけに降る雪に、栞那はいつまでも包まれていたかった。


 数日で雪はすっかり溶けてしまい、寒気はしばらく抜けて暖かいクリスマスになるでしょう、と天気予報で言っていた。それでも12月の夜は凍るほど寒い。

 冬の空気はキンと澄んでいて、ベランダに出ると沢山の星がはっきりと瞬いているのが見える。青や黄色、宝石のように時々強くなったり弱く光っては、まるで生きているようにも見える。

「オリオン座、カシオペア……、北極星は見えないか」

 父親と1度だけキャンプに行って、たくさんの星を眺めながら星座を探した。あの空ほどの星は見えないけれど、あの時と同じ星が、今も同じように見る事ができるのが、とても不思議な感じがした。

「何年経っても、変わらないんだ」

 静かにつぶやいた真っ白い息が、ふいに強く吹いた風に消される。彪鬼は今頃、どこで何をしてるのかな。栞那はマフラーを鼻の上まで巻き直した。

「栞那」

「わ、びっくりした!」

 彪鬼が突然ベランダに降り立った。

「寒くないのか?」

「うん、厚着してるから大丈夫。今ちょうど彪鬼は何してるのかなぁって思ってたんだよ」

「そうなのか」

「でも、こんな時間に珍しいね。見回り?」

「ああ」

 もうお風呂も入って、パジャマに着替えて後は寝るだけだったから、おそらく9時を過ぎている頃だろう。いつも彪鬼が来るのは夕方だから、なんだかとても新鮮だった。

「ねぇ、この間の雪積もったの見た?真っ白ですっごく綺麗だったよね」

「ああ」

「彪鬼と雪合戦とかしたかったな」

「雪合戦?」

「知らないの?雪を丸めて投げつけあうの」

「ああ……」

 彪鬼はそういうの絶対やらなそうって思ったけれど、想像してちょっと笑えた。

「ふふっ。うそ。冗談」

 彪鬼は唇を少し尖らせた。

 何を考えているか全然わからないって思っていたけれど、そうじゃなかった。ほんの少しの変化を本当はわかっていた。

 もう自分のワガママで、ないがしろにしたくない。きっと、少しずつでいいんだ。

「今日は星が綺麗だなって見てたんだ」

「そうだな」

 同じものを見て、同じように感じられる。それは、同調でも偶然でもない。

「ね、星座って知ってる?」

「いや、教えてくれるか」

「もちろん!」






 

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