第19話 本当の気持ち
日曜日の夕方、栞那はベランダで、ぼうっと景色を眺めていた。川岸のすすきの草原が、ふわふわと風を泳いでいるのが見える。薄い水色の空とピンク色の雲。ベランダを吹き抜ける風が冷たい。
すると、ひゅうううと風が鳴った。栞那はすぐ彪鬼だとわかった。なんとなくわかるようになったのだ。優しくて柔らかな風。
「彪鬼」
彪鬼は、ふわりとベランダに降りたつ。2人のこの空間だけが、冷たさのない風に包まれた。
こうして、時々来てくれる。友達になって欲しいと言ったのは自分だけれど、彪鬼はどう思っているのだろう。
彪鬼は、栞那に近づくと、ベランダの手すりに腕をのせて、川の方を眺めた。
「この間、叉羅鬼が来たんだよ」
「ああ、叉羅鬼から聞いた」
「やっぱり、ちょっと変わってて面白い」
「すまなかったな、叉羅鬼が」
「えっ、ああ、違うの。もういいんだ、私の方こそ、ごめん」
勝手に怒っていた自分が今では恥ずかしい。今日はそんなことより、ゆっくり彪鬼と話がしたかった。
彪鬼と「友達」になって2ヶ月。自分の話ばかりして、自己満足していられる時は終わった。彪鬼は、質問にはいつもちゃんと答えてくれる。わからない時はわからない、と言ってくれるし、それで少しずつ、彪鬼の事を理解してきたような気がしていた。
智花と初めて下校した日、質問責めにされて嫌な顔をした自分を思い出す。やり方はどうで
あれ、智花なりに関わりをもとうとしてくれていたのだろう。それなのにあんな態度をとったら誰だって嫌いになるに決まってる。
あの時は全てが面倒になっていたし、自分にも余裕がなかったからだけど、やっぱり悪いのは自分の方だったのかもしれないと栞那は思った。
そう思うと、彪鬼はいつも本当に穏やかで優しかった。何を聞いても、どんな話をしても嫌な顔ひとつしない、そんな彪鬼にずっと甘えていた事に気づいた。
「彪鬼はさ、思っている事をあんまり言わないの?」
「なぜ?」
「叉羅鬼が言ってたから」
「それなら、そうなのかもしれないな」
「なら、私も一緒だよ。ずっとそうだった」
「そうか」
「でも、彪鬼に出会って、自分の事をこんなにも簡単に言えるんだって初めて気づけたんだ。叉羅鬼も、最初は苦手かもって思ったのに、ちゃんと話せば違うんだってわかった。あんな風に言葉にも顔にも素直に出せるような性格が、ちょっと羨ましいって思ったんだ。自分に正直になれるっていいなって」
「叉羅鬼の場合は誤解される事も多いだろう」
「あはは、確かにそうかもね!」
彪鬼の目元が、ふっと優しくなった気がした。表情が柔らかくなったのを見て、栞那は最近気になっていた事を切り出した。
「あと……、あの紫月鬼さんってどんな人?」
「紫月鬼も来たのか?」
「ううん。あれ以来来てないけど」
「そうか」
「もしかして……恋人?」
彪鬼はこちらを向くと、きょとん、とした顔をして、しばらく間を置いてから言った。
「紫月鬼には、昔から世話になっている」
「ふぅん……」
世話ってどんなお世話なんだろう。もっと詳しく聞いてみたい衝動にかられたけれど、質問責めはしたくない。でもどうやら恋人同士ではなさそうで、なぜか少しホッとする。
「初めて会った時は怖かったよ。でもすごく綺麗な人だね」
「ああ」
やっぱりそこは「ああ」なんだ、と思った。彪鬼も綺麗な女性だ、と思ったりするんだ。当たり前かもしれないけれど、なんとなくそれは知りたくなかったな、と栞那は思った。
叉羅鬼のあの笑顔も、紫月鬼の美しさも、とても眩しく見えて、羨ましいと思っている自分に栞那は驚いていた。誰かと比べたり比べられたりがうんざりだったはずなのに、そんな感情が自分の中にこんなにも芽生えるなんて。
彪鬼や彼らと出会って、いろんな事を知って理解してきた。たくさんの事を教えてもらった気がする。でももう、1番言わなくちゃ駄目な事を、言わないといけない。
「……あのね、もし私が友達になってって言ったのが彪鬼を困らせてるなら、もう無理に来なくて大丈夫だよ」
「……何かあったのか?」
「ううん。あ、叉羅鬼に何か聞いたとかじゃないよ。見回りも忙しいかなって思って」
言葉にすると急に胸が苦しくなる。
「栞那」
「……なに?」
「俺は、人、と友達になったり、約束をしたのは初めてだった」
「私もそうだよ」
「なぜ、鬼、なんだ?」
それは、この前叉羅鬼に言われたばかりだ。鬼だからという理由?助けてくれて優しいから?どれも違うとは言えないけれど、それだけじゃない。
鬼なら、興味のあるものなら、誰でも良かったわけじゃない。それはきっと、彪鬼だったから。これから先、彪鬼と一緒にいたら面白い毎日になるに違いないと核心したから。
いろんな話をしたいし知りたい。それをどう伝えていいのかわからなくて、友達になって欲しいと言うしかできなかっただけなのだ。
「彪鬼と一緒にいると、面白くて楽しそうって思ったから、かな」
しばらく彪鬼は時間を置いて言った。
「俺は……」
「叉羅鬼みたいな事は言えないし、笑えない。それなのに、楽しいか?」
栞那は思ってもいなかった事を言われて愕然とする。
「そんな風に思ってたの?!」
思わず大きな声がベランダに響く。
「すっごく楽しいよ!私の話をこんなに聞いてくれるのは彪鬼だけなんだよ?いっつも楽しみにしてるんだから!」
栞那の勢いに驚いたように、彪鬼は肩をすくめた。
「でも、いつも私の話ばかりでごめんね。愚痴ばっかりだし、自慢話もしてたし、彪鬼にとってはつまらない話ばかりで、楽しくなかったよね……」
彪鬼はいつのまにか、しっかりと栞那を見つめていた。ああ、本当にいつ見ても綺麗な赤い瞳だな…と栞那は思いながら、こんなにお互いの顔を見て会話をしたのは初めてかもしれないな、と思った。
いつだって彪鬼は、空や景色を見ている事が多かったし、話を聞いてくれる時はこちらを向いてくれたけれど、いつも何かを気にしているようだった。
「今まで聞いてくれてありがとね。もう彪鬼の自由にしていいからね。だって、本当は私、もう邪気も祓う必要ないんでしょ?」
虚をつかれたように、彪鬼は目を丸くした。
彪鬼は、あの時きっと嘘をついたのだ。邪気を払う必要など、もうないはずなのに。
親にも先生にも沢山の嘘を言ってきたけれど嘘を言われる事が、こんなにも悲しいのだと初めて知った。どうでもいい嘘なんかじゃない。
相手を気づかうためについた、優しくて悲しい嘘。
「確かに……、栞那はもう邪気を祓う必要はないだろう」
「そっか、やっぱり……」
「でも、友達になると、約束した」
「うん、だから……だよね」
「でも、俺がここに来ているのは、それだけではないのかもしれない」
「かもしれない?」
「きっと、栞那と話がしたいのだろう」
「……え?」
彪鬼は清々しい顔で、まるで他人事のように言った。
今のが、彪鬼の本当の気持ち?話をしたいの?したくないの?言葉と表情がまるで一致していない。
「え?よくわかんないけど……?」
「そうか」
「そうか、じゃないよ〜もう」
青い髪がふわりと揺れて、柔らかな夕日の光が彪鬼の顔を照らす。眩しさに目を細めたのかそれは少し微笑んでいるようにも見えた。
そうだったんだ。
彪鬼の気持ちでここに来てくれていたんだ。
自分と同じように、2人で話をする事を彪鬼も楽しみにしてくれていたのかもしれない。そう思うだけで、どう言葉で表していいのかわからないほど、嬉しさで胸が温かくなった。
「彪鬼」
「ん?」
「やっぱり彪鬼といると、面白くて楽しい」
「……そうか」
「これからも……、来てくれる?」
「ああ。また、来る」
そう言って、彪鬼は風をまとい空に消えた。
なんの取り柄もない、気も使えない自分勝手ばかりの、そんな自分のもとに来てくれる友達がいる。それは、なんて幸せな事なのだろう。
天に登ってゆく風を見送りながら、いつか彪鬼が楽しそうに笑っている姿を見られたらいいな、と栞那は思っていた。
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