第16話 叉羅鬼☆登場
「ただいまー」
玄関のドアを開けると、朝出かけたままの部屋の匂いがした。しん、と静かな暗い空気。今日も祖母は来ていないようだ。そういえば、返事がないとわかっていても、いつのまにか「ただいま」を毎日言うようになったな、と栞那は思った。
部屋の窓を全開にして、大きく深呼吸をした。さすがに学校から走りっぱなしだと息があがる。でもあれからずっと体の調子は良い。もしかしたら足も速くなっているのではないだろうか。
ベランダから見える河原の草の色もすっかり枯草色に変わっている。いつも寄り道をしていた空き地も、わざと遠回りをした団地の細い道も、うす暗い森の小道も、今はどんな景色に変わっているだろう。
「はあー、疲れたー」
どすん、とランドセルを机に置くと、軽やかな風がひゅうん、と窓から吹き込んだ。
「彪鬼?」
いつもと違う風。それを追うように振り返ると知らない男の人が立っていた。見上げるほど背が高い。着物姿だ。ニコニコと笑いながら手を振っている。鬼……?
「どうもー!はじめまして!」
「えっ?なに?」
男の大きな声にびっくりして栞那は思わず後ずさりした。明らかに警戒されている様子も全くおかまいなしで、その男はずんずんと近づいてきて、
「本当に小学生なのー?めちゃくちゃ大人っぽいんだけどー」
机に片腕をつき、覆いかぶさるように栞那を見下ろした。思わずよろけた栞那の体が机にぶつかる。いきなり男の人に壁ドンされたみたいな態勢になって、恐怖と驚きと恥ずかしさみたいなものが1度にやってきて、栞那は言葉も出なかった。
すると、男はニヤりと笑みを浮かべながら体を起こし、するすると後ろに下がると、ピースサインを額にあてて言った。
「叉羅鬼です!よろしく☆」
「はぁ……?」
軽快に自己紹介をする「しゃらき」の、目にかかるほど長いくせっ毛のような深い緑色の髪が、笑顔の上でふわふわと揺れている。
横は短く刈り上げられているせいで、左耳には大きな輪っかのピアスのようなものが、首にはそれまた大きい丸い玉のネックレスをつけているのがよく見える。色白の肌に、にかっと開いた口。鬼の姿にはもう驚かないけれど、なにより気になるのはその振る舞いだ。
「へえー、なるほどねぇ」
何がなるほどなのかわからないけれど、こちらに気を使う素振りなどはないようだ。
「うわ、すごい本。やっぱり読書してる女の子っていいよねー」
「あ、勉強はできる方でしょ?」
「結構綺麗好きなんだ」
「ピンクはあまり好みじゃなさそう」
叉羅鬼は1人で勝手に喋っている。
あっけにとられて何も答えない栞那を今度はじーっと見たかと思うと、人のベッドにどかっと座り足を組んだ。
見た目で人を判断してはいけない、と教わった。でも、人の印象は第一印象で決まるとも聞いた事がある。この人の場合、どっちなんだろう。男の自由奔放な行動を一通り観察して、栞那はようやく冷静になる。
だいたい突然やってきて、人の部屋をじろじろと観察して、遠慮もしないで勝手にベッドに座るとか、一体どういうつもりなのだろう。
相手が鬼だろうとなんだろうと、なんとなく良い気分がしないのは確かだ。それに第一印象というものは、たいてい間違っていない事が多いものだ。
「……あのー、もしかして、彪鬼のお兄さんですか?」
全く似ていないし、ありえないと思ったけれど一応聞いてみる。
「あ?まぁ、兄弟じゃないけど、あいつは可愛い弟みたいなもんかな」
すごいドヤ顔だ。こんなチャラそうな人が彪鬼のお兄さんのわけがない。
よく見ると叉羅鬼の格好は彪鬼とはちょっと違う。袴ではなく普通の青い着物に、黒地に花柄の羽織を羽織っていて、組んで揺らしている足は、裸足ではなく白い足袋を履いて下駄のようなものを履いている。
鬼にもいろいろいる。いつだか彪鬼が話してくれた。それにしてもいろいろありすぎだろう。
叉羅鬼は、今度はニコっとアイドルのような爽やかな笑顔を見せた。
「ね、名前は?」
「……秋川栞那です」
「ふうん、栞那、ね」
顔は笑っているけれど、なんだか話し方も態度も偉そうというかふてぶてしいというか、人の部屋に勝手にやってきて「栞那ね」は、ちょっとないでしょう、と栞那はムッとした。
「私に、何か、用ですか?」
「ああ、紫月鬼に聞いたよ。彪鬼がよく来てるんだって?どうなってるんだっていうからさ、オレも気になって来てみたってわけ」
「……しづきって?」
「あれ?赤い髪の女だけど、忘れちゃった?」
そう簡単に忘れるわけがない。あの細い目で睨まれた時のゾッとした感じは今でも鮮明に思い出される。
「あの怖くて綺麗なお姉さん、紫月鬼さんっていうんだ」
「はは!怖くて綺麗か!まさにその通り!」
何がウケたのか、叉羅鬼はケラケラと笑った。
「そうなんだよ、怖いんだけどなぁ、綺麗なんだよ、これが」
今度は目を細くしてニヤリとする。と思ったら急に真剣な顔で、
「しかし、あの彪鬼がねぇ……」と、遠くを見るようにボソっと言った。
「彪鬼に何かあったんですか?!」
栞那の動揺をよそに、
「いや、オレもよくわかんない」
と、ぶっきらぼうに言った。
なんなの、この人(鬼)。
こういう人は人間にもいる。相手の事など考えない自分勝手で自由な感じの人は昔から苦手だ。常に調子に乗っていて、いつも自分が中心にいると勘違いして周りを振り回すタイプ。とにかく用が済んだのなら早く帰ってほしい。
叉羅鬼は栞那をチラリと見て「よいしょ」と立ち上がり近づいてきた。目の前の木がゆっくりと倒れてくるように、じんわりと大きな影が自分に重なる。
「まあ、こんなに可愛い子の部屋だったら、何度も来たくなる気持ちもわからなくはないかな」
顔が熱くなったのがわかった。けれどどっちの感情で赤面したのかわからないほど、怒りが込み上げてきた。
「だって、モテるでしょう?」
最低だ。そう言えば喜ぶと思っているのだろうか。馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。
「別に」
栞那は叉羅鬼の影から抜け出した。
「あれ?なんか怒ってる?」
当たり前だ。
「私、みんなに嫌われているから。何も知らないくせに、そういう風に適当な事言われるとムカつくんだけど」
「うわあ、結構気が強いのね……!でもオレはそういうのも」
「もう帰ってもらえます?」
「あ、そう?ね、わかった。ごめんなさい」
さっきまでヘラヘラしていた顔が、急にとても悲しそうな顔になる。大きな背ががっくりと肩を落としたように小さくなり、ふざけて叱られた幼い子どものように、叉羅鬼は、しゅん、とした。
同時に部屋の空気まで凍るように静かになって、蛍光灯の灯りがひとつ消えたみたいに暗くなったように感じた。何も変わっていないはずなのに。
すると、ひゅううう、と風の音が聞こえてきた。彪鬼が来たのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます