春のバス、一瞬の、
寅田大愛
第1話
バスのなかにいる。あたしの移動手段はもっぱらバスが徒歩だ。コロナ禍にあっても、それは変わらない。どうしたって、遠くに行きたければある程度するとバスになる。
淀んだ重たい春の空気が、車内を漂っている。あたしは花粉症だ。ひたすら目が痒い。乗客は沈黙を保ち、ほとんどが老婆か学生だ。どうでもいいけど。
バスのアナウンスがいつも聞き取れない。相変わらずそうだ。別に気にしないけど。これが外国語だったら、余計に混乱を呼ぶのだろうけど、そんなことなんて、どうだっていいのだ、本当に、なにもかも。
あたしは膝の上に置いてある黒い鞄の表面を撫でた。ゆらゆらがたがた。バスが揺れながらゆっくり走っていく。
人の視線を感じる。あたしは前方に目を向けた。霊視した。特に意識していないが、切り替わったのだろう。バスの出入り口の上の角の鏡のあたりに、ふわふわと、なんらかの人の霊がいた。顔のようだ。首だけで浮いている。
ゴルゴっぽい顔だった。
太く角張った眉毛。力強いキリッとした眼。雄々しい鼻筋。引き結ばれた唇。しっかりとした顎。全体的に濃い顔立ち。
なんでゴルゴの霊がこんな田舎のバスのなかにいるの?
横には申し訳程度に、どこかの神社のお札が貼ってあった。
神様か。どこかの神様が、たまたま某暗殺者に似ているお顔立ちなのだろう。なんだか笑ってしまう。神様は点滅しながら、こちらを見ている。なんだか物言いだけだが、なにも言ってこない。なにがしたいというのだろう。
全力で生きなければならないよ。
神様はようやくそう言った。あたしは立ち上がった。くしゃみをして、バスから降りた。
ゴルゴ似の神様に守られたバスは、すぐに遠くへ行ってしまった。もう乗ることはないだろう。そういうものかな、という気がして、どうでもよくなった。
そういえばこの街の人たちはなぜいつもあたしを見かけると本気を出せ本気を出せと言うのだろう? 意味がわからない。誰かわかるなら説明して欲しい。
どうして街の人たちはあたしにいつもいつも怒れ怒れと言うのか? 本当に意味がわからないよ。ノリが理解できないし、いまいち想像も見当もつかない。
あたしはどうしたらいいの?
あたしは空を見上げた。雨の降りそうな、鉛色の、重たそうな雲が乗っかった、苦しそうな空だった。
答えは見つからなくて、あたしは足早に立ち去った。
春のバス、一瞬の、 寅田大愛 @lovelove48torata
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