骸の見る夢

兵藤晴佳

第1話

 今朝も、街は静かでした。通りに沿って歩いていても、誰もいません。道を挟んで並ぶ、円い筒を縦に割ったみたいな、窓のない家に、みんな閉じこもっているのでした。遠くに見えるすごく高い建物の影からは、繰り返し繰り返し、あの言葉がずっと聞こえています。


 ……おうち時間を過ごしましょう。


 みんな疑いもしないで、この言葉を守って、家の中で静かに毎日を過ごしているのです。

 でも、僕は勝手に、ひとりで家を出てきてしまいました。

「ごめんね、どうしても、パルチヴァールは確かめたいことがあるんだ」

 謝った相手は、まだ家で眠っています。

 その女の人は夕べ、ベッドで僕のぼくの隣に寝てくれたとき、こんな話をしてくれました。


 昔、遠い遠い国に、流れの速い大きな川がありました。そこにある大きな岩の上には美しい女の人が腰かけていて、美しい声で歌っています。川を舟で行き交う男の人たちは、その歌声で夢見心地になりました……。


 青い髪のリュカリエールの話を聞いているうちに、僕は眠ってしまったので、その先がどうなっているのか知りません。ただ、この話に出てくる女の人は、あの高い建物の中で歌っている、きれいなプシケノースみたいです。建物の中には恐ろしいものがしまってあって、それが暴れ出さないようリュカリエールと交代で見張っているのでした。


 ……おうち時間を過ごしましょう。

 

 それは、街の人たちへの歌なのです。建物からは、いつも毒のある風が吹いています。絶対にみんなを外に出してはいけないのでした。

 僕も勝手に出てきてはいけないのですが、気になって仕方がないものがありました。

「あの足音……」

 朝になると、走る足音が遠くから聞こえてきます。

 忘れてはいけない誰かの足音だという気がするのですが、どうしても思い出せないのです。

「どこだろう?」

 歩いてくる誰かの姿なら、ぼんやりと見えました。

「骸骨?」

 確かに人の姿はしていましたが、僕の目にはそう見えました。

 ときどき、こういうことがあるのです。でも、知らん顔をしているように、プシケノールにもリュカリエールにも言われています。

 でも、僕はたいてい、それを守りません。身体の中で問いがむくむくと膨れ上がり、僕の身体を突き破ると、自ら言葉となって相手に尋ねかけてしまうのです。

「これは、お前か? それとも……」

 僕の目の前で、光の幕が弾けました。


 僕には、人知を超えた力があって、普通の人間には見えないものが見える。

 それはときどき、自分の本当の姿だったりもした。

 僕は原子炉の暴走で、強い放射線にさらされてしまっていた。

 原子炉が制御を離れて暴走する度に、死の危険を冒して止めることはできる。だが、その度に子どもの姿に戻ることで、その影響をリセットしなくてはならなかった。

 こんなことが、いつまで続くのか。

 見えた骸骨は、僕の未来の姿かもしれないのだった。不思議な光景は、さらに頭の中へと浮かんでくる。


 ……ここではないどこかに、しっかりと抱き合う骸骨があった。男の骸骨のほうを女の骸骨から引き離そうとすると、粉々に砕け散ってしまった。


 だが、凄まじい速さで僕の喉に腕を伸ばしてくるのは骸骨じゃない。

 背の高い、逞しい男だった。

 速い。

 でも、僕なら掴んで止められる。

「残念だよ、知らない人の顔、やっと見られたのに!」

 僕は自分の服が吹き飛んで素裸になっているのも構わず、骸骨に見えた相手を背負って投げ飛ばした。 

 でも、歩道の石畳に叩きつけられても、その身体は跳ね起きるときの勢いで、僕を宙に高々と放り投げる。真っ逆さまに落ちる前に身を翻そうと思ったが、間に合わなかった。

 僕も生身の身体だ。頭や首の骨をやられたら、放射線に冒されるまでもなく死んでしまう。

「やっぱり、そういうことか」 

 あの骸骨は自分の死の前兆だったのだ。

 そう悟ったとき、裸の身体はふわりと抱き留められ、運命への直観は的外れの直感へと転落した。

「パルチヴァール……また面倒なことに首突っ込んで」

 すっかり呆れかえったリュカリエールが、きれいな顔を間近に寄せてくる。 

「そんな姿見せないで……他の人には、もう」

「他の人には?」

 聞き返すまでもなく、僕たちはもう「他の人たち」に取り囲まれていた。


「お待ちください」

 黒マントの老人が、僕たちを見下ろしていた。

 リュカリエールは不敵に笑う。

「邪魔しないで。プシケノースが向こうにいる間は」

 その歌声はもう、耳に入らなかった。

 老人をリュカリエールに任せて振り向いてみると、そこには片眼鏡をはめた若者たちがいた。

 ひとりは右の目に、ひとりは左の目に。

 右眼鏡の男が、僕に告げた。

「そこにいてください。動けば……」

 左眼鏡の男が掌を突き出す。そこには、原子炉制御装置の中で眠るプシケノースの姿があった。

「どうぞ。邪魔な女がひとり、いなくなるだけだし」

 リュカリエールがあっさり答えると、老人と若者たちは言葉に詰まった。

 僕は確信を持って答える。

「そのへんにしたら? ハッタリは」

 返事はない。

 あの男を逃がすための目くらましを終えた老人と若者たちは、いつの間にか姿を消していた。

 そこで気付いたことがあった。

 僕はリュカリエールを促す。

「教えてくれないかな……どこかに、古い家がないか」

 こっちの返事は、冷ややかだった。

「だったら、服ぐらい着て」

 足下に放り出されたトートバッグに手を突っ込む。

 でも、ぼやきと共に差し出されたのは、子ども服じゃなかった。

「こんなことだろうと思ってたの」



「ここよ」

 リュカリエールは、街の真ん中に埋もれた小さな家の前に立ち尽くしたまま、中に入ろうとはしなかった。

 なんとなく、昔、見たことがあるような気がする。

 瓦屋根の2階建て、元は白かったらしい、くすんだ色の壁……。

「原子炉が暴走する前は、こんな家ばっかりだったんだね」

 本当なら靴を脱いで上がらなければならない家の中に、僕は土足で踏み込んだ。

 もちろん、誰もいない。電化製品や家具調度の類が、放り出されたまま埃をかぶっているだけだった。

「そうよ……あれからシェルターひとつにつき、家ひとつ壊されることになったわけだけど」

 腹を括ったらしいリュカリエールは、ようやく家の中に足を踏み入れる。

 こんな家があるのではないかというのは、直観というよりも、直感に過ぎなかった。

 あの強靭な身体を持つ男から感じた、抱き合う骸骨のイメージ。

 それが僕の死を意味するのではないなら、意味されているのは、あの男が背負う運命だ。

 どこにもない、どこかで。

 そんな場所があるとすれば、人から忘れられたところぐらいしかないだろう。

「この家だけが見捨てられたってことか」

「それだけ大騒ぎだったのよ」

 リュカリエールは、取り壊されることもできなかった家を憐れむように、あちこち傷んだ家を歩き回った。

 みしみしと、床板が軋む音がする。

「待って、その辺りで」

 僕の頭の中で引っかかった足音があった。

 それは、遠くから聞こえる、あの「走る音」ではない。

 リュカリエールも何かに気付いたらしく、あちこちの壁を軽く叩く。

「ここね」

 上がる階段の側面に、小さな扉があった。開けてみると、地下へ向かう階段が見える。

 床の軋みから直感した通りだった。 


「まさか、あの男がここに?」

 地下室への階段を手探り足探りで降りながら、リュカリエールは僕に尋ねる。

「たぶんね」

 突き当たりのに扉にカギが掛かっていないわけがないが、僕にとってはどっちでも同じことだ。

 その向こうでは老人と若者たちが、裸電球のじんわりした光の中で、呆然と僕たちを見ている。

「あの男は?」

 リュカリエールの問いに、老人はまともに答えようとしなかった。

「やれやれ……よそ者が邪魔なら、荷物をまとめて出ていくことにしよう。そこを退いてくだされ」

 若者たちに大きなカバンを持たせると、自分はスイカぐらいの包みを抱える。

 だが、ここで何が行われていたのかは見当がついていた。  

「聞かせてもらえませんか? その人に、何があったのか」

 老人は、転んで泣いている子供を慰めるように、その包みの頭を撫でた。

「強くなりたかった、それだけよ……原子炉を暴走させたあの戦、おぬしは知るまい」

 知らなくても、分かっていた。

 

 この街の原子炉が暴走したのは、世界のあちこちで起こった戦争のとばっちりだ。

 その戦争の最中、男は強さを求めて軍隊に入った。数多の激戦で功を挙げたが、最後の戦闘で手足や胴体を失ったのだった。

 そこで戦争は終わり、男は英雄の名の下に称賛されるのではなく、同情のもとに保護を受けるべき立場となった。

 

「だから、あなた方が身体を……」

 それ以上、言う必要は感じなかった。だが、僕の言葉を老人は引き継ぐ。

「作ってやったのは、おぬしを始末させるためよ。あの原子炉は、狂うがままにしておけばよいのだ」

 

 老人たちが去った後、リュカリエールが僕の耳元で囁いた。

「ところで……あの爺さんたちのハッタリ、何で分かったの?」

 その答えは、老人たちと入れ替わりにやってきた。

「リュカリエール、こっそり何やってるの? こんなところに隠れて」

「プシケノース! 制御装置はどうしたの!」

 きれいな女の人同士が睨み合うところに、僕は割って入った。

「歌が聞こえなくなったから、もしかしたらと思ってたんだけど……ありがとう」

 プシケノースはふうわりと笑った。

「あなたが危ないって感じたの。私たちだけで何かが通じ合ってるのかもしれないわね、パルチヴァール」

 リュカリエールは、ぷいとそっぽを向いた。僕たちが古い家の外に出ても、何も言わなかった。

 それを見ながら、僕はベッドの中で聞いた話を思い出していた。


 ……歌声に引き寄せられた男たちは、岩にぶつかった舟と共に、川の底へ沈んでしまうのです。


 もしかすると、あの骸骨は僕のことなのかもしれなかった。

 すると、もうひとつの骸骨は?

 考えている暇はなかった。

 プシケノースが制御を放棄した原子炉は、僕が止めなければならない。

 そう思ったとき、また記憶が消し飛んだ。

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骸の見る夢 兵藤晴佳 @hyoudo

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