事故調査
「おかしいんですよ」技術者は言った。
「何が?」その直属の上司はたずねた。
「前の公道試験のことですよ。覚えているでしょう?」
上司はしかめっ面になった。
「覚えてるさ。あんなざまになって、おれがどんだけプロジェクトマネージャーから締め上げられたと思ってんだ……で? それがどうしたって? おれたちは問題を解決しただろう? 何の問題があるんだ?」
「もちろん、実質的には問題ありません」技術者は言った。「でも、ぼくはどうしても気になるんです。自動運転車がどうしてあんなところで暴走したのか、ということが……」
「プログラムの不具合さ。どこかにバグがあった。それで暴走した。よくある話じゃないか」
「本当にそうでしょうか?」技術者は言った。「もちろん、公式見解はそうでしょう。でも、あなただってわかっているはずです。いまぼくたちの会社が開発している自動運転車は、万が一の暴走に備えて、不具合の際にはブレーキがかかるようになっている。他の会社でもそうしているように……にも関わらず、ぼくらの車は暴走した。これはいったいどういうことなのか? ──結局、ぼくたちは最終的に、そのあたりをうやむやにしてしまいましたよね……」
技術者は手元のノートパソコンを開いた。ファイルのひとつを開く。動画が表示された。自動運転車のカメラアイが捉えた映像であることは上司にもすぐにわかった。事故が起こったあと、繰り返し繰り返し、チーム全員で何度も確認したのだ。
自動運転車にとって注意すべき目標は緑色のカーソルで強調表示される。歩行者、対向車、信号機。無音の中を自動運転車は進む。音は記録されてないからだ。自動運転車は走り続ける。何の変哲もない直線道路。これといった障害物も、誤作動を招くようなものも見当たらない。車は走り続ける。青い空、白い雲。何の変哲もない日常の光景。
ふと、進行方向上、何もなさそうな空間に、緑色のカーソルが表示される。
技術者はそこで動画を止めた。
「このあとの動画は見ても仕方ありません。本題とは関係ないからです」
まあな。それに、腐るほど見たからな。上司は腹の中で呟いた。動画が脳内で再生される。急加速する車、飛びすぎる景色。そして、車はカーブめがけて最大速度で突っ込んだのだ。ガードレールがなかったら、そのまま歩道に飛び込んで、ちょうど通りかかった親子連れをひき殺すところだった。だからこそ、大問題になった。何せ、会社にとっては、これは肝煎りのプロジェクトなのだ。レベル5、つまり完全な自動運転を公道で実現するための……そのために、多額の金を投じて、高性能の運転制御システムの開発を推し進めている。恐らく、ハードウェアより、ソフトウェアの方がはるかに高くつく。もう何年も前から自動車業界はそうなっている。車はどんどん〈走るコンピューター〉としての性格を強め、どんどん賢くなっている。しかし、システムが複雑になればなるほど、予期せぬ不具合が首をもたげてくるのは、世の常だ。
しかし、とにかく問題は解決したのだ。今のところは。結局、どうしてあんなふざけた暴走を起こしたのかわからなかったが、それでもおれたちは不眠不休でプログラムの穴を探しまわり、しらみつぶしにパッチを当て……とにかく、次の試験では何事もなく済んだのだ。
それで終わりだ。終わりであるはずだ。
おかしいな。上司は思った。どうしてこんなに胸騒ぎがするんだ?
「あれから気になって、個人的に調査をしていたんです」技術者は淡々と言った。「どう考えてもおかしいし、個人的にまったく納得がいかない。放っておけなかった」
「仕事熱心だな」
「好奇心旺盛なだけです」技術者は答えた。「とにかく、ぼくはできる限り様々な角度から、問題について分析してみました。その結果、面白いことがわかってきたんです」
「どんな?」上司は言った。
「あの近辺で聞き込みをしてみたんです。そうしたら、付近の住民から、ある共通した話を聞くことができました。幽霊の話です」
「……何かと思ったらオカルトかよ」
「まあ、最後まで話を聞いてください。──この動画のここから。見てください」
技術者は動画を少し巻き戻してから再生した。スロー再生だ。車が進んでいく。カメラの右端にカーソルが現れる。それがすうっと移動して──
「この、カーソルが出現したポイントです。このあたり」技術者はまた動画を巻き戻して止め、画面の右端を指差した。「聞き込みの結果、わかったんですが、このあたりで特に幽霊の目撃例が集中しているんです」
「へえ」上司は言った。よくわからない胸騒ぎはだんだん強くなっていた。それを目の前の若い部下に気取られないようにしなければならなかった。「しかし、それと、今回の事故と何の関係がある? ただの奇妙な偶然の一致ってやつだ……」
技術者は無言で別のファイルを開いた。何かの表だ。大量の数字が几帳面に整列している。
「ぼくがまとめたものです。この周辺での交通事故やスピード違反の件数について調査したのです。──見てください。これがあの道路の数字です。妙に事故や違反の件数が多いと思いませんか?」
上司はそれを見た。確かに異様に事故や違反の件数が多い。この道路があるN……市の中には、ずっとひどい事故発生率・違反者検挙数を叩き出している道路はいくらでもあるが、それにしてもあんな平凡な直線道路でこの数字はちょっとありえない。
技術者はさらに続けた。
「気になったので、さらに調べてみたのです。そうしたら、あの道路は、いわくつきの“魔の道路”として、市内のドライバーの間で割と知られていることがわかってきました。そして、やはり、事故から生還したり、間一髪で事故を免れたドライバーが一様に──」
「──幽霊を見た、っていうんだろ」上司は言った。「なるほど、そりゃ確かに気味の悪い話だな。だが、そんなのはあくまでも偶然の一致にすぎない……少なくとも、今の話だけじゃ、そういうほかないんじゃないかね? 因果関係どころか、相関関係があるかどうかもわからん。あくまでも印象論だぜ、今のままではな。自力で熱心に調査した、ってのは大したもんだと思うがね、上に挙げるような話では……」
「ええ、ぼくも別にそこまでのことは思っていません」技術者は言った。「これはあくまでもぼくの好奇心を満たすだけのものですから。しかし、それはそうとして……いろいろ調べていて、ひとつ、仮説とまではいえませんが、ある想像が脳裡から離れなくなりましてね」
やめとけ。上司は胸のうちで呟いた。それ以上はやめとけ。何かわからんが、ろくなことにならんぞ。今ならまだ引き返せる……。
「どうかしましたか?」技術者は聞いた。「顔色がよくないですよ? 気分がよくないのですか?」
「ん──あ──いや。大丈夫だ。続けてくれ。こうなったら最後まで付き合ったるよ」
──なんでおれはこんなことを思うんだ? なぜだ? どうしてこんなに不安なんだ? 上司は困惑した。よくわからない。わからないままに、ある思いだけがどんどん大きくなっていく。
これ以上聞いたらヤバい。
だが、もう逃げられない、と上司はなぜかそう思った。こいつの話を聞くことにしたそのときから、すでに自分は最後まで付き合う以外なくなっている。
誰かに操られているかのように。
「続けます」技術者は言う。「つまり、こういうことです。ぼくたちが開発している運転制御システムは、非常に複雑なものです。ぼくたち人間と同程度に……だから、ぼくは思うんです。ぼくたちと同じように、機械も幽霊を見るのではないか、と……ああ、もちろん、ぼくだって、
上司は無言で手をつきだし、技術者を制した。その顔からは完全に血の気が引いていた。
「なあ……本当にそう思うか?」上司は押し出すように言った。「本当に、あの幽霊は、単なる機械の認識パターンが見せた幻だと思うか? 本当に?」
「どういう──ことです?」
「簡単だよ」上司は言った。「おれたち人間と機械じゃ、認識パターンに大きな違いがある。技術者だから、そのあたりはわかるだろ。だのにどうして、人間と機械が同じ反応をするんだ? どうして、車は暴走した? 人間と同じように? それは、つまり……」
そのときだった。
ノートパソコンの画面に凄まじいノイズが走って、それから消えた。
「あれ」
技術者がパソコンをのぞきこもうとした。
その身体が宙に浮き上がった。
誰かに吊り上げられたかのように。
「あ」
技術者の首が、ぐきりとねじれて、折れ曲がった。
「えぼ」
技術者は落下し、床に叩きつけられた。口から血が垂れ落ちた。どこからどう見ても死んでいた。
部屋の電気が消えた。
「ふわ」
上司は腰を浮かし、逃げようとした。その全身に、腕が絡みついた。冷たく、固く、骨張った指を持った腕が、何本も、何本も。
誰かが耳元に顔を近づけてくるのを上司は感じた。どこまでも冷たく、たとえようもない不気味な臭いを伴う吐息と共に、この世ならざる響きを帯びた声が、こう言った。
「見せてやろうか」
そして、上司は、それを見た。
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