46. 『エターナル』を滅ぼす者
町の復興は未だに続いている。
町の3割が焼け落ちた『ファースト』の傷跡は、建物だけではない。
退院したシムリはギィと共に、その足で被害の大きかった町北に向かった。
道すがら、黒い正装に身を包んでいる者と良くすれ違う。
いわゆる喪服だ、とギィは言った。
「名のある冒険者が何人も逝っちまったからな。関係者が多けりゃ、その死を悼む者も多いって訳だ。アタシも、知り合いが何人か『クリムゾン』にやられてたよ。そいつらの敵討ち……なんて言える程の間柄ではなかったがな」
「……皆さん、服装はバラバラですね」
「各地の色んな文化圏から来てるからな。無限大陸じゃ、黒っぽい服なら何でも良いってのが暗黙の了解だ」
幸い、シムリの知り合いには訃報はない。
下水清掃の同僚達は町の外まで避難していたし、良く行く食堂や雑貨店の店員らも同様、更に冒険者の知り合いもほぼ居ない。
良かった、と胸を撫で下ろす一方で、家や知人を失った者は数多く居る。
『クリムゾン』は凶悪だった。
あんなのが、数十年おきとは言え、定期的に蘇るなんて。
シムリは背筋を寒くする。
『エターナル』は『クリムゾン』だけではないのだ。
あんな化け物に比肩する者が、まだ4体も居る。
既に再誕し、粛々と成熟の時を待っているのかも知れない。
「『クリムゾン』の遺骸は、どうなったんですか?」
「アタシも分からん。入院してる間に、全て片付けたらしくてな。ただ、アタシが焼き尽くしたんで、ただの灰の塊になっちまってたってよ」
「……そうですか」
遺骸の行方も気になるが、シムリは『クリムゾン』の死後、魂が『クリムゾン』から抜け出ているのを感知していなかった。
いつの間にか居なくなっていた、と言うのが正しい。その遺骸を見れば何か分かるかもしれない、と言う予想も無意味になってしまった。
シムリの意図を察したらしいギィは「たらればよりも、今出来る事を考えようぜ」と明るく返した。
「冒険者ギルドに用事がある。支部長のイタカにアポを取った。お前の退院に合わせてな」
「何の用事ですか? もう報酬は受け取ったんでしょ?」
『クリムゾン』の首には10億タリもの莫大な賞金がかかっていた。
文字通り、一生遊んで暮らせる額だ。
しかし、今回『クリムゾン』の予想外の襲撃により甚大な被害を受けた『ファースト』の町は、多大な復興費用を必要としている。
また、『クリムゾン』の討伐には多くの冒険者が関わっているのも事実。
結局その報酬の殆どは復興費として天引きされた上で、多くの冒険者に配分され、最終的にギィとシムリに支払われたのは、合わせて100万タリ程度の端金であった。
文句でも言いにいくのだろうか……。青ざめたシムリの考えに気づいたらしいギィは、飛び上がってシムリの頭に拳骨を一発見舞った。
「スズメの涙みてぇな報酬については、あのハゲが死ぬまで文句言うつもりだが……今回は金勘定の話じゃない。もっと気になる事があんだろうが」
「……え? 何ですか?」
「マジに言ってんだったら、分かるまで殴るけど?」
ギィが握り拳に吐息を吐きかけている。
シムリは諦めて、まだ五分刈り程度のいがぐり頭を手で覆った。
ギィに「はえーよ」と呆れられたが、分からないものは仕方ない。
元来、頭を働かせるのは得意ではないのだ
「シムリ、お前不思議に思わねぇのかよ。なんでギルド支部長のイタカは、頭がイカれたとしか思えないゴブリンの妄言を信じて作戦を任せたんだ?」
「……それもそうですね」
シムリは、ギィが支部長の居る作戦本部に殴り込んだ時の事を思い出す。
イタカは、始めこそギィの事をただの不審者として扱っていたが、側近のトラノに何かを囁かれた途端、態度を変えた。
作戦はギィに一任。責任はイタカが持つ。
何とも都合の良い話だ。
他ならぬイタカ本人が決断したのだから、相応の確信があったに違いは無い。
「奴らが何か知ってるのは間違いない。もしかしたら、アタシの『記憶』についてもな」
冒険者ギルドにまでは延焼は及んでいなかった。
大理石を積み上げた荘厳な建造物は、周囲の木造の商業施設に比べ妙に威圧的だ。先日訪れた時は、これでもかと建屋の中が騒がしかったのにも関わらず、今はひっそりと静まり返っている。
職員の大半が出払っているようだった。
受付に案内され、イタカの居る支部長室まで通される。
受付が支部長室のドアをノックする。「入りなさい!」と、少し疲れた声が返ってきた。
支部長室はいかにも組織の長を納める高級なゴシック様式の調度品に彩られている。ソファテーブルから、燭台、カーペット、恐らく縁のない価格なのだろうな、流石に支部長となると給金もいいんだな、とシムリは勝手に一人で納得をする。
イタカの付く支部長席には書類の山が積まれており、イタカは忙しそうに筆を走らせていた。それでも、ギィとシムリの来訪には顔を上げて席を立ち、デスク前のソファを指した。
「来たかね、『火炎小僧』と……シムリ君」
碌な渾名もないシムリだけは名前で呼ばれる。流石に『クソ野郎』『クソ外道』『ペド野郎』では、呼びにくかろう。
腰掛けたソファは体験した事も無い程にふかふかで、シムリは思いの外沈んだ尻に驚いて仰け反った。ギィは意外にも慣れた様子で腰掛けると、指先に小さく炎を灯してみせた。丁度イタカがポケットの煙草を取り出すタイミングであった。
「……遠慮しておこう。客は君らだ」
「そうかい。アタシゃ別に気にしねえぞ。一回500タリだからな」
「……小銭は持ち歩かん主義なんでね」
イタカは言いながら、ポケットに煙草をしまい込み、数枚の書類をソファテーブルの上に投げ出した。
「君たちが聞きたい事は分かっている。古い資料で手間取ったが……」
ギィはそれを取り上げる。書類の紙束は上質なものを使っているらしく、古いながらも色褪せていない。
まだ文字を勉強中のシムリは、ギィに書類を任せた。ギィは資料を一目見て、驚愕に目を剥き、イタカを見つめ直した。イタカは深い溜め息を零す。
「君たちが知っているかどうか、定かではないが……『セカンド』の町の郊外にとある研究施設があった」
「……この、研究施設のエンブレムマーク……!」
研究施設のエンブレムは五角形の中心に炎が描かれたもの。ギィにとっては見覚えのあるものだった。
かつて親元から売られ、辿り着いた魔術研究施設のそれと同じだった。
幼い頃から魔術の知識を詰め込まれ、数多の研究と実験を施した、人権度外視の忌々しい研究施設。記憶の片隅に眠っていた唾棄すべき記憶が蘇り、ギィは盛大に舌打ちをした。
「この研究施設の名は『新世代魔術研究所』。表向きは魔術の研究、そして魔術師育成の支援団体総本山。養成所や冒険者ギルドへの金融支援なども手がける非営利団体。だがその実態は、ソー国本土からの指令により、非人道的実験をも厭わない無法な魔術師集団だった」
「……非人道的、実験?」
シムリの問いに、イタカは何も答えなかった。
代わりに、書類を捲るギィが言い放つ。
「人体実験の記録だな。新薬投与、魔術威力試験に、死霊の憑依、悪魔召喚、人体改造に人造生命……とんでもないな、こりゃ」
「……十数年ほど前になるか。冒険者を引退しギルドの新人職員だった私は、この研究施設の家宅捜索に参加した。当時は警察も無限大陸には不在で、冒険者ギルドが自警団代わりでね。血と薬品の匂いにむせ返ったのを思い出すよ。表向き人道支援団体であった分、衝撃も大きかった」
イタカは静かに瞑目した。その頭の中に、かつての記憶が巡っているのだろう。思い出しただけでも渋面となる。それ程までに凄惨で、後味の悪い事件だったのだと容易に想像がつく。
「残念ながら施設は突入時に放棄されており、研究員達の逮捕は叶わなかった。資料の大半も持ち去られてしまっており、押収できたのはごく僅か、現状でもその全貌は定かではない。その書類は、数少ない資料のうちの一部。そして、『火炎小僧のギィ』……君の記録も、ここにあった。それが、この書類だ」
「嘘だろ……なんだよ、これ……」
ギィが震える指で、書類を捲っていく。
凄まじい勢いで目が記録の上を滑っていく。
非人道的魔術団体。
その数ある所業の中でも、最も業の深い人体実験は、一体なんだったのか。
イタカは静かに立ち上がり、窓の外に遠い目を向けた。
窓を開けて、紙煙草に火をつける。
「ソー国による世界統一が為されて以来、人類の最大の天敵は、『エターナル』。無限に蘇り、まるで憎むかのように人類に危害を加える生きた厄災。ソー国から新世代魔術研究所に下された指令はシンプルだった。『エターナルを未来永劫、恒久的に滅ぼせ』、だ」
「……アタシは、アタシは、ゴブリンの混血児だ……!」
「始めこそ、この研究所も月並みのものだった。だが、ある日から突如豹変したと言われている。あらゆる人道をないがしろにして、ただ目的のためだけに冷徹に研究を繰り返す闇の機関と化した。魔術の研究はやがて、その魔術を使用する術者への研究へとすり替わっていった」
「フェアリーと、ゴブリンの間でデキて、ゴブリンの母親の元に生まれて……」
「『エターナル』を滅ぼす者は、並の魔術師では足りない。であれば、滅ぼす程の魔術師を作ればいい。有能な魔術師の血を調べて、精霊に愛される因子を見出した。乏しい魔術の素質を補う為の薬品を開発した。『エターナル』の遺骸から抽出した体液の解析により、その将来の性質を予想した。彼らを滅ぼす資質とはなにか。それに対抗出来る者を『開発』する事は出来るのか……」
「それで、高い金で売られて……それで、それで……!」
「『エターナル』を恒久的に滅ぼす、と言う指令を完遂出来た訳ではないが……成果はあったようだ」
識別番号1158195。
『クリムゾン』対策用実験素体G組第1個体。
魔術の才能を持つフェアリーの遺伝子を組み込んだ人工生命の開発の成功例。
生存率の低さを考慮し、環境耐性の高いゴブリンの遺伝子をベースとする。
必要な能力は、『クリムゾン』へ恐れずに攻撃を行える凶暴性。
『クリムゾン』を上回る火の魔術の制御能力。
そして、『クリムゾン』の弱点を『思い出せる』事。
綴られていた記録は無情だった。
「アタシは……アタシの、親は……」
ギィは記録を何度も指でなぞった。
だが、そこに描かれた事実は何も変わりはしない。
ギィの声が震えた。書類に水滴が落ちる音がして、シムリは驚愕した。
あのギィが、泣いている。大粒の涙をこぼしながら、書類をぐしゃぐしゃに握り締めている。
「始めに君を見た時は忘れていたが……トラノが覚えていた。この『クリムゾン』対策の実験の事を。実験体は見つからなかったと聞いて、連れ去られたと思っていたが……まさか、こうして冒険者として再会するとはな」
「アタシは……人造生命なのか……親は……本当の親は……」
「君の親と呼べる存在は……残念ながら、居ない。様々な遺伝子を組み込んでいる以上、血縁の親さえ、判然としないだろう」
イタカは煙草を吸いながら、やるせないとばかりに深い溜め息を吐き出した。
「そして君は今、不本意かも知れないが……君に求められていた役目を、全うした。敢えて君の気持ちを無視し……君には、深い感謝を改めて述べる。私達を……世界を救ってくれて、ありがとう」
イタカが振り返り深く頭を下げたが、ギィは両手で顔を覆って泣いている。
だから、後悔するかのように深いシワを顔に刻んだイタカの顔を見たのは、シムリだけだった。
シムリは呆然としていた。
いつだって気丈で、自信に満ち溢れ、どんな時でもジョークと軽口を忘れなかった、あのギィが。
ギィのすすり泣きだけが、支部長室の壁にいつまでも吸い込まれていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます