45. 激闘の傷跡
シムリとギィは揃って病院送りとなった。日がな一日を療養に費やしている。
ギィは消耗による衰弱が酷く、まだ一日の大半は寝て過ごしているらしい。
らしい、と言うのは、それぞれ高待遇にも個室の病室を用意されているからで、怪我で動けないシムリは人づてにそれを聞くしかなかった。
故に、シムリはギィとはしばらく話していなかった。
シムリは内蔵や骨まで炎症による損傷が激しい状態だ。
並の人間なら三回は死んでいる、と戦慄する医者に言わしめた。魔術による治療を併用しても、動けるようになるまではしばらくかかりそうだった。
ちなみにこの炎症は、『クリムゾン』の炎の吐息によるものだとしている。まさかギィの炎で焼かれたなどと言えば、彼女がどうなるか分からない。
その後の町の復旧状況は、人伝手に聞いていた。
見舞客は幸運にも、多岐に渡った。
「早く帰って来て欲しいわ。リカルドさんも来てくれないし〜」
酒場『ティアーズ』の女店主、『ガリ勉のカバリ』が、見舞いの品である林檎を剥きながら、シムリに愚痴をこぼしていた。
幸いカバリの酒場は『クリムゾン』の被害が及ばず、カバリも怪我一つない。
町に残った傷跡は甚大だが、今は冒険者一丸となって復旧作業が進んでいる。
『引き蘢りのメディア』も、町が復興を始めた辺りにひょっこり戻って来て、主に損壊した『超越者ロカ』の像の再生に借り出されているようだ。
「町中、あなた達の話題で持ち切りよ。なんせ、あの『エターナル』の一柱を討伐したんだもの。シムリとギィ、歴史に名が残るわね、羨ましいわ」
カバリは本当に暇なのか、毎日のように見舞いに訪れる。今では身体を動かせないシムリの口に、見舞いの品を切り分けて押し込む係と化していた。
カバリがいやに献身的なのには何か裏がありそうだ。
シムリはその理由に、入院三日目でようやく気がついた。
「君が、シムリ君……だね」
カバリがうっとりと視線を送る先には、金装飾が施された漆黒のローブを身に纏った、甘いマスクの魔術師。
『サンバイザーのリカルド』。最前線の『フォース』の町の冒険者筆頭が、『獣憑きのカイト』を伴って現れた。
リカルドは握手を求めて手を伸ばすが、シムリはまだ碌に腕が動かせなかった。「おっと、失礼」とリカルドは慌てて手を戻す。なるほど、微笑みが爽やかだ。ミーハーのカバリが陶酔するのも、分からないでもなかった。
「今回の事で、自分達の未熟を実感したよ。まさか、自分達以外に『エターナル』を討伐出来る冒険者がいると、思っていなかったんだ」
「正直、少し悔しいくらいさ。でも、ありがとう。君たちは、何万の命……ともすれば、この世界全てを救った英雄だ」
後ろに控えていた『獣憑きのカイト』が朗らかな微笑みを向ける。
欠損してしまった左足は魔術により再生をされているが、元の通りにはもう動かないようで、冒険者は引退するのだそうだ。
今は家財や装備を整理しているらしい。『自在剣ガズバン』は、間もなく別の使い手に託されるのだろう。
彼らの後に、今まで会った事の無い冒険者達も、一言お礼をと病室に、入れ替わり立ち替わりに見舞いにくる。その中には、ボスカのような見知った顔も居た。だがそれ以上に、まさか来るとは思っていなかった者も居る。
「この度はぁ、うちのライラがぁ……本当に、ご迷惑をぉ……」
いつかの新人冒険者、僧侶カンナ、槍術士イルミ、そして学者のライラも花を携えて訪れたのだ。花瓶に生けられた花の香りはシムリの好みに近いものだった。自分も良く行く花屋に聞いたのかな、と尋ねる間もなくイルミとカンナが深々と頭を下げた。
「ウチのライラが……町の英雄のシムリさんに、とんでもなく失礼な渾名を付けてしまったみたいで……」
「アタシ達もぉ、別の渾名、広めようとしたんですけどぉ……『永遠殺しのシムリ』とか、『炎海踏破のシムリ』とかぁ……」
「でも……皆がみんな、『ペド野郎のシムリ』、と……そっちで呼ぶようになってしまって……」
どうやら巷でのシムリは『ペド野郎』の渾名が定着しつつあるようだ。
みんな、どうせおもしろがって付けてるんだろうなぁ。
スタートが『クソ野郎』だったので、今更真面目な渾名をつけるのも変に気遣いが強くなってしまう。シムリは気にしていなかった。
しかし、ライラはそうではなかったようだ。
頭を下げる二人に対して、ライラは裾や膝が汚れるのも厭わずに、両膝をついて、深々と。本当に深々と、土下座をした。
いつもより少しキツめのローブを着ているのか、背中のラインがくっきりと見えた。
「本当に……本当に申し訳ありません……! かくなるうえは……!」
おもむろに立ち上がったライラは、つかつかとシムリのベッドに歩み寄ると、モタモタしながらシムリのベッドに乗り上がった。
以前見た時より胸が強調されている。薄いローブに、まるで透けて見えるようにさえ思えた。
「『ペド野郎』の汚名を返上するために、私の身体をお使いください……!」
羞恥に真っ赤に染まった顔で、泣きべそをかきながらライラは絞り出すようにそう言った。カンナとイルミは、両手を組んで祈りのポーズ。どうやらこれは仲間の総意らしい。そこまでするのか。
間もなくライラはローブの裾に手をかけた。このままでは病室で盛りがついた、女に見境の無い『絶倫のシムリ』と成りかねない。
シムリは必死に言葉を尽くして説得を試みた。
そして、その結果……。
「そう、んじゃシムリはまだ、女を知らぬ『清き者』なのね」
病室を次に訪れたマリが、皮肉たっぷりにそんな事を言ってシムリを嘲笑した。マリは剣呑さが取れて、かつて集落に居た頃に見せたような、少し甘えた態度も取るようになっていた。
見舞客用の椅子に腰掛けて脚を組んで、膝小僧で頬杖を付いて、シムリをにやにやと眺めている。
話している内容のせいか、妙にマリが色っぽく見える。シムリは小さく首を横に振って、考えを追い出した。
「もったいないわね、シムリ。筋肉の無い女を抱くって、冒険者に取っては貴重らしいわよ?」
私ももうムキムキだしねー、と軽く笑うマリ。いつ「集落に帰るわよ」と言い出さないか、シムリはヒヤヒヤしていたのだが、意外にもマリはそれを否定した。
「貴方を連れて帰りたいってのは、本当。でも、それは……結局全部、私の我侭だもの。シムリって、子供の頃からずーっと全部、私の我侭を聞いてくれてたじゃない。だから、それが当然、って甘えてたんだと思う」
マリは思い出を紐解いているのか、中空を眺めながらそう呟いた。
兄として、出来る事はやって上げていたと思う。
シムリは、マリの我侭に付き合うのが好きだった。
そうする事で自分の存在を肯定する事が出来たから。
中々に酷い兄貴だな、とシムリは少し自分が嫌いになった。
「でも、そんなの良くないわよね。だってシムリにも、シムリのやりたい事があるんだもの……」
「うん……」
「貴方は、ギィさんを助ける為に、自分の命まで投げ打ってみせた。それ程、あのゴブリンが大事なんでしょう」
「……大切な人だよ、僕にとっては」
「だったら、もう……森に帰ってきて、なんて言えないじゃない」
マリは目に浮かんだ涙を軽く指で拭いながら、強がるように微笑んでみせる。
マリの服装を見る。森で見かけたような、なめした革の衣服と、小振りな木製の弓を携えている。以前の借り物の重装備は、すでにギルドに返却済みらしい。
「私は一度、森に帰るわね。集落での仕事、全部放り投げて来ちゃったから。冒険者稼業はしばらくお休みだけど、集落の外も中々興味深いわ。いつか、また帰ってくるつもり」
マリは少し名残惜しそうに、シムリの顔をジッと見つめた。三年越しのマリの夢は結局叶える事は出来なかった。
しかし、マリは十分にシムリが充実した生活を送れている事を思い知った。
だったら、口うるさい妹は、迷惑にしかならないだろう。
「それじゃ、シムリ、達者でね。もしも……もしも、だけどね。少しでも気が向いたら、一度集落にこっそり帰ってきて。きっとその頃までには、もう少し集落も、外の世界に対してオープンになる。そうなるように、私も頑張るから」
マリが病室を去って、それから数日は静かな日々が続いた。
毎日訪れるカバリには度々尋ねているのだが、彼女は「さて、どうかしらね」などと微笑みながらはぐらかす。
きっと、悪くはないのだろう。ギィは、自分より症状は浅い。先に退院するのは分かっている。
だから、早くその日が来て欲しいと、シムリはぼんやりと過ごしていた。
*
「……お、髪の毛もちょっと生えてきたな? 生えても生えなくても相変わらず不細工だが」
いつもの憎まれ口を叩くようにして、ひょっこりとシムリの病室に顔を出したのはギィだった。
体力が回復し無事に退院したギィは、いつものジャンプスーツ姿でシムリの病室を訪れている。
後遺症は特にないそうだ。
強いて言えば、以前よりも魔術の威力が上がった程度らしい。
「連日宴会でオゴられるんで、こちとら大変だぜ。まさかアタシの人生で、酒を断る事があるとは思ってなかったよ」
「随分と、楽しんでるんですね」
「お前が起き上がる前に、アタシはまた、肝臓壊して入院しちまうかもな」
ギィは相変わらずの軽口を叩く。シムリは妙に懐かしく感じていたのだが、ギィは眉をひそめて怪訝な顔をしていた。
「……しっかし、ハゲでペドって割とマジで救いがないよなぁ」
「ギィさん……僕は、結構本気で恨んでますよ……」
「おぉ怖い怖い。……ってもアタシも『デブ専のギィ』になっちまったよ」
「完全に自爆じゃないですか……」
「考えあっての事だ。お前は放っておくと、色んな奴にひょいひょい付いてくからな。カバリん時もそうだったろ。この際、首輪はしっかり付けとこうと思ってな」
今は亡き『操火のカッツェ』のパーティに勧誘されたり、ライラのパーティに誘われたり。
意外とシムリの引き合いは悪くなかったのだ。回復魔術の腕を見込む者も多いし、今は近接での戦闘能力も持っている。
熟練の冒険者が、高額の報酬で雇い入れる事も、十分に考えられるのだ。
シムリ本人はそれに気づいていない。だから、今囲い込む。
ギィは打算的にそう考えて、ふと自嘲した。
「……なんてな。単に腹立つんだよ。お前の実力を見出したのはアタシなのに、そんなお前がアタシを放ったらかして色んな奴とつるむってのがよ」
ギィがそんな事を言うので、シムリは口を尖らせた。
「ギィさんこそ僕の事ほったらかしで冒険してたじゃないですか……」
「それはまぁ、アタシとお前じゃ立場が違うからな」
「納得いかないなぁ……」
「でも今回の件で思い知った。お前は、どうにかなりそうだったアタシと、死ぬ覚悟で一緒に来てくれる奴だ。そんな奴を放ったらかしてるなんて……アタシも相当、付け上がってたらしい」
だから。ギィは改めて、小さく頭を下げて、その後すぐに胸を反らして、両手を腰に当てて、満面の笑みを浮かべた。
「シムリ。こっからは、アタシも浮気は無しだ。お前と一緒じゃなきゃ、もうどこの誰ともパーティを組まねぇ」
「そんな……そこまでしてもらわなくても……」
「心配すんなって。遠慮とか、そう言うんじゃない。お前は、自分の命を預けるに足る仲間だ。だから、お前と組むのが最良なんだよ」
ギィは照れて頬を染めながらも、顕然と言い放った。
これで、やっと本当に、仲間として並び立てる。シムリは誇らしく思って微笑んでいると、ギィがふと、ジャンプしてベッドに飛び乗ってあぐらをかいた。
細い腕の先に付いた、子供のようにちっこい握り拳が突き出されている。シムリは意図を察して、最近少し動くようになった左腕を伸ばして、拳をぶつけ合った。
ギィがしたり顔で「お前も分かってきたじゃねぇか」とからかった。
「命を預け合う
「僕は好きですよ、そう言うの」
「お前、そう言うのは全然照れないよな……逆にすげぇよ」
ギィはただ呆れた顔で溜め息を零す。
視線を逸らしているギィは小さく舌打ちをしてみせて、身軽にベッドから飛び降りた。
そのまま大股で病室の扉に向かっていく。
退室の直前に、ギィは振り返った。
口端から覗いている八重歯が見えるほどの、満面の笑みだった。
「さっさと起きてこいよ……待ってるからな!」
ギィの励ましは不器用ながら、シムリの心に確かに届いていた。
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