44. 炎の妖精

 だが、果たしてその姿は、ゴブリンと呼ぶにふさわしいのか。

 全身を自らの青い炎に身を包み、猛火の塊と化したちっぽけな身体。背中からは、燃え盛る炎で出来た、鳥の翼が二対生えている。

 ギィは羽ばたいて宙に浮遊しながら、青い火の粉をまき散らしながら、『クリムゾン』を睨め付けている。


「訳わかんねぇよなぁ……でもよぉ!」


 腕を横に薙ぐと、それこそ町を焼き尽くさんばかりの大量の青い火炎が現れた。『クリムゾン』はその炎を浴びて、目を見開いて悲鳴を上げる。

 効いている。

 何故ギィは『クリムゾン』に手加減無しに攻撃を加えられるのだろうか。

 もちろんそれは、ギィにすら分からないことだった。


「わかんねぇけどよぉ……誰かが叫ぶんだよ、コイツを殺せ、殺せってなぁ!」


 ギィは狂乱しながら、更に全身から炎を吹き出す。

 我を失っているのか、もはや言葉に成らない咆哮を上げながら、めちゃくちゃに『クリムゾン』に向けて炎を浴びせかける。

 例え火炎を操る竜であろうとも関係ない。

 何よりも、ギィの炎は『クリムゾン』には効果覿面で、ギィの薙いだ炎の腕が擦っただけでも『クリムゾン』は苦痛に喘いだ。

 反撃の灼熱の吐息を吹きかけるも、それもギィの青い炎に飲み込まれ、吸収され、さらに巨大化して『クリムゾン』自身に跳ね返る。


 『クリムゾン』は恐怖に竦み上がっていた。

 自身の、絶対の能力が効かないばかりか、自分の炎を遥かに凌駕する魔術。

 まるで、自分の天敵のような存在が、目の前に居る。


「ど、どうなってるの!? なんで、このゴブリン……」

「分からないよ……でも、でも……」


 ギィの炎の勢いが、一瞬だけ目に見えて一段階落ちた。

 遠く見えるギィの横顔は、明らかに疲弊して見える。それでも、焦点の合わない目だけは殺意にみなぎって血走っている。

 『クリムゾン』がたまらず逃げようとする。ギィは容赦なくその背に向けて炎の腕を伸ばした。翼膜を貫く炎。『クリムゾン』はバランスを崩して倒れ臥す。


「うううおおおおぉぁぁぁ!」


 ギィは一つ大きく羽ばたくと、炎を纏ったまま『クリムゾン』の胸に錐揉みしながら突進した。心臓を狙ったその高速の一撃は『クリムゾン』の胸をいとも簡単に突き破った。


「う、うそ……倒しちゃった……?」


 マリが驚愕して口を手で押さえた。

 『クリムゾン』はとうとう、逃げる事も叫ぶ事も出来ず、ゆっくりと目を瞑り、力無く倒れ込んだ。

 しぶとく生き延びた『クリムゾン』の、あっけない最期となった。


「ギ、ギィ、さん……?」


 しかし、ギィは攻撃の手を緩めない。

 倒れ臥した『クリムゾン』に、まるでトドメの一撃を加えるかのように、先程よりもまた勢いを増した火炎弾を何発も打ち込む。

 喉が枯れたような、絞り出すような雄叫びがむなしく響き渡る。

 『クリムゾン』は既に黒焦げで、灰の塊と化している。

 それでもまだギィは攻撃を止めない。

 この世に存在する事を許さない、と言わんばかりの執拗さ。

 明らかに狂っている。


「ギィさん! もう良いんだ!」


 シムリはギィの元に駆け寄った。

 襲い来る青い炎は、いつか頬を掠めたギィの炎よりも遥かに熱い。

 文字通りの、炎の海。これ以上は近づけないと言う所まで来て、シムリはようやく感じる。

 ギィの魂が弱っている。

 鎮魂術を通して様々な魂に触れて来たシムリには、心臓ではない、魂の鼓動を感じる力を得ていた。

 魂そのものの活力を燃やし尽くしながら、ギィは攻撃を放っていた。

 これだけの熱量を持つ炎をバラまき続けているのだ。

 消耗していない筈が無い。


「ギィさん止めろ! これ以上やったら、ギィさんが死ぬ!」


 シムリの声にハッとしたマリが、水の魔術をギィに向けて放つ。

 しかし、ギィの炎の勢いが水を一瞬で蒸発させてしまう。

 まさに焼け石に水だ。

 ギィは今にも死にそうになりながら、『クリムゾン』を殺し続けている。

 恐らくギィは、このまま自分が死ぬまで攻撃を続ける。

 そしてそれは、恐らくほんの数分後。

 ギィが死ぬ。

 冒険者なのだから、いつかどこかでくたばるものだ。

 しかし、だからと言って大切な仲間の死を受け入れる事等、出来やしない。何が何だか、彼女自身も分かっていないのに、そのまま死んでしまうなんて、許せる訳が無い!


「待って!」


 一歩踏み出しかけていたシムリの手を、マリが捕まえていた。大粒の涙をこぼしながら、首を横に振る。


「行っちゃダメ! シムリが……が死んじゃう!」

「マリ……! でも!」

「お願いだから……もう、行かないで……!」


 あぁ、自分は酷い奴だ。

 何回妹を泣かせれば、気が済むのか。こんなにまで献身的な妹に、兄らしいことなど何一つ出来ていないのに。

 だが自覚しつつも、シムリは既に腹を決めていた。


「マリ……ごめんな」


 シムリはマリの手を振り払うと、意を決して青く揺れる炎の海に飛び込んだ。


「お兄ちゃん!」


 背後からマリの悲鳴が聞こえる。

 シムリはそれを無視して、炎に包まれながらも、飛び回るギィめがけて駆け出していた。

 炎は熱い。とんでもなく熱い。

 あっという間に服が燃え、皮膚が焼け爛れ、髪が消し炭と化していく。


 ギィさん、きっと貴方は、知らないんだ。本当に、知らないだろう。

 あの毒沼を抜け出る、と言う事が、僕にとって如何に重大だったのかを。

 貴方に出会えなければ、まだ毒沼のほとりで世を儚んでいただろう。

 世界はこんなにも広いのだと、刺激的なのだと教えてくれた。

 そんな貴方には、まだ何も恩を返せていない。


 指が焼け落ちて、脚が炭化したとしても、再生術が、シムリの命をつなぎ続けている。しかし、例え身体の芯が焼かれようとも、シムリは脚を止める事はないだろう。

 全身を焦がしつつも、それでもシムリは生きていた。そして、その脚は遂に、ギィの足下まで到達する。


「ギィさん!」


 シムリは勢いを付けて、飛び回るギィに向かって一直線に跳躍した。

 一瞬だけ視線が交差する。血走って我を失ったギィの瞳が、一瞬だけシムリを認識した。浮かぶ感情は、困惑。


 貴方にも、夢がある筈だ。

 だったらこんな所でくたばれるか、ギィさん。

 一緒に叶えにいきましょうよ、ギィさん!


 暴れ回るギィを、遂にその手に捉えたシムリ。

 指先は既に炭化して崩れていく。だが、痛みはとうに感じていない。

 ギィの炎の翼は、シムリの重量に耐えられず、バランスを大きく崩した。

 なおももがくギィの身体を、シムリは包み込むように抱きしめた。

 相変わらず小さい身体だ。こんな小さい人に、自分は頼ってばかりだ。


「いい加減、目を覚まして下さいよ……」


 シムリの声は焼けて擦れていた。

 それでも、シムリの一言に、ギィの炎が一段階弱くなる。


「あの『クリムゾン』を倒したんですよ? 大金持ち間違い無し、死んでる場合じゃないでしょ?」


 ギィとの会話は、万事がそんな調子。

 金勘定と冗談まみれで、二人とも何を話していたのか分からなくなる。

 それも楽しい日常の一つだ。大酒をかっくらってバカ騒ぎするのも、飯を食いながら愚痴をこぼし合うのも。


「僕、まだギィさんと冒険してないです。早く連れて行って下さいよ」


 自分はギィに付いていく。

 ギィと同じく、自身の人生を、自分で切り開いていく為に。


「折角の金の成る木、いい加減、他の人とパーティ組んじゃいますからね?」

「……バッカ、『クソ外道』なんかと組みたがる奴、他にいねぇよ」


 胸の中から声が聞こえた。かと思うと、今まで燃え盛っていた炎の翼が急激に縮こまり、ギィとシムリは抱きしめ合ったまま、『クリムゾン』の亡骸のすぐ側に落下した。周囲の青い炎があっという間に鎮火していく。

 背中を地面に強かに打ち付けたシムリは、「ウッ」とうめき声を上げる。顔を上げてギィを見ると、少し潤んだ瞳がまるまるとも開かれていた。

 真っすぐに見つめられて、シムリはようやく安堵の吐息を零した。


「ギィさん……治まってくれましたか」

「忌々しい事に、妙な頭痛もすっかり飛んでったぜ……全く、これっぽちも訳がわかんねぇ。アタシの今のこりゃ、なんだったんだ? 頭ん中に誰か別の奴がいて、ひたすらに『殺せ!』って叫びやがる。こんな無茶苦茶に魔術を使った事もねぇし……」


 でも、ま、とりあえず。助けてくれて、ありがとよ。


 ギィは軽い口調で言った。それでも、ギィにそうやって感謝される事は、多分今まで無かったからか。シムリはそれだけでも、無茶をして良かった、とそう思っている。シムリの満足げな顔を見たせいか、ギィは途端、破顔した。声を上げて笑う元気があるようだ。


「あー、でも、なんだかな……これで、自分のルーツを知りたいって理由がまた一つ増えちまったな」

「そうですね。ギィさん、普通じゃないし」

「てめぇにそれを言われるのだけは気に食わねぇ」


 そんな相変わらずの冗談混じりの会話をしているうちに、駆け寄ってくる人影に気がつく二人。

 マリが、駆け寄って来ていた。いつもの強気な表情は完全に消え失せて、ぽろぽろと泣きながら。

 シムリとギィが顔を向ける。それだけで、マリは、その場に崩れ落ちた。ぺたん、と瓦礫まみれの道に座り込んで、天を仰いで泣き叫ぶ。年相応よりも遥かに幼く見えた。


「良かったぁ……! 生きてた、生きてたのね!」

「なんとか……ね」


 シムリの身体は、再生術により早くも回復しつつある。

 欠損しかけた指も、既に新しい骨が出来始めているのだ。まるでトカゲだな、と自嘲するシムリ。

 身体が起こせるようになるまでは、まだしばらくかかりそうなので、シムリはそのまま口を開いた。


「マリ……ごめんな。いっつもお前の事、置いてけぼりにしちゃって……」

「ホントだよ……こんな思いは沢山よ……なんで、こんなになってまで……」


 だから、集落に帰って、平和に一緒に暮らしましょう。

 マリは言外にそう言いたいようだった。


「ギィさんは、僕に夢を持つ事を教えてくれた。だから、どうしても助けなきゃって思ったんだ。ここでギィさんが死んじゃったら……僕自身も、夢を追う気力がなくなっちゃうから」


 シムリは言った。

 迫害を恐れて集落に帰れない、と言うのとは最早別の理由だ。


「……マリ。僕は……母さんを捜そうと思ってるんだ」


 マリがつと目を見開いて、シムリを凝視する。

 考えもしなかった、と言わんばかりの表情だ。それもそうだ、マリの前でシムリは、自分の実の母親について話題にした事は殆どなかったのだから。


「僕の毒に強い体質は……きっと、生まれつきのものだろう。僕が迫害されてしまう事を、きっと母さんは知っていた。それでも母は、カザイー父さんに僕を預けたんだ。なら、その理由をどうしても知りたい」

「そんなの……知らなくても、生きていけるじゃない。父さんも母さんも、貴方を愛してくれている。私だって、それは同じ。貴方の事が大好きなの。それで、良いじゃない」

「もう、それは出来ないよ。色んな事に蓋をして生きるのは……理不尽や不条理を飲み込んで生きていくのは、僕だってもう沢山だ」


 マリはそれでも、まだ言葉を続けたかったのだろう。しかし、出来なかった。

 マリは順当に、才能を持って、愛されて育って来た。

 それ故に、シムリの味わって来た苦渋を、マリは知る事は出来ない。

 だからシムリの抱く感情を、マリは理解出来なかった。

 分かるのは、シムリはそれに殉じても良いと考えている、と言う事だけ。

 これ以上の説得の言葉を、最早マリは持っていなかった。


「……お兄ちゃんのバカ」


 マリは悔しそうにむくれながら、一言だけ零した。シムリは密かに安堵した。

 これからどうなるかは分からないが、少なくとも首根っこを掴まれて集落への強制送還はもうなさそうだ。

 マリも、おそらくは吹っ切れたのだろう。どこか憑き物の落ちたような晴れやかな表情で、二の足で立ち上がって伸びをしながら、水の魔術を行使。シムリの怪我の治療を始める。


「しっかし、シムリ、これはマズいわね」

「あぁ……髪も全部燃えてつるっぱげだよ。身体もちゃんと魔術で再生できるか……」

「いやそれより、このゴブリン……ギィさん? とあなた、今どんなカッコしてるか分かってんの?」


 呆れたように肩をすくめるマリ。

 ギィとシムリは思わず顔を見合わせて、そのまま視線を下に滑らせた。

 髪の毛も燃え尽きるような激しい炎だ。服も燃え尽きている。

 ギィも、髪や火傷こそないが、お気に入りのジャンプスーツは、全身に炎をまとったその時点で消し炭と化していた。

 つまり、二人とも全裸で抱き合っている状態である。

 もっと言えば、ギィの尻が腰の上に乗っかっていて、大変よろしくない格好になっていた。


「うわぁ!」


 慌てたシムリが、見ていません、とばかりに目を強くつぶる。それでも、身体前面が触れている人肌の暖かさは消えない。

 ギィはギィで、すこし照れたように口を尖らせたが、力のこもっていないシムリの腕をよけて、冷静に身体を起こした。困ったように頭を掻いて、呑気に欠伸をしてみせた。


「こりゃ、『ロリコンのシムリ』確定だな」

「嘘でしょ……勘弁してくださいよ……」

「アタシも『デブ専のギィ』って呼ばれっかも」

「だったら早くどいて下さい! 何いつまでも僕の上にまたがってんですか!」

「お前がどけりゃいいじゃん。アタシだってクッタクタ、全身ダルいんだよ」

「僕は身体がまだ動かないんですよ! 全身こんな大やけどなんで……あぁ、マズい! 足音が聞こえる! みんなが戻って来ちゃう!」

「待てよ……? コイツとネンゴロだってアピールしときゃ、他のパーティに盗られる事もないか……?」

「変な打算をしながら僕に抱きつくの止めてぇ!」


 再びシムリに抱きつくギィ。シムリは為す術無く、されるがままだ。

 自分でどうにも出来ない以上、シムリはマリに懇願するしか無かった。


「頼む、マリ! ギィさんどけて! あとなんか、身体を包むものとかも!」

「……勝手にやってなさいよ」


 マリはどうでもいいとばかりに冷たく言った。その場から動くつもりは無いようだった。彼女の水の魔術によって傷が治っていくのだから、強く怒る事も出来ない。


「おーい!」

「大丈夫ですかー!?」


 そうしているうちに、先程まで逃げていた冒険者達が本当に駆け寄って来てしまった。

 ぞろぞろとそろい踏み、横一線に並んで、全裸で抱き合っているシムリとギィを見下ろして、生暖かい視線を送っていた。


「あら……」

「まぁ……」


 特に先頭にいた魔術師達が、微笑ましいと言わんばかりに微笑んでいる。

 この極限状態だものね、人肌恋しくなっちゃうのも仕方ないものね。

 そんな視線が飛んでくる。

 この状況は一体なんなんだ。

 シムリは気まずさで一杯だったのだが、ギィは特に気にした様子もない。


 分かってるんですか、ギィさん。

 男の冒険者も居るんですよ、恥ずかしくないんですか?


 シムリは視線で訴えた。


 いや、別に?


 ギィが嗜虐に満ちた視線でシムリを見下ろした。


「おっと。お待ちかねだぜ、シムリ」


 ギィが群衆の中の一人を指差した。

 シムリがゆっくりとそちらに視線を移すと、その視線の先には、金髪にメガネをかけた、ベージュ色の厚いローブに身を包んだ女学者がいた。

 彼女の名はライラ。新人冒険者にして、『クソ外道のシムリ』の渾名を広めた張本人だ。


「……『ペドフィリア』」


 わなわなと手を振るわせて涙目のライラは、渾身の力を込めて叫んだ。


「『ペド野郎のシムリ』いいぃぃぃぃっ!」

「いええええぇぇぇい!」


 その場に居た冒険者たちが、待っていましたと言わんばかりに歓声を上げた。シムリは意識が遠くなるのを感じていた。疲労によるものか、絶望によるものか。

 間違いなく、両方だ。


「……ロリよりひでぇや」


 意識が途切れるその寸前に、ギィが苦笑しながらそんな事を言った。


 ——『ファースト』の町に来襲した『クリムゾン』を討伐した、この迎撃作戦を締めくくったのは『火炎小僧のギィ』であるとされている。彼女の、あまりにも的確な立案と、その活躍ぶりに疑問を呈するものも多かった。

 『何故、クリムゾンの弱点を知り尽くしていたのか』

 『石像でも押し潰せなかったクリムゾンを、結局どのように討伐したのか』

 しかしそのような疑問も、何故か不自然なまでに町から立ち消えていく。

 そこに一体どのような意図があるのか……それに気がつく者はいなかった。

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