41. 対『クリムゾン』戦線

 『クリムゾン』は街道を踏み荒らすようにして歩んでいた。ドラゴンとして大柄ではないが、それも十分巨体の『クリムゾン』が歩むたびに、街道の石畳が砕け散る。

 時折暇つぶしのような感覚で灼熱の息を吐き、町を破壊する。

 それをする事、それ自体に大きな意味は無かった。

 ただ、本能が『人を害せよ』と訴えるので、それに従うしか無いのだ。

 今しがた退けたパーティは、恐らくは周囲では最も強力な力を持つ者達。

 であれば恐れる事は無い。

 自身にも弱点はある。当然それは知っているが、それを知られてはいない。

 だがそもそも、知ったからと言って、どうにか出来るものじゃない。


 『クリムゾン』には慢心があった。

 数多くの同胞を犠牲にして挟み撃ち作戦をしてみたが、それも大して意味は無かったな、と悟る。自身のこの強力な防御能力があれば、何があろうとも堂々と踏み潰していけばよいのだから。

 しかし、面白い。『クリムゾン』はほくそ笑む。


「こっちだぜ、化け物が!」


 街道の先に、小さなオークのような風貌の男に背負われたゴブリンが居る。

 この町の人間は、本当に刺激的だ。自分を相手に勇敢に立ち回ろうとして、最後には結局絶望して、惨たらしく死んでいく。

 その死に様の何と滑稽なことか。

 恐らくはあのゴブリンも、何か策を弄しているのだろう。そして、どうせそれも無駄に終わるのだ。『クリムゾン』は喜びの咆哮を上げながら、逃げ始めたゴブリンの後を追いかけ始めた。


 *


「シムリ、あんま本気で走るなよ。適度に、でもケツを焦がさない程度に、だ」


 背中でギィが囁く。その声はまだ本調子にはほど遠く、どことなく熱に浮かされているのが分かる。現に体温もまだ高い。多少は落ち着いて来ているが、本来ならベッドで横になっておくべきだ。


「なんで、ギィさんも囮役なんですか? 僕一人でも良いと思うんですけど」

「……お前マズそうだしなぁ。『クリムゾン』にも、お前要らんってそっぽ向かれちゃ困る」

「今は冗談を言うような場合ではないですよ」


 足下の石畳はまだ無事だ。背中越しに振り向くと、数多くの建造物を踏みつぶしながら、『クリムゾン』が迫って来るのが見えている。

 追いつかれず、遠ざかり過ぎず。少しでも気を抜けば、その距離感が変わってしまう。それを保つ慎重な作業で、死と隣り合わせ。

 それなのに、いつも通り皮肉めいた冗談を飛ばすギィのせいだ。

 シムリは思わず苦笑してしまっていた。


「……この大陸に来る全員バカ野郎だ。こんな、アタシなんぞの案に乗っかったんだぜ?」


 ギィの声はいつもよりも随分と殊勝だ。今日だけで、どれだけ『らしくない』ギィを見ただろうか。シムリは不謹慎ながら、少し嬉しい気持ちもあった。こうしてギィの新しい面を見られたと言うのは、少しは心を開いてもらえたと、そう思ったから。


「だから、自分は一番危険なポジションに名乗り出たって事ですか?」

「こう見えてアタシも、繊細な乙女心の持ち主なんだよ」

「茶化さなくても良いですよ。ギィさんが、そう言う所、意外と気にする人って分かってましたから」

「バッカお前、誰にも言うんじゃねぇぞ」


 ギィの笑い声につられて、シムリも思わず吹き出した。

 『エターナル』に追いかけ回されて、少しでも油断すれば死ぬ、と言う状況にも関わらず。余裕があった訳ではない。だがそれでも、シムリにはギィに対する信頼があった。


「この戦いが終わったら……」

「ん?」

「みんなで、またお酒を飲みたいですね。きっとカバリさんと、ボスカさんと……マリも、一緒が良いなぁ」

「はは……あんまりこの重要な局面で、そう言う風に言わない方が良いぜ。冒険者達の忌み言葉だ」

「忌み言葉?」

「『この戦いが終わったら』、とか『これで終わりだ!』とか、『やったか!?』とか。そんな事を呟く奴から死んでくんだよ」

「えぇ……」

「精々、お前を弔う酒でも飲んでやるさ……よし、そろそろだぜ」


 ギィはシムリの肩を軽く叩いた。


「この作戦は、全てタイミングが重要だ。舞台俳優みてぇな繊細さで尺を気にしなきゃならねぇ。……シムリ、少しペースアップしていいぞ」

「了解です!」


 シムリは、人を一人背負っているとは思えない程の健脚っぷりを披露していた。その脚が目指していたのは、町の中央の大広場。

 既に大勢の、戦闘準備を済ませた戦士と魔術師達が待ち構えている。

 みなぎる殺気と緊迫感。自分に向けられたものではないと分かっていても、背筋に寒気が走る。これ程の圧が、まさかただの序章でしかないとは。


「第一段階だ! 野郎共、気合い入れろよぉ!」


 ギィが声を張り上げた時、シムリが大広場に突入した。『クリムゾン』が背後に迫り来るのを感じる。

 そしてその視線がシムリから離れた。眼前から襲い来るのは、そして背後に感じる気配は、今まさに自分を討たんと武器を振り上げる冒険者の集団。まるで鋼の雪崩のような勢いで、雄叫びを上げながら『クリムゾン』に殺到する。


「やっちまえ、テメェら!」


 *


 戦いが始まって、『クリムゾン』はすぐに違和感を覚えた。

 前足を大きく振りかぶって、横薙ぎにする。しかしその鋭い爪は悉く空を切り、そして盾を構えた冒険者達に受け止められる。

 炎の吐息を吐き付けるそのタイミングになると、冒険者達は一斉に後ろに退き、守備を固めてしまう。

 致命傷を与えられない。しかしそれは同時に、冒険者達も自分に肉薄した一撃を与える事はない。

 お互いの必殺の間合いに、踏み込もうとしない。

 一体これは、なんなんだ。


「カウントダウン開始!」


 不意に、ギィの甲高い声が際立って聞こえた。

 まるで、自身の生存本能に訴えかけるような、強い響き。

 『クリムゾン』は悟った。この者達は、自分の弱点を知っているのだ!


「3!」


 『クリムゾン』は羽ばたいて逃げ出そうと翼を伸ばす。が、出来ない。

 見れば重装の冒険者達が何十人もしがみついているではないか。自分のもつ『能力』では、掴み掛かるだけならば阻む事は出来ない!


「2!」


 魔術師達が、嫌がらせのように視界を覆うようにして霧を漂わせ始める。

 周囲が隠れていく。炎に包まれていた町が、徐々に輪郭を失っていく

 自慢の火炎の吐息も文字通りの霧払いにしかならなかった。


「1!」


 『クリムゾン』は混乱していた。すっかり慢心し切っており、危機から遠ざかっていたが故に、いざと言う時に対応が出来ない。

 もしもこの『能力』が無かったなら……『クリムゾン』は用意周到に作戦を用意した事だろう。今頃、町を焼き尽くしていたかもしれない。


「ぶっ飛べええぇぇ!」


 一斉に叫ぶ冒険者達。そして間もなく、何か黒く巨大な球体が三つ、『クリムゾン』の肩、首筋、胴体に深々とめり込んだ。

 押し潰される『クリムゾン』。『クリムゾン』はその時、この町に訪れてから始めて苦悶の絶叫を上げて錐揉みしながら吹き飛んだ。

 霧の向こう側に、微かにこの砲弾を放った砲台が見えた。砲煙を上げていたのは、『重過ぎて砲身の向きも変えられないような三つの大砲』であった。



「『クリムゾン』の防衛能力にも、穴が無い訳じゃないんだ」


 ギィは額の汗を拭き取りながら、頭をがんがんと叩いていた。

 息も絶え絶えなのに目が爛々と輝いている。


「そもそも、奴自身の鱗はまだ未熟。並のドラゴンよりも薄いような、弱々しい鱗しか身につけていない」

「……だとしたら、何故だ」


 相対するイタカがうなり声を上げた。既に、『サンバイザーのリカルド』がどのような戦いを展開したかは聞いている。

 落雷、超能力、そして目玉への急所攻撃。いずれも全く効果がなかった。ギィはかぶりを大げさに振って、それを否定する。『クリムゾン』にそれらの攻撃が直撃してさえいれば、とっくに倒されていた筈なのだ。

 何せ、落下してくる剣ですら傷が付く程なのだから。


「『クリムゾン』は、以前、『敵に一斉に囲まれて攻撃』されて絶命した。そして奴は、それに対抗する能力を身につけたんだ」

「……もったい付けるじゃないか。早く、端的に答えよ」

「分かってるよ。……アイツには『敵意を持った攻撃が通用しない』」


 ギィの語る言葉にイタカが首を傾げた。背後に居るシムリも、同様だ。


「奴の防御力が凄まじい訳じゃない。ただ、奴は……常に一種の魔術を周囲に放っている。自分に敵意を持って攻撃する者の精神に働きかけている。『クリムゾン』を攻撃する者はその力により、自身でも気づかないまま、無意識に攻撃に手加減を加えてさせられてしまう。だから、リカルドの魔術は、芯を逸れていた。ウォーリーの超能力も、全力には達しなかった。そして、カインの目玉への一撃は、寸止めさせられていたんだよ」

「ば、バカな……だとしたら……」


 イタカが歯を食いしばって、自身のデスクに拳を叩き付けた。


「そんな者が居るとして……どうやって討伐せよと言うのだ! 敵意を持つな、だが攻撃しろ? そんなのは不可能じゃないか! 奴は無敵だとでも言うのか……!」

「アタシは『弱点』を知ってると言ったろう? 敵意の無い攻撃、あるいは敵意のある偶然でも良い」

「……敵意のある、偶然?」


 ギィは高らかに指を鳴らして、得意げに微笑む。悪戯を画策する悪ガキのように幼いその表情が、シムリにはどこまでも頼もしく映る。


「ソー国からの餞別があっただろ。重過ぎて砲身の向きも変えられねぇ、ぶっ放した先にたまたまドラゴンがいなきゃ当たらんような大砲が三つもよ」

「放った先に、たまたま……だと……」

「『クリムゾン』本体を狙って撃つんじゃない。砲弾の到達点に、たまたま『クリムゾン』が居れば良いって訳だ」


 果たして、このギィの作戦は見事に成功したのだ。

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