40. 異常なゴブリン

 『クリムゾン』対策本部は、町の中央付近に位置する冒険者ギルド『ファースト』支部の大会議室にそのまま設置されていた。

 あらゆる情報はこの対策本部に収集されている。

 既にドラゴンの群れ10頭が討伐されている事、町北側から突如としてクリムゾンが現れた事と、情報が錯綜している。混乱の収束に本部は追われていた。

 最高司令官のイタカは、堅く握った拳を自身のデスクに叩き付けて、泡沫を飛ばしながら声を荒らげた。


「一体どうなっているんだ、トラノ!」


 相対するのは実務を担当するイタカの側近、副支部長のトラノ。

 ナナフシのように線の細い、中年の男であった。

 周囲のギルド職員は、気の毒に思いつつも次々に入ってくる報告にてんやわんやで、気に留める暇もない。


「『クリムゾン』の一群全滅の報告を受けたその数分後に、何故『クリムゾン』の襲来の知らせが来るんだ!」

「わ、分かりません! ですが事実、前線は既にドラゴン10頭の討伐を完了したと報告が来ておりまして……」

「群れは『奴を含め10頭』だったはずだろう! 『クリムゾン』の調査団が見誤ったとでも言うのか!?」

「そ、それも真偽の程は……ですが、事実『クリムゾン』は……町の北から飛来してきており……」

「……もういい、わかった! だが、これは調査団の責任問題になるぞ! ソー国にはきっちり報告させてもらうぞ!」


 調査団はトラノの管轄で編成された部隊。トラノは顔を真っ青にするが、反論の余地はなかった。しかし、その二人に敢えて聞こえるような、盛大な溜め息を零したのは、高名な魔術師であり、この戦いでは城壁を築いた功労者である『引き籠もりのメディア』だった。

 年老いた故に既に前線に立つ事は叶わないが、『クリムゾン』との交戦経験を持つが故に、現在は作戦司令部に席を設けて、イタカの相談役に収まっていた。


「見事に、やられたね」


 メディアは自身の老眼鏡をハンカチで拭きながら、呑気に言ってのけた。

 自身だけは生き残る、と言う自信をにじませたようなその態度に、イタカは文句の一つも言いたかったが、それも出来ない。

 立場、と言うものがある。上位の冒険者の連中には、ギルド側が懇願してまで席を設けている者達がいるのだ。

 『引き蘢りのメディア』はそのうちの一人。見た目こそ、暖炉の側で編み物でもやっていそうなただの白髪の老婆。

 だがその実態は、かつて一流の冒険者として『無限大陸』の開拓に貢献した、生粋の自由人、無法者にして、冒険者ギルドの外部顧問だ。

 故に、ギルド所属のイタカは、頭を下げざるを得ない。

 ここで彼女がヘソを曲げてしまっては、今後の人事にも響いてくる。


「……メディアさん、やられた、とは?」

「『クリムゾン』の二つ名は悪竜だよ? 何の考えも為しに町に来襲する程、良い子ちゃんでは無かったと言う訳さ。間違いなく、あの竜は『学習』してるよ」

「学習……?」

「私も驚いたさ。だが、思い当たる節はある。前回の『クリムゾン』は、『挟み撃ちによって討伐された』んだからね」


 前回40年前に『クリムゾン』が現れたのは、当時無限大陸の開拓最前線であった『セカンド』の町の北側にある温泉地帯。

 幸運にも、その動向をいち早く掴んだ冒険者ギルドは、まだ成熟し切っていない『クリムゾン』の討伐隊を組んで、それを二つに分けて配置した。

 一つは南側。もう一つは、温泉地帯を大きく迂回させて、北側。

 そうして、『クリムゾン』の住処を強襲した。

 南側からの大軍勢を迎え撃った『クリムゾン』は、北側からの精鋭少数の強襲部隊が肉薄するまで気づく事は出来なかった。様々な魔術と武具の一斉攻撃を受けた『クリムゾン』はあっさりと討伐されたのだ。


「奴はその苦渋を覚えていた。だから今回は、自身も群れを率いる事を思いついた。そして、同じように、南と北に軍勢を分けた。南側は囮。現れたドラゴンもえらく弱かったそうじゃないか。物量の多いハリボテの有象無象の部隊として捨て駒にし、自身は精鋭として、大きく周回をして反対側の北から襲撃する。まるで、幼い子供が親のする事を真似するような拙い戦術だが……」

「た、確かに、先程の報告では、群れをなしていたドラゴンはやせ細っていたり、未成熟な者や、逆に年老いたドラゴンばかりだったそうです。で、ですがそんな……そんな戦術を、まさかドラゴンが扱うなんて、誰も思いませんよ……!」

「加えて言えば……奴は『前回と同様に』ギルド調査団に偵察される事も織り込み済みだったようだね。自身の身を徹底的に隠し、群れの頭数を誤認させたんだろうさ。完全にしてやられた。……敵ながらあっぱれ、奴こそは人類の天敵、『エターナル』ってね」


 イタカとトラノは顔面蒼白だ。今この瞬間も、町は『クリムゾン』によって焼かれ続けている。急ぎ対策を進めなければならないのに、頭が全く回らない。


「ご報告申し上げます!」


 叫び声を上げて入室して来たギルドの伝令。最早その表情だけで、良い知らせでない事が分かる。


「町の防衛担当の要であった『サンバイザーのリカルド』率いるパーティが、先程発見された『クリムゾン』との戦いから帰還致しました! 『クリムゾン』は未だ健在! 『獣憑きのカイト』が再起不能の重傷! 他三名も、前線復帰を拒否しています!」

「きょ、拒否だとぉ!? そんなにも臆病者だったのか奴らは!」

「い、いえ違います! 『現状、奴への有効打がないため、前線に出ても死ぬだけだ』と……せめて、対策を教えて欲しい、と」

「そんなものがあればとっくに流布している! 有効打がない……などと、あの『サンバイザーのリカルド』の口からそんな言葉を聞くとはな……」


 イタカはそのはげ上がった頭を激しくかきむしった。爪の軌跡が真っ赤に残る程だ。そして、鋭くメディアを睨みつける。


「メディアさん、何か情報はないんですか!? 前回討伐した時はどうしたんですか!?」

「……さぁね、私は何も知らないよ。だが奴は、前回は『一斉に敵に囲まれて殺された』からね。もしかしたら、それに対する対抗策でも見出したのかも知れん」


 言いながら、メディアはよっこらせ、と言いながらゆっくりと椅子から立ち上がると、そのまま報告に来たギルド職員の肩を労うかのようにかるく叩いて、部屋を退出していく。

 その後ろ姿は段々とぼやけ始めて、最後には廊下の奥の風景に解けて見えなくなった。呆気にとられたイタカとトラノ。

 あのババァ、まさか逃げたのか?


「何をボケっとしている! 急いで『引き籠もりのメディア』を連れ戻せ!」

「は、はいぃ! あ、で、でもまだご報告が」

「まだ何かあるのか!? いいからあのババァを」

「支部長さん、そう言う訳にはいかねぇな」


 言いながら、ギルド職員の背中を強引に押しのけるのは、子供程の背丈のゴブリンの少女。

 その名は、『火炎小僧のギィ』。

 さらにその奥には、ずんぐりむっくりとした体型の自称エルフの下水清掃員、『クソ野郎のシムリ』。『クソ野郎のシムリ』は、期待のエースとも名高いが、どちらも所詮は『ファースト』の町の冒険者。十把一絡げの者でしかない。

 予想だにしない珍客に、イタカも呆気にとられて大きく口を開けて固まっていた。


「……君たち、一体どう言う要件だ? 今の状況は分かっているのか?」


 イタカは若干冷静さを取り戻しつつ、軽い咳払いをしてからそう言った。ギィは汗だくで、目の焦点が怪しい。時折左手で頭をがんがんと叩いており、それを見る度にシムリがおろおろし出す。


「怖いくらいにわかってるぜぇ……『クリムゾン』が、仲間を囮にして北側から襲って来た。町はもう三割が黒こげで、『サンバイザーのリカルド』のパーティを退けたってのもなぁ……!」

「……そのような絶望的状況であるのだが、君は何を言いに来たんだ?」

「アタシは知ってるんだよ……あの『クリムゾン』の弱点をな……」


 息も絶え絶えと言った状況のギィから、信じられないような言葉が出てきた。

 こんなゴブリンが?

 何故、『クリムゾン』の弱点を?

 渋面で無言を貫くイタカに、ギィは歩み寄ってその指を突きつけて、火柱を立ててみせた。

 『クリムゾン』とはまるで正反対の、青く輝く炎を。


「へへへ、分かるぜぇ? こんなゴブリンのガキが、『クリムゾン』の事なんて分かる筈ねぇって言いてぇんだろ、なぁ……? アタシもそう思うよ、このゴブリン、きっと恐怖で頭がおかしくなっちまったんだなって……でもよぉ、分かるんだよ……分かるから仕方がねぇだろうがよぉ!?」

「イタカ支部長……このゴブリンなのですが……」


 隣に控えていたトラノは、何か思い当たったようで、静かにイタカに耳打ちをした。二言、三言程聞いていたイタカは、やがて目を見開いて、トラノを見つめ直した。トラノはトラノで、神妙に頷いた。

 二人の共通認識は、ギィにもシムリにも分からなかったが、イタカは姿勢を正して、両手を顔の前に組み、深く一度呼吸すると、ギィを真剣な顔で見つめ直した。


「……『火炎小僧のギィ』。君の知る情報を全て話してくれ」

「おいおい……お前ら、こんな頭のおかしくなったゴブリンのガキの話を真に受けんのかよ、えぇ……?」

「そうだ」


 イタカの表情は、その組まれた手によって窺い知る事が出来ない。

 しかし、声色だけは、未だ強い焦りを滲ませている。

 時間がない。

 『クリムゾン』は徐々に町中を移動している。

 間もなく、この作戦本部にまで至るだろう。

 ここが焼ければ、後に待つのは混乱と混沌。それだけは避けねばならない。


「全て、君の言葉次第だ。それにより状況が動く。数多の命も、町の被害も、君の言葉一つで左右される。だか、責任は私が取る。君に出来る事は、嘘をつかない事と、何もかもを話す事。それだけだ」

「へへへ、そりゃ良いや……なら、聞いてくれ……」


 ギィは、自身の頭の中にある『クリムゾン』についての情報を語った。彼女自身、自分が何故そんな事を『記憶しているのか』、まるで知らないまま。

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