39. 悪竜『クリムゾン』!

 その赤き竜は、他の竜とは一線を画す存在であると、一目見て分かる。


 他の竜よりも細く、角の無いのっぺりとした蛇のような顔つき。

 指の長い前足は、体重を支えると言うよりも、人間や類人猿の用に物を掴むのに適した形状をしている。

 細身のシルエットに対して、その翼は通常の竜よりも更に巨大。力強く羽ばたく度に、周囲に暴風を巻き起こす。

 合わせた口の中には、不規則に銀色の牙が並び、隙間から時折、抑え切れない灼熱の炎が漏れ出している。

 一見すると、他のドラゴンに比べて頼りない。

 しかし、我こそが頂点と言わんばかりのふてぶてしい態度が、その認識こそが誤りだと気づかせる。


 悪竜『クリムゾン』は自身の立つ、小高い丘の上から町を見下ろしていた。

 あちらこちらが紅蓮の炎に包まれて燃え盛る様の、なんと愉快な事か。

 人々の阿鼻叫喚は、自身の魂を震わせるオーケストラだ。

 愉悦に口角を上げ、自らの腕の中にあった血塗れの肉塊を汚らしくしゃぶる。

 それは町の人間だったものだ。何人かをまとめて握り潰してこねくり回して作られた、内蔵と骨と肉の団子。

 自分に挑みかかってきた冒険者達の成れの果てを弄ぶのが、『クリムゾン』にとっての至高の遊戯であった。


 『クリムゾン』にしてみれば、それらは全てタダの『おやつ』である事に違いは無い。だが、絶対的な自分の存在に挑みかかってくる者が居るのは、なんともはや刺激的なのである。

 そしてまた、哀れな餌になりにきた冒険者達を見下ろしている。

 恐らくは即席のパーティだが、どれも粒ぞろいの実力者だと、一目見て気がついた。


「……なんて事だ……」


 『フォース』の町の冒険者にして、ギルドの要請でやってきた全身鎧の重装備戦士、『獣憑きのカイト』。

 目の前に広がる、あまりの光景に思わず言葉を失っていた。片刃の長剣『自在剣ガズバン』の束を強く握りしめる。

 感じるのは警戒。そして強い恐怖。カイトは自身に迫る危機を自覚していた。


「爬虫類風情の癖に……人殺しを楽しんでいるなんてね……」


 地獄。そのような言葉を用いても余りある。燃え盛る街道に炭化した人の形をした何かが所々に転がり、脂と血の焦げ付いた匂いに頭が痛くなる。

 冷静に呟いたのは、森の民エルフの戦士にして、化け物ルーキーと名高い『疾風のマリ』。

 前線から全力疾走で町北まで走ったと言うのに、その息はまるで乱れていない。


「俺、トカゲって嫌いなのんだよなぁ……見た目キモいし」


 『サード』の町の若きエース、『超能力者ウォーリー』は、二人の狼狽を嗜めるように冷たい声で、長い髪をかきあげながらそう言った。

 立ち姿には懸念も怒りもない。相手はモンスターであるが、自身も殺戮を好む者。生命の死には鈍感でいられている。しかし、慣れているからと言って、見ていて気持ちのいい所業ではない。眉間による皺の深さが、彼の静かな怒りを物語る。


「伝説の『エターナル』……『クリムゾン』と相対する機会があるとはな」


 後ろに控えていた、金縁装飾が施された漆黒のローブに身を包む術師は、気負いも無く笑ってみせた。その瞳には、怒りも悲しみも無い。彼にしてみれば、この光景も想定の範囲内でしかなかった。


「……私から行かせてもらおう!」


 術師は両手を合わせ、魔法の印を宙に描く。

 途端、まるで世界に夜の帳が落ちたかのような暗雲が町の空を、見る見るうちに覆い尽くす。やがてその暗雲は、彼らと『クリムゾン』の頭上に凝集され、凄まじい勢いでうごめき始めた。

 彼は稲妻を扱わせたら右に出る者はいない、とまで言われた邪悪な、それでいて義理堅い、ダークヒーロー魔術師として子供達とマダムに大人気。

 その名はリカルド。

 渾名は、サンバイザー……『陽光さえ遮りし暗雲サンバイザーのリカルド』その人だ。


「我が雷鳴の一撃……受け止めてみせよ!」


 雲の凝集を呑気な顔で眺めていた『クリムゾン』に、凄まじい電圧の雷電が襲いかかる。落雷の衝撃が砂埃を巻き上げ、『クリムゾン』の赤く輝く鱗が雷光に包まれて行く。

 落雷は長く続いた。放電は激しく、余波が他の冒険者達をも巻き込まんばかりに広がり始める。やがてリカルドが疲弊して落雷を止めるまで、およそ十秒たっぷりはあった。その間凄まじい電撃に身を晒して、これまで生き延びた者はいない。いない筈


「……馬鹿な、無傷だと」


 『クリムゾン』は術師であるリカルドの驚愕する表情を見て、悠々として口角を上げる。全く効き目がない。四人の表情には僅かに動揺が走る。


「リカルド、ボサッとしてんなよっ!」


 続いて前に出たのは『超能力者ウォーリー』。

 彼の持つ特殊な能力は、一概に魔術と説明する事が出来なかった。

 目の前の物体を、意志の力をもって動かす。移動させるだけではない。ねじ曲げる、引き千切る、押しつぶす……全てが思い通り。

 その人知を超えた能力故についたあだ名が『超能力者』。

 絶対の自信を持つその力を、ウォーリーは自在に、気ままに振るう。あらゆる物を問答無用で、理不尽に叩き潰す。ただそれだけで破壊出来ない物はなかったのだ。


「畜生……なんて堅さだ……!」


 ウォーリーの超能力は『クリムゾン』の長い両腕を強引に開かせる事に成功した。ミシミシと関節が鳴り、『クリムゾン』は痛みに叫び声を上げている。

 だが、そこまでだった。

 腕を引き裂く程の力を込めている筈なのに、千切れない。

 最後の一歩に届かない。

 やがてクリムゾンは、まるでつまらないと言いたげに嘆息をして、一気に肘を丸め、超能力による拘束を逆に引き千切った。

 叫び声も、ただのポーズでしかないのか。ウォーリーは歯ぎしりをした。

 まるで遊ばれているようだ。


「『疾風のマリ』、俺に合わせろ!」


 『獣憑きのカイト』が、剣の束を口にくわえると、両腕を地面について、四肢を利用して駆け出した。

 瞬く間に全身が体毛に覆われ、その頭部は獅子と化す。特殊な秘術により獣と化して、人間では有り得ないような速度で駆け抜けるカイト。


「指図される謂れはないけど、精々踊って来なさいな!」


 『疾風のマリ』は、カイトに言われるまでもないとばかりに魔術を行使した。

 水と風の魔術の天才であるマリの祈りに精霊が呼応する。カイトを守るようにその周辺を浮遊しながら追従する、水の『魔術防壁』が生み出された。

 『クリムゾン』は足下に迫り来るカイトに向けて、喜々とした表情で火炎の吐息を履き出す。深紅に輝くその炎は、水の防壁に跳ね返された。

 しかし、マリは唇を噛む。

 魔術防壁が、今の一撃で蒸発しきってしまった。幾重にも重ねかけした強固な防護壁だったはず。並のドラゴンの吐息であれば、何十発受けても耐えられる物の筈だった。


「『獣憑き』! お代わりは要る!?」

「後一枚、足場代わりがあれば十分!」


 カイトは既に飛び上がっている。クリムゾンの眼前に飛び上がったカイトは、自身の背後に新しく展開されていた魔術防壁を蹴って、更に大きく跳躍した。

 剣をくわえて、カイトはクリムゾンに突進する。身体を捻り、剣を振りかぶった。


「くたばりやがれ!」


 カイトの凄まじい速度の突進。しかし、クリムゾンはそれに難なく反応した。

 腕を眼前に構えて防御しようとする。その突進軌道では、カイトの剣戟は防がれてしまう。だが、カイトの目はまだ死んでいない。


「伸びろ、『ガズバン』!」


 くわえていた剣が、カイトの声に反応した。

 途端、強固な刀身が、まるで液体のように歪む。

 『自在剣ガズバン』は、古代の文明の遺物であり、希代の名刀であった。

 加えて、その刀身をある程度自由に変型、伸縮させる力も持っている。

 ガズバンはその刀身を、カイトの意志に従って大きく歪曲させ、『クリムゾン』の腕を搔い潜り、その切っ先を『クリムゾン』の顔面まで伸長させた。


 もらった!


 ガズバンの切っ先は間もなく『クリムゾン』の目に深々と突き刺さる。

 目玉を貫かれてダメージの無い者等いない!

 だが、しかし。


「そんな……」


 ガズバンの切っ先は、確かに『クリムゾン』の目に触れているのだ。

 だが、貫けない。

 あまりにも目玉が

 目は人体、いや、ありとあらゆる生物にとって、鍛える事も不可能な、むき出しの内蔵器官と言って良い。

 いくら『クリムゾン』と言うドラゴンが強固な防御力を誇っていたとしても……目さえも頑丈な生物など、聞いた事が無い。 


 このドラゴン、何かが妙だ。


 唖然とするカイトを、『クリムゾン』はせせら笑った。そしてまるで戯れ付くような喜色の笑みで、大口を上げてカイトの身体に噛み付いた。


「ぐあ……!」


 カイトの左足は、鋭い刃物に切断されたようにあっけなく噛みちぎられた。

 咄嗟に身を捩る事で、急所は回避出来た。しかし、『クリムゾン』は今大きく息を吸い込んでいる。

 このまま焼け死ぬのか。覚悟したその瞬間、カイトは目撃した。

 カイトが左脚を食いちぎられたその瞬間、愛剣ガズバンは彼の口からはなれ、空高く舞い上がっていた。

 そして、今、回転しながら落下してきたガズバン。その落下軌道にいたクリムゾンの頬を掠めた。


「……え?」


 切っ先が頬を掠めた瞬間、クリムゾンが一瞬怯んだ。

 鱗に傷がついている。

 先程は目にさえ突き刺さらなかったのに、鱗は落下する剣の勢いごときで傷ついたのか?

 混乱するカイトは、不意に首筋を掴まれるような感覚を覚えた。

 知っている感覚だった。これは、ウォーリーの超能力。

 ぐい、と強引に引っ張られたカイトの身体は、『クリムゾン』の炎に焼かれる事無く、ウォーリーが受け止めた。

 隣では、リカルドが悔しそうに歯を食いしばっている。


「みんな……撤退だ!」


 一番の実力者であったリカルドが苦渋の決断を下す。


「俺達では……俺達の力では、『クリムゾン』には勝てないッ!」

「馬鹿を言わないで! 私達が止められなきゃ……」

「だとしても……! 今は、ダメだ……!」


 ウォーリーに背負われながら、カイトは最も肉薄したクリムゾンの表情と、その戦闘で感じた違和感を思い出していた。

 先程は目にさえ刺さらなかったガズバンが、何故頬を撫でただけであっさり傷つける事が出来たんだ?

 リカルドの雷魔術、ウォーリーの超能力、自身の急所狙いの一撃、ガズバンの落下による一撃……一体、何が違う?


「クソ、何かある筈なんだ……! でも、何が……!」


 霞んでいく視界の中、カイトは悔しさと激しい痛みに思考を遮られ、それ以上は考えられなかった。

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