15(第1章完). 合議の結果は
エルフの集落では緊急召集が執り行われていた。
集落の中央にある大樹の元、集落の長たる長老は大樹を背にして、根に腰掛けている。その暗澹たる表情は、如何に彼自身が憂鬱であるか、集落の抱える問題が根深いかを語っている。
集落の方針を決定づける議決権は、この集落で権力を持つ長老と、集落の取締役である副長が二名、そして警邏部隊、狩猟隊、農業組合、自警隊のそれぞれの長の七名が握っている。
このうちの半数以上、つまり四名以上が是とすれば、どのような決定であっても是となる。
そのような取り決めで、今日までこの集落は成り立っていた。農作物の配分、狩猟隊の取高、警邏部隊が捕えた外界からの侵入者の処遇、罪人の裁量……それらを全て、七人が決定してきたのだ。
今回の会合から農業組合幹部のカザイーの実娘、マリが狩猟隊の隊長として出席をする。年齢からしてまだ若い、と言う理由で長老達は前狩猟隊隊長を用立ててマリの会合出席を拒んできたが、マリは18歳となり、成人として集落からも認められた。
成人の儀式も先日終えている。であれば、参入を拒む理由もないだろう、と集落の民からの後押しに押し切られてしまった。
大樹を背にする長老と、それに控える副長。そして四人の組織長がそれに相対していた。
この会合で、何を議論するのか。バジリスクの来襲への対応の是非、結果、そして……ダークエルフ、シムリの処遇だ。
「まずは、マリ……体力は戻ったか」
「はい。全く問題なく。以前より良い調子やも知れません」
「ひとまず無事で良かった。この度の御主の仕事ぶり、まさに集落の民を導くにふさわしかろう」
副長の一人が芝居がかった口調でそう言った。マリは恭しく頭を垂れて、言葉を拝領する。その表情は伺えない。長老は戦々恐々としていた。いつだ。この女は、いつ言うのだ。
「ありがとうございます。以後、鋭意勤めさせて頂きたく」
「バジリスクは、無事に退けた。狩猟隊及び警邏部隊の者は、いずれも無傷……間違いないな」
「はい。……ですが」
マリが口を開こうとした時、やおら自警隊長が手を挙げた。顔に僅かに皺が出始めた、まだ若いエルフだった。横目でマリを睨みつけるその目は、まるで宿敵を見るような怒りに満ちていた。
「この件には片がつきました。であれば、これ以上の議論は不要かと」
長老は胸を撫で下ろす。この男は、自分の息子だ。その心は、まだこちら側にあったようだ。
この会合は常に『長老派』対『各組織長』となる。
長老と副長の三人では、組織長四人の意見がまとまった際に退けられなくなる。ならば、必ず一人は組織長に腹心を迎えておかねばならない。
自身の息子を組織長の置く事に疑問を抱く集落の者もいたが、それを面と向かって言う者は居ない。元来エルフは、我を通すと言う事が苦手なのだ。
だから外界に触れたがらない。世界が広がれば、いつか自分達が飲み込まれ、流される事を知っているから。
「少し待って頂こう。マリから、まだ話があると聞いている」
警邏部隊長が手を挙げる。三十代のエルフで、エルフにしては身体が太く、上背も高い。単純に腕っ節が強いだけではなく、状況判断能力に優れており、現場判断で侵入者の処遇も行える責任感のある男……だった。
「そうですね、私もそのように聞いています」
農業組合の長は、嗄れた声で弱々しく呻いた。年はまだ若いが、エルフには珍しく欲の強い男で、この平等主義のエルフの集落で私腹を肥やす事を優先するような男だった。富をちらつかせれば容易に動く。扱いやすい男……だった。
「却下致します。これ以上何を議論する事がありましょう。いくら長命の我々とは言え、時間は無限ではありませんよ」
自警隊長が退ける。大人しく引き下がるか、と期待はあるが、警邏隊長はやおら立ち上がる。
「仮に無駄に終わると判断された暁には、私を罰すればよろしい」
「わ、私めも同じ所存で御座います! いかな罰だろうと受けましょうとも!」
農業組合長まで声を張り上げて反駁した。
二人が横目にマリを見つめる。マリは申し訳なさそうに眉尻を下げつつ、抜け目無く副長に「私からも、是非に。ご報告申し上げたい事が」と深く頭を垂れる。
「……仕方ない、続けなさい」
長老は歯を食いしばるのを我慢しながら、厳かにそう言った。マリの顔が上がる。そこに浮かぶ凶悪な微笑みに含まれているのは、紛れもない殺意だ。
毒婦。
長老に取って、マリは紛れもない毒婦だった。警邏部隊と農業組合は、既にマリの傀儡でしかない。
どのように二人が絡め取られたか、想像するのもおぞましい。
だが、警邏部隊長も農業組合も、マリには個人的な伝手がある。農業組合は実父の所属であり、警邏部隊は自身の所属。
近しい関係になることなど、意志さえあれば雑作もない事だっただろう。
しかし、一方で長老は心の底では安堵していた。
議論がどのように転がろうとも、この会合は、最後には採択を取り、多数決を優先させる。今、マリの派閥には、彼女と農業組合と警邏部隊の3票しかない。長老の側には、副長と自警団長の4票。
今のうちに都合の悪い事案はケリを付けておいた方が良い。
自警隊長の息子は、今でこそ『次期長老』のポスト欲しさに唯々諾々と従っているが、いつかはマリの毒牙にかかりかねない。
焦ったか、マリ。
長老は黙したまま、マリに先を促した。
マリは年相応の可愛らしい微笑みを浮かべてみせた。裏の顔、等と言う言葉がいかにも似つかわしくない程の純粋な笑顔にも見える。
それが何よりも恐ろしい。
「いやはや、お時間を頂戴し、誠に有り難く。しかし、既に皆様ご存知の事、わざわざ小娘の無礼な口調にて再度申し上げる等、新参の分際で恐れ多い事でございます……しからば」
マリの目が喜色に引き絞られる。その視線が、長老から僅かに逸れた。長老は身が震えるのを感じた。
その視線の先に居たのは、長年自分の側近であった副長の一人。
「副長、イムラ殿よりお言葉を賜りたく存じます」
長老は右隣に鎮座していたイムラを凝視した。イムラは、一瞬だけばつの悪そうな表情をするが、すぐに長老を無視し立ち上がる。
顔に刻まれた皺の数は、長老である自分と共に重ねてきた苦労の証。若い頃から信頼を寄せる、唯一無二の腹心だった。
それが、目の前で裏切られた。
「……マリよ、お前の気持ちは分かる。しかし……やはり、思いとどまってはくれまいか……!」
イムラは額に浮かぶ汗を拭いながら、懇願するように言った。
良かった、最後の最後、踏みとどまってくれた。
許そう。結局、議決は是か否か。最後に否を宣言するのであれば、どのような言動があろうと意味をなさないのだ。イムラが震えるような声で言ったのを、マリは「そうですか」と、軽く返事をした。
「そうであれば……例の件は、今後は諦めて頂く他ありませんねぇ……」
「か、代わりの見返りは用意する。だから……」
情けなく狼狽えるイムラを見て、長老は頭を抱えたくなった。裏で取引をしている事は、公然の秘密であるべきだ。たとえこの場の者全てが知っていたとしても。
「代わりなど……であれば私の方も代わりの者……とさせて頂くしか……」
マリはしなをつくって、イムラを見つめていた。唇に触れる指の美しさとその身のしなやかさ、そしてそれに見とれるようにしているイムラを見て、長老は戦慄する。
この女……自分の兄を取り戻す為に、そこまでしたのか……!?
「そ、そんな……!」
マリの言葉を聞いて、途端イムラが豹変した。長老は最早、イムラに嫌悪感しかない。そして、自身の敗北の実感が、足下から迫り上がって来るのを感じる。
イムラは意を決し、開き直ったかのように胸を張り、そして叫んだ。
「この度のバジリスクは、わ、我々が三年前に……愚かにも、ダークエルフとして追放してしまった、シムリの手によって退けられた! そしてバジリスクの毒に犯されたマリの命を救ったのも、シムリである! 彼は我々にはない魔術の才を有し、今後も集落に取って有益になる事に疑いの余地はない。であれば、彼は英雄として再度集落に迎えられるべきである! 私、イムラの名の下に、シムリの集落復帰を提案いたす!」
イムラの声は、震えていた。そこに宿る感情は最早恐怖だ。
それを聞いて、長老はどこか達観したような気分であった。
そうか。イムラ、哀れな老爺よ。
それ程までに、この女に捨てられる事が怖いのか。
年甲斐もなく、自分の孫娘と変わらぬような少女にうつつを抜かし、遂には自身が築き上げてきた地位さえも投げ打ってしまう程に。
長老は肩を落とした。議決を取る必要は最早無い。
こちらは三人。……いや、もう一人の副長も取り込まれているかもしれない。
どちらにせよ、既にこのマリと言う、若干18歳の少女は、この集落は独裁政権を築いてしまっているのだ。
これは、油断だろうか。閉じられたエルフの集落と言う狭い世界で長であり続けた自分に、怠慢があったのだろうか。
これが老いなのだろう。長老は項垂れた。
「……シムリの復帰を認める。マリ、早々に迎えに行っておやりなさい」
「え……? 良いの、ですか……」
当のマリが、長老の言葉を問い直す。
何を言っているのか分からない、と言うより、単に実感が湧いていないのだ。
何もかもを……自身の身も心も時間も、本当に何もかもを捧げて突き進んできたマリは、自身の叶った夢の大きさを、まだ受け入れ切れていないようだった。
マリの表情が、徐々に緩んでいく。わなわなと、身を震わせて、ようやく自分が成し遂げた事を思い知り始めているようだった。
「……仕方の無い子だ」
長老は溜め息混じりの言葉を吐いた。しかしその声色は、全く持って自分でも意外な事に、とても慈愛に満ちた優しいものだった。
長老はやっと気がつく。あぁ、そうだ。自分も、そもそもシムリの集落追放は……。
彼のずんぐりむっくりとした体型と、エルフらしからぬのそのそとした歩みを思い返しながら、長老はやっと思い出したのだ。
自分は集落の民を愛している。それはシムリとて、例外ではなかったのだと。
マリはやがて、深々と。本当に、深々と、頭を下げた。
「本当に……本当に、認めてくれて……ありがとう、ございます……!」
零れる涙を隠す事もせず、震える声を隠す事もせず。
年相応の少女がそこに居た。
顔を上げたマリの笑顔は、本当に弾けるように明るかった。彼女を毒婦に育てたのは、この集落……ともすれば、自分だったのだ。
長老は、自分の中にあった胸のつかえが、やっと取れたような気がしていた。
「……父さん、良いんですか? シムリの復帰は……」
息子にして自警隊の隊長である息子が、遠ざかっていくマリの背を見ながら渋面を作っている。
「これは、正式に議決を取って決まった事……もしこれで我々が滅ぶのであれば、それもまたエルフの宿命だ」
「……全く、老い先短い老人はこれだから」
「ならば、合議制の廃止を提案しなさい」
「それもこの場で話し合うんだろ? ナンセンスだよなぁ」
息子は、砕けた言葉でそう言って、しかし父の意を得たりと微笑んだ。
残念ながら、この時彼らも、マリも知らなかった。
シムリは既に、毒沼を旅立ってしまった事。沼を吹き飛ばした彼がどこに旅立ったのか、その証拠を示す物が何も無い、と言う事。
逸る気持ちを抑えられずに駆け出したマリは、自身が間もなく深い絶望に再び叩き込まれる事を、まだ知らずにいた。
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