第2章 クソ野郎のシムリ(16-29)
16. ここは無限の冒険大陸
およそ百年前、世界の中心大陸の半分を占めるソー国のお抱えの大航海士マックは、大陸の南西側に霧に覆われた大陸を発見した。国に帰ってきたマックは、貴重な鉱石と、見た事もないような魔物の首を船一杯に積み込んで凱旋した。
『私達が『エターナル』をついに滅ぼす未来を見た。あの島には、全てがある』
ソー国は歓喜に包まれ、霧の大陸に艦隊を送り込み、開拓を始めた。
およそ開拓を始めて百年は経つが、まだまだ大陸の全容は見えてこない。
奥地に踏み込めば踏み込む程、新しい魔物が現れ、新しい洞穴から古代の文明が発掘され、新たな鉱脈が見つかる。様々な肌の色、性質を持つ原住民達は、その多くが多くの知恵と恵みをもたらすソー国の開拓民を歓迎し、共存を選んだ。
今日エルフ、オーク、ゴブリンなどと呼ばれる種族の多くは、今やソー国にも多数生活している。
まるで無限に涌き上がる富の採掘と文化の発展に、ソー国はやがて中心大陸の全てを支配するに至った。
その大陸を指す言葉はいくつもある。『希望の島』『異界への門』『世界の宝物庫』などなど……。
ソー国が正式に名付けたその大陸の名前は『無限大陸』。
既に開拓範囲はソー国、即ち中央大陸の半分に至る程であるにも関わらず、まだまだ無限大陸の端は見える事はない。ソー国からは数多の人間が、富と名誉を求め、無限大陸に渡っていた。
青年リカルドは、ソー国の南西に位置する港町の漁師の息子であった。
その港町は、無限大陸への玄関口となっている。無限大陸に向けて出発する荒くれの開拓者達、通称『冒険者』が必ず町に宿泊するので、瞬く間に発展していった。
幼い頃からリカルドは、そんな冒険者に囲まれて生きてきた。彼らの今までの武勇伝、そしてこれからの未来の夢に耳を傾けた。時には巨万の富を手にして大陸に凱旋する冒険者に声援を送る事もあった。
そんな世界に囲まれて育ったリカルドは、当たり前のように冒険者に憧れた。
「魚屋なんて絶対にやるもんか。俺も冒険者になる」
港にかかる桟橋から、大陸のある方角を見つめながら、リカルドは毎晩のように夕日に誓った。
始めは両親も、そんな危険な仕事をする事はないと止めたのだが、毎日のようにモンスターとの戦い方や戦闘魔術の研究をしながら家業の手伝いをするうちにやがて諦めたのか、態度を軟化させた。
リカルドが二十才になった日には、数多の戦闘技能とサバイバル技能を身につけた立派な冒険者となっていた。無限大陸に旅立つ日に、両親が見送りの際に送ってくれた言葉はいつまでも忘れていない。それは、航海士マックの言い残した格言でもあった。
『無限大陸では何だって起こる。良い事も悪い事も。富や名声よりも、まずは命だ』
リカルドは律儀にも父母の言いつけを守り続けていた。
危険な冒険を冒して、希少な鉱石を山ほど持ち帰り、巨万の富を得た同世代の冒険者が居た。モンスターと相打ちになった仲間の遺体を抱え、とうとうソー国に失意のうちに帰っていった冒険者も居た。
周囲がどうであっても、リカルドは自分のペースで、冒険者を細く長く続けていた。他の冒険者から仲間に誘われる事はあっても長続きしなかった。
残念ながらリカルドは早熟だったようで、武芸も魔術も中途半端。実力が伸び悩み、やがて仲間の戦いについていけなくなっていった。
半ば引退したリカルドは冒険者の持ち帰ってきた物品を買い取る仲介業者を始めた。冒険者経験のない商売人では、持ち込まれた物品が如何に貴重なのか分からない。商売経験のない冒険者では、買い取られた額が適正なのか判断ができない。リカルドは貴重な人材となり、多くの町の住人、冒険者から信頼される商人となっていた。
「おう、久しぶりだな。『冒険商人のリカルド』さん?」
長い回想を終えたリカルドは、甲高い声に意識を引き戻された。
ここは、ソー国から渡ってきた開拓者にとっての最初の港町。正式な名前はなく、ただただ冒険者からは『ファースト』の町とだけ呼ばれている。
いつも入り浸っている町の東南の酒場の隅がリカルドの定位置だった。
一人で飲んでいると、大体いつも顔見知りが何かしら理由をつけて寄ってくる。目の前に居る者もそうだった。
「……お? 『火炎小僧のギィ』か。久しぶりだな、ところで……」
リカルドは言いながら、相対する二人を眺めた。
一人は背の低い緑色の肌をした赤髪の少女。汚れた黒のジャンプスーツに身を包むゴブリンのギィ。手に冷えたビールのグラスを二つ持っていた。
ファーストの町では十把一絡げに扱われる、大きな実績のない冒険者の一人だ。ソー国に居た頃は火の魔術師として、用心棒や傭兵で鳴らしていたそうだが、無限大陸にはその手の実力者は山ほどいた。
「こっちのもう一人は?」
もう一人は、ずんぐりむっくりとした大柄の青年だ。金髪で浅黒い肌、お世辞にも眉目秀麗とは言い難い醜さ。衣服は獣の革を繋ぎ合わせたようなボロ布で、微かに不快な匂いのする陰気な青年である。
「こいつはシムリ。自称エルフらしき何かだ」
許可した覚えはないが、ギィとシムリはそのままリカルドのテーブルについた。ギィが手にしていたグラスを、何も言わずにリカルドに差し出す。おごりだ、と言う事だろう。
受け取りを渋るリカルドに、ギィは快活に笑った。
「そうビビらなくてもいいだろうが、酒一杯で無茶頼んだりしねぇよ。アンタに頼みたいブツがある」
「……珍しいな。お前が冒険の成果物なんて持ち込むなんて、いつ以来だ?」
「文句言うのは、コイツを見てからにしな」
そう言いながら、ギィは机の上に手のひら大の赤い果実を取り出した。リカルドは怪訝な顔でギィとシムリを睨みつける。
「……どこでこんなもん拾ってきやがった?」
「お、コイツが何か分かってんのかい?」
「ウルフベリーだろ? エルフの集落の劇物だ。なんでこんなもん……」
「重要のなのは、そこじゃねぇよ! 見てやがれよ……」
ギィは目の前でそれを齧ってみせた。リカルドが唖然とするが、隣のシムリは無反応のままだ。本来ウルフベリーを食えば瞬く間に猛毒に犯され、のたうち回り命を落とす所だ。
ギィは嚥下すると、得意げな顔を再度リカルドに向けた。
「毒は完全に抜かれている。この天才術師様のおかげでな」
「ほぉ……」
感心したリカルドはギィから齧りかけのウルフベリーを受け取ると、ためすがめつ眺めた後、躊躇しながらもかじりついた。
さすが、富豪が命を投げ打ってでも食すと称された究極の果実。確かに美味い。内心では心音が激しく鳴っているが、表面的には平静を装う。ふっかけられてはたまらない。
これは確かに売れる。売れるのは間違いないのだが……。
「いくらで売りたい? 全部でいくつある」
「一つ20万タリ。手持ちは10粒」
「馬鹿言え、役人の初任給超えてるぞ。いいとこ5万だ」
「付加価値を考えろ、リカルド。15万だ、そこまでなら譲歩する」
「なら決裂だ、他に持っていきな」
リカルドは言いながら「ビールごちそうさん」と言いながら立ち上がる。
ギィは難しい顔でうなり声を上げながら逡巡している。追い縋って来るか、とリカルドがゆっくりとその場を立ち去ろうとすると、
「ま、待って下さい」
追い縋ったのはシムリだった。ギィにとっても予想外だったのだろう、焦った表情をしている。
「お、お願いです。買い取って下さい。実は今夜、寝る場所にも困っているんです」
リカルドはシムリとギィを交互に見た。なるほど、シムリが何も口を開かなかったのは、そう言う事か。
この男は、交渉事が致命的にヘタクソなのだ。
「ほ、他の商人さんの所にはもう持っていったんです、で、ででも、みんな信じてくれなくて、なにかトリックだろうって。そ、そんなことは、もちろんありません。でも、品質保証書だ証明書だなんだって、みんなこっち持ちで費用をふっかけてきて。リカルド、さんなら、そう言うの抜きに商売してもらえるって、少し危ないものも上手く捌けるから、アイツなら間違いないって、ギィさんが」
「ちょーっとシムリ君黙ってくれないかなァ!」
慌てたギィが羞恥で赤くなった顔で叫びながらシムリの顔面にドロップキックをぶちかました。倒れたシムリの背中を一度蹴り飛ばしてから、ギィは再度ポーカーフェイスを作ろうとするが、無理しているせいで妙なにやけ顔にしかならない。
子供が無理しやがって、とリカルドは弾けるように笑い声を上げた。
「お前ら揃いも揃って、お笑い芸人やったらいいや! 久しぶりにコントを見たぜ!」
「クッソー、恥ずかしい……」
「あー、俺も油断したぜぇ……笑かしてくれた礼に、腹割って話してやるよ。座りな、ギィ、シムリ」
「お、譲ってくれる? じゃーこっちも譲歩して12万だ」
「俺も儲けを出すとなると、7万よりは出せねぇ……そんで、それにしたって生憎今は、マジで現金がない」
リカルドは言いながら、視線を酒場の中央に投げかけた。
男女4人が、豪勢な料理に囲まれて派手な酒盛りをしている。
4人が4人、筋骨隆々としており、モーニングスターやバスターソードのような大型武器をテーブル下に投げ出している。
浴びるように酒を飲む金髪の女騎士。骨付き肉を骨ごと噛み砕きながら食しているスキンヘッドの中年戦士。シムリの倍ほどもある巨体を持った角の生えた戦士と、酒場の中なのに銀色のフルプレートメイルを着込んだ重装戦士が肩を組んで歌を歌っている。
「なんだありゃ。……バランス悪いな、全員脳筋じゃねぇか」
「脳筋?」
「ひたすらにモンスターに近づいてぶん殴る事しか考えてねぇって顔してんだろ? 脳味噌も筋肉で出来てんだよ、連中」
「最近勢力を伸ばしている『野蛮なボスカ』のパーティさ」
リカルドは少し迷惑そうな顔をしながら言った。
「見ての通り、メンバーは全員が全員、ガチガチの重装備で固めた戦闘集団だ。冒険者のくせに魔術の心得の一つもないような連中だが、その分やつらの頑丈さと腕力は伊達じゃねぇ。リーダーのボスカってのは、あのはげ頭の中年だが、ああ見えて意外とキレる。魔術に頼らない戦い方ってのを心得てるからな。あとはもう少し、品性ってもんを覚えてくれりゃ、俺も気持ちよく商売できるんだけどよ」
リカルドは言いながら、口に煙草をくわえて火をつけた。
「つい数週間前か、奴らが新しいダンジョンを見つけてな。持ち帰ってくる鉱石はソー国での需要がデカいマグタイト鉱石。俺が大枚叩いて買い取った」
膨大な資源を溜め込んだ天然の洞穴や、古代のテクノロジーを有した遺跡は総じて『ダンジョン』と称され、数多の冒険者たちがその発掘作業に従事する。新たなダンジョンが見つかるのは日常茶飯事で、その旨味が大きければ大きいほど、実力のある冒険者にあっという間に攻略されてしまう。
「そんな最近なのか? ……クソ、アタシがあの森に行ってる間にそんなもんが……」
「デカい買い物した直後なんだよ。マグタイトは面白いように高値で売れるんだが、いかんせんソーの本国にいる錬金術師が商売相手だ。現金化まで時間がかかる。数ヶ月間、俺に買取を期待しない方がいいぜ」
「でもよぉ、いくらなんでも5万はないだろ……せめて8万5000!」
「……ついでに仕事の斡旋もしてやる。金に困ってるんだろう? それと合わせて単価5万、50万タリを明日の朝の現金払い。これ以上の譲歩は本当にないぞ」
リカルドはしばしギィと睨み合っていたが、心理戦の天秤は完全にリカルドに傾いていた。ギィはやがて盛大に溜め息を零し「……仕方ねぇか」と零した。
「代わりに、商工会の幹部級を紹介してやる。俺が冒険者を真面目にやってた頃に世話になった人だ。荒事専門で冒険者やってくってんなら、知人のメンバー募集中のパーティの紹介でもいいぞ。丁度腕っこきを集めてる」
「なら、シムリには商工会、アタシには冒険者連中を頼む」
ギィの言葉に、シムリが「えっ!?」と声を上げながら彼女を見下ろした。
「一緒に冒険させてくれるんじゃないんですか!?」
「お前が冒険者するってんなら止めないけど……この仕事は収入不安定だ。しかも怪我も良くある。モンスターから身を護る装備、傷の治療の為の道具、住まいの基盤も作っておく必要がある。ある程度は財布の中を潤わせとかなきゃ、スタートラインにも立てねぇよ。無策で飛び込んで死ぬ程滑稽な事はねぇ」
「……それもそうですが……でも僕、そもそも森の外の生活なんて良く分からないんですが」
「知るかバカ」
ギィは明らかに不機嫌に言い放った。商売が上手くいかなかったせいだろうか。ギィは目を吊り上げて、シムリに指を突きつけながら言った。
「テメェ自身でなんとかしてみろや。宿の手配まではやってやるけど、アタシはお前の恋人でも友人でもねえよ。連れて行ってくれって言ったのはお前だろ?」
グゥの根も出ないシムリだった。確かに、森を出たのは自分の意志。
しからばギィにおんぶにだっこで居る訳にはいかない。彼女にとってお荷物になっていては世話のない話ではないか。ここにはシムリに向けられる偏見がない。本当に一から始める事が出来るのだ。
だったらここで、新生活を頑張るべきなんだ!
「分かりました! お互い、頑張りましょうね!」
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