17.『クソ野郎のシムリ』

「お互い頑張りましょうね……って言ってから、そろそろ二月経つけどよ」


 『ファースト』の町にシムリとギィの二人がやってきてから二ヶ月。

 二人は、リカルドが常駐する酒場『ブレス』で合流した。

 生活基盤は分けている。ウルフベリーの売り上げは折半で、シムリは全くの着の身着のまま。大半は生活基盤の構築で消費されてしまっていた。

 目論見よりも相当薄利となったため、ギィは元手を取り戻すために他の冒険者と組んでいた。町に常駐する事はほぼないため、冒険に出て帰って来る度に宿が変わっていた。

 シムリは家賃節約のため、ここから徒歩数分の、日雇い労働者用の集合住宅に身を寄せていた。規則正しく朝に起き、昼に仕事をし、夜は寝る。かつてに比べ人間らしい生活を送っていた筈のシムリであったが……。


「お前、この二ヶ月何してた……?」


 ビールをあおりながらギィは静かに、怒りを抑えたような震えた声で呟いた。引きつる笑顔の口端で、八重歯がちらりと輝く。シムリはビールジョッキを口元に運ぶ動きを止めて、再びテーブルに戻すと首をすぼめた。


「おい。答えろよ。別に怒鳴ろうってんじゃねえんだから」

「し、仕事していない訳じゃなかったんですよ、もちろん。でも、その……」


 シムリの不器用さ加減と人見知りは、あらゆる仕事において良くない意味で発揮されていた。

 最初は酒場の接客業。汚れを落として、髪を刈り上げて身なりを整えても、シムリの醜さと陰気加減では、客が注文取りを躊躇してしまっていた。

 即刻クビとなり、次は商工ギルドの事務方。だが頭の鈍いシムリでは、計算間違いが頻発。人の仕事を増やしてしまう結果となる。

 一応はエルフと言う触れ込みなので、指先の器用さを期待されて町の手工業関係も手を出してみたが、被服も研磨も調合も出来ない不器用さ加減で、無駄に職歴ばかりが増えていく。


「僕に向いている仕事、と言うのがその、全然なくて……」

「お前が選り好み出来るほど肝の太いやつだとは思ってねぇさ。でもな、世の中自分の才能が活かせる職に就ける方が珍しいんだぜ。もうちょい根気よく続けられる仕事はないのかよ……」


 ギィは失望したと言わんばかりにそう言って、苛立っているのか爪を噛んで唸っている。シムリは申し訳ない気持ちで一杯だった。

 職を転々とするシムリに対して、シムリの紹介元であるリカルドや商工ギルドの職員にも思う所がもちろんある。そしてそう言う面々がギィに文句を言っており、ギィがそれに対して頭を下げてくれている事も、シムリはわかっているのだ。

 ギィも『放蕩者のシムリ』とつるんでいるせいで、冒険者のパーティを組むのに支障が出始めていると風の噂で聞いていた。

 もうなりふり構ってはいられない。

 文字通りなんでもする、と商工ギルドに頼み込んだシムリに、ギルド職員が与えた仕事が、まだ一つだけあった。


「……一つだけ、向いてそうな仕事を二週間前に紹介してもらったんです。それは割と順調、なんですが……」

「お、そうなの? なんだ、少し安心したぜ……で、何の仕事?」

「まぁ、端的に言えば……清掃業、です」

「……ん? ハウスメイドはダメだったろ? 町の清掃員も面接で落とされただろうが」

「いえその……下水清掃員です」


 ギィの動きが固まった。

 下水清掃員は、文字通り『ファースト』の町の下水道の管理と清掃を一手に引き受ける業者である。

 無限大陸にも衛生観念はあるのだが、如何せんあらゆる未知の物質が現れるこの無限大陸では、下水の汚染もソー国本国とは比べ物にならない。単なる糞尿やゴミだけではない、無法な錬金術師などが、未知の廃液を垂れ流ししている事さえある。

 大抵の場合、着任一週間もすれば謎の病原菌による高熱に苛まされ、それで半分がドロップアウトする。それでも続ける者はいるが、二週間もすれば皆心が折れる。職員の入れ替わりが激しい職場だ。

 メリットとしては、学が不要で、非常に金払いが良い事だ。食うに困った貧困冒険者、借金まみれのギャンブラー、刑期を終えた犯罪者などが主な担い手である。


「給料が日払いなので、実は今、結構な小金持になりつつあります……」


 シムリはこの二週間、真面目にこの仕事を続けており、既に職場のエースとして頭角を現し始めていた。あらゆる猛毒に対する強力な耐性を持ちつつ、仮に何かしらの毒物を取り込んでも、バジリスクに与えられた能力で活力に変換出来る。

 毒沼での生活が長かったので、不衛生な環境での活動も慣れているため、パフォーマンスも落ちない。


「今日なんて、上司に『お前がいてくれて本当に……本当に良かった!』なんて言って、泣かれましたよ……」


 解毒の魔術は下水にも効果的で、危険な病原菌の毒素や薬品毒は、他の作業員が来る前に抽出して取り除く事もできた。始めは躊躇があったが、その取り除いた毒をバジリスクの魂が欲するので、体内に吸収すると、不思議な程に元気が湧き出て来た。

 文句も言わずに黙々と仕事をこなすシムリは、下水清掃、他作業員の安全確保、更には病気を発症したものの介抱と、常人の三倍以上の効率で清掃業務をこなした。

 そのおかげでこの二週間、いつもならそろそろ二人は倒れているのにも関わらず、体調不良を起こす者はおらず、シムリは同僚達からは『神』として崇め奉られている。


「人に感謝されるのって嬉しいですよね……でも、ホント僕って……沼とか、下水とか、そう言う不潔な所に縁があるんだなって……。別に、毒沼の生活に不満があった訳じゃないのは、事実ですけど……でも、汚い所にずっと居たいって訳じゃないんですけどね……」

「そ、そうか……」


 ギィは慰めの言葉が思いつかず、何も言えないまま同じく俯いてしまった。

 実は彼女は、丁度この二週間程は、他の冒険者仲間とリカルドの言っていた新しいダンジョンの探索に出ていた。

 たまたまギィとシムリのオフの日が重なったため、だらしがないシムリに説教の一つでもしてやろうとしていたのに。

 改めて見ると、シムリは、二週間前に見た時よりもげっそりとやつれている。それでも不健康に太って見えるのが気の毒だった。


「おう、『クソ野郎のシムリ』じゃねぇか! 飲んでるのはビールか? それとも小便か?」


 柄の悪い赤ら顔の労働者達が、シムリ達のテーブルをすれ違いざまにからかった。それを聞いた周囲の酒飲み客達が下衆な笑い声を上げる。

 ギィが恐る恐るシムリを見つめると、シムリはうつろな表情をギィに向け、長く深い溜め息をついた。吐息も不思議と酒以外の異臭が交じっているように思えて、思わずギィは鳥肌を立てた。


「腕利きの下水清掃員って評判、町に少しずつ広まってるんですよ。同僚の方、良くしてくれるんですが、如何せん声が大きいものですからね。中々、酷い渾名ですよね……」

「……大変、だな」

「この『クソ野郎』って渾名、ただの罵倒じゃないんですよ。文字通りの『糞』の『野郎』だからって理由です。一生懸命に仕事して、毎日毎日、休む事なく汚物の清掃をしていたら、いつの間にやら扱いですよ」


 シムリがビールのジョッキをテーブルに叩き付けた。思いのほか大きい音が出て、思わずギィも肩が跳ねる。


「おかしくないですか? 僕ってそんなにおかしな事してますか? まぁ、それでも僕が必要とされている場所が下水だって言うのなら、甘んじて受け入れますよ。あー、今度オヤツにドブネズミでも食べちゃおうかなー。そしたらどんな渾名になるんですかねー、楽しみだなー」


 乾いた笑い声を上げるシムリが哀れになってきた。ギィは逆に心配になり始めていた。真面目なシムリはこのまま下水清掃員を続けるだろうが、今のままでは心が壊れてしまいかねない。

 気分転換が必要な頃だろう、とギィはジョッキを空にしてから言った。


「丁度良い、お前向けの仕事があるんだ。冒険者案件だったが……お前の能力ならウッテツケーッ! って感じの」

「……なんですか? 危険な仕事なんですか?」

「あぁ、危険だ。な」


 ギィは言いながら、カバンから羊皮紙を取り出す。

 緊急依頼書、と書かれているそれは、冒険者を管理する冒険者ギルドから発行される仕事依頼だった。

 文字が読めないシムリのかわりに、ギィが内容を読み上げる。


「先日新たに発見されたダンジョン『動く金鉱』で、鉱物に端を発する毒ガスが吹き出している。深層での発掘作業が原因と思われるが、毒ガスが入り口付近にまで回って来ている現状、通常の冒険者が調査を行うのはリスクが高い。そこで、魔術による毒ガスの浄化作業を実施する。浄化の魔術に心得のある者は集え。報奨は出来高+日当3万タリ」

「毒ガスの浄化……」

「解毒の魔術は物質から毒物を抽出する魔術で、毒ガス除去には向いてない。だが、お前の魔力なら十分やってける。ちなみに、最近噂の新しいダンジョンってのはこの『動く金鉱』の事だ。『野蛮なボスカ』の連中が先陣切って攻略してる」


 言いながらギィが酒場の中央に視線を投げ掛ける。

 町に来たばかりの頃にもいた、柄の悪く、えらく体格のいい四人組が、相変わらず酒場の喧噪を飲み込まんばかりの大声で騒いでいた。どこから連れてきたのか、殆ど下着姿の若い女性達を侍らせて、さながらその一角だけがキャバレーのようである。


 リーダーの『野蛮なボスカ』はギィの視線に気づいたようで、歯を見せるような嫌らしい笑みを浮かべてこちらを見ている。

 立ち上がると、その偉丈夫っぷりが際立つ。身に纏った麻製の衣服の下に浮かび上がる分厚い胸板と、見上げるような長身。

 綺麗に剃り上げたつるつるの坊主頭に、酒場の明かりが眩く反射した。

 そしてそれがどんどんと近づいて来る。動揺するシムリをよそに、ギィは酒場の椅子の上に立ち上がって腕組みをした。


「ガキが酒飲んでやがると思ったら、『丁稚のギィ』に『ウンコのシムリ』じゃねぇか!」


 ボスカの酒焼けしたしゃがれた声が響き渡ると、周囲の喧噪が嘘のように静まり返った。

 哀れむような視線がギィとシムリに集まる。

 シムリが『クソ野郎ですよ……』と低くうなり声を上げるが、聞こえていないようだった。

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