18.『野蛮なボスカ』

 目の前に立ちはだかるはげ頭を、ギィは体格差も物ともせず強気に睨みつけていた。


「お前らみたいなガキとゲテモノ食いに酒の美味さが分かるのか?」

「そりゃアタシの台詞だ。毎日毎日、金にあかせて、娼婦のケツ触りながら高い酒をガブ飲みして、お前こそ味分かってんのか?」

「味なんて知らねぇ! だが、周りの連中が俺を羨ましそうに見る目がたまらねぇんだよ!」

「な、なんて勿体ない……」

「馬鹿野郎! 本物の冒険者は宵越しの金なんざ持たねぇのさ! 金なんざ、どうせいくらでも手に入るからなぁ!」


 赤ら顔のボスカは既に相当酔っているようで、酒臭い息を吐き出しながら周囲を見回しながら大声で言った。

 『野蛮なボスカ』は新しいダンジョン『動く金鉱』で目覚ましい成果を上げていた。大量の鉱石を持ち帰り、商工ギルドから依頼されたダンジョン内のモンスター討伐も抜群の成績でこなし、坑道の地図も彼らの手によって整備されているのだ。

 今や『動く金鉱』で坑夫達が業務に従事出来るのは、彼とその仲間達による所が大きい。偉大な功績と巨万の富を手にしつつも、どこまでも品性に欠ける彼らに、周囲の冒険者達は羨望と軽蔑の交じった複雑な視線を向ける。


「どうもあの忌々しい毒ガスの話をしてるのが聞こえてなぁ。下水清掃専門のクソ野郎が、この俺達の為にショボい日銭で頑張ってくれるってんなら、ありがたい限りだ。……あぁ? なんか言ったか?」


 ボスカはやおらシムリの首根っこを掴むと、思い切り引き上げた。

 シムリはボスカの怪力に驚く間もなく宙ぶらりんになっていた。

 それ以上に、ボスカが何を言っているのか分からない。本当に、特に何も言っていないのだから。鼻先がくっつきそうになるくらいの至近距離から、ボスカの血走った三白眼がシムリを憎々しげに睨め付けていた。


「な、何も言ってませんよ!」

「嘘をつけ! 確かに聞いたぞ、『その臭ぇ口塞げよ蛮族出身の肉だるまが』って言っただろう!」

「ギィさん!?」

「躊躇いも無く真っ先にアタシを疑うな!」


 ギィが加えて何か言いかけるも、聞こえなかった。シムリはボスカに頬を思い切りビンタされて、隣の席まで吹っ飛んだ。派手な音を立てながらグラスや料理をぶちまけながら、シムリは視界が霞むのを自覚した。

 たかが一発のビンタで、ここまでダメージがあるとは。見せかけの筋力ではないようだ。


「いいか、覚えておけ『クソ野郎』! 『動く金鉱』を制覇した暁にゃ、俺はこの町丸ごと買い取ってやるからな! お前のような腹の立つ木っ端野郎は真っ先に追放してやるから、覚悟してやがれっ!」


 言いたい事を言い切ったらしいボスカは、肩を怒らせながら鼻息荒く戻って行く。周囲の冒険者達は怯えたような顔をしながら「大丈夫?」「怪我はないか?」と優しく声をかけてくれる。

 幸い、残るような怪我はなかったが、服が料理と酒まみれで気持ち悪い。

 大丈夫ですよ、すみません。シムリは低姿勢で隣席のテーブルを片付け終えてから、ギィのところへ戻った。

 喧嘩はシムリの一方的な負け。決着がついたと見たのか、周囲の喧噪も元に戻っていた。店員も誰も、喧嘩を止めに来ない。この程度の諍いは日常茶飯事だと言わんばかりだ。


「なんなんですか、今の。思いっ切り言いがかりじゃないですか」

「ボスカは控えめに言って『想像力が豊か』なんだよ」


 からかうように言ったギィは、シムリの怪我の心配なぞはなからしていないようだった。


「ソー国の端っこにある蛮族の出身でな。野望はあっても学はなかった。事あるごとに馬鹿にされてきた奴さ。だから、周辺への劣等感が半端ねぇし、今でも周りの奴ら全員が自分を馬鹿にしていると妄想してる。それを見返す為に必死乞いて鍛えて、無茶な冒険も突っ込んでく。自分の成果を見せびらかして、やっと自分を保ててるんだよ」

「……さっきの、臭ぇ口塞げよ、とか言うのは?」

「いつか誰かに言われた悪口が、頭ン中でリフレインしてるんだってよ。あの手の狂人にはたまにある。今でこそその暴れっぷりから『野蛮なボスカ』なんて言われてるが、昔は『被害妄想のボスカ』なんて渾名だったな」


 自分と同レベルに酷い渾名だ。ふと、シムリは疑問を浮かべる。あまりにも当然のように話すので、今まで口を挟めなかった事だ。


「でも、みんな何でそうやって、丁稚とか、野蛮とか、渾名付けたがるんです?」

「だってそっちの方が格好いいじゃん」


 平然と言ってのけるギィを怪訝な目で見つめるシムリ。ギィはからからと笑いながら、「半分は冗談だよ」と言った。


「実際は識別の為、だな。ギィとかシムリなんて名前は珍しいけど、例えばリカルド、なんて名前は無限大陸にも5人はいるだろう。ファミリーネームで分けりゃいいって言っても、馬鹿ばっかのこの大陸じゃ覚えられる奴の方が少ないし、訳あって名乗らん奴も多い。他の同じ名前の奴と混合しねぇように、仕事とか見た目とかで特徴づけて渾名を付けるのさ。アタシが知ってる限り、リカルドだけでも『大石斧のリカルド』と『冒険商人のリカルド』と『三杯酢のリカルド』がいる」

「『三杯酢のリカルド』!?」

「美味い飯屋やってる奴がいてな。あぁ、あと名前だけは紛らわしいけど、『サンバイザーのリカルド』もいる」

「『サンバイザー』!?」


 余程サンバイザーが似合う男だったのだろう。

 ギィの冗談めかした顔を見ていると、本当か嘘かは分からなかった。


「……ともかく、無限大陸にはそう言う渾名の文化があるんだよ。逆に渾名がつけば、いよいよお前もこの無限大陸の住人として認知されたって訳だ」

「それで『クソ野郎』じゃシャレにならないです……」

「まぁ、そう腐るなよ。実際の所、アイツらもこの毒ガス浄化作戦の成否は気になってんのさ」


 言いながらギィは、再びギルドの依頼書をひらひらとさせてみた。

 『動く金鉱』の毒ガス浄化作戦。改めて、野蛮なボスカのパーティメンバーを遠巻きに見やる。全員が全員重装備で、魔術の心得はない。恐らく毒ガスを回避して探索を進める事も出来ないだろう。


「続々と魔術師やら錬金術師やらに声がかかっているが、熟練の連中にとっては報酬が美味くないから、集まりが悪い。実のところ、この作戦が完了しない限り、ボスカ達は動く金鉱に手が出せねぇ。アイツらも焦ってんのさ」

「なら、皆でボイコットした方が良いのでは?」


 ふてくされるシムリ。このまま放置していれば、ボスカ達の横暴も鳴りを潜めるのではないか、と期待がある。恐らく周囲も同調するのではないか。

 しかしギィは首を横に振る。


「お前の気持ちも分かるけどよ、実際この『動く金鉱』はこの町に取って重要な財源になり得るダンジョンなんだよ。だから、お前もこれに乗っかれ。下水の掃除よりは刺激になるだろ」

「いやいや、今の僕はしがない清掃業者ですよ? いきなりそんなモンスターが蔓延るようなダンジョンに入って大丈夫なんですかね……」

「バジリスク殺しが今更何言ってんだか……」


 ギィは依頼書をシムリに投げて寄越した。


「遅かれ早かれ、冒険者としてやってくなら、その流儀は実地で経験しとけ。それにこの案件は、ギルドがお触れを出してる案件。そうそう心配する事も起こらない。アタシもついてってやる。ちょっとした気分転換と、早めのボーナスだと思っとけ」

「うぅ……まぁ、そこまで言うのであれば……」


 シムリは不安を覚えつつも、一方で心躍る自分がいるのも自覚していた。

 折角町に出てきたのだ。色んな事をやってみたい。ドキドキする冒険だって、してみたい。

 シムリはビールをお代わりした。酒を飲むのは久しぶりだった。

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