14. これからどうする?

 その夜、シムリとギィは祝杯をあげていた。

 ぶかぶかの頭陀袋に入ったウルフベリーは僅か数粒。その全てが既に毒抜きまで完了しているのだが、それすらも今夜の祝杯に消えてしまうかもしれなかった。

 毒の抜けたウルフベリーを久しぶりに味わうシムリ。思わず食べ尽くしてしまいたくなるくらいの危険な旨味は健在だった。隣のギィに至っては、涙を流しながらウルフベリーを噛み締めている。「この世にこんな美味いものがあるなんて!」と叫ぶ程だ。

 わずかばかりの残っていた酒で流し込むと、ギィはとろけた顔でだらしなく微笑んでいる。


「ウルフベリーはバジリスクに殆ど食い尽くされちまってるし、ドラゴンの件じゃ一悶着あったが……ま、生きててよかったぁ」

「まだ言ってるんですか。マリも無事に回復したんだし、良かったじゃないですか」


 ウルフベリーは既にバジリスクにほぼ全て食い尽くされていた。残った僅かな数粒のみでは、稼ぎもたかが知れているだろう。

 傷ついたマリは、シムリの再生術により無事に回復した。

 目を覚ました彼女は、ギィを不審そうに見ていたが、助けてもらった礼を言うが早いか、颯爽と集落に帰っていった。急ぎ状況の報告に走らねばならないのだそうだ。


「お前の妹、えらく突っ慳貪だったな。アタシが警戒されてたんかね?」

「エルフは基本的に人見知りですからね」

「何にせよ、集落復帰おめでとう、だな。集落最重要人物の命を救って、怪物退治も請け負った訳だぜ。ここまでやりゃ、英雄様で間違いねぇだろ」


 ギィは楽観的に考えているようだが、シムリの顔色は晴れなかった。そのシムリの様子を不審に思ったのか、ギィは首を傾げたが、努めて明るい声を上げた。


「さてと、このウルフベリー、どうするよ。売っぱらうか、今食っちまうか?」

「乾燥させるとか、ジャムにするとか……調理法の研究もしてみたいですけどね」

「まぁケチケチ悩む必要はないわな。ウルフベリーの群生地は分かった訳だし、この毒沼もすっかり綺麗になったから、来るのも帰るのも楽になった。また時期が来たら収穫にくれば良い。お前さえいりゃ、その価値は十分ある」


 言いながら、ギィはかつて毒沼であった清浄な湖に浮かぶ月を見ながら、溜め息を零す。毒ドラゴンの遺骸が消え失せた影響か、森は瞬く間に、文字通り毒気を抜かれ、かつての清浄な森の姿を取り戻していた。


「折角の解毒の魔術も、こんだけ綺麗になっちまえば、もう無意味だな」


 ギィはおどけながらも、そんな言葉を口にする。しかし、シムリはやんわりと首を横に振った。


「そうでもありませんよ。きっとこれからも役に立ちます」

「ウルフベリーの解毒って言う大事な仕事が、な! ははは!」

「ギィさん、話しておくべき事があります」


 シムリは改まって、呟いた。ギィが丸い目を向けてきょとんとしている。シムリは酒を一口煽ってから、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「僕を、貴方の旅に連れて行ってくれませんか?」

「……は? 何言ってんだ?」

「この森を、出て行きます。明日にでも。集落には戻りません」


 シムリの言葉に、ギィは呆れたように頭を抱えた。


「いくらなんでもそこまでトンチンカンな事言うとは思わなかったぜ。何でだよ、集落に戻ればお前には圧倒的な地位と権力が約束されてるんだぜ。医者としても重宝されるだろうし、ウルフベリーの販売仲介、お前が居なきゃ誰がやんだ?」


 ギィはやがて、合点がいったとばかりに手を打った。


「……あ、もしかしてウルフベリーの売り上げアタシが一人でガメるんじゃねぇかって疑ってんのか? いくらアタシがアコギでケチでも、そんな事しねぇよ。しっかり売り上げ分のはエルフの集落にも還元してやるし……」

「ギィさん、貴方には分からないんですよ。僕がどうして追放されたのか」

「いやだから、お前が『フィーンド』だとか言う根も葉もない噂のせいなんだろ? お前の功績はそんなチャチい噂ぐらい消し飛ばす程のもんだろうが」

「それは、外の常識かもしれませんが、エルフの集落では違います。彼らにとって、僕は『エターナル』の『フィーンド』なんですよ」


 エルフは閉鎖的で、保守的だ。

 恐らく最初は、英雄として迎え入れられるだろう。マリも喜ぶだろう。だが、それは月日を経れば風化する。いずれにせよシムリはエルフとしては生きられないのだ。

 そうなってしまえば、シムリはまたしても迫害を受ける。ウルフベリーの収穫だって、結局はシムリにしか出来ないのだ。エルフには『邪悪な果実から生まれた偽りの富』のように映るだろう。

 最悪、バジリスクを殺せる化け物だと恐れられれば、いっそう酷い目に遭わされるかもしれない。


「だとしても、ここに一人で生活する事はできるじゃねぇか。折角森が綺麗になったんだから、今よりはマシに生きられるだろ?」

「違うんです……ここは、ここが毒沼だったから僕の安住の地になったんです。こうまで綺麗になってしまったら、きっとエルフはここにまで集落の範囲を広げてくるでしょう。そうでなくても、狩り場として利用するようになる。僕はもう、この森での居場所を失ってしまったんです……」

「だとしても、なんでアタシなんかと」

「貴方に、憧れたんです」


 シムリはギィの目を真っすぐに見つめて、正直に言った。ギィは目を細めて、「何言ってるんだコイツは」と言わんばかりに眉間に皺を寄せる。


「ここに住めなくなる……と言うのも、本当です。でも昨日、ギィさんに会って……目が覚めた気がするんです。ギィさんは、自分の生まれたルーツを探る為に不安定な冒険者稼業をやっている。自分の目標を持って、自分のアイデンティティに疑問を持って、それを探ろうとしている」


 シムリは握り拳を振るわせていた。これ程までの強い情動を、シムリは未だかつて感じた事が無かった。どれだけ悔しくても、辛くても、それは後悔とは違う何か別の感情だった。仕方ない、と諦めることが出来てしまった。


「でも僕は……僕は、この三年。何にもしなかった。ただ、この毒沼に孤独に囲まれて……それが人生だと思った。でも、違うんです!」


 シムリは、自分の世界が見る間に広がっていくのを感じていた。

 この毒沼が窮屈に思える程に。エルフの集落さえ退屈で狭い世界に思える程に。毒沼が消えて、自分の力を知って、自分がかえって何者か分からなくなって……もうここに留まる事は出来ない。そして留まる事に、我慢が出来ない。

 何も知らぬまま老いて死んでいく事に、耐えられない。


「僕も、自分が何者なのか、まるで分からない……今までは、それに疑問を持たないようにしてきた。でも僕は普通じゃない! 単なるエルフでも、それ以外でもない! でもきっと、何か特別奇妙な運命によって生まれたのだと言う、確信があるっ! ならそれが何なのかを知りたい! ギィさん、お願いだ! 僕を、旅に連れて行って下さい! きっと今じゃなきゃ、今旅に出られなければ……もう僕は、死ぬまで何も変われないッ!」


 シムリは必死にギィに叫んだ。ギィは全てを聞き入れて、しばし熟考した。

 一体どのような思考を辿ったのか、シムリには分からない。それでもギィは、最後に「あーあ」と言いながら天を仰ぎ見た。


「……んな怒鳴らなくたって聞こえてるよ。そんなに必死にお願いされちゃ、放っておくのも夢見が悪ぃや」

「すみません、こんな……僕に出来る事と言えば、解毒と再生と鎮魂の魔術くらいですが……」


 言いながら、シムリの言葉尻が小さくなっていく。ずんぐりむっくりとした見た目の割に、肝っ玉の小さい男だった。ギィが逡巡したのは、実際はほんの一瞬であった。即答するのは妙に気恥ずかしく思えたのだ。

 奇特な奴だが、この男と……この男の持つ力は、組んで損する事はない。

 それに、彼の気持ちはよく分かる。だから、ギィは悪い気がしていなかった。


「……荷物持ち、も追加だ」


 クスリ、とひとつ微笑んでみせたギィ。シムリは今にも泣きそうな顔で、ギィの手を両手で握り締めて、深く頭を下げた。


「あ、ありがとうございます!」

「……ったく、そんなにアタシについてきたいとはねぇ。まさか、アタシに惚れたのか?」

「……僕はその、年上派なので……」

「アホ、冗談だよ。……でも、良いぜ。一緒に来い、シムリ。ウルフベリーがなくたって、お前はまだまだ、金のなる木だ」


 ギィがほだされたのは、シムリの言葉の熱心さや損得勘定ではなく、その目端に浮かぶ涙だったが、ギィはそれは言わなかった。

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