13. 魂の融合

 見上げんばかりのドラゴンは、深緑色の鱗に包まれた怪物であった。

 角が折れ、牙が欠け、翼膜も破けたようなみすぼらしい姿で、それでも黄色に爛々と輝く瞳に、獰猛な気性と理知を備えている。

 油断するとこちらが気圧されてしまいそうな威圧感があった。


『……この地に、長らく迷惑をかけてしまったようだ』


 青く光るドラゴンが、溜め息混じりにそう零した。


『争いに破れ、この地に落ち延び傷を癒しているうちに心も療養出来ようと自身に言い聞かせてきたが……。情けなくも、ついぞ心に残る恨みつらみを払拭できなかった』

「……ですが、それは貴方の意志ではない。何よりも、あっさりと鎮魂を受け入れてくれた、貴方自身の魂がその証明だ」

『貴君の声は心に沁みる。きっと、相当に高名な術師なのだろう。その一助として、私の朽ちた身が役立ったと言うのならば、それもまた良き事』


 ドラゴンの遺骸を爆弾扱いして吹き飛ばしたのはバレているようだった。シムリは気まずくて頭を下げる。


「すみません……体よく利用させてもらったような感じになっちゃって……」

『人は私達の鱗を剥いだり牙を抜いたりして、武具に転じたものだ。今更何も思う所など無い』


 さて、とドラゴンがふと天を仰いだ。


『行かねば。貴君に深い感謝を。恩に報いる対価を示したいが……最早分け与える力も、私の鱗もない。それでも、何か欲しい物はあるか? 知恵の一つでも授けてやろう』


 思わぬ申し出にシムリは惚けたが、今の今まで背に隠れていたギィは「来た来た来たっ!」と大はしゃぎでシムリの前に躍り出た。


「ドラゴンってのは義理を重んじる性格で、恩には必ず報いてくれるんだよ! シムリ、聞き出すのは宝の在処だ! ドラゴンってのは必ず、価値ある物を自分の住処に溜め込んでる! すげぇよシムリ、やっぱお前を見込んだアタシの目に狂いはなかった! まさかこんな早く大金持ちに」

『生憎と、住処は追われてしまっていてな。宝なぞないよ』


 呆れたように笑うドラゴン。ギィは不満げに頬を膨らませているが、ない物は仕方ない。シムリは口を尖らせて文句を言い出しそうなギィの口を手で塞ぎながら言った。


「私の妹が、バジリスクの毒に犯され苦しんでいます。私には解毒の心得はありますが、一度毒に犯された身体を癒す術を知りません。彼女の体力を回復させる魔術を、授けて下さいませんか?」


 ギィが目を剥いてシムリの指に噛み付き、拘束を逃れると、耳元で甲高い怒声を上げた。


「バッカ! あのエルフはもう大丈夫だよ! それにエルフの得意な魔術は風と水の魔術! 傷の治療なんて、水の魔術の基本だろうが! 今更そんなん貰っても!」

「しかし、僕にはその魔術は使えませんから……」

「だから、別にてめぇがそれをする必要なんて無いって言ってんだよ! 分かったら早く取り下げ」

『……清き者、シムリよ。今しがた、我が知恵を貴君の脳裏に刻み付けた』


 ドラゴンが恭しく告げた。シムリは笑みを浮かべ、ギィは呆然とする。


『そこのゴブリンの言う水の魔術、精霊に忌み嫌われる貴君に扱う事等出来るはずもない。故に、貴君に授けるは邪法の類いがふさわしかろう。傷を直接塞ぐのではなく、魂の活性により身体の再生を促す魔術だ。再生術、と呼ばれるものよ』

「ありがとうございます!」

「ま、待ってくれドラゴン! 今の無ーし! ノーカン、撤回、取り消し!」

『そうは言っても、既に授けてしまったものは仕方ない。シムリも満足行っているようだ。残念だったな、ゴブリン』


 ドラゴンは大仰に笑いながら、背中の翼を大きく広げた。

 改めて見上げると、山のように巨大だ。そして『さらば!』と威厳たっぷりに言い放つと、脇目も振らず空に消えていく。ギィは追い縋らんばかりに手を空に翳していたが、やがて諦めたように項垂れると、シムリに一発拳骨を見舞った。


「このノロマ! 薄らバカ! てめぇの回転の遅いオツムは何にも分かってない! ドラゴンの知恵なら、もっと凄い魔術だってあったろうが! 未来予知、遠隔透視、広域攻撃魔術に絶対の防御魔術! 戦う事が出来りゃ、戦争に開拓に引っ張りだこ、未来予知も遠隔透視も、とんでもない金の種になるんだぞ!」

「そんな魔術持ってても、僕には使いこなせませんよ」

「使いこなせるっつーの! お前はまだ魔術使い始めたばかりだから分からんのかもしれないが、お前の持つ魔力の量なら、全然」

「そう言う事じゃなくて……正しい用途で使いこなせないだろう、って事ですよ」


 あまりに強大な魔術を手にした所で、それを使って商売をすれば、トラブルに巻き込まれるのは目に見えている。金に汚い友人も居る事だし、と言う言葉をシムリは飲み込んだ。これ以上ギィを怒らせるのも得策ではないだろう。


「それよりも、ほら。折角、もうお一方待って下さってるんですから……」

「もう一方ぁ……?」


 ドラゴンが飛び去った後で、全身を同じく青い光に包まれた、黄色と紫の縞模様のバジリスクが、こちらを気まずそうに見つめていた。

 ドラゴンの鎮魂による爆発に巻き込まれ死したバジリスクの魂が、そのまま鎮魂術にも巻き込まれていたのだろう。


『……意外そうな顔してますね、そのゴブリンさん』


 丁寧で優しいバジリスクの凛とした声が響く。


「……アタシ達が殺したってのに、襲って来ないんだな」

『これも生存競争に敗北した結果。こうなってしまった以上は、是非もございません』


 バジリスクは言いながら、シムリとギィに這い寄り、グッと頭を突き出した。


『……どうしたのですか? この私めの頭を、撫でて下さいませんの?』

「は?」


 特級に危険な怪物が何を言っているんだ、と尻込むギィに対して、シムリは言われるがままに手を伸ばす。

 噛まれるぞ、と言うギィの忠言とは裏腹にバジリスクは大人しくしている。頭をゆっくりと撫でる。バジリスクは穏やかにその赤い目を瞑り、しばしその手に身を委ねるようにしていた。

 バジリスクが既に魂だけの存在となったからだろうか。その手を伝って、バジリスクの感情がシムリに流れ込んできた。シムリが最初に感じたのは、圧倒的な孤独感。そして飢え、悲しみ、正体の分からない焦燥感。

 バジリスクは、生物との繋がりを求めていたのだ。

 皮肉な事に、それは自身の死をもって初めて手に入れる事が出来たのだ。


『あぁ……これで、私も自身がこの世に生きていたのだと言う実感が得られたように思えます』

「それは何よりです。……大変でしたね、せめて、安らかにお休みください」

『ありがとうございました。この私からも、わずかばかりではありますが、恩に報いましょう』


 バジリスクは強い輝きを放つと、光の塊になる。しかし天には昇らずに、その光はシムリの身体を包み込んだ。

 光はシムリの身体の中にどんどん吸収されていき、最後には見えなくなった。シムリは不思議な力の高まりを感じた。まるで、自分ではない何かに成長したような気分だ。


『私の魂は、まだ天への帰還を望みません。貴方様の力になりたいのです』

「力になるって……うぅ、頭の中から声がしてる……」

『私の力を貴方に与えます。あらゆる毒を喰らい、自身の糧とする力……きっと役に立つ事でしょう』

「そ、そうですかね……」

『私の魂は貴方の魂と間もなく同化していきます。私の声は聞こえなくなりましょうが、常に貴方に付き従う者の事を、どうか覚えておいて下さい』


 バジリスクの声は、それきり聞こえなくなった。単に黙ったのか、もう既に同化してしまったのか。

 これも鎮魂術の一種なのだろうか。視線でギィに訴えかけると、ギィは首を横に振った。前代未聞、とでも言いたげだった。


「変なもん抱え込んだな、お前」

「まぁ、それほど悪い気分でもありませんし……今は早く、マリを助けてあげましょう」


 言うが早いか、シムリはギィが通ってきた逃げ道を駆け戻っていく。

 ギィは、それを追いかけた。シムリの足取りは、明らかに以前より軽快になっている。これが、バジリスクの魂が同化したことによるものか。ギィはなるほど、と納得した。

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