12. 間違った魔術の使い方
バジリスクがこちらを睨みつけ、背を追ってきたのを確認したギィは、脇目も振らずに駆け出していた。
「シムリの野郎……なんだってこんな危険な目に遭うのがアタシの方なんだよ!」
シムリは自身の策とやらの為に、別の場所に待機している。ギィは、その場所にまでバジリスクをおびき寄せる役を押し付けられていた。俊敏さにかけてギィはシムリよりも遥かに上回っている。彼女が囮役なのは、それだけの理由だった。
アイツ、まさかそれで一人だけ安全にバックレようってんじゃねぇだろうな。
もしそうだったら、死んでも道連れにしてやる!
ギィは毒づきながらも、きっちりシムリの言われた通り、律儀にバジリスクを挑発しながら逃げ惑っていた。
背後を確認すると、段々とバジリスクとの距離が縮まってきている。足場の悪い沼地では、どうしたって足がもつれる。転びそうになる度に、口の中が緊張で一段と乾くのを感じる。
バジリスクの真っ赤な双眸には、伝承のような見た者を石に変えるような力はない。だが恐ろしさにすくみ上がるのには十分だろう。未だに全力で逃げ惑えている自分を、ギィは内心で誉め称えていた。
「やべぇ……! くそ、頼むぞシムリ……」
ギィがひたすらに走って向かったのは、シムリの住処の近くにある深い毒沼である。そこでなら勝ち目があるかもしれない。ギィは賭けに乗ってしまった以上、彼を信じるしか道がないのだ。
「よし……! ついたぞ、シムリーっ!」
叫びながらギィは、自身のポケットから潰れた一つの果実を取り出すと、思い切り、目の前に広がる巨大な毒沼の中心に向けて放り投げた。
バジリスクが夢中でウルフベリーの群生地で果実を喰らい尽くしている間に、こっそりと散らばっていた食べカスから、大きめの物を拾っていたのだ。ウルフベリーの欠片は綺麗な放物線を描きながら、毒沼の中心近い所で着水した。
バジリスクの視線がギィから逸れて、その果実を捕えた。ギィは無視して、バジリスクはその果実……ウルフベリーに意識を向け、沼地に飛び行った。
読み通りだった。バジリスクは毒を求める習性がある。ならばウルフベリーの猛毒に目がない。ギィが鬱陶しかろうと、ウルフベリーを求める本能には抗えない。
難なく毒沼を泳いで行くバジリスクは、間もなくウルフベリーに辿り着く。
「ありがとう、ギィさん!」
シムリの声は、樹上から響いた。ギィは慌てて樹を上り、シムリに合流した。そうしろ、と段取りが決まっていた。
「ギィさん……実はこの辺りは、森の中でも特別美しい森だったようですよ」
「……今じゃヘドロと毒沼の肥だめだけどな。どうしてこうなったんだ?」
「その昔、猛毒を持つドラゴンがここを根城にしていたようです。やがてそのドラゴンの持つ毒は環境にさえ影響を与えてしまった。そしてそのドラゴンは、最後には自分の毒に犯されて死んでいきました」
「……見てきたように言うじゃねぇか」
「知っていますか? エルフは長寿なんですよ」
ギョッとするギィに、シムリは苦笑いをした。ほんの冗談ですよ、と言いながら。
「魔術の才能……鎮魂術、でしたっけ? それに気づいてから、この毒沼の下に渦巻く強烈な怨念が初めて認識出来ました」
「……その怨念は死んだドラゴンのものだってか?」
頷いたシムリ。ギィの脳裏によぎる、昨日の晩餐での光景。そして合点が行った。シムリが何をしようとしているのか。
丁度バジリスクがウルフベリーに噛み付いた瞬間だった。
沼全体が、青い光に包まれる。やがてそれは森全体に行き渡り、まるで世の全てが燐光に包まれたような錯覚に陥る程だ。やがてやってくる衝撃に備え、ギィはシムリの背にしがみつき、シムリの正気を疑う。
「お前! こんな事してアタシら無事でいられんだろうな!」
「……精々、祈りましょう」
シムリは焦る様子も慌てる様子もなく、人ごとのように言い放った。
コイツ、こんなすっとぼけたノロマのくせに、やる事ぶっ飛んでやがる。ギィはシムリと組んだ事を少しだけ後悔した。
「……来ますよ!」
青い光が強くなり、ギィは目を開けていられず渋面を作りながら顔を俯けた。
昨日シムリは、鎮魂の魔術に目覚めた。食事に供された鹿の魂を見事天に返し、その亡骸は青い光を放ちながら、衝撃を伴う爆発を起こした。
『鎮魂』などと言う厳かなものではない。死によって蓄積される怨念を、正の魔力で強引に引き剥がす。渦巻く負の魔力を正の魔力に反転させ、無軌道に発散させる。
ここに淀むドラゴンの怨念。沼の底に沈んでいるだろう、朽ちた亡骸。それがシムリの鎮魂術により天に還されるならば、どうなってしまうのか。シムリにとっては、超特級の地雷がこの沼に眠っているのと同じ事。そしてバジリスクは、今まさにその爆心地に居た。
「さぁ……古代のドラゴンさん! 今こそその怨念、発散させる時ですよ!」
次の瞬間。
シムリとギィは、そろって世界がひっくり返ったような錯覚を覚えた。耳が痛くなるような轟音が森を包み込む。
瞼を閉じていても尚目を覆う強い光に、思わずシムリも顔を背けた。
それがどれだけ続いたろうか。音が消え、光もなくなった頃、まるで滝かと思う程の雨が降り注いだ。
恐る恐る目を開けるシムリは、安堵の溜め息を零した。衝撃に備えて、一帯の中で一番太い樹木の背に隠れていたのだ。
沼の水は衝撃により持ち上げられ、今、雨として降り注いでいた。不思議とその水は清浄で、シムリとギィの身体を洗い流すようだった。
地は穿たれ、細い樹木はなぎ倒されている。それでも、毒沼全体を覆っていた陰気な気配はみじんも感じられなくなっていた。
まるで差し込む陽光すら性質を替えてしまったかのような代わり映えに、シムリは驚いた。
「お、おいシムリ……バジリスクはどうなった?」
「一緒に吹き飛ばされたようですね。……ほら、やってきましたよ」
「え?」
ギィが気づいた時、目の前には青く光る巨大な竜と、それに従う大蛇が目の前で、シムリに向けて頭を垂れていた。
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