10. 毒蛇の正体
微かに口が動くが、漏れ出るのは声にさえならないか細い息。
右手に弓、左手に矢。恐らくマリは、集落の近辺に現れた怪物バジリスクの撃退に出向いてきたのだろう。
そして、返り討ちにあった。外傷は脚の牙の痕のみ。恐らくはバジリスクの毒にやられている。
だが、不思議な事がある。マリが出向いてきたのであれば、警邏部隊か狩猟隊を率いている筈だ。それが居ないのは、何故だ?
「マリ、仲間達は……?」
「……」
マリは答えない。否、答えられないのだ。もう口を開く体力さえもない、みるみるうちに衰弱している。
シムリは急ぎ解毒の魔術を行使するが、マリの体内の毒が見えない。
「そうか、僕は、バジリスクの毒なんて……」
「おい、シムリどうした! このエルフは……」
「妹です。バジリスクにやられて……でも、解毒は……!」
自身が身を以て毒を接種していなければ、その毒を抽出する事はできない。
ますます衰弱する妹を前にパニックになったシムリをよそに、シムリは冷静にポケットから取り出したナイフで、躊躇なくマリの腕を切り裂いた。
「な、何してるんだギィさん!」
「今、コイツの血にはバジリスクの毒が流れている訳だ……分かるだろ?」
ギィは血が滴るマリの腕を差し出す。
シムリは息を飲んだ。そうか、これを舐めて、自らも毒に犯されればバジリスクの毒の正体を見破れる。
舌を伸ばすシムリを睨むギィ。冷や汗を垂らすシムリ。
「覚悟しろよ、いくらお前が毒に強くとも、バジリスクの猛毒を飲み込んで無事な保証はねぇからな」
「……是非もないでしょう」
言うが早いか、シムリはマリの腕に口をつけ、その血を舐めとった。
舌先に触れたその瞬間に感じる、強烈なめまいと吐き気。血を舌で転がしているうちに、シムリはすぐに感知した。
毒の成分を解析する。毒草、腐敗物質、菌毒、鉱毒、そしてサソリとヘビの毒と……。
はて、とシムリは気がついた。
「これは……」
「流石だな……バジリスクの毒は、理解出来たか?」
「えぇ、全く……問題なく。少し拍子抜けしたような気分ですよ」
シムリは即座にマリの腕の傷口に指を当てて、そこから素早く指を引く。
まるで菌糸のように、傷口から白い糸状の粘液が指に付いて引き出された。
それは見る見るうちにシムリの指先に巻き付いて行き、やがてシムリの指先に溶け込んでいった。
溶け込んだ毒を、馴染ませるようにして手を開いたり閉じたりしながら、シムリは物思いに耽るように瞑目する。
「お、おい……シムリ、お前なんでその毒……」
「ちょっと待って下さい……今、毒が仕分けされて、身体を駆け巡って……」
「うげー……お前、急に気持ち悪い奴になったな……」
舌を出すギィは、てきぱきと手慣れた様子でマリの傷の手当をしていた。
シムリは無視して、バジリスクの毒を体内で丁寧に選り分けていく。
「僕はバジリスクの生態には詳しくないのですが……ギィさん、彼らは生まれながらに毒を持っているんですか?」
「アタシも詳しくはないぜ? まぁでも、どうかね。バジリスクってのは、わざわざ生物にとって毒である物を好んで摂取する習性があるらしい。ヤドクガエルなんかも、食い物に含まれている毒を体内に蓄積する、とか言うが……」
「なるほど、バジリスクもその類いかもしれませんね」
「どう言う事だ?」
「バジリスクの毒には、何種類もの成分がデタラメに混ざり合っているようなんです。鉱毒から、菌毒まで、様々なものが」
「鉱毒? そんなもんまで? 海の者とも山の者ともって奴だな」
「毒物の百科事典を頭の中に突っ込まれた気分ですよ。でも、これでもう、バジリスクの毒は怖くない」
シムリは一度しゃがみ込むと、マリの髪の毛を優しく一度だけ撫ぜた。僅かに上下する胸を見て、少し安堵する。
毒の後遺症は残るだろうか。既に毒に犯されたその傷を癒す事は、シムリの解毒の魔術には出来ない。一体どんな風に戦ったのだろうか。仲間がいないのは、彼らを逃がしたその殿を務めたのだろうか。それとも、仲間を巻き込むまいと単騎がけをしたのか。
どちらにせよ、勇猛な事だ。里が重宝するマリを、集落の民が放っておく事は絶対にない。間もなく彼女は仲間に介抱されるだろう。
ならば、シムリがやるべき事は、とても単純な事だ。
「……シムリ、お前、バジリスクとやり合う気なのか?」
シムリの決意を秘めた目を見たギィが察した。その顔は、あきれ果てたと言わんばかりだ。
「エルフの集落の近くに、あの怪物が居る。集落一の戦士であるマリが敵わないなら、集落の者は誰も奴には勝てません」
「言っとくが、バジリスクの武器は毒だけじゃねぇぞ。あんだけデカい蛇、お前はどう殺すつもりだよ」
「策は……あります。分の悪い賭けですが……」
「おいおい、シムリ……お前、行かせると思ったか?」
不敵に笑いながら、ギィは手を高々と掲げ、指を鳴らす。
燃え盛る火炎を手に握ったまま、それをシムリの方に向けた。
数寸先にある炎の熱気が、シムリの長過ぎる前髪を軽く焦がした。
「ウルフベリーは、ほとぼりが冷めるまでは諦めてやる。だから、この森から一時退避だ」
「……僕を脅すつもりですか?」
「金のなる木はお前だぜ? ならテメェに命を捨てさせる訳にゃいかねぇ」
「なら、僕を脅しても意味はないでしょう。貴方は僕を殺せない。ウルフベリーもまだ諦めてないんでしょ?」
互いに黙りして睨み合う二人。脅している筈のギィが冷や汗を垂らした。
「……お前の策ってのを教えろ」
「え……乗っかるんですか? てっきり帰るもんだと」
「成功率次第では、協力してやるよ……人手いるんだろ?」
ギィは手を握り込んで炎をかき消した。
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