8. 金のなる木
その晩は、シムリにとっては豪華な食事会となった。
そもそもシムリが食べている茸や野草は、人に振る舞う機会なぞある訳もなかったのだ。
しかしどうやら目の前のゴブリンは、シムリと同じものが食べられるらしい。
それならばとついつい、備蓄を解いてしまった。
普段は火を起こすのも一苦労なのだが、ゴブリンの少女が魔術で火を灯してくれた。食事の準備が随分楽だったのも一因だろう。
ゴブリンの少女は自らを『ギィ』と名乗った。別の大陸から渡ってきた開拓民で、通称『冒険者』と言うらしい。
自分のルーツを探す旅を、かれこれ三年程続けているのだと言う。
「……ルーツを探す?」
「ゴブリンって種族は珍しくもないんだが、それが希代の魔力を持って生まれたとなれば話は別だ」
「……それが貴方だと?」
「本来ゴブリンには魔術の才能はない。群れて増える事しか能がない、なんて事まで言いやがる奴も居る。だがアタシにはどうやら、ゴブリンではない血が交じっているようでな」
ギィは、指先から火を灯してみせた。青い不思議な色をしている、しかし美しい炎だった。
帽子も脱いでゴーグルも外した彼女の、炎に照らされる物憂げな表情は、見れば見るほど子供っぽく映った。
炎の色と対照的に、燃えるような色の赤髪をしている。しかし些か乱雑に切られているそれは、ベリーショートと言うより、邪魔だから自分で適当に切った、と言う方がしっくり来る。
「ゴブリンではない……というと?」
「フェアリー、だってよ。半信半疑だけどな、だが、それが問題だった」
ギィは忌々しい、と言わんばかりに吐き捨てた。
「生憎と、アタシはゴブリン側の親元……母親のもとで育った訳だ。でも、ゴブリンってのはガキだけは人一倍作りやがるから、口減らしなんてしょっちゅうよ。混血だからか、結構良い値段で売れたらしくてな。物心ついた時、アタシはどこかの魔術研究施設で飼われていてな。言葉を覚えるより先に火の精霊と心を通わせていた。フェアリーってのは精霊に好かれる性質があるからな」
「飼う、だなんて……」
「嘘でもないぜ。外には出してもらえないし、飯も碌なもんが出ねぇ。楽しくもない魔術の勉強をひたすら詰め込まれる。アタシは実験動物だったって訳だ。まぁそんな日々も、施設が物理的に消え失せるまでしか続かなかったがな」
キノコと野草を酒で煮込む鍋を眺めながら、ギィは焦げ目のついた鹿肉を齧っていた。ギィの持っていた酒も残り少なかったので、この宴会で使い切る事だろう。シムリは杯を傾けながら、ギィの言葉を待った。
「知らない世界に放り出されて……そこからは、生きるのに必死だったぜ。身寄りのないガキなりに、なんとかなるもんでよ。なにぶん比較対象がなかったんで知らなかったが、アタシに宿る火の魔術の才能は中々にデタラメらしい。荒事でそれなりに路銀を稼いだんでな。一度、自分のルーツってのを探ってみたいと思い立った訳だ」
「……それで、こんな危ない所まで来たんですか? 折角、稼ぎある仕事が出来るなら、それを続ける方が賢いでしょうに」
シムリは自らも鹿肉を頬張りながら、どこかギィを羨望の目で見つめていた。
恐らく、その才能は賞賛に値する物なのだろう。だとしたら、それを活かせる人生を送れる事がどんなに良い事か。ギィは溜め息を零して首を横に振る。まるで、その質問は聞き飽きた、と言わんばかりだった。
「分かってもらうつもりもねぇけどよ。自分の生まれがどんなところで、自分の親がどんな奴なのかってのを知らないってのはよ。なんつーか……自分が今立ってる所が、本当に地面なのかどうか、分かんなくなる瞬間があるって事にも似てるんだよ。自分が一体どこの誰で、親はどんな顔してアタシを売っぱらったのか。兄弟はいったいどんな奴らだったのか。そう言うのが一切合切分かんないってのはよ。歯に挟まった魚の小骨みてーなシコリを人生に残す。そう思わねぇか?」
ギィは真剣な顔で、でも長々と語ったのが照れ臭いのか、ふとシムリからは目線を外して杯を傾けた。
シムリは自分の境遇と似ていて、しかし決定的に違うギィの目をまじまじと眺めた。
シムリも、自身の実の親が何者なのかはあまり分からない。こうして追放された今、自分が真にエルフなのかどうかも分からない。だが、シムリには愛する家族がいた。愛してくれていた……もしかしたら今でも愛してくれている、家族がいるのだ。
「……そんなジッと見たって、なんも出ねぇぞ。同情も特に要らねぇ」
「そうですか……ですが、やっぱり羨ましいですよ。貴方はそうやって、自らの夢の為に旅に出たって事ですもんね」
シムリとて、そうしようと思えばそうする事が出来たかも知れない。
こんな不衛生な毒沼を抜けて、故郷のエルフの森から遠ざかって、安住の地を探す選択肢があったかも知れない。
しかしシムリはそれを選ぶ勇気はなかったのだ。
シムリはこの沼でも生きて行ける。孤独に耐えれば、ある意味ではここは安住の地なのだ。ここはシムリを閉じ込める牢ではない。だが、外敵からシムリを守ってくれる殻ではあった。
「夢のためってお前、大げさな事言うな、シムリ」
シムリを笑いながら、ギィはしゃぶっていた骨をペッと傍らに吐き出して伸びをした。
「そんじゃ、今度はお前の身の上話だ、聞かせろよ」
「そうですか、では大したもんでもありませんが……」
シムリも自らの境遇を語る。実の母を知らないが、愛する家族に囲まれていた事。エルフらしい生活が送れず、周囲から孤立していた事。そして、シムリは、エルフに耐えられない猛毒をものともしなかった事。それが元で集落を追放された事。
ギィは聞き上手だった。相槌は適度に。時折疑問を挟んだが、話が逸れる前に本筋に戻そうとした。やがてここに辿り着き、今に至った時、ギィは口を尖らせていた。
「なーにが大したもんでもない、だよ。ガキの村八分とか、エルフってのは残酷な連中だよな」
「ハードさでは貴方とどっこいどっこいかも知れませんね」
「はは、ちげぇねぇ。……それで、シムリ。ちょいと面白い話があるんだが、きかねぇか?」
ギィが悪い顔で微笑んでいる。悪戯が成功した、年齢相応の女の子のようでもある。
「まずは一つ。……エルフってのは風と水の魔術は扱うが、他はどうだよ?」
「いえ……まず、使いません。それ以外の精霊様とは交信が出来ませんから」
「なるほどな。で、あれば。他の魔術の才能があったとしても、お前には気づく手段がなかったって事だ」
ギィの言い方にシムリが疑問に思いつつも、ギィは自身のずだ袋を漁り、やがて手のひらサイズの手鏡を取り出した。それを、シムリに差し出している。シムリは何気なくそれを覗き込む。手鏡に映る顔は、どことなく薄暗くて曇っているようだ。ただの映りの悪い鏡じゃないか、と突き返そうとしたらふとギィがシムリの背後にピッタリくっついて鏡を覗き込んだ。
急に寄ってきたギィを一瞬訝しんだが、とうの彼女は楽しそうな微笑みを崩さない。吐息が酒臭い。
「この鏡で何が分かるんですか?」
「バッカお前、よく鏡見ろよ」
「妙に色の映り方が変だなとは思いますが」
「アタシの像は何となく赤色っぽく見えるだろ? ほら、お前はなんか灰色っぽい」
「……まぁ、そうですね。それで、この色が意味する所は?」
「こいつは魔術の才能を映せる鏡さ。アタシは赤色で、アンタは灰色。赤い像は、想像と発散の象徴。派手にぶっ放す魔術をより上手く扱えるって事だ。炎を生み出して打ち出したり、風を吹かせたり。そんで、灰色の像は支配の象徴。物を操る魔術に相性がいい。炎の温度を上げたり、水の温度を下げたりな。特に毒の魔術や死霊術に長けるオークに多い性質だ」
ギィは呟きながら、先程吐き捨てた鹿の骨を拾い上げて、シムリに差し出した。
「アタシは精霊に愛されている。だから分かるのさ。お前は精霊には嫌われるが、精霊に頼らずに魔術が使える程の魔力を内包している」
「……うーん、全くピンときませんが」
「この骨持て。そんで魔力を注いでみろ。イメージとしては、六本目の指に血を流すようなイメージで、だ」
「……え? もしかして死霊術ですか?」
「んだよ、嫌か?」
「ま、まぁ良いですけど……どうせ上手くいかないでしょうが」
死霊術は、エルフでは禁忌とされる邪悪な魔術だ。遺骸を操り魂を冒涜するとして、忌み嫌われている。長く続いたエルフの歴史で忌み嫌われるうちに、エルフは完全に死霊術を操る術を失ったと言われている程なのだ。
だから上手くいく訳がない。自分が何者かどうかは分からなくとも、エルフである以上は……。
「……こんな骨が、そんな大げさな……」
などと言っているうちに、手の中の骨が眩く青く輝き出した。
輝きは見る間に強く膨れ上がり、やがてその骨はひとりでに宙を舞い始めた。これは何だ、とギィを見るシムリ。しかし、当のギィもそれを見上げて、マヌケに口を開いている。
「な、なんだこりゃ……本来なら、骨を自由に動かせる程度の筈なのに……」
「全然自由じゃないですよ! なんか危なっかしい光り方してるし!」
光は目を覆わんばかりに強く輝くと、やがて耳をつんざくような音を立てながら爆発した。衝撃波で尻餅をつくシムリとギィ。先程まで宙に浮かんでいた骨があった所に、ぼんやりと鹿の形をした陽炎が見えた。
それはシムリを一瞥する。ふと鹿と目が合った。
『そなたが、我が魂を……』
「……え? あ、はい」
『礼を言おう、清き者よ。天からいつも見守っておるぞ……』
やがて駆け上がるように空に向かって消えて行く。
それを見送るシムリ。ふと我に返ると、ギィが同じようにポカンとしていた。肩を揺すると、ようやくギィはこちらを見た。
「……これは何だったんですか? ギィさん、何かしました?」
「い、いや……予想外だ。初めて見たぜ。迷える魂を天に返す……『鎮魂術』、とでも名付けるか」
「それにしては、派手な置き土産でしたけどね。爆発してましたよ、骨」
「やたらと偉そうだったしな、なんだったんだアイツ……」
降り掛かっていた白灰を払いながらシムリは立ち上がる。
隣で跳ね起きたギィは溜め息をついて気持ちを切り替えたのか、口端を上げて微笑んでいた。
「だが、何にも悪い事じゃねぇ。もっと重要な事がある。お前にはとんでもない魔術の才能が眠っていた。そしてお前にとって重要なのは、それこそオークみたく、解毒の魔術を扱えるかどうか、だ」
言いながらギィは食材の中から赤色キノコ(正式名称は不明だが、シムリはそう呼んでいる)を指でつまんだ。赤色キノコに含まれる毒は、例えエルフが食したとて、意識の錯乱や吐き気をもたらすもので、死に至るものではない。
「シムリ、お前このキノコ食った事あるか?」
「常食していますよ」
「なら、大丈夫。この毒キノコから毒性を抽出してみろ」
「抽出……毒だけを、ですか? そんな事出来るんですか?」
「イメージとしては、鼻の頭の脂を絞り出すような……って具合かな?」
アタシは出来ねぇからしらねぇけど。と言いながらギィが放り投げたキノコを受け取る。いわれるがまま、シムリは手にしたキノコに意識を集中した。害となる成分を絞り出す、鼻の脂……は少し汚いが、それに近いイメージを持つ。
段々と、見えてきた。
「……不思議ですね、認識が変わったからか、このキノコの毒成分だけが浮いて見えます」
生命に害を成す成分だけが、浮かんで見えてくる。それだけを絞り出すように先程と同じく魔力を流し込んでみると、浮いた成分はスルスルとキノコの傘の先に集まり始める。キノコの先からやがて透明な液体が零れ始めた。ギィはそれを素早く指ですくうと、躊躇いなくそれを舐めとった。シムリが止める間もなかった。
いくら毒に強い種族とは言え、凝縮された毒を摂取してしまったら……。
案の定、ギィは途端、酒に泥酔したような千鳥足になり、口元を抑えて青い顔をした。
「ど、どうやら上手くいった、みた……おえっ」
「ギィさん……ギィさんからも毒を抽出してみましょうか」
「た、頼むぜ……」
同じ要領で、ギィの肩に手を置き、害となる成分を絞り出す。鼻の脂、と言うイメージのせいだろうか。ギィは盛大に鼻水を吹き出した。
それと同時に、毒素が抜けて行くのと感覚的に感じ取る事が出来た。コレが解毒の魔術か、とシムリは実感を得た。
「『解毒』の魔術を扱える奴は、実の所かなり珍しい。古典も古典、不便な魔術だからな。何が人体に害を成す毒なのかを認識していなければ使いこなせない。毒キノコの毒を解毒するには、毒キノコを食った事がなければならないし、毒蛇の毒を解毒するには、その蛇に噛まれていなければならない。ところで……お前、ウルフベリーも美味かったって言ったよな?」
「え、えぇ、そうですが……」
ギィは涙目になりながらハンカチで鼻を拭う。そして途端に冷静な顔つきで深い溜め息を吐いた。
相当に情けない顔になっていたので、それを見られた事を気にしているのかもしれない。
「……シムリ、完璧だよ、お前」
「……そう、なんですか?」
「アタシと組め。絶対に、損はさせないからよ」
意地悪く笑うギィを、シムリはただただ怪訝な顔で眺める事しか出来ずにいた。
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