6. 最後の日

 まだ体内にウルフベリーの毒素が残っている可能性があるとして、シムリは集落のはずれに簡易テントを張って、完全に隔離された状態で生活を送っていた。

 シムリはすっかり意気消沈していた。今回のぬか喜びと落胆は、今までの失敗の経験の中でもことさら大きくシムリの心に影を落とす。

 今まで何をやっても上手くいかなかった。それでも愛されて、励まされて、腐らずに頑張ってきた自分に、幸運が振り向いてくれたと思ったのに。


 義母の無事だけは、この生活を始めた翌日にカザイーがやってきて伝えてくれた。まだ意識が少し朦朧としているが、命に別状はないと。それだけでも幸運と思うべきなのだろうか。

 村長とカザイーがシムリの元を尋ねてきたのは、ウルフベリー事件があった三日後の事だった。


「……すまない、シムリ。お前を守ってやる事は出来ない」


 開口一番挨拶もなしに、カザイーは苦々しい表情でそう言った。シムリも、自分の処遇については想像出来ていたので、驚きはなかった。


「シムリ。お前には伝説で語られている『エターナル』の『フィーンド』ではないか、と嫌疑がかけられている」

「『エターナル』……」


 過去にシムリは『エターアル』に関する記述を、カザイーの書斎にある本で読んだ事があった。

 何十年程度の周期で、世界のどこかで産声を上げる『意志を持った災厄』とでも言うべき存在だ。シムリが読んだ本にあった記述では『クリムゾン』と名付けられた火山で生まれるドラゴンについて書いてあった。

 太陽を隠さんばかりの巨体を、ルビーのように真っ赤に輝く鱗で包んだ悪意ある竜で、口から吐く炎は鉄をも溶かす。

 歴史上、何度も現れ出ては、大規模な山火事を発生させる危険な存在であり、何百人の精鋭討伐隊と引き換えに殺害されている。

 『エターナル』は不死の存在ではない。ゾンビのように、遺体が蘇る訳ではない。ただ、『エターナル』が死んだ後、同じ性質を持った別の個体が必ず世界のどこかで生まれるのだ。

 その本には『クリムゾン』の他に『プレデター』や『タイタン』と言った数々の強大な存在が描かれていた。

 『フィーンド』についての記述もあった。

 文明を持つ種族の中から数十年に一度生まれ落ちる、青黒い肌と金色に輝く瞳を持つ個体だ。

 生まれながらにして言語を理解できる頭脳を持ち、あらゆる生命に死をもたらす猛毒の魔術と、死した者を蘇らせる死霊術を操るため、『死の王』と別名を付けられ畏れられる程の存在だ。

 シムリの肌は確かに並のエルフに比べれば浅黒いが、伝説とはほど遠い。

 頭脳だって、覚えこそ早いが人並みの域を出ないし、魔術に至ってはからっきしだ。

 本当にシムリが『フィーンド』であると吹聴しているのは、シムリの事を伝聞でしか聞いた事のない者である。

 長老もカザイーも分かっているのだ。シムリは『フィーンド』などではない、と。

 しかしそれでも、シムリの存在はあまりにも異質だった。致死性の毒をふんだんに蓄えたウルフベリーを腹一杯食べて生きていられるエルフなぞ前代未聞だったのだ。

 エルフは変化を嫌う。この嫌疑も、言いがかりのようなものだ。シムリを追い出す口実に『フィーンド』は丁度良かったのだ。

 このテントに追いやられてから、半ば集落を放逐されたのだとシムリは早々に諦めていた。


「……シムリ、お前が悪意ある存在ではない事は、分かっているんだ」


 長老が弱々しい声でそう言った。その視線には、ありありと恐怖の色が浮かんでいる。


「だが、皆がお前を恐れている。いつか、お前が集落に居る事で、なにか、とんでもない禍が起きるのではないのか、と。分かってくれ、シムリ。お前と言う得体の知れない存在が、集落全体を巻き込んで疑心暗鬼を蔓延させておるのだ。お前を受け入れるには、集落はあり方そのものを変えねばならんだろう。日々を生きる事で精一杯の我々には、そんな体力がない。……お前一人居なくなってくれれば、日常が帰ってくる。皆がそう思ってしまった以上、お前には帰る場所を与える事は出来んのだ」

「……良いですよ、そんな頭を下げなくても。分かっていた事ですから」


 シムリは既に立ち上がり、テントを折り畳んでいた。集落からの借り物だから、勝手に持っていく訳には行かない。

 カザイーは小脇に抱えていた荷物を、シムリに差し出した。シムリの私物の草刈り鎌や衣服、山で取れる山菜についての自作の走り書きの切れ端が幾つか入っていた。


「……今日まで、ありがとうございました、義父さん」

「シムリ……私はいつか、こんな日が来るんじゃないかって、心の底でずっと怯えていた。お前の、本当の母親が君を僕に託したその日から……」

「いつか、聞いた事があったね、義父さん。僕の、産みの母親が言った言葉」


 シムリは母親の事を一切覚えていなかった。義父も義母も、シムリが気にすると思ったのか、あまり詳しい話を教えていなかった。

 シムリが知る母親は、彼女がエリンと言う名で、今は行方不明。魔術の才能には光るものがあった、とその程度のものだった。それに加えるとするならば、たった一つ。エリンがカザイーにシムリを託した時に告げた、彼女の言葉のみだ。


「僕は一人で生きていく力を持っている。例え荒野に放られようとも、例え深海に沈められようとも。愛を知らずとも死ぬ事はない。……母はこうなる事をきっと、知っていたんだよね?」

「シムリ、一つだけ抜けている。エリンはもう一言残した、『それでももし、貴方がこの子を愛してくれたなら、それは望外の喜びよ』と。今更こんな事を言った所で、きっと信じてもらえないだろうが……私は君を愛している。だが、それでも……妻とお前の妹を捨てられない私を、どうか許して欲しい」


 シムリはカザイーを問いつめても許されると思ったが、皮肉の一つも思い浮かばない。

 シムリには何も出来なかった。集落に居た時からずっと、そんな感覚が抜けなかった。

 魔術も弓も農耕も、それどころか誰かと喧嘩だって出来なかったし、誰に肯定されても胸を張ることも出来なかった。

 今だって、口を開いても碌な嫌みも出てこない。嗚咽しか漏れないのは、今にも泣きそうになっている自分が一番よく分かっている。

 このまま立ち去れば、情けなく泣いている事もバレずに済んだのだろうが、涙に塗れても残しておきたい言葉が一つだけあった。


「……僕の事は忘れて、幸せに。義母さんとマリにも伝えて下さい」


 シムリはそうやって集落を追われた。

 それが今から三年前。日々を食い繫ぐので精一杯の日々も、三年もすれば馴染んでくるものだ。

 集落で人からアレコレと評価される事もなく、ただ生きる。

 少し寂しくて、しかしシムリは一人になってようやく心の安寧を見つけたような気分だった。

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