美大志望の谷垣君

荒瀬ヤヒロ

放課後の教室で





「なんっだろ、これ」


 郁実はもう一度、首を傾げた。


 さっきから、この一枚にだけ、どうしても目が引き寄せられてしまう。


 美大志望の美術部員、谷垣君が描いた絵なのだから、他の生徒の絵とは比べものにならないぐらい上手くて目を引くのはいつものことだ。


 それなのに、今回は「さすが谷垣君」と言って終わりに出来ない。何か引っかかる。

 他の生徒と同じモデル。学校一優しいと人気の古典教師、弘田沙也加のデッサンだ。


「うーん」


 郁実は反対側に首を倒す。


 弘田はいつもと同じ優しい笑みを浮かべている。壁に貼られたクラス全員のデッサンは、出来映えとモデルを描く角度に違いはあれど、微笑みを浮かべているのは同じだ。もちろん、谷垣君のデッサンも、微笑みを湛えた弘田だ。

 優しそうな顔だ。

 それなのに。


「なんっでだろ」


 放課後の教室でガクッガクッと左右に首を倒す郁実は端から見ていて不気味である。


「あんた、学校の七不思議にカウントされる前にそれ止めな」


 見かねた千咲が携帯をいじりながら言う。


「放課後の教室で首をガクガク左右に振る首振り女。忘れ物を取りに来た生徒を追いかけてくるのよ、首をガクガクさせながら」


「お前もガクガクにしてやろうか〜」


「捕まったら首の骨折られるのね」


「怖ぇなおい。化け物じゃん」


 郁実は頬を膨らませた。


「だってさあ、あたし一番後ろの席じゃん。この絵の真ん前じゃん」


 郁実は自分の席と谷垣の絵を交互に指さした。


「ゾクッてすんのよ! なんか背中が! ゾクッと!」


 優しい弘田を描いているはずなのに、何故か怖いのだ。


 他の絵からは恐怖を感じない。谷垣の絵だけ、怖い。


「確かに、なんかパッと見怖いって感じるよね」


 千咲も顔を上げて谷垣の絵を見た。


「でも、よく見るとちゃんと笑ってる絵だし、どこも怖いものなんか描かれてないのにね」


「そうだよねぇ……」


 郁実はまたしても首を傾げた。

 そこへ、


「あれっ、何してんの?」

「谷垣君! 部活終わったの?」


 件の谷垣が教室に戻ってきたので、郁実は勢いよく手招いた。


「何?」

「谷垣君、なんでこんな怖い絵描いたの? もしかして、弘田のこと怖いって思ってる?」

「はあ?」


 谷垣は眉をひそめながら近づいてきた。


「別に、怖く描こうとして描いたんじゃねえよ。普通に描いたらこうなったんだ」

「ふーん。じゃあ、谷垣君の目にはこう見えたってことね」


 郁実は谷垣の顔を見てまた首を傾げた。


「そういえば、谷垣君は弘田に反応しないよね。他の男子は鼻の下伸ばしてんのに」

「年上趣味じゃねーもん」

「えー、んじゃさ、あたしは? あたしは?」

「はあ?」


 郁実は胸の前で両手を組んで谷垣をみつめた。


「あたし、谷垣君がトイレの後でちゃんとハンカチで手を拭いているところが好き。彼女にして」

「もっとマシな告り方ねぇのかよ」

「だって、男子ってさぁ、酷いのになると手すら洗わないじゃない! トイレの後!」

「あんた、変なとこ良く見てるよね」


 郁実の着眼点に、谷垣のみならず、聞いていた千咲も呆れた。


「そんな惚れ方するんだったら、除菌ティッシュで手を拭いてる奴が出てきたら俺のこと振ってそいつに惚れるんだろ?」

「ハンカチ王子を捨てて除菌ティッシュ王子に走るのね」

「んなわけないじゃん!」


 郁実は本気で勇気を出して告白したというのに、有耶無耶にされてしまってその日は谷垣と何も進展しなかった。




 その翌日、弘田が捕まった。


 一年前、付き合っていた男性に妊娠中の妻がいると知り、歩道橋から突き落として流産させていた。


 壁に貼られていた絵はすべて取り払われて担任に回収されていった。生徒の手に返ってくる可能性は低そうだ。


「本人すら無意識に、谷垣君の「画家の眼」だけが、真実を見抜いていたってことかな」


 放課後の教室で、谷垣が部活を終えて戻ってくるのを待ちながら、郁実はすっきりとした壁を眺めながら呟いた。




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美大志望の谷垣君 荒瀬ヤヒロ @arase55y85

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