04話.[口にしたからだ]

「あー悪かったね急に」


 お互いに入浴を終えた後、リビングで話をしていた。

 約束をしていた知生くんはもうおねむになってしまったので部屋に行ってしまっている。

 ちなみに、翔太も友達が泊まりに来てくれたことでハイテンションになっていたのが問題となったのか同じく眠そうな顔で部屋に戻っていった。


「ううん、大丈夫だよ」

「晴菜には何度も世話になるねえ」

「いいよ、寧ろ菊原さんが頼ってくれるのは嬉しいから」

「そうかい? そう言ってくれるとありがたいけどー」


 冷蔵庫から出してきていた炭酸を飲んで喉を潤す。


「あ、舞優でいいよ」

「え、よ、呼び捨て……?」

「うん、したいならそれで」


 こっちだって呼ばせてもらっているんだし。

 それに名前で呼んだら怒るとかそういうのもないし。


「ま、舞優」

「うん」

「舞優っ」

「あ、うん」

「……最初はちょっと怖かった」


 だろうねえ、明らかに拒絶オーラ全開だったし。

 多分周りからすれば切り裂かれるんじゃないかと錯覚するぐらいだったんじゃないかな。

 話しかけてくる人間に対しては睨むとかため息をつくとか平気でしていたしね。


「あっ……」

「ん?」

「その傷……あと首の……」

「ああ、死のうとしたときのね」


 確かに傷跡がある、夢オチというわけではなかったみたいだってあの後すぐに分かった。


「情けないことにさ、私は自分で終わらせることもできなかったんだよ。そもそもリストカットで死ぬ可能性なんて限りなく低いし、首とかだって自分を守ろうと浅くなるからね」


 まあ勇気のないクソ雑魚の掃除をするために母や他の誰かが苦労することになるんだからいまとなってはクソ雑魚で良かったって思えているぐらいだけど。


「晴菜、離れたかったら離れてくれればいいからね」

「離れないよ、せっかく友達になれたんだから」

「うん、まあ最終的にどうしようもなくなったらって話だよ」


 多分、いまどこかに行かれたらまた前みたいになると思う。

 それどころかやっぱり無駄だったって判断して余計に酷くなるかもしれない。

 そういうことだけは無駄に鮮明に想像できてしまうから残念だ。


「それよりも楽しい話をしようか」

「そうだねっ」


 う、うーん……。

 待て、私が楽しい話をするなんて無理だ。


「晴菜は最近楽しいことってあった?」

「新しい料理に挑戦したときは楽しかったよ、ドキドキもしたけど」

「そっか、うん、いいね、挑戦するってことは」


 こっちなんか恥ずかしいことばかりすぎて本当はやめたいって思っている自分がいる、現状維持でいいと考える自分がいる。

 でも、もう知ってしまったから、もう少し前までの自分の状態には戻せないのだ。


「舞優は?」

「……実は、晴菜と連絡先を交換したときに……あ、いや」

「言って?」

「これは楽しいというか嬉しいだったかな――ってっ」


 な、なにっ? こっちの腕を掴んできてなにをするつもりなんだ!?

 あ、お前だけでできないなら私がやってやる、ということなんだろうかっ?


「……そうやってさらっとこっちが嬉しくなることを言えちゃうよね、舞優は」

「え、あ、そうなん?」


 こういうことを晴菜に対して口にしたのは初めてだと思うけど。


「知生がいたからだろうけどさ、私を誘ってくれたのも嬉しい」

「知ってると思うけど晴菜ぐらいしか呼べる子がいなくてね」

「それでもだよ、そこで呼ぶかどうかは五分五分なわけでしょ? でも、舞優は呼ぶ方を選んでくれたわけだから」


 いやちょっと待って。

 あくまで翔太と知生くんだけにするとすぐ口喧嘩になるからと呼んだだけなんだけど……。

 いや、確かに仲良くしたいという気持ちは私の中にある、今回のこれを利用して多少は前に進めたいというのはあった。

 だけど、こうも良く捉えられてしまうとそれはそれで問題といいますか、なんかちくちくと胸が痛いんだ……。

 なんだこれ、こんなの初めて感じたぞっ。


「は、晴菜、あんまりいい方向にばかり考えられても……」

「マイナスに考える方が駄目だよ、だからさ」

「う、うん?」


 彼女はこちらの胸によりかかるようにしながら、「もう死のうとなんてしないで……」と言ってきた。


「し、しないよ、絶対にもう二度としない」


 なんなんだこの感じは。

 どうして申し訳ないって気持ちになるんだ。

 晴菜とい始めたのだってついこの前からなのに。

 というかどうせできないよ、やる気もない。

 そうでもなくても矛盾まみれの毎日、なのにこれ以上変化を起こしたら私がおかしくなってしまうから。


「……どういうこと?」

「ありゃ、まだ起きてたのかー、女の子だけしかいない部屋にノックもせずに入ってくるのは駄目だぞー?」

「……なんでそんなこと」

「ははは、まあ舞優ちゃんにも色々あるんだよー、大丈夫、嫌がってもここにあげるからさー」


 そういうことも理解し始める歳か。

 漠然としたもの、細かく聞かれても天国や地獄に行ったとしか言えないもの。

 残された者が喜ぶのか、それとも悲しむのか、それはいざ実際にそうなってからじゃないと分からない。

 そして、死者にはもうそれを確認する術すら恐らくないのだ。


「大丈夫だからもう寝なさい」

「……まゆちゃんと寝たい」

「え? んー、いいよ、ここにはお姉ちゃんもいてくれてるしね」


 また翔太には怒られてしまうんだろうなあ。

 だけど私と違って素直ではっきり自分のしたいことを口にできる知生くん。

 そういうのもあって彼の言う通りにしてあげたいって思ったんだ。


「晴菜、悪いんだけどベッドを使ってくれる?」

「え、い、いいの?」

「うん、私は知生くんと床に布団を敷いて寝るから」

「わ、分かった」


 で、割とすぐに可愛らしい寝顔を晒し始めた彼の頭を撫でつつ、そのまま綺麗なまま真っ直ぐに育ってくれよと願い続けた。

 私みたいに面倒くさいことしかないからって逃げようとするのではなく、少しでも快適になるように頑張れるそんな少年になってほしいとずっと、ずっと朝まで繰り返したのだった。




「ちょっち暑くなってきたなあ」


 一徹ぐらいで私にはなんの影響もない。

 五日も続けたんだぞ? と、大して自慢にならないようなことを内で呟きつつ学校へ。

 ちなみに晴菜はまだ寝たいみたいだったからひとりで出てきた。

 無理やり起こすのは悪いからね。


「菊原さんっ」

「んー?」

「昨日の話の続きなんだけどっ」


 やれやれ、恋する乙女というのは面倒くさいな。

 私に突っかかっている間にも先生といればいいのに。

 でも、付き合ってあげるか、確かに私は構ってちゃんみたいなことをしてしまったわけだし。


「先生が好きなんだよね?」

「好きっ、結婚したいぐらいっ」

「でも、結婚してるし、娘さんもいるよ?」

「なあにい!? ……って、それは知ってるよ」

「じゃああなたはどういう風になりたいの?」


 絶対にいい結果には繋がらないと思う。

 そもそも結婚していなくても教師と生徒、そういう風になった時点で可能性はない。

 卒業してからだったらまだいいかもしれないけどね。

 まあ中には在学中に付き合う人間もいるだろうけど。


「……毎日話したい」

「え、それだけでいいの? それなら協力できるけど」

「別のクラスだからさ、そうなるとあんまり関わる機会もなくて」


 そ、そういうものだよなあ。

 私は一年から二年の間、先生が担任だったとかそういうのはなかった。

 それだというのに何度も来られていたからいまいち実感も湧かないけど、うん、普通はそうなんだろう。

 まあ勉強関連のこと以外では適当にしていたから気になったのかもしれないけど、他者から見ればその生徒のことを好いているんじゃないかってぐらいの頻度で来ていた気がする。

 そんなダークで甘いようなことはなかったが。


「よし、それなら職員室に行こう」

「え……」

「話したいんでしょ? 朝のいまなら女の子に囲まれたりすることもないだろうしもやもやしなくて済むから」


 一応その前に教室をチェックしたら……。


「寝てる」

「寝てるね」


 どこかから椅子を持ってきて、その椅子に座って先生が寝ていた。

 私は気持ち良さそうに寝ているところを起こすようなことはできないからあとは彼女に任せておくことに。

 協力すると言ったからこの教室から逃げはしないけどね。


「き、菊原さん……」


 しゃあないなあ……。

 頬を引っ張ったりして起こすのは可哀相だから普通に揺らして起こすことに。


「ん……おお、もう来たのか、最近は早いな」

「おはようございます、あ、この子が先生に用があるみたいで」

「この子……? お、度会わたらいか、どうした?」

「あ、そ、そのっ……」

「落ち着け、ゆっくりでいいから」


 よく覚えてるな。

 一応この高校、合計で六百人ぐらいはいるのに。

 まあ全員覚えているわけではないだろうけど、こうしてピンポイントでちゃんと出てくるところは流石だと思った。

 先生が柔らかく対応してくれることで落ち着けたのか、彼女もあくまで普通にお喋りできていたから良かった。

 こっちは自前の本を読、


「な、なな、なんで先に行くのっ」


 もうとしたのに本を取り上げられて叶わず。


「気持ち良さそうに寝ていたからだよ」

「起こしてよ……」

「分かった、だから本を返して」

「うん、はい……」


 ただ、やっぱりどこか納得がいかなかったみたいで晴菜は今日一日中機嫌が悪い感じだった。

 気持ち良く寝ているところを邪魔されるのが自分は一番嫌だからやめたんだけどね。

 ほら、自分がされて嫌なことを他人にするなってよく言うし。


「晴菜? 家庭科室に行かなくていいの?」

「むぅ」

「私はどこでも活動できるからいいけど」

「じゃあ家庭科室に来てっ」


 衛生的に大丈夫なのか?

 まあいいか、隅で読書でもしておけばいいだろう。

 意外だったのはそこそこ人数がいたことだ。

 楽しそうな雰囲気が漂っている、あとは美味しそうな匂いかな。


「晴菜が連れてきたから見学者かと思ったけど、そうじゃないみたいだねー」

「邪魔ならどこかに行きますから、あくまで晴菜に来てと言われたから付いてきただけなので」

「あ、いいよいいよ、大丈夫っ」


 十八時まで活動しなければならないことになっているからこっちもちゃんと読書――には半分ぐらい意識を割いて、もう半分は和気あいあいとしているそちらに向けていた。

 当然、他の人といるときの方が晴菜は楽しそうだ。

 まあそんなのは当たり前だから傷ついたりはしないけど。

 必ず、晴菜や翔太、知生くんは離れていくだろう。

 いつだろうな、もしかしたら明日かもしれないし、来年かもしれないし、細かい日を断定なんでできないけどくることは確定しているんだ。

 理由はいっぱいある。

 私の人間性が可愛くないとか、つまらないとか、やる気がないからマイナスの方に引っ張られそうだからとか、本当に色々。

 ……そのためにほどほどを心がけておかないと今度こそ……。

 まあどうせまた無理なんだろうけど。


「舞優っ」

「ん? おー、晴菜か」

「もう終わったよ? 帰ろっ」

「お、うん、帰ろー」


 これまで通りなら大体、一ヶ月ぐらいで去るはずだ。

 それなのに一年とか考えて願望かよってツッコミたくなるぐらいだった。

 それは変わってしまったことを意味することだ。

 普通であればいい方へ変われていることになる。

 けれど私にとってはそうじゃないかもしれない。

 これまで、何度もそれを繰り返されることで無駄だと割り切ってこられたことが割り切れなくなってしまうからだ。


「……今日はごめん、自分が早く起きられなかっただけなのに八つ当たりみたいなことをしちゃって」

「気にしなくていいよ」


 最後になんて言われるのかねえ。

 一緒にいたのは時間の無駄だったとか言われるのかな。

 先生からも面倒くさかったとか言われるのかな。

 多分、そうなったら自分から近づいてきていたくせになにを言っているの? とかなんとか吐くだろうが、それも強がりでしかないわけで。


「晴菜」

「うん」

「……後からどこかに行っちゃうぐらいならいまどこかに行ってよ」


 いればいるほど一緒にいられることの楽しさや嬉しさを知ることだろう。

 だからいま、まだ少しだけで済んでいる状態で終わらせるんだ。

 大丈夫、死んだりはできないからまたひとりに戻って強がってイキがって生きていくだけだ。

 今度は構ってちゃんみたいな行動をしないで謙虚に生きると約束する。

 だから……言うことを聞いてほしかった。


「嫌」

「でもどうせ……」

「嫌だ、そういうところはひとりでいた弊害だよね、マイナスに考えてしまうところはさ」


 彼女が足を止めたからこちらも止める。

 そうしたら急に抱きしめてきた。

 普段、私はする側だからなんか……。


「大丈夫、絶対にどこかに行かないから、約束を破ってどこかに行ったら死んでもいいよ」

「なんでそこまで……」

「離れる理由がないからだよ」


 彼女はこちらを抱きしめるのをやめてにこりと笑った。

 そもそもどうして彼女は私に話しかけてきたんだろうか?

 なんで一緒にいたいと思ってくれるのか。


「不安にならないで」

「……これまでみんな離れて行ったから」

「私は絶対に離れない」

「なんでいてくれるの?」

「私は舞優の強さに憧れたというかさ」


 強さか、結局ひとりでしかいられなかっただけだけど。

 弱いだけだった、強がっていただけだった。

 だからなんか恥ずかしい、気にしないふりを続けていただけなんだよー……。


「舞優はさ、何事にも一切動じずにいられたからさ」


 あー、確かにそれはそうかもしれない。

 ……悪いことばかりではなかったとそう片付けておこうか。


「私は晴菜のこと、なんにも知らない」

「うん、だから一年しかないけどさ、私のこと知ってくれたら嬉しいかなって」


 母の言うように二年遅かったな。

 高校一年生だったらまだまだこの子といられたのに。

 でも、大学だって違うところになるだろうし、その先は必ずと言っていいほど別れることになるわけで。


「やっぱりいい」

「え?」

「……一緒にいなくていい、それじゃっ」


 難しい点は晴菜も同じクラスということか。

 また先生に相談なんかしてみろ、そうしたら間違いなく生徒のためにと動こうとする。

 だったら逃げて逃げて逃げまくれば……どうにかならないかな?


「ただいま」


 ソファに寝転んでゆっくりとする。

 それから数分が経過した頃、翔太がリビングにやって来た。


「あ、おかえり」

「うん、ただいま。あ、翔太、ちょっと来て」

「うん」


 翔太だってこうしていつまでも来てくれるわけじゃない。


「わっ、ど、どうしたの?」

「たまにはゆっくり弟の相手もしなきゃなって」


 ただそれだけのこと。


「なにかあったんだね」

「え? ないよ」

「ううん、分かるよ」


 分かるのか、優秀だな。

 あと、恋をした際に有効かもしれない。


「あ、もしかして晴菜さんとなにかあった?」

「なにもないよ、なんにもない」

「そっか」


 危ねえ……って、これって暗に「お前には晴菜さんしか友達がいねえよなあ?」と言われているようなものなんじゃ……。

 事実その通りだからなにも言い返せない。

 結局、いいお姉ちゃんでいることは不可能なんだな。

 そりゃそうか、こんなのがお姉ちゃんでごめんよ翔太。


「部屋に行くね、ご飯ができたら呼びにきて」

「分かった」


 もう今日はこのまま寝てしまおう。

 食欲がないからしょうがない。

 晴菜には悪いけど……やっぱりもう怖いから。


「強くなんかないんだよー」


 だからこそこうやって極端なことをする。

 早めに気づいて彼女の方から離れてくれればいいなと考えつつ、眠気を待ったのだった。




「楠田先生」

「お、今日も早いな、おはよう」

「おはようございます」


 昨日はゆっくりしすぎてしまっただけで本来なら他の誰もいないような時間に登校するのが普通だった。

 でも、今日はそれだけじゃない、相談したいことがあったからそれよりも早くを意識して登校してきたことになる。

 とりあえず昨日のことを説明して。


「あー、なんか急激な変化に困惑しているみたいだったからな」

「じゃあ……私が選択ミスをしてしまったということでは……」

「違う、全部というわけじゃないけど菊原の問題だな」


 昨日のあれは唐突、というわけではなかった。

 離れていいからって直前にも言ってきていたわけだし。


「でも、私は本当に離れるつもりはありませんっ」

「時期というかタイミングも悪かったんだろうな、仲良くし続けても卒業したら離れることになるからって不安になったんだと思う。いま人といられることの楽しさや嬉しさを知ってしまったからな」


 ……怖くて勇気を出せなかった自分が情けない。

 なんでもっと早く近づいておかなかったんだろうとたらればを言ったところで仕方がないけど……。


「あっ、舞優っ」


 彼女はかばんを置いたらすぐに教室から出ていってしまった。

 そういう気持ちだけはどうしようもない。

 確かに大学が合う可能性なんて限りなく低いし、そこは良くても社会に出れば一緒になる可能性なんてもっと低いし。


「しつこく行くと余計に意固地になるぞ」

「もう無理なんですかね……?」

「俺に任せろ」

「ありがとうございます、お願いします」


 自分でなんとかできないことが情けなかった。

 だけど先生の言うように変に近づいて余計に嫌われたりするぐらいならなにもしない方がいい気がする。

 ……誰だって傷つきたくなんかないから。

 意外だったのは先生も避けていたところだろうか。

 自分だけがそうじゃなくて安心してしまった自分がいる。

 じゃあやっぱり舞優が難しく考えすぎちゃった、ってことなんだよね?


「あっ」


 違うっ、私がいちいち一年とか口にしたからだっ。

 悪いのは私だ、なんであんなことを言ってしまったのか……。

 ……とにかくいまは先生に頑張ってもらうしかない。

 きっかけを作ってもらえたらちゃんと謝ろうと決めたのだった。

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