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ばちばちという強い調子の物音と、胸が悪くなるほどの煙の匂いで目が覚めた。一瞬、火事になったのではないかと肝を冷やしたが、どうもそういうわけではないらしい。
膝とふくらはぎとに妙な冷感がある。これはどうしたことだと触ってみると、右脚が少し濡れているのがわかった。
(雨だ!)
気づいたときにはすでに手遅れ。この二日間というもの朝となく夜となくサムを支え続けてきた熱い相棒は、見るも無残な姿になり果てていた。
小雨ていどならどうにか耐えられたのかもしれないが、大雨を伴うスコールを敵に回しては焚き火の側に勝ち目はない。なすすべもなく風雨に溺れるのみである。
(やはり屋根を拡張しておくべきだったか)
無念が脳裏をかすめる。が、彼はすぐさま考えをあらためた。いやむしろ、これでよかったのだと。
火の存在が惜しくないわけではない。炎が生み出す熱と光とが住空間にどれほどの好影響をもたらすのかは、今さら説明する必要もないことだろう。
だが無論のこと、その熱のエネルギーが増大し過ぎれば途方もない破壊と混乱を招くということも、失念するべきではない。制御の利かない火炎はまさしく破滅の権化だ。情け容赦のない悪魔の爪だ。それは時として想像を絶するほどの苦痛というものを、この世界にもたらすのである。
しかし、そうした事実を知ったうえで、なお人類は火を求めてやまなかった。危険を承知で求むるだけの絶大な価値がそこに存在しているからだ。
その価値というのは、たとえば利便性であったり、あるいは宗教的な意義であったり、はたまた精神の安らぎのためであったりというように、さまざまなかたちで人々に享受されるものである。
絶えず変容を続ける火中に何を見出すのかは、人それぞれであるということだ。
この点に関して、現状のサムにあてはめて考えるのであれば、そこにある動機はもっぱら生存のためということになる。
より安全に食料と水とを摂取し、体温を保ち、外敵から身を守る。そのためにこそ彼は火のもつ力を欲するのだ。
それほどまでに万能で、かつ頼りになる相棒を失ったことが、彼にとって痛手でないはずがないのである。
そうしたことまで踏まえたうえで、しかし彼は思う。やはり、これでよかったのだと。
何よりも「いい契機」になったという思いが強かった。
見たところ夜はすでに明けているし、降りしきる雨もさほど長引きそうな雰囲気ではない。雨脚こそ強勢ではあるものの、おそらくそう遠くないうちに晴天が戻ることになるだろう。そうなれば、その後にすべきことは決まり切っている。
それにしても、朝一番から通り雨というのは珍しい事態である。ひょっとすると午前中いっぱいを寝過ごしてしまったのかもしれない。
そんな呑気なことができる環境か、という感がないでもないが、なんせ現在時刻を確かめる方法がない。時計がないのは言わずもがな、分厚い雨雲に頭上を塞がれたこの状況では、日の高さや方向から時間を判ずることも叶わないのだ。
唯一、断定できるとすれば、ともあれ周囲の様子をうかがえるだけの明るさはある、ということくらいである。
どうあれ考え事はここまでだ。サムは両手を屋根の外に出すと、そのまま手の中に雨粒を溜めはじめた。ついで彼は、そこに集まった雨水で顔を洗った。
朝が来た。もはや昼過ぎだという可能性もなきにしもあらずだが、どうあれ今日の一日がはじまった。歯ブラシも髭剃りも石鹸も、柔軟剤の香りがするふわふわのフェイスタオルもありはしないが、とにかく、夜が明けたからには支度をせねばなるまい。ここを離れるための支度、次なる戦いに臨むための支度をだ。
幸い、火の元のチェックだけは完璧に済んでいた。消えたというよりも消え失せた。それくらいの勢いで焚き火は消失している。万が一の火事など絶対にあり得ない。これぞ、最良の旅立ちには欠かせぬ条件の一つである。
予想どおり雨はすぐにあがった。空は爽やかな青さを取り戻し、蒸し暑さが肌寒さに取って代わる。未開の熱帯雨林を練り歩くには幾分、厳しい暑気である。さりとて贅沢を言える身分ではない。ゆえにサムは、黙って先を急ぐことにした。
彼は川の上流を目指し進んでいた。より正確には、川の上流にある山を目指してだ。
この道行きにかかる時間というのは、現時点ではほとんどまったく見当がついていなかった。昨日に丘の上から見た際には、早ければ一日かそこらで着けるかという感想を抱きはしたものの、実際に進む道の具合いかんによっては、丸三日かけても到着できないという可能性もあるのだ。
なんといっても、強靭かつ柔軟なつる草が繁茂する道なき道を、ろくな装備もなしに切り開いて行かねばならないのだ。
今現在サムが所持している道具といえば、そろそろ切れ味が気になってきた石製のナイフと、木材の先端を尖らせただけの簡素な銛と、あとはその身を飾る衣服くらいのものである。
しかしこの衣服というのも決して万全とは言えず、その内容は下着の上下とトレッキングパンツとが主で、あとは靴と靴下のみといった調子である。ジャケットの類はもちろんのこと、ベルトの一本すら残されていない。おかげで、上半身のあちらこちらが生傷で覆い尽くされてしまっていた。
ただ、靴を奪わなかったことに関してだけは、サムも襲撃者らに感謝したい気持ちがないわけではなかった。この格好で三日間も過ごしてきたからか、その念はいっそうに強まったようでもあった。
サムがシェルターを発ってからしばし時間が経ったころ、彼は前日に登った高台の真下を無事に通り過ぎた。
ここより以降、だんだんと川幅が広くなっていくはずだ。川の流れを横切る必要があるのなら、徒歩でそれができるうちに済ませておくのが得策だろう。
歩いて渡れるようならなんら問題はないが、しかしこれが泳ぐとなると、体力の消費なり安全性なりといったことにまで気を使わなくてはならなくなる。
ここでは判断の一つひとつがすべからく重要だ。ただ漫然と歩くということは、それだけでも充分に危険な行為だと言えるのである。
(それにしても)
と、彼は考える。周囲への警戒は怠らずに。考え事に夢中になり過ぎないように。
(結局、どういう理屈でおれはあの山を目指しているんだろう。なんらかの部屋、ひいては建物を探すはずだったのに、何がどうしてこうなったんだ? つまり……遺跡を探さなきゃならないんだ、本来は。古い文明の跡。町だったり墓場だったり、でなけりゃあ何かの儀式をするような場所だったり……何か……モニュメントみたいなもの。おれはそういうものを探すべきだったはずなのだが……)
当該地域を網羅した公式な調査記録はない。
よって、この土地に関する情報を集めるに際しては極力、信頼性の高い資料を探してあたったのだが、情報源の種類を問わずいずれの記録にも、この地に古代文明の痕跡を認める旨の記述は見られなかった。建造物はおろか、人が出入りした名残りすら発見されていないということだ。
サムも、三か月前に現地集落の人間から有力な情報を受け取っていなければ、この一帯に着目することはなかったはずだ。
とはいうものの、現地からあるていど離れた位置にある集落から得た情報なので、多少の誤りというものは覚悟しなければならなかった。当該地域を縄張りとする部族との友好的な接触が望めない以上、できるのはその周囲から様子を探ることくらいである。
当然、勘違いや齟齬といった可能性は常につきまとう。こうした誤謬のリスクというのは、どうあがいてもゼロにはならないものである。
どうあれ、その「有力な情報」が相当の説得力を備えていたのは事実である。少なくとも、こうしてサムが実際に真偽のほどを確かめるくらいには。それも、複数の法を犯してまでだ。
今はその内容に疑問をもつよりも、さらなるヒントを探すのが先決だろう。そう思うからこそ、彼は今この瞬間も黙々と川べりを突き進んでいるのだ。
その道中で、彼はふと閃いた。
(そうか、ピラミッドだ!)
サムは無意識に指を鳴らした。喉まで出かかっていた内容がはっきりと思い出されたときに特有の、心地のいい興奮があった。
(おれはきっと、あの山をピラミッドなんじゃないかと考えたんだ)
あまりにも長いあいだ放置されていたせいで、天然の山と見分けがつかなくなるほどに土砂や植物に埋もれてしまった。あるいは、宝物庫を秘匿するためにあえてそういうふうに偽装した。
正確な理由というのはどうあれ、何かそうしたことが起きたに違いない。いや、この場合「違いない」は言葉が強すぎるか。だが、サムの直感が告げんとしていた真意というのは、そういった内容で「間違いない」。ただし、信ぴょう性については大いに疑問の余地ありだ。
行動の根拠としてははなはだ心許ない理屈だが、しかし発想だとか欲求だとかの理由が明らかになったことは、それだけでもサムにとっては充分な益となった。物の輪郭がはっきりしたというのか、どういう理屈で、どんな物を追わんとしているのかが明白になると、あたり前ではあるが気分がいい。
直感に頼った行動のデメリットはまさにこの点に尽きる。計画どおりに事が運んでいるのにもかかわらず、その道理というのは依然として霧の向こうに霞んだまま。成功していようがいまいが制御が効かないことに変わりはない。
こういう状態があまりに長く続いた場合、悪くすると精神的に疲弊してしまうおそれがある。この理屈のわからぬ好調がいつ失われることになるのかと、そうした不安感に心が晒され続けることになるからだ。
いわば劇薬のようなものである。望外の成果につながる期待と同時に、ひどい副作用に見舞われる懸念もまた存在する。こうしたものを頼みとするのは危険な行為だ。特に、サムのような難しい気質の持ち主には。
(どうあれ、そろそろ昼飯時だ)
彼は腹の空き具合からそう判断を下した。
ついで、ワークパンツのポケットに収められた、携帯式のランチという物に思いを馳せた。面積の広い葉を折り畳んだだけのランチボックス。その野性的な容器の内部には、この道行きのさなかに発見した〝小さなカニ〟が五匹ほどまとめて入っていた。
カニにしてはハサミがないし、足の数も六本しかない。全体のシルエットとしてはむしろコオロギに近い感じである。が、ともあれカニだ。そうでも思わないとやっていられない。
なんせ今度は生食である。寄生虫のリスクを少しでも下げる――効果のほどは申しわけていどだろうが――ため、入念に咀嚼をしたうえで飲み込まなくてはならない。
今振り返ってみると、ポケットにミックスナッツの袋が入っていたころがまるで天国のように思えてくる。
さておき、いい時代を懐かしんでいても仕方がない。サムは適当な地面に腰を下ろすと、意を決して、野性味あふれる昼食と向き合った。
昼食後、移動のペースはすこぶる順調だった。少量といえど食事を摂ったからか、手足が軽く、また集中力も増している。
今朝のにわか雨による湿気もおおかた失せ、蒸し暑さもだいぶマシになっていた。もちろん、灼熱の直射日光は相も変わらずといった調子なので、折を見て木陰に入るなど細かい休憩は欠かさずに行うべきである。
川辺を少し離れると森がある。その森の中を通って行けば肌を焼かれることもないじゃないか、とサム自身も思いはするのだが、残念ながらそれはできない。漁網のごとくに張り巡らされた枝と下草とのせいで、木々のあいだを通り抜けることが叶わないのだ。
それゆえサムは、木陰に入る際は下手にじたばたせず、休息に専念することに決めた。体力は有限だ。ちびちびと惜しみながら使うのが上策である。
喉が渇けば川水を飲み、腹が減れば虫や木の実などで飢えを満たす。危険があれば避けて通る。とかくシンプルで明快な旅路だった。
そのとき、水上を渡ってきた一陣の涼風が、サムの全身を包み込んだ。柔らかな風圧を伴ったそれは、サムの身体にしつこくまとわりついていた熱気を霧散させながら、瞬く間に青い地平線の彼方へと過ぎ去っていった。
しかしながら彼は、その束の間の出会いと別れとに後ろ髪を引かれることもなく、ただ一心不乱に陽光の下を突き進んだ。次から次へと吹きつける川風に背中を押されるようにして。
川面に大きな波はない。緑の水面はいつになくひっそりと静まり返り、磨いた金属を思わせる艶やかな光沢をたたえている。ちょうど、翡翠によく似た色相である。
この心を奪われるような絶景の懐に、カイマンワニだのピラニアだのアカエイだのを内包しているというのだから、やはりアマゾンというのは油断のならない相手である。
したたかだというのか信用できないというのか、どうあれあまり心を許すべきではないという感がある。
そうした危機感の影響もあってか、彼はこのとき強く思った。
(そろそろ野宿する場所を見つけなけりゃあいかんな)
どこでもその辺で横になればいいというものではない。とはいえ、シェルターを用意するだけの時間的な余裕はない。
となれば、この果てしなく広がる大密林のどこかから、夜を明かすのに適した造形を見つけ出すしかない。
そんな都合のいい場所がそう簡単に見つかるのか、という疑問も当然だろうが、適切な「妥協」と「埋め合わせ」とのコツさえ心得ていれば、案外どうにかなるものである。
やがて陽光が勢いを失くし、空が夕刻の陰りを帯びはじめてきたころ。サムはようやくそれらしい場所に行き着いた。寝床の候補となりそうな地形にだ。
極々浅い洞窟というのか、巨大な岩壁の根もとが抉れたような形になっており、人ひとり寝転ぶのにちょうどよさそうな空洞ができている。これぞ、日がな一日歩き回ったサムがついに見つけた安息の地。ひとまずの、安息の地だ。
水場が近いため増水時の安全性には難があるが、どうせそう長く留まるつもりはないのである。多少の不満には目をつぶってやろうじゃないか。
本音の部分では、今日中にもう少し進んでおきたい気持ちもあった。例の低山にいまだたどり着いていないという事実に、彼は焦りを覚えていたのだ。
また、体力の具合や日没までの残り時間という意味においても、「やはりここで前進を切り上げるのは早すぎるか」との思いがあった。
とはいうものの、ここからさらに進んだ先で、この洞穴と同等以上の休息所を発見できる保証はない。
それに、可能であれば火を確保しておきたいという思惑もあった。火起こしにかかる時間を考えれば、ここはやはり足を止めるのが正解だろう。前回の成功から要領を得たのは間違いないが、だからといって、きりもみ式着火法が重労働であることに変わりはない。
本気で火を手に入れたいと願うのなら、今すぐにでも作業に取り掛かるべきである。
よってサムはそうした。肉食動物の糞や毒虫の姿などが見えないことを確認し、当面の安全を確保したのち、彼はすぐさま火起こしの準備に取り掛かった。
幸いなことに、火きりぎねと火きりうすは前回のものをそのまま使い回すことができた。これなら下準備に手間取るようなこともない。思う存分、作業に集中するとしよう。
手早くやればさほど苦労することはあるまい。そういう明るい見通しが、このときのサムの胸中にはあった。
彼のこの楽観というものは、珍しいことに、間を置かずして現実のものとなった。初回時とは打って変わって、いともたやすく炎が燃え上がったのである。
火きりぎねとうすとの摩擦。火口の着火。組みあがった薪木への引火。
今回、こうした工程の実行に要した時間というのは、合計で一時間足らずというところであった。前回の挑戦時には二、三時間かけても手応えが得られなかったというのだから、たった一時間での作業完了はまさに望むべくもない結果である。
そうして赤い火が薪木に燃え移った瞬間、薄暗いばかりの洞内がぱっと明るくなった。冷たい岩肌にほんのりと赤みがさし、心安らぐ暖気が旅人の周囲に立ち込める。
今この瞬間、ここは単なる岩場の洞穴ではなくなった。それはもはや、居心地のいい立派なシェルターへと変貌を遂げていた。
横になるには少々床が硬すぎるような気もするが、その点はたやすく改善することができるだろう。寝具の材料になりそうな素材は、付近の森にいくらでも転がっているのである。
というわけで、サムはまたしても岐路に立たされることと相成った。
選択肢は二つ。適切な休息のために寝床を整えるか、それとも、時間いっぱい夕食の材料を探し回るかだ。
日の傾き具合から察するに、それらの両方を万全にこなすのは不可能だ。ここは余計な欲をかかずに、どちらか一方に集中するのが賢明か、とサムは考えた。
このとき、彼はさほど迷うことなく決断を下した。つい先日ものの見事に真価を発揮した例の銛を手に、再度、川岸へと向かったのだ。すなわち、彼は食事を優先することに決めたのである。
なんといっても強烈な空腹感があったし、身体の全体に微かな脱力感があることも気にかかっていた。
一日中も不整地を歩き回っていたせいか足の裏やふくらはぎに痺れを感じる。これほどの体力的な消耗を補うためには、充分な休息と充分以上の栄養というものが不可欠だ。
ところが本日、彼が口にしたものはといえば、正確な種類も判然としないようなバッタが五匹と、それと似たり寄ったりの果物が少量のみである。脂質にしろ炭水化物にしろタンパク質にしろ、満足に補給できた栄養素というのは何一つとして存在していない。
十中八九、明日は勝負の一日になるだろう。今日の疲れを翌日まで持ち越すのは是が非でも避けたいところである。
いわば、この夕暮れの銛漁は前哨戦だ。明日の吉兆を占うのみならず、実際のコンディションにまで影響をおよぼす大事な大事な一戦だ。
ここで下手を打つようでは素人同然。サムは肩を怒らせつつ、ここ一番というほどに激しく闘志を燃え上がらせながら、全力を尽くして戦いに臨んだ。
よくよく考えてみれば、そこらじゅうに転がっているヤシの葉を集めて重ねるぐらい手間でも何でもないはずなのだ。もちろん、ヤシなら何でもいいということはないが、葉に棘のない種を探りあてるていどならどうということはない。
そもそもヤシの葉に固執する必要すらないのである。たとえばその辺に散らばっている枯葉をかき集めて敷くだとか、柔らかいミズゴケを利用するだとか、いくらでもやりようはある、いや、あったはずなのだ。
(しかしサムよ、それは結果論だ。そんなの、今さら考えたって仕方がないことじゃないか)
サム自身、そういうふうに自覚してはいるのだが、背骨が歪みそうなほど硬い岩の地面に、それも空きっ腹を抱えたまま横になっていると、否が応でも思考が後ろ向きになってしまう。
かといって、一メートル先もロクに見えないような暗闇の中、食料を探して歩き回ることなどできようはずがないのである。
とどのつまり、前哨戦はサムの完敗という結果で幕を閉じた。
鋭い銛の穂先が獲物をとらえることはついぞなく、最終的に彼が得ることになったものというのは、非常な徒労感と否定しようのない無力感という二点のみであった。いつの時代、どんな場所にあろうと変わりなく、空腹で夜を過ごすのはまさに惨めの極みである。
見通しが甘かったのだ。いくら全力を傾けて事にあたろうと、それに見合うだけの報酬が常に得られるとは限らない。
むしろ、「見合うだけ」どころかまったくの無益に終わることも少なくない。食料調達というのは得てしてそういうものである。殊に、生き物を相手にするような場合には。
最大の敗因は、銛に工夫を加えなかったことである。ナマズを二匹も仕留めたことで思い上がってしまっていたが、昨日の成功はあくまでも、相手の退路を塞いだことが勝利の要であったのだ。
わんど(川の流れの一部が岸に入り込んだ地形)の中に相手がおり、かつ、川の本流との分断が成功したとなれば、幾度攻撃を失敗しようとも標的を取り逃がすおそれはない。相手は完全に袋の鼠であるからだ。
要するに、銛の命中率などハナから問題ではなかったというわけだ。
しかし、本流中で獲物を狙うとなれば話は別だ。訪れたチャンスは最初の一手で確実にものにしなければならない。
仮に一度でも的を外せば、標的は瞬く間に姿をくらましてしまうことになるだろう。なんせ相手も命懸けである。喜んで人間に食われてやろうなどと考える生物は、ただの一匹たりとも存在しない。その辺りの必死さなるものを、サムは完全に見誤っていたのだ。
激しい後悔が万力のごとくに胃袋を締めつける。肉体疲労からくる強い眠気がたしかに存在するにもかかわらず、彼は一向に寝つくことができなかった。覚醒と睡眠とのちょうど境目で、何度も繰り返し寝返りを打つばかりである。
こういう場合、平時であれば気を紛らわせるべく何かしらの作業に従事するのがサムにとっての定石なのだが、このときは生憎とそうした手段に頼ることもできなかった。明かりの乏しい真夜中では、実行できる作業というのにも限りがあるからだ。
このとき、サムは逃げ場を失っていた。募る不安から身を守るための、唯一無二の手立てを、だ。
その事実に思いいたった瞬間、彼はパニックに襲われた。胃の粘膜から熱い動揺が込み上げ、胸郭を突き破らんほどに動悸が激しさを増す。ほとんど耐えがたいまでの「叫び」に対する欲求が、あぶくのような呻きとなって喉を逆流する。
今やサムの全身が、ほかならぬ彼自身の悲鳴を求め、震えていた。
いくら喚いたところで状況が改善することなどない。それは言うまでもない事実だが、しかしこの瞬間に彼を襲った衝動というものは、およそ制御しうる範囲に収まるような情動ではなかった。
頭の中に突如として重石が現れたような感覚だった。質量をもたない尖った石が一瞬にして眼球の裏に現出したのだ。
ついで、その実体のない石の鋭利な先端が、サム・モーティマーの精神を闇雲に引っ掻きはじめた。それは脳細胞そのものではなく、シナプスを駆け巡る電流を、強烈にかき乱すかのような感触を彼に味わわせた。
――おまえはいったい何をしているのだ。こんなところで、たったの独りで。適切な装備も持たず、救援の望みすら断つような真似をして。これがおまえの欲することか。自分自身を粗末に扱い、進んで窮地に立つことが。それも、ただ己が生き延びたいがため、自分一人が命をつなぎ留めたいというその願望がためだけに、数多もの命を奪っておきながら。
(そんな馬鹿な……それじゃあ、まるで無茶苦茶じゃないか)
苦境に挑むこと自体が目的ではないはずだ。少なくとも、サムはそう考えている。
大いなる謎を解き明かすこと。現代に残る伝説の真偽を明らかにすること。そうした難事に単身挑戦し、自身の技能と精神力とのほどを証明してみせること。それがサムの欲望だ。今の彼を突き動かす情熱の炎であり、人生の意味だ。
この情熱というものは、人類、誰しものうちに普遍的に存在しうる要素である。
されど、自分自身の情熱を明確に認識する気づきの機会というものは、決して誰彼かまわずに訪れるものではない。万が一にもその好機を逃し、己が苦しみに願望という輪郭を与えてやることが叶わなければ、人は生きる意義をもたぬまま生涯を過ごすことになる。
これもまた、人生における挫折の一つだと言うことができるだろう。人はそれを空虚さと呼ぶ。
何のために生きるのかも、どういう事物に対して喜びを見出すのかもわからずにただ日々をやり過ごす。
そうした空虚さ、虚無感というものを忌み嫌い、払拭せんと願うからこそ、多くの人々が情熱の光を追い求めるのだ。
ところが、たとえ上手く「これぞ」と思う道に巡り合えたとしても、そのことが直ちに歓喜につながるとは限らない。
理由は明白だ。そうした道が人の心に曙光を投げかけるのと同様に、時としてその道自体が人を欺き、裏切り、屈辱を与えることもまた世の習いであるからだ。
この種の失望を経験した者は多くの場合、時が経つにつれて空虚さを受け入れられるだけの精神力を備えるようになる。成長、成熟、あるいは諦念と称される心理によってだ。
しかしサムは違った。己にとって手痛い失望がどれだけ慣例になろうとも、彼は納得をしなかった。敗北を敗北のままよしとすることができなかったからだ。
ゆえに彼は戦いに臨むのだ。自分の選んだ道が正しかったのだということを、自分自身に対して証明するために。
自然、彼は自ら進んで戦場に飛び込んでいくことになる。「このサム・モーティマーなる人間の中には、困難を退ける強さが存在するのだ」と、そう証明することこそが、彼にとっての情熱の光であるからだ。
つまるところ、サムにとって「生きる」ことはすなわち「挑戦する」ことなのである。
およそ不可能だと思われる難題に、他人が呆れるほどの無謀に挑み、それでもなお無事に目標を達成してみせること。
それが、彼の呼吸、思考、食事、脈動、それらの一切を含むすべての生命活動の基調になっているということだ。
生きていられればそれでいい、ではない。それでは彼は満足しない。ただ漫然と呼吸をすることに月日を費やすようなありさまでは、単に死んでいないというだけではないか。
それなら、どうして人は度重なる苦しみに耐えてまで、この世に執着せねばならないのだ。
(そうだサム、無茶苦茶でいいんだ。でたらめだろうが何だろうが、無為に生きるよりはずっといいってものじゃないか。おれは今この瞬間、紛れもなくおれ自身として生きているんだ。おれは望むままに生きている! 心からそうありたいと思う生き方を、現実のものとして享受しているんだ。これほど贅沢なことがほかにあるか。これほどまでに恵まれた環境が……)
ぴくぴくと動く瞼の下で彼はそう考えた。考えるうち、いつの間にか、彼は静寂なる暗夜の底にその意識を投げ出していた。
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