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 はっとして目を開けると、いつの間にか空が白んでいた。昨晩は知らぬ間に寝ついてしまっていたらしい。


(まったく……余裕しゃくしゃくだな、サム・モーティマー)


 言うまでもないことだが昨晩、熟睡することができたのは、決して余裕があったからではない。ひとえに極度の疲労のためである。そもそも余裕などどこを探しても存在しない。よって、このときサムが発したモノローグは完全に皮肉なのである。


 自分自身に皮肉を言っても仕方がない。そんなことは自明の理だが、このときの彼はどうも、そうしたいような気分であったのだ。


 理由は二つあった。そのうちの一つというのは、これは実に普遍的なものだった。すなわち、胃がどうにかなってしまいそうなほどの空腹感というものである。


 消化してエネルギーに変えられる物質が胃腸内に不足している場合、身体は自らのうちに蓄えられたエネルギー、脂肪を使って活動を行わなければならなくなる。


 この消費にストレスを感じるのは生物としては当然のことだ。なんといっても、緊急時の備えが時々刻々と失われているのである。自然、イライラしてくるし、気力も体力も湧かなくなってくる。つまり、皮肉っぽい気分になるのである。


 片やもう一方の理由であるが、こっちはサムの個人的な事情に基づくものであった。


 それはつい今しがた、目覚める直前の微睡のさなかに現れた、とある映像によって引き起こされた情動だった。サム本人の見た夢が、彼自身をひどく動揺させていたのである。


 業界内ではそこそこ名の知れた中堅冒険家、「ザ・ビッグノーズ」の輝かしいキャリアにも、もちろん苦しい時期はあった。


 昼夜を問わず自らを追い込み続ける毎日。吹けば飛ぶような成功の予感に縋りつきながら、ただひたすらに修練と雑用とに明け暮れた日々。いわゆる下積み時代というものだ。


 サムは大学卒業後の三年間を、いろいろな職を転々として過ごしたのち、とある冒険家のアシスタントになるかたちで業界入りを果たした。もうかれこれ十年以上も前のことだ。


 今朝の彼は、そのアシスタント時代のことを夢のなかで思い出していた。より詳しくは、遭難時の対処法について教導を受けたときのことをだ。実にタイムリーな夢というべきか、察するに、昨日のシェルター建設作業が引き金となって古い記憶を呼び覚ましたのだろう。


 先に断わっておかなければならないのは、そこに見えた古めかしい光景というものが、サムにとって苦々しいばかりのものでは決してないということだ。


 たしかに、彼の師匠にあたる人物は厳しい男であった。元来、頑固で気性が荒く、また口うるさく、くわえて用心深い。サムはこの師匠について調査に向かうたび、連日のように叱責される日々を過ごす羽目になった。そこにある精神的なプレッシャーは半端なものではない。


 だが同時に、この重圧には常に、強い必然性というものが内包されてもいた。なんといってもお互いの命がかかっているのだ。


 雪山。砂漠。荒野。高山。密林。舞台のいかんにかかわらず、些細なミスが往々にして取り返しのつかない事態を招く。それが冒険だ。


 そのことを骨身に染みて理解し、それこそ片時も忘れなかったからこそサムの師匠は、そしてサム自身もまた、冒険家として立派に名を揚げることができたのだ。


 逆説的に言えば、サムが過去の辛い時期をさえ好意的に受け取ることができるのも、現在の隆盛があってこそのことなのである。


 ところで、そのように〝すてきな〟シーンから朝を迎えたのにもかかわらず、サムはやはり気分を害したままだった。お世辞にも寝心地がいいとは言えない手製のマットレスの上から、それでも起き出す気力が湧かないくらいに。


 彼は「夢の中の自分のほうがよほど恵まれている」という事実に気つき、戸惑っていた。


 意識の混濁する目覚めの瞬間、だんだんと現実の世界が立ち上がってくるにつれ、ふと、その中にいる自分を認識する。


 いくつもの国境をまたぐ広大なアマゾン熱帯雨林。地図も食料も医療用品もなく、救助も呼べず、挙句には現在位置すらわからない。


 そうした状況に置かれた自身の境遇、絶望の淵に立たされたという己の現状を彼は理解し、愕然とした。


――この無明の馬鹿げた現実が、おれの人生の「今」なのだ。


 傷だらけの両足を窮屈そうに曲げたまま、彼はしばしのあいだシェルターの天井を眺め続けた。



 腹が減っているからといって、食欲があるとは限らない。が、四の五の言わずに食べなくてはならないときもある。無理でも何でも栄養は適宜、摂取せねばなるまい。


 芋虫のような格好で寝床を這い出し、川水で昨日一日の汚れを落としたあとになっても、まだサムは平常心を取り戻せずにいた。鉛のごとき落胆が両肩からぶら下がっているのが実感される。


 至急、カロリーの摂取が必要だ。肉体が元気を取り戻せば、精神のほうも自ずと上向いてくるに違いない。


 などと口で言うのはたやすいが、この環境下で朝食にありつくのは楽なことではない。ぱっと冷蔵庫を開けてサンドイッチだフルーツジュースだというわけにはいかないのである。


 サムは差しあたり森の中を調べることにした。もう何日も伸び放題の無精ひげをさすりながら、目線を落としつつ悪路を行く。視界内にある緑と茶色の割合は、だいたい七対三といったところである。


 一歩一歩と足を進めるごとに、靴の底から枝の折れる感触が伝わってくる。ぱきぱきと軽快な音が耳に心地よい。裸足でなくて本当によかった。


 食料を探すにあたり彼が最初に目をつけたのは、豊富に存在する植物資源であった。なんといっても相手に逃げられる心配がないし、基本的には逆襲を受けるおそれもない。また、生食に適した食材が多いのもうれしいところだ。


 ただ一つ覚えておかなければならないのは――これは植物に限った話ではないが――、絶対に食べられるという確信のないものは極力、口にしないということだ。


 一説によると、アマゾン川流域の熱帯雨林には六万種を超える数の植物が存在しているのだという。


 それらのすべてを完璧に把握するのは到底不可能な話であるし、仮に食用植物に関する特殊な知識を有していたとしても、種類を判別するのが難しいケースも存在する。少しでも不安を感じたなら、おとなしく次の獲物を探すのが賢明である。


 その点パルミットは優秀である。ソテツなど雰囲気の似た別の樹木との見分け方さえ心得ていれば、ヤシの芽は確実な食糧となってくれる。いちおう、ヤシのなかにもトゲをもつ種類は存在しているので、採取にあたっては怪我をしないよう注意が必要だ。


 そうして慎重かつ黙々と歩みを進めるうち、サムはついにヤシの若木を発見した。幹が細く背も低い。サムお手製の石器でもどうにか太刀打ちできるだろう相手だ。


(しかし不思議なのは)


 と、彼は考える。


(これは食事のための下準備、すなわち調理なんだと、そういうふうに思い込んでみるだけで、ただ辛いだけの伐採にすらやりがいを感じるということだ)


 適当な木の棒で強く叩き、ヤシの若木の枝を落とす。そうしたうえで、今度は幹の根もとに近い部分を何度も打ち据え、真っ二つにへし折る。あとはトゲや虫などに注意をしつつ、きれいに樹皮を削いでいくだけだ。


 作業中、サムは三か月前のことを思い出していた。この密林地帯を調査するに際して、事前の情報収集にあたっていたときのことだ。


 彼は当時、ある先住民族の集落に身を寄せていた。土地の者たちの世話になりつつ、ジャングルで生き抜くための知恵を授かる代わりに、労働や贈り物といったかたちで恩に報いる。極めて有意義で、かつ得がたい充足感に満ち溢れた日々だった。


 サムにアマゾンにおける一定の食の知識があるのは、そういった経緯があってのことだった。


 ともあれ一心に頭と手とを動かすうちに、やがて彼の前に姿を現したのは、長さ六〇センチほどの真っ白な木の芯だった。ヤシの若木の中心部分。要するに、木の幹の中身だ。


 響きからして味には期待できない雰囲気だが、だからといって食べないわけにはいかない。この食料からカロリーを摂取するという目的のために、多くのカロリーを消費してしまったのだから。


 サムはめまいを覚えるほどの空腹感に身を任せ、今まさに採れたばかりの飛び切りフレッシュな一品にかぶりついた。


 丸一日ぶりの食事だった。昨日は水と寝床の確保を焦るがあまり、食事というものをまったく疎かにしてしまっていた。おかげで胃の中はからっぽだ。


 そうした事情が関係しているのは確かだが、たとえその分を計算に入れて考えたとしても、やはりパルミットが美味いのは動かしがたい事実だ。生なので多少繊維は強いが、青臭さなどのクセがないおかげで存外、食べやすい。


 味が薄いと言ってしまえばそれまでだが、嫌な風味がないというのはそれだけでも充分な利点である。その薄味のおかげで、顎骨に伝わる食感を素直に楽しむことができるのだ。


 用意するのには一〇分少々かかった食事が、五分と経たないうちに終了してしまう。あてもなく緑の隘路をさ迷ったことまで含めると、苦労に比して楽しみはほんの一つまみといったところだ。


 ともあれこれで朝食は済んだ。腹が膨れたとまでは言い切れないが、とりあえず目を覚ますにはいい刺激となった。サムはやや落ち着いた気分で地べたに座り込んだまま、しばし、風に揺れる枝葉の音に聞き入った。



 食後の休憩を終えてのち、彼はシェルターに舞い戻った。無論、休むためではない。次なる仕事に取り掛かるためだ。


 水分、拠点、簡単な食事が揃えば、いよいよ次は火の出番。これまで後回しにしてきた重労働と、ついに向き合う時が来たのである。


 着火器具を持たない状態での火起こし、それも、湿度の高い熱帯雨林中での作業となると、それはもう苦役と言っても差し支えない。実際の手順にさほど大きな違いがあるわけではないものの、強い湿気や、唐突な大雨などといった気候上の問題が、作業の成功率を著しく低下させてしまうのだ。


 より詳しく言うなら、木材同士の摩擦熱によって作り出した火種を、あらかじめ用意しておいた火口(特に燃えやすい物体を寄せ集めた燃料)に移す段階でミスが起こりやすい。このときに火口がしっかり乾燥していないと、上手く炎が上がらずせっかくの火種がむだになってしまう。そうなるとまた摩擦の段階からやり直しだ。


 要するに、「火起こしにはいろいろと必要な準備がある」ということだ。


 サムは朝食の現場から帰る道すがら、役に立ちそうな枯れ枝をいくつも拾って持ち帰っておいた。


 火のつきやすい細い枝からより力強く燃える太い薪まで、ほとんど手あたりしだいにかき集めた。薪木が両手で抱えられないほどの量になると、今度はそれらを手近なツタを用いて縛り上げ、最後には背負うかたちで運んだ。


 その後、さらにいくつかの加工を石のナイフでおこなってから、彼はようやく本題に取り掛かることにした。


 火を置く位置はすでに決定済みであるし、その場所に小枝を組むのも済んでいる。火口の準備も万端。あとは、小枝を燃え上がらせる炎を用意するだけだ。



(手際よくやれば午前中に火を起こせるか?)


 とサムは一瞬考えたが、いかんせん時計のない状態では正確な時間を計りにくい。彼はすぐに、


(時間に神経質になり過ぎるのはよそう)と考えをあらためた。


 彼は火きりぎねを手に取った。それから、そのきねの下方の先端を火きりうすにあてたのち、今度は上方の先端付近を両手で挟み込んだ。


 ついでその両手を前後に擦り合わせるようにして、サムは火きりぎねを繰り返し回転させはじめた。


 きねとうすとの接触面が擦れ、目の細かな木屑を生じさせる。きちんと圧力をかけられているという証拠だ。筋力や体重を上手く利用して、しっかりと木材同士を密着させるのが成功の秘訣である。


 ところで「火きりぎね」と「火きりうす」とはいったい何ぞや、という話であるが、これらを簡単に説明するのであれば、それぞれ「細身でまっすぐな木の棒」と「効率よく摩擦熱を集中させられるよう加工した木の板」ということになる。言わずもがな、どちらもよく乾燥していることが前提だ。


 地面に置いたうすに押しつけて回す都合上、きねを動かす手は自然と上部から下部に向かってずり落ちるてくる。そうして手の位置が下がってくれば再度、上方にポジションを戻し、摩擦面が冷めないうちにすぐさま回転を再開させる。


 落ちては戻し落ちては戻しという具合に、延々とこの動作を繰り返すのだ。これが「きりもみ式火起こし」の基本動作である。


 細く立ちのぼる白煙の筋や、木の焼ける香りが鼻腔をくすぐるこのひと時に、サムはひとり胸を躍らせた。


 もちろん全身汗だくで、額となく鼻となく顔じゅうから雫が滴り落ちるというありさまではあったのだが、その割にはだるさというか、疲労感といったものはさほどなかった。


 手足が軽く、筋肉や関節の動きもすこぶるいい。脳裏ではお気に入りの音楽が軽快に鳴り響いている。いわゆる『トラの目』であるが、幸か不幸かアマゾンには虎はいない。そういうわけでサムは思う存分、頂点捕食者の気分を味わうことにした。



 それから奮闘すること約二時間。いまだ着火せず、だ。


 心持ちこそ孤高の存在だが、現実のサムはただの遭難者に過ぎない。しかも、飢えて弱った遭難者だ。下手に張り切りすぎるとあっという間にへばってしまう。


 体感として湿気の強さを感じてはいるものの、正確な湿度を求めるための器具を所持していないがために、正しい数値を把握することが叶わない。言い換えれば、火起こしに適した条件かどうかを判断することができないのだ。


 かつての師の言葉が蘇る。


「あまり便利なものに頼り過ぎると肝心なときに困る」


 サムは一休みと思って横になりつつ、その言葉をつぶやいた。


 もしもはじめから徒労に終わるとわかっていたなら、もうしばらくのあいだ木材を干しておき、その時間で食べ物を調達するなどできていたかもしれない。


 もし今この場に湿度計があったなら、そうした正しい選択をすることも決して不可能ではなかったはずだ。


 仮定の話などしたところでただ精神衛生上よろしくないだけなのだが、しかし考えないようにしようとすればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなる。サムはこれまでに挑戦してきた数々の冒険のなかで、幾度となくこの手の脳の働きに悩まされ続けてきた。


 こうした場合における彼の対処法はシンプルだ。


 彼はおもむろに上半身を引き起こすと、ついでシェルターに背を向け、そこから真っすぐ森に向かって歩きはじめた。唐突といえば唐突な行動だ。


 その後、彼は進路の隅々にまで気を配り、危険な生物に出くわさないよう注意をしながら、一歩一歩と足を進ませた。そうするあいだ、目線の向きは前方やや足もと寄りに置いていた。食料を探すためである。


「下手の考え休むに似たり」という言葉があるが、あまりつまらない考えに拘泥するのは単純に休むより遥かに悪い。そんな状態で悶々と横になり続けるくらいなら、あてもなく散歩でもしているほうがまだマシである。


 さらに、そこから少々発想を広げてやると、せっかくそこいらを歩き回るのであれば、ついでに用事の一つでも済ませておくのが断然にいい、という結論にたどり着く。


 そういうわけでサムはいったん火起こしのことを忘れ、別の仕事に精を出すことに決めた。


 ネガティブの波が襲い掛かってきたとき、あるいは逆風に押されて一向に前進が叶わないようなとき、彼はいつもこの手法を取る。その時々で調子よく進む出来事に目を向け直すのだ。


 今回はひとまず昼食の調達から手をつけたが、これも上手くいかなければシェルターの拡充に、それもだめなら現在位置の把握にと、これぞと思うものが見つかるまでさまざまな選択肢を試してみるのがポイントである。


 不思議なもので、飽き飽きしたというか当分はもう自然公園すら視界に入れたくない、というほどに堪能してきたはずの緑の風景が、このときはどういうわけか新鮮なものに感じられた。


 試しに鼻から大きく息を吸い込んでみると、エメラルド色の臭気がなだれ込むようにして彼の胸腔を満たした。


 ついさきほどまで日あたりのいい位置に座り続けていたせいか、日焼けしたあとのように熱っぽくなったサムの首筋を、木陰から吹く涼しい風が優しく撫でて通り過ぎる。そこには、遥かな少年時代を思い起こさせる風情とも呼ぶべきものがあった。


 いっそこのまま目をつぶり、そこらの木の根もとで眠りこけてやろうかと、そんな考えが頭を掠める。今はただ、そのアイデアを実行できないのが口惜しいばかりだ。


 そうこうしながら行くうちに、サムの足が特に堅い枯れ枝に乗り上げた。そのまま体重をかけてやると、非常に力強く、かつ高らかな響きが周囲にこだました。言わずもがな枝の折れる音である。その音は、最前からまったく鳴りやむ気配のない鳥獣の鳴き声を、真正面から掻き消すかのごとき感触だった。


 近くの木々から一斉に鳥が飛び立つ。サムが立てた物音に驚いたのだろう。無数に連なった鳥たちの羽ばたきが、落ち葉の雨となってサムに降り注ぐ。直後、彼は思った。


(鳥はいいなあ)


 特に、脂の乗った腿が彼の好みだ。胸肉のさっぱりとした味わいも悪くはないが、普段から身体の健康を資本としているからだろう、彼にとって鳥のささみや胸肉というものは健康維持、ダイエットメニューとしての意味合いが強かった。


 ゆえに、こと楽しみのための食事となると、甘味やコクのある脂とぷりっとした歯応えを味わえる腿のほうが断然、彼の嗜好には合っていた。


 とはいうものの、ここに丸々と太ったブロイラーなど居はしない。野生のインコやオウムなどを代わりにするしかないが、食肉用の品種を想定して事にあたると痛い目を見ることになるだろう。命がけの反撃に体の大小など関係ないのである。


 反面、その大小が食べ応えには直接かかわってくるというのだから、なんとも決着のつけがたい話ではある。とにかく決して油断をせず、そして過大な期待は抱かず、だ。


 加えて言うなら、ジューシーなローストチキンはチキンだけでなり立っているわけではない。大事なのは〝ロースト〟の部分、すなわち加熱調理だ。そうして過熱をするためには、言うまでもなく熱源というものが必要になるのである。


 そうした観点から見てみると、火を起こすには充分な体力が、その体力を得るには良質な食事が、またその良質な食事にありつくためには火の持つ力が、それぞれ欠かせないということがわかってくる。どうにも皮肉な話だが、これでこそ人生だ。


 それにこれは「卵がさきか鶏がさきか」というような難解な話ではない。この場合のさきは常に人間だ。


 人間が代価を支払うからこそ、自然は応える。というより、応える場合もある。応えるまでやるしかない。方法のいかんにかかわらず、アプローチを続けるのみだ。


 そんなふうに思案を巡らせるのと並行して、サムはほとんど止まることなく足を動かし続けた。


 途中、蛇と対面したときには肝を冷やしたが、どうやら相手側も同じ気持ちであったらしい。その地味な色の蛇はすぐさま、尻尾を巻いて逃げて行った。せっかく遠ざかっていった相手を下手に刺激したくはなかったので、サムはひとまず、それまでの進路から外れて進むことにした。


 結論から言えば、彼のこの行動は思わぬ成果へとつながることとなった。比較的に穏やかな道から外れたその先で、サムは一本の木を発見したのだ。


 一見して奇妙な木だった。樹高は三メートルていどかといったところで、枝ぶりは非常に豊かである。細身の幹はその根もと近くから分岐をはじめ、次から次へと枝分かれを繰り返しながら成長しているようだった。青々とした葉の茂る最上部を除き、ちょうど逆三角形を描くかたちだ。


 と、ここまでは極々ありふれた野生の樹木に過ぎないのだが、目を引くのはなんといっても幹の表面、というより、そこを覆い尽くしたある物体の姿であった。


 たとえるならザリガニの卵とでもいうのか、粒一つ一つのサイズは比較にならないものの、球状の黒い物体がところ狭しと密集するその雰囲気や、気味の悪さといったものは大変に似通ったところがある。


 一見なんらかの病気にかかっているのではないかと疑いたくなる見た目だが、そういう姿かたちこそ、この木の正常な状態なのである。


(ジャボチカバだ!)


 サムは心の中で歓声をあげた。


「ジャボチカバ」というのはくだんの果樹の種名である。


 この種が備える特徴の一つとして、花をつける箇所というのが挙げられる。この木は開花時期を迎えると、枝といわず幹といわず木肌表面のいたるところに白い花を咲かせるのだ。


 そして果樹というからには、やがてその花が散ったあとには、種子を内包した果実というものを実らせるのである。


 この果実はそれ単体で見ればブドウに、とくに巨峰の粒によく似た外見をしている。色はうっすらと赤みを帯びた黒色で、形態は球状。サイズは平均して二から三センチていど。


 この実は熟す前の段階では黄緑色をしているのだが、その段階でいえばマスカットや極早生みかんにも近しい趣である。


 果実は花の咲いた箇所にそのまま成るので、自動的に、ブドウに酷似した球体が枝や幹の一面を埋め尽くすことになる。このあたりの事情こそが、ジャボチカバの正体を知らなければ到底近寄ろうとは思わないような、変わった風体の原因である。


 野生のジャボチカバはそれなりに珍しい存在で、野山ではなかなか出会う機会がない。


 と、それは事実ではあるのだが、しかしこのときサムが喜んだのは、何もその希少性のためというのではなかった。同様に、「チャーミング」な外見にそそられたわけでもない。


 このとき彼が心を躍らせていたのは、今眼前に見えるジャボチカバの実が、しっかりと熟しているという事実がゆえにほかならなかった。何を隠そう、ジャボチカバは美味いのだ。


 サムは適当な一粒を選んでもぎとると、ついでそれを自らの口に運んだ。じつに彼らしい所作というべきか、やけに慎重な手つきであった。何にでも見間違いの可能性はある。用心するに越したことはない。


 それから二回三回と咀嚼を繰り返すうち、彼はようやく確信した。これで当分はデザートに困ることはないぞ、と。自ずと頬が緩み、胸の奥から笑いが込み上げる。


 真っ黒い果皮とは裏腹に、果肉は透明感のある白が基調となっている。そうして味のほうはといえば、主張の強い甘味に加え幾分かの酸味も兼ね備えているがゆえに、後味がスッキリとしていて清涼感がある。実に食欲を刺激する甘酸っぱさだ。


 味と同様、香りの具合も良好で、いかにも南国のフルーツらしいエキゾチックな華々しさが特徴的である。パインやライチを想像するとわかりやすいだろうか、濃厚で力強く、かつ開放的なかぐわしさが感じられる。


 また、水分量が豊富なのも利点の一つだろう。ほどよい感じにジューシーで、空腹感のみならず喉の渇きまで癒してくれる。この点は極めて重要である。なんといっても、ここは灼熱の熱帯雨林なのだから。


 ああ糖分!


 これぞまさに、このときのサムが求めてやまなかった物の一つだった。人生を明るくする魅惑の味わい。いかなる疲れをも癒す活力の源。舌の上で踊るこの至福。彼は無邪気な笑みを浮かべながら、無我夢中で甘いひと時を享受した。



 その後、ひととおり満ち足りた気分になったところで、彼は取り急ぎシェルターに戻った。幸運が追い風となっているうちに、大きな問題を片づけてしまいたかったのだ。


 今や彼の気力は満ち満ちていた。底を突きかけていた糖が補給されたことで、肉体が本来のパワーを取り戻したのだ。


 そのことを素直に喜ばしく思う反面、この好調が一時的なものであると自覚しているだけに、一抹の焦りがあるのもまた事実だった。


 糖質は素早く吸収できるエネルギーではあるものの、体内に貯蔵できる量は少ない。そのうえ体内中では脂質やたんぱく質よりも優先的に消費されるので、あまり長くもたついていると、いつまた尽きてしまうとも限らない。供給源にも限りがある以上、この高揚感がもたらす好機を無にすることは許されない。


 サムは拠点に帰り着くや否や、すぐさま作業に取り掛かった。


 きねもうすも完璧に乾燥している。上空からは強い日差しが降り注いでいるし、肌に感じる湿気も気になるほどのものではない。まさに申し分のない条件だ。


 うすの様子をあらためた際、サムは一つ気がついた。きねをあてるために切れ込みとくぼみを作った部分が、まるで磨き上げたかのように変容していたのである。表面に光沢感があって手触りは滑らか。つるつるとしてひっかかりが少ない。


(どうりで上手くいかないはずだ)


 試しにきねの側も確認してみたが、やはり状態は似たり寄ったりだ。


 今回サムが採用したきりもみ式は、木材同士が擦れる際に発生する摩擦熱を利用して火を起こす手法の一つである。つまり、接触面に生じる摩擦力が大きければ大きいほど、成功率が上がるというわけだ。


 ところが今回のように、きねとうすとの接触面が研磨されたような状態になっている場合には、その部分に生じる摩擦力が自ずと小さくなってしまうため、結果的に、火起こしがより困難なものとなってしまう。


 このように触れ合う面同士が磨かれてしまうのは、きねをうすに押しつける下方向の力が足りないためである。


 より効率的に体重を利用することができていれば、こうした結果は避けられたはずだ。サム本人としては充分にそうしたつもりではあったのだが、どうも自身の消耗具合というのを見誤っていたらしい。


 想像以上にパワーが出ず、また集中力も欠いていたのか、力の伝達が正しくなされていなかったのだ。察するに、どこかの段階で姿勢が崩れてしまっていたのだろう。


 たとえどれだけの経験を積み、知識を備えていようとも、平常心を失ってしまっては元も子もない。


 身の回りで起こる物事を正しく把握し、理解し、対処すること。その基点となるのは常に自分自身だ。


 その自分自身の状態を正しく認識できないようなありさまでは、いかなる作業に取り組んだとて望む結果など得られようはずがない。それは運命を賽の目に任せるようなものである。幸運に恵まれて助かるときもあるが、でたらめな結果を得ることのほうが遥かに多いのは明らかだ。


 無論、そのことを知らぬサムではないが、しかしそういう人間をすら追い詰めるのがこのアマゾン川流域の密林だ。


 鳥獣。虫。風。途切れることのない騒音。太陽光と湿気と熱風。疲労からくるストレス。


 数多もの障害が寄ってたかって精神を苛むなか、どうにか寝床に落ち着くことができたかと思えば、長さ一五センチメートルもの巨大なムカデが頭の上に落ちてくる。


 それでも、襲撃者の正体がムカデであったことに感謝をしなければならない。有毒のサソリや蛇でなかっただけ、ずっとありがたいからだ。


(気を抜くべきじゃないぞ、サム。何をするにしても、いついかなる時もだ)


 サムは決意を新たに、今一度難事に取り掛かった。無心になるのは結構だが、漫然と手を動かすのは厳禁である。木の削り屑が出ないようであれば、また力が抜けているという証だ。


 煙と木屑、さらには木の擦れる音にまで細心の注意を払いながら、着実に作業を進めるべきである。


 集中力を高い状態に維持しつつ、サムはまるで全身の力をそこに集結させるかのように、二本の腕を一心不乱に動かし続けた。



 然るのち、摩擦面の温度があるていど高まったころ合いを見計らって、彼はきねの回転速度をいっそうに速めた。


 途端、煙の量が増え、削り屑の色が黄土色から焦げ茶色に変わる。いよいよここが勝負どころだ。


 これより先は一気にスパートをかける。サムは疲れた身体に鞭を打ち、それまで以上に満身の力を込めて作業に臨んだ。


 するとすぐに二の腕が張り、胸から脇にかけての筋肉に痛みが現れはじめた。手の平にも痺れるような感覚を覚えたが、よりにもよって今動きを止めるわけにはいかない。伸るか反るかの分岐点、天国と地獄の境界線は、この焼け焦げた匂いのなかにこそ存在しているのである。


 今か今かと待ち侘びた発火の兆し。その絶好の好機の訪れを、彼は見逃さなかった。直前まで摩擦面に重なっていたはずの煙の起点が、そこから零れ落ちた黒い木屑の側へと移動していたのだ。


 見ると、寄り集まった真っ黒い削り屑の中に、赤い光点が生まれていた。まるで押しては返す波のように明滅を繰り返すそれは、まごうことなき火種そのものだった。


 これぞまさしく努力の結実。待望の進展だ。


 だが、ここで気を抜くわけにはいかない。というのも、火種は極めて繊細な物であるからだ。下手に扱えばいともたやすく潰えてしまう。


 何としてでもこの小さな輝きを守り抜き、立派な炎へと育ててやらねばならない。サムは震える手で火種を枯葉に乗せ変えると、続けざま、鳥の巣に似せて整形した火口の中心に火種を落とし込んだ。


 それから再度、火口の形を整え直したのち、彼はそれを両手で包むようにして支え持った。ここからは待機の時間だ。火種から火口へと無事に引火するまで、少々の時間が必要である。

 

 やがて手の平に熱を感じるようになり、もうもうと煙が上がりはじめたら、今度は酸素を送り込む番だ。


 閉じた状態の火口をやや開き、顔を近づけ過ぎないように注意をしながら、酸素を含ませた呼気を吹き込む。ここで風圧が強すぎれば火を吹き消してしまうし、かといって弱すぎれば酸素が行き渡らない。いずれの場合でも遅かれ早かれ火種は駄目になってしまう。


 この段階まで来れば、あとは成功を祈るしかない。やり方やコツがどうこうではなく、どうか努力が実を結んでくれるようにと、神に祈りつつ息を吹きつけるのみである。


 手の震えは一向に止まらなかった。それどころか、指先から生じたその動揺は手首を伝って腕へと移動し、さらには肩へ、胸へ、首へと順々に伝って来たかと思うと、やがてついには唇の上にまで這い上がってきた。


 直後、サムの呼吸が安定感を失う。気を落ち着けようと努めれば努めるほど、余計に緊張が高まるようだった。


(だが……そんな場合じゃないぞ、サム!)


 そうだ。今は怖気づいてなどいられない。今こそ意地を見せるときだ。


 彼は信じることにした。冒険家として一歩を踏み出してからの十年間、決して短いとは言えないそれだけの期間を、見事に生き抜いてきた自分自身の実力を。たとえどれほど厳しい現実に直面しようとも、決して闘志を失わなかったザ・ビッグノーズの類まれなる粘り強さを。


 つけ加えるなら、このとき、信じるに値する物はもう一つ存在していた。


 それすなわち、視界を塞ぎかねないほどに増長した白煙というものである。煙の量が増えたのは熱が勢力を増しているという何よりの証であった。


(進む方向は間違っていない。このまま、このまま――)


 そうしてサムが細く長い息を吹き込み続けるうち、ついにその瞬間は訪れた。瞳の中で赤い光が弾け飛ぶ。


 瞬間的に燃え上がった火炎の姿に、彼は一瞬にして目を奪われた。刻々と濃淡を入れ替える紅の色。砕け散っては生まれ変わる透明感。サムは己が手に熱さを感じることさえ忘れ、ただ一心にその揺らめきに見入った。


 しかし、そうした心地いいまでの思考の空白は、ほんの束の間に彼の頭上を通り過ぎてしまった。火のついた燃料をいつまでも手に持っているわけにはいかないのだ。


 かといって、地面にそのまま放り出すようなことは絶対にできない。即刻、何かしらの手を打たねばならないだろう。


 サムは外敵を知覚した草食動物の機敏さで、組み上がった薪木の下に火口を押し込んだ。薪木は細い枝が下側にくる形で組んである。火口の火が最初に燃え移るのはこの部分だ。


 その後は順に中くらいの薪へ、太い薪へと燃え広がっていくのだが、事前に薪木の乾燥さえ済ませてあれば、はっきり言って以降は安泰である。よほどの急変でもない限り炎が絶えることはない。つまるところ、サムは見事に火起こしを完遂したのである。



 少なく見積もっても十分ほどのあいだ、彼は落ち着いて座ることができなかった。不安や心配のためではなく、非常な達成感からくる激しい興奮のためだった。


 時折ひとりで歓声を上げるなどしながら、彼は意味もなくシェルターの前を歩き回った。暖かいオレンジ色の光に照らされた、安全な寝床の正面を、だ。


 シェルターと火もととはなるべく近づけ過ぎないほうがいい。理由を説明する必要はないかもしれないが、とにかく、シェルターがどんな素材でできているのかを考えればわかりやすいだろう。


 また、生きている木の根もとで火を焚いてしまうと、その木を死なせてしまうことにもなりかねない。植物だろうと動物だろうと、無益な殺生は可能な限り避けるべきだ。


 そのことを踏まえたうえで、サムはできうる限りの範囲で寝床の近くに火を置くことにした。


 というのも、雨除けの屋根を焚き火の上まで拡張したいと考えていたからだ。


 現状のままの拠点では、もしも外出中ににわか雨にでも降られたりした場合、焚き火を守ってやることができない。雨水が直接に降り注いだり、また近くの地面に溜まったりしないよう、何かしらの対策を講じる必要がある。


 サムは「近いうちにシェルターを改良する」といった内容を、頭の片隅にメモとして残した。


 ともあれ、住居関連はいったん後回しだ。今優先すべき事項は別にある。火を手に入れた後に何をするのか、サムは前もって決めていた。熱源のもたらす恵みをもっとも有効に受け取る手段。すなわち、食事である。


 また食い物の話か、という感じがしないでもないが、朝食のメニューはヤシの芽のみであったし、昼もジャボチカバだけで済ませてしまった。


 いちおう、炭水化物とビタミンと、およびミネラルの類などは補給できたが、たんぱく質と脂肪とは相変わらず不足したままである。


 生きるか死ぬかの瀬戸際で栄養バランスも何もないじゃないか、と考えたくなるところではあるものの、しかし今日明日を生き残ればいいという話でない以上、体力の維持と、それを実現するための健康的な食事とは欠かすことができない。人間、食に貪欲でなければ生きられないのである。


 つけ加えるなら、さきまでとこれからの食料調達とでは完全に事情が異なっている。加熱調理が可能となったことで、サムの選択肢は無限の広がりを見せていたのだ。


 今となってはタランチュラ――手のひら大の蜘蛛ですらランチの候補となりうるのである。タランチュラは体毛と牙とに毒をもつものの、その毒というのは、直接に人間を死にいたらしめるほどの強さは備えていない。


 つまり、捕獲の際に充分な注意を払い、確実にとどめを刺したのち、全身の毛を焼き切るようにしっかりと火を通してやれば、比較的安全に食すことができるということだ。


 サムはまだ試したことがなかったが、同業者たちのあいだでは「なかなかイケる」と好評の声も少なくない。この機会に試してみるのも悪くない……かもしれない。


 と、ついつい極端な例を思い浮かべはしたものの、サムとて何もすき好んで八本足の毛むくじゃらを食べたいわけではない。


 どうせ同じ苦労をするのなら、魚か鳥でも狙うほうがよっぽどやる気が出るというものだ。しかも、より安全である。


 タランチュラ種の毒はそれほど凶悪とはいえないものの、ほかの種の毒蜘蛛と見間違えるリスクは少なからずある。


 たとえばクロドクシボグモなどは、たったの一匹で人間八十人を死にいたらしめるだけの毒を保有している。そんな化け物に勘違いから手を出すなど、断じてあってはならないことだ。


 また、このときのサムにしてみれば、時間的な都合というのも考えないわけにはいかなかった。幸いまだ日暮れまでには余裕がありそうだが、そういつまでものんびりと構えてはいられない。


 ここはやはり魚類に的を絞るべきか、とサムは判断した。水場はすでに発見してあるし、そこに魚がいるのも確認済みだ。大きなナマズらしき影も幾度かは目にしている。


 くわえて、獲物を捕らえた後にそれらを捌くための刃物も準備万端である。そうなると、あと不足しているのは漁に用いる道具のみだ。銛か網か簡素な罠か。種別を問わず何かしらの武器を用意しておくのが得策だ。


 現実的かつ手っ取り早い手段を求めるなら、やはり銛がいいだろう。凝った作りの物を求めないのであれば、適当な長さの枝木の表面を整え、先端を尖らせてやればそれで充分。立派な得物となってくれるに違いない。


 また、そうした簡素な仕上げに頼りなさを感じるようなら、先端部に丈夫な小枝を括りつけるなどして、穂先の数を増やすとよりベターである。たったそれだけの工夫でも、標的に有効打を与える確率を大きく向上させられるはずだ。


(差しあたり簡単な物から試してみて、今日中に好ましい成果を得られなかったら、また明日に改良型を用意しよう)


 でなければ、さきにヤシの葉を編み込んでカゴを作っておき、それを罠として設置しておくというのも悪くはない。


 ここは臨機応変に行くとしよう。なんとっても、生存競争に反則技はないのである。


 ともあれ、サムはすぐには動き出さなかった。彼はいったん、自身の興奮が収まるのを待ってから、行動を再開するつもりであったのだ。というのも、変に浮かれた状態で刃物を扱いたくなかったのである。


 それからまた一〇分少々が経ったのち、彼はようやく作業に取り掛かりはじめた。差しあたり銛の確保が優先だ。


 そうしていざ行動を起こしてみると、銛の材料はいともたやすく見つかった。多少、曲がりくねってはいるものの、長さも重さも申し分のない若木の幹である。この手の材料を掃いて捨てるほど見つけられるという点が、密林という環境のいいところだ。


 サムは今回、加工処理を最低限度まで抑えることにした。「とにかく穂先さえ鋭ければほかはどうでもいい」というような調子である。「返し」をつけるかどうかは非常に悩ましい点ではあったが、結果的には、その点は明日以降まで先延ばしという運びとなった。


 その後、彼は完成した銛を手に川へと向かった。


 川の真上は枝葉に塞がれていないため、上空の様子がよくわかる。太陽がもっとも高くなる真昼時に比べ、幾分か明度が下がっていた。現在時刻は十六時前後といったところか。


 日没の目安は十八時ごろなので、この二時間のうちに何かしらの成果は上げたいところだ。


 しかし、そういう彼の意に反して、眼前の川面に魚の姿は見られなかった。川水それ自体はほどほどに透き通っているし、生物が隠れられるような水草や茂みも見あたらない。どうやら、本格的にもぬけの殻であるらしい。


 期待外れの感は否めないが、しかしサムは特段、落胆した様子を見せることもなく、川岸を下流に向かって歩きはじめた。猟場で獲物の姿をとらえられない場合、対処は単純。探索位置を変えるのみだ。


 長く水流の音を耳にしていると、不思議と涼しいような気分になってくる。とかく穏やかな道行きだった。


 手も足もともに軽く、余分な力が抜けている。視野が広くなったというのか、あちらこちらと忙しなく視線を動かす必要も感じなくなっていた。自身にとって有益な情報が、無理なく頭に入ってくるような感覚だ。


 そうして意気揚々と進むにつれ、サムのかたわらを流れる川の幅がだんだんと狭くなってきた。


 シェルターにほど近い場所では五メートル近くあったものが、三十分も歩いた後には、その半分の二、三メートルていどにまで狭まっていた。


 ただし水量のほうは特段減少しているわけではないようで、流れの速度というのはかえって増す一方という調子である。とてもではないが、銛で魚を狙うのに適した環境だとは思えない。たとえ浅い川であろうとも、急流に足を取られるなどすれば充分以上に危険であるのだ。


 ここは引き返すのが賢明か?


 たとえこのまま進み続けたとしても、望むような漁場が見つかるという保証はどこにもない。それなら、時間的および体力的な損失をなるべく抑えるという意味でも、探索範囲をシェルター近辺から広げ過ぎないのが得策というものである。


 そういうわけでサムは、前方に滝が見えてきたのを契機にして、今来たばかりの道を真っすぐに引き返しはじめた。



 そして二時間後。陽光の名残が空から消えるその瞬間を、サムはゆったりとくつろいだ姿勢で迎えていた。焚き火が発する熱のおかげで、想像以上に居心地のよくなった、手製の寝床の中央で、だ。


 座っていても横になっていても安らいだ気分にはなれたが、腹の虫が収まる気配というのは一向になかった。結局のところ、彼は夕食を食いっぱぐれたのだ。


 二時間もかけて川辺を歩き回ったにもかかわらず、それで見つけることができたのは、小指ほどの大きさしかない小魚が三匹のみ。しかも、素手で捕まえるにはあまりにすばしっこく、また掴みどころのない相手である。


 今日のところは勝ちを譲ったが、次に会ったら容赦はしない。三匹まとめて串刺しだ。そのうえ、じっくりと時間をかけて直火で炙ったのち、頭からばりばりと食らってやる。さぞや美味い軽食となるに違いない。


 どうあれ日が沈んでしまえば漁は行えない。宵闇に視界を塞がれているような状態では、自身の身を守ることさえ困難であるからだ。


 たとえば近くに獣が潜んでいたとして、それが昼間の事であれば気配なり何なりから脅威を察知することも可能だろうが、しかしこと夜間となるとそうはいかない。目と鼻の先さえ見えないような暗闇の中にあっては、人間は本能的に恐怖心を抱かずにはいられないからだ。


 この恐怖心が人間の感覚器を欺くというのは言うまでもないことだろう。いわゆる、「幽霊の正体見たり」というやつである。


 加えて言うなら、視界不良から道に迷う危険性や、崖の存在に気づかず滑落するという可能性も無視はできない。いずれにせよ日没後にシェルターを離れるのは自殺行為だ。たとえ胃痛が生じるほどに腹が空いていたとしても、今はとにかく耐えるしかない。


 サムはひと際に大きな薪木を火にくべると、ババスの葉を重ねたマットレスの上に寝転がった。ぱちぱちと薪の爆ぜる音が耳に心地よい。


 目にも暖かいオレンジ色の光が、マットレスと同じ素材でできた緑の天井を照らしていた。時折、不意を突いて吹きつける冷たい夜風も、シェルターの中までは入り込んでこない。夜が明けるまでたっぷりと休息を取るとしよう。


(それにしても)


 彼は思うでもなく思った。


(長い一日だった……いや、昨日と今日とで二日間か。本当に、本当に長い二日間だ)


 瞼の裏で記憶が踊る。このとき彼が思い浮かべていたのは、どことも知れぬ野山の中で目を覚ました、昨日の朝のことだった。あの奇異なる目覚めの瞬間から、彼のサバイバルははじまったのだ。


 だが正確を期するのであれば、その場所を昨日一日のスタート地点だとするのは誤りだ。


「本当の」昨朝は寝坊からはじまったはずである。寝坊と、それから〝大立ち回り〟とだ。


(あいつらはいったい何者だったんだろう…………あの煤化粧の男は、いったいどこの誰だったんだ? いや、それとも……そうだ、そんなことは考えても仕方がないのかもしれない)


 それは思索から答えを導き出せるたぐいの疑問ではない。ならば、そのことについて頭を働かせる必要もないはずだ。どうせ同じリソースを割くのであれば、せめて、もう少しは有意義なことを考えるべきである。


(動機だ。それなら少しは想像がつくぞ)


 この点については「荷物を奪われた」という出来事それ自体が、大きなヒントになるかもしれなかった。つまり、あの先住民族らしき男たちの目的は、サムの持つ物資であったのではなかろうかということだ。


 荷の大半は食料やウォーターボトルなどのありふれた品々ではあるが、一部にはそれなりに値の張る物品というのも含まれている。


 特に、GPS専用機と衛星通信無線機、およびデジタルカメラの三点に関しては、どこへ持ち込んだとしても悪くない値がつくに違いない。


 また、いくつかの医療用品を含むファーストエイドキットも、有用性の面で言えば充分に魅力的な一品だ。金銭的な価値はともかく、持っておいて損になるようなものではない。


 ただ一つ気になるのは、例の独特な言語の存在である。ああした未知の言語を用いていることからすると、もしやあの者たちは他の文明社会から完全に隔絶した集団なのではないか、という可能性も捨て切れない。


 はたして、外界との取り引き無くして金が必要になるものだろうか。この場合、単に物珍しいから持ち去ったと考えるのが妥当かもしれない。


――あるいは通行料なのではないか?


 自分たちの土地に無断で侵入した部外者に対し、それ相応の代価を要求した。そういう観点からすれば、サムが意識を失っているあいだに場所を移されたことにも合点がいく。要するに、無礼極まりない無法者を縄張りの外へと放り出したのだ。


 となると、どれくらいの距離を移動させられたのか、早急に調べたほうがいいのかもしれない。というのも、想像以上に遠方まで運ばれてしまったおそれがあるからだ。


 と、そこまで考えが及んだところで、サムに新たな閃きが訪れた。


(待てよ……直接に奪われたのはジャケットだけじゃないか)


 正体不明の男らに取り押さえられたとき、サムは自身のテントからやや離れた場所にいた。その位置からでは、相手方はテントの存在に気づけなかったのではなかろうか。


(もしかしたら、奴らはおれの荷物を見つけていないかもしれないぞ)


 バックパックはテントの中に置いたままだ。無論、物資はそこに入っている。相手方に先んじてその場所に戻ることができれば、あるいは……?


(いや待て、サム。お前は奴らの声を聞いたがゆえに、テントから逃げ出したんじゃないか。そこまで近づいてきていた相手が、あの蛍光グリーンの人工物に気づかないなんてことがあるか? この大自然のど真ん中で?)


 やはり、この線は望み薄だろう。そもそもあの場所がくだんの男たちの縄張りであるのなら、それこそ「自分の庭」みたいなものではないか。


 勝手知ったる道の中、ある日突然に姿を現した蛍光色の異物に、二日も三日も気がつかないというのはさすがに迂闊が過ぎる。そんな幸運を期待してあの危険地帯に戻るというのは、いくらなんでも割に合わない。


 この際、荷の奪還は諦めるのが賢明だろう。どうせ同じ企てるのであれば、もっと現実的な計画を練るほうがよほどためになるというものだ。この長いながい二日間がそうであったように、だ。


 毎朝ごとの水浴び。夜風をしのぐ屋根。自信と安らぎを与えてくれる火あかり。


 今現在、サムを支えているこれらの要素は、いずれも強い目的意識が実を結んだものである。いわば、「一分たりともむだにはできない」という明確な危機感と、雑念を振り払う強固な意志との賜物だ。


 この二日間というもの、サムがあえて例の襲撃事件から目を背け続けてきたのは、まさにこの目的意識のためだった。せっかくプラスの方向に働いている緊張感を、悪戯に刺激したくなかったのだ。


 本音を言えば今でも触れたくない話題であるのには違いないのだが、空腹感のせいかどうにも寝つけないまま横になっていると、否が応でも思い出さずにはいられなかった。


 襲い来る相手を殴り飛ばした手の痛みも。怯えたような相手の表情も。立体感のない黒色に染められた煤化粧の男の顔も。力づくに服用させられた丸薬の苦さも。


 あのとき、サムの眼前には命の危険があった。いつ殺されてもおかしくないというような馬鹿げた状況が、現実のものとして彼の周囲に存在していたのだ。


 それから二日ほどが経過した今このとき。彼はその恐るべき事実を、あらためて突きつけられたような心地がしていた。まるで全身から血の気が引くかのような感触があった。今や彼の額を濡らすのは、蒸し暑さからくる汗ばかりではなかった。


(いつまでもここにいてはいけない。今のおれは屈強なる冒険者でも、幸運な生存者でもありはしない。おれは……おれはただの逃亡者に過ぎないのだ)


 ほんの十分ほど前までは、明日の朝一番の予定は十中八九、銛を用いての漁ということになっていた。でなければ、黙々とヤシの葉を編むかのどちらかだ。できる限り早い時間から罠を仕掛けておけば、そのぶん、より多くの成果を期待できるからだ。


 たしかに悪くない計画だが、今となっては実行するかどうかわからない。このときサムの胸中では、夜明けとともにシェルターを捨て去るという、これ以上なく弱腰な選択肢でさえ現実味を帯びはじめていたのだ。


 ふと目を開くと緑色の天井が見えた。その天井の一方の端、シェルターの出入口直上まで目線を動かすと、赤々と燃える焚き火の姿が視界に入った。


 それと同時に、その焚き火の背後に控えた漆黒の暗闇というのもまた、彼の目はとらえていた。光源の存在が影響しているのか、かつては一つの塊然として佇んでいた大地と木々との集合体は、もはや夜空との境界線さえ失ってしまったようだった。


 今や恐怖はその輪郭を失っていた。


 しかしそうした激変でさえ、夜の密林が放つ強烈な圧迫感を和らげるにはいたらなかった。たとえ姿は見えずとも、息遣いは絶えず聞こえ続けていたからだ。触れ合う枝葉のざわめきや、何者かが地面を踏み締めるその気配。土の上を滑る無数の足音。木の焼ける匂いと複雑に混ざり合った、深く青い緑の香り。


(やっぱりそうだ。おれはこいつの腹の中にいるんだ)


 緑あふれるこの大地、この広大無辺たるアマゾン熱帯雨林は、そのすべてを包括して、巨大な一匹の生物であるのかもしれない。鳥獣や木々は細胞の一つひとつで、河川は留まることのない血流だ。


 のみならず、ときにはその地に生きる人々の営みの中にさえ、人ならざる者の意思を感じることがある。ヒトよりも遥かに大きな者の意思を、だ。


 そうした発想に則るのであれば、サム・モーティマーは純然たる異物というのにほかならない。それも、アマゾンの生体機能に害をなす異物、すなわち外敵だ。


 これでは上手くいかないのも当然だ。たった一人の人間が反旗を翻すには、あまりにも相手が大き過ぎるではないか。


 つまるところサムは、最初から勝ち目のない戦いに身を投じていたのである。


 今さら後悔しても、もう遅い。そういう段階にいたってようやく、彼は理解した。自分がどれほど途方もない存在を敵に回したのか。生きて故郷に帰り着くために、どれほど過酷で、またどれほど困難な道を行かねばならないのかを。


 この日、彼が最後に思い浮かべたのは、「オオオニバスが群生する沼の底に沈み、そこから二度と浮かび上がることはなかった」という、まだ見ぬ自分自身の最期であった。

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