第8話 白桃のチョコレート
その言葉に、嫌な予感が胸を締め付けた。
(この箱って…)
千神商事に買収されてからも、蝶香はかつての父の会社で事務を続けさせて貰っている。日々、社内で業務を行う彼女が部署外の人間とコンタクトを取る機会はそう多くはなく、今日に至っては長時間の会議とトラブル対応のせいで、まともに接したのは同僚くらいのものである。(しかもこのかさ増しチョコレートを受け取る為に)
同僚から受け取ったチョコレートは五個。残りは自身のデスクに置かれていたものばかりで、そのどれもが凡そ社内の人間か取引先からの物である。それ故、挨拶代わりに名刺が添えられていることが殆どだ。帰宅時、一旦名刺を取り除く作業を挟んだが、果たしてあの箱には名刺など付いていただろうか。
経緯を知らない穂高の楽し気な眼差しが蝶華の不安を一層煽る。
「開けないの?」
考えていても仕方がない、考えた所で選択が変わる訳もない。錯綜する思考を中断し、蝶華は何食わぬ顔で指定された箱を持ち上げる。
(重い、何が入っているの)
振ってみる訳にも行かず、そろりそろりと蝶華は箱を開く。
瞬間、穂高が『わお』と嘘くさい驚きの声を漏らさなければ、きっと彼女の手元から箱は零れ落ちていただろう。
「ルールですから、どうぞご確認下さい」
手の震えに気付いてはいないだろうか、表情を訝しんではいないだろうか、この嫌悪感を悟られてはいないだろうか。平静を装い、恐る恐る一粒のチョコレートを手に取る。
見た目に異常は見られない。
嫌々たった一粒のチョコレートを口の中に放り込む。甘美な風味が口腔内を染め上げるが、美味しさの余韻に浸るような感情の余白は存在していなかった。
「お互い大変だね、いろいろと」
穂高に渡した束が蝶華の手元へと戻ってくる。箱の中に収められていたのは二十枚の写真。そのどれもに蝶華が映っており、内容も勤務中、プライベートと様々。だが、蝶香に著しいダメージを負わせたのは最前面に置かれた、亡き婚約者との写真だった。
いつ、どうやって、誰が撮ったのか。どんな意図を孕んでこのチョコレートが贈られたのか、手紙も無ければ送り主も不明である現状では何一つとして手掛かりは無い。
「調べようか? 送り主のこと」
「いえ、結構です。調べた所でいい結果は出ないでしょうから」
千神の伝手を使えば、箱の贈り主など容易に見つかるだろう。ただし、それが中身の贈り主とイコールである保証は無い。裏で指示を出した人間が居たとすれば、その行為は徒労に終わる筈だ。
寧ろ気にすべきは彼、千神穂高という人間がその可能性に気付かないだろうかという点である。気付いていて尚『送り主を調べる』と言っているのならば、これはとんだ茶番であろう。
「心当たりは?」
「――あまり深く考えない方がいい事もありますよね」
皮肉気にそう述べれば、穂高は一拍置いて面白そうに『そうだね』と零し、再びソファに凭れかかった。
「では、次は私の番ですね」
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