第5話 結婚記念日

 画して二月十四日バレンタイン、彼の提示した『決められた日』は五年前の今日、結婚記念日となった本日に定められた。

 室内には香しいチョコレートの香りが充満し、宛ら記念日を祝福するようであるが、二人の間には(少なくとも一方には)甘い香りなど微塵も漂ってはいない。


「五回目ともなれば必要は無いんだろうけど、念のためルールを確認しておこうか」


 対面のソファに蝶華が腰を降ろしたのを確認すると、穂高は柔和な笑みと身振り手振りでルールを再確認し出す。



「一つ、交互に相手方の山から相手が食べるチョコレートを指定する。


 二つ、相手が食べ終わらない限り、指定者は次に食すチョコレートを指定することは出来ない。


 三つ、指定したチョコレートに封入されている全てを指定者は確認する。


 四つ、手作り・購入品どちらか定めず、自身が選んだチョコレートを必ず一つ用意する。


 五つ、三で用意したチョコレートは手作りならば中に自身の名刺、購入ならレシートを提示する。


 六つ、自身が指定されたチョコレートを食べ切れなかった場合や四で用意したチョコレートが選ばれた場合は自身の負けとする。尚、いかなる場合も四を引き当てた者が勝者とする。


 七つ、先手が食べられず後手も食べられなかった場合は引き分け、ゲームは終了とする。


 八つ、所持するチョコレートの個数差は埋めないものとする


 九つ、以上を以てして敗者は勝者の要求を一つ、必ず呑むものとする」



 一つ一つ指を立てながら述べられていくルールに蝶華は頷き返していく。

 九つ目を聞き終わった後、穂高のお気楽な『オッケー?』との問いに、蝶華はこめかみに苛立ちを溜め込みながら、深く頷いた。


「それじゃ、確認も終わったことですし、ダイスで指示をする先攻後攻を決めますか。こっちも例年同様、目の大きい者が先行、低い者が後攻ということでいいよね」

「構いません」


 取り出された黒い三十面体ダイス。どちらが先に振るかという問題は『お先にどうぞ』の一言でいつも容易に解決されている。

 震える手で蝶華が出した目は『十八』、なんとも言い難い数字だった。


(どうか先手でお願いします)


 きっと、穂高は蝶華が『先手を譲って下さい』と言えばその通りにしてくれるだろう。己の矜持を砕きさえすれば、この男の態度からそれだけの余裕を感じ取ることが出来る。


「十八ね。次は僕の番」


 線の細い手からサイコロが転がり落ちる。出目は『六』を指していた。


「今年は後手かー」


 幸先の良い出だしに思わずほくそ笑む。だが、ほくそ笑むのは何も蝶華だけではない。

 テーブルの上へ早々に並べた二十七個のチョコレート。対岸では穂高が現在進行形でチョコレートを並べ続けている。


「随分と多いですね」

「今年度は女性の新入社員が多かったからね、そのせいかな?」


 ソファの死角から現れた追加の袋。選択肢が増えれば増えるほど各々が用意した『当たり』を選ぶ確率は低くなる。対岸に並べられた三十九のチョコレートに、蝶華の口角が自然と引き攣る。


はしていないから、安心してね」


 疑う筈もない事を眼前の敵はさも当然の如く安心させるようにそう言って微笑んでくる。


「疑ってなどいませんよ」


 だからこそ崩れた表情を立てなおし、今だけはと微笑み返す。言葉の裏を理解しない程、子供ではない。

 蝶華は女性であるが、毎年少なくは無いチョコレートを方々から貰っている。陶磁器の様な白い肌に赤い熟れた唇や、色素の薄い瞳に己を映して欲しいという老若男女が居るからこその結果だが、けれどやはり個数で穂高に勝ったことはない。


「差があり過ぎても面白くないよね。今年は一度に二個選んでいいよ」


 そして、この余裕綽綽とした態度を好意的に捉えるものも居れば、蝶華のように好きになれない人間もいる事を、この男は果たして理解しているのだろうか。


「ありがとうございます」


 好意を好意として受け取れはしないが、背に腹は代えられない。勝利を掴む確率は高い方が良いに決まっているからだ。それが相手に不利となる申し出ならば、猶更喜んで受け入れると言うもの。

 勝つ為ならどの様な手でも使う意気込みでいる蝶華は、当然のように行っている。


(大丈夫、気付く筈はない。集中して選んでいこう。もし追及されたとしても、私が相手にお金を渡して買ってきて『貰った』ものなのだから、白ではなくともグレー。グレーゾーンを問い質す様な無様は働かないでしょう、この男は)


 空間が静けさに満たされる。

 状況は、悪くない。


「それでは始めますか」


 試合の鐘が音もなく鳴り響いた。

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