第29話 花

穴から出てきたハンナは顔を真っ赤にしていた。そんなハンナを全員生暖かい目で見ている。


「ハンナ。私は騎士達を連れて一旦王都へ帰る。また、落ち着いたら連絡しよう。」

「お待ちしております。」


ハンナは国王に一礼した。

落ち着いたら、と言っていた。

ハンナの目の端には、縄で縛られたナディアや、ジクフリードの姿が映った。この事件を起こした張本人であり、この後罪を背負うことになる。

しかし、ハンナは同情する気持ちも起きていなかった。ハンナにとって大事なものを馬鹿にし、攻撃してきた彼らを許すつもりもなかった。

あとは国王がどういった判断を下すのか。ハンナは待つのみであった。

 ハンナは深呼吸して、領民達のほうへと向き直った。


「みんな、この土地のためにありがとう。もう、心配しないで。傷を負った人はいない?」


そう尋ねると、領民達は笑い飛ばした。


「このくらいの戦いで傷をつくったら騎士をやめるね。」

「王都は大丈夫かよ。」

「てんで話にならなかったな。」


そう大声で喋りながらけらけらと笑いとばした。その言葉通り、怪我をしているものは誰一人としていなかった。

騎士達の悔しそうな視線を感じるが、事実である以上、何も言えない。

ハンナはわいわいとはしゃぎながら騎士達を煽る領民達を放っておき、執事のセバスチャンを探した。


「セバスチャン」

「はい、なんでしょう。」


セバスチャンも戦いに参加していたはずだが、服に汚れひとつない。むしろ武器も持っていない。本当に戦いに参加したのだろうか、と首を傾げるほどいつもと変わらない様子だった。


「みんなに薬と、それから美味しいご飯でも用意して配ってあげて。出来たらお祭りするのもいいわね。」


ハンナはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。その笑顔につられて、セバスチャンもにやりと笑った。


「勝利の祝杯ですね。それは喜ぶでしょう」


手出ししてこない騎士達を煽りに煽って楽しんでいる領民達を眺めながら、今度は彼らが驚く姿を想像し、ハンナとセバスチャンは二人でこっそり微笑むのだった。




今夜は満月のせいか、夜なのに明るく感じた。戦いで疲れたロートヴァルトを明るく見守るように月が煌々と街を照らしている。

そんな中で、ハンナの部屋の扉が音を立てた。


「ハナ、」


様子を伺うようなタロウの声が部屋の中に響いた。しかし、返事はない。タロウは静かに扉を開けた。


「おやすみでしたか。」


そこにはベッドの上ですやすやと寝息を立てて寝ているハンナがいた。腕の中には丸くなってハンナと同じように眠っているモコがいた。

そんな仲の良い様子に、タロウはくすりと笑った。

タロウはハンナのそばに寄り、ゴロゴロと甘えるような鳴き声を出した。


「花、今回は貴方を守れました。」


満足そうに笑い、ハンナを見守っている。

普段は見せない、慈愛に満ちた笑顔だった。


タロウはハンナを見つめながら、昔のことを思い出していた。


昔、タロウがまだ名もない小さな猫だった時のこと。

タロウは道に捨てられているところを拾われた。

拾ってくれた彼女の名前は山田花。

公園のベンチの下に隠すように捨てられていた子猫に、声をかけてくれた。

「君、一人なの?」

汚れきったぼろぼろで痩せ細った子猫を抱き抱え、優しく微笑んだ。

「うちに来る?」

返事をする元気も残っていなかったタロウはただ震えるだけだった。花はそんな子猫を抱きしめて、優しく話しかけながら連れて行ってくれた。

「名前はねえ、私が花だから、君は太郎にしよう。日本の昔ながらの名前なんだよ。太郎と花!いいでしょう。」

そんな他愛のない話を楽しそうにして、温かな腕の中で太郎は穏やかな眠りについた。


ああ。自分は花に救われたのだ。

そう思いながら。


それから楽しい日々が続いたが、長くはなかった。花は不運な事故で突然亡くなってしまったのだ。


ーー自分は、花に何を返せたのだろう。


花の葬式で涙する人間たちを羨ましく思った。

涙と一緒に悲しみも少しでいいから流し出してしまえたらいいのに。


ーー花、花。もう一度会いたい。


ーー今度は不運だけど幸せな人生にしてあげたい。



それから、何が起こったのかは、正直はっきりとは覚えていない。異世界に転生した花の魂を追いかけて、神となってタロウも異世界に転生したのだ。


「覚えてなくていいです。そばにいさせて下さい。」

タロウはハンナに擦り寄った。

昔、花に甘えていた時、みゃあみゃあと鳴きながらやったように。

ハンナの腕の中ですやすやと眠るモコに、思わず太郎の時の姿を重ねた。もう、モコのようにハンナの腕の中で眠るには厳しい大きさになってしまった。けれど、タロウはベッドのそばに寝転んで、そっと目を閉じた。


「今度こそ、必ず幸せな人生を貴方に。」


それが太郎の恩返しだから。

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