第28話 魔王の管理者

多くの人のざわめく声で、目が覚めた。


「ん……。」

「目が覚めたか、ジクフリードよ。」


ところどころに傷は作っているものの、軽傷のジクフリードは避難場所で目を覚ました。

ジクフリードの隣には国王、ジクフリードの父親が座っていた。


「お父様!」


勢いよく立ち上がり、周囲を見渡す。まだ目が覚めない様子のルイスは、ロートヴァルトの領民達によって手当てされている。また、ジクフリードが率いた騎士達もほとんどが重傷をおっており、国王軍や領民達から手当てを受けている。

これは、ジクフリードの力不足が引き起こした事。

ジクフリードは下唇を噛み締めて、俯いた。


ーー私は……なんて愚かな事を。


「ジクフリード様!」


きんきんと耳に響く声がジクフリードの名前を呼んだ。顔を上げると、そこには縄で縛られたナディアがいた。


「ナディア……。」

「ジクフリード様!私、私は!貴方の婚約者ですよね!?」


ジクフリードは何故ナディアが縄で縛られているのか分からなかった。この無益な戦いを引き起こした首謀者の一人とみなされたのだろうか。


「お父様、ナディアは私が巻き込んだのです。」

「ジクフリード様!」


ナディアはぱっと表情を明るくした。


「ジクフリード、もう何もするな。」


父親の、国王の軽蔑した哀れみを帯びた視線に、ジクフリードは口をつぐんだ。


「ナディアは聖女ではない。アーベントメーア家からも絶縁された。」


ナディアはまだ何か叫んでいるが、もはや言葉にはなっていなかった。


ーーそうか……。ナディア、俺たちは間違ったんだな。


ジクフリードも哀れみの目でナディアを見つめた。煌びやかで可愛らしかったナディア。髪の毛を振り乱し、ドレスは汚れ、あの華々しい見た目は見る影もない。

見た目を損ねたナディアには、何の魅力も残っていなかった。

その時ジクフリードは、ふとハンナの事を思い出した。


「魔王は!?」


国王は首を横に振った。そして悔しそうに顔を歪ませた。


「魔王が復活してしまったからには我々だけでは敵わない。他国への応援を要請しなくては。」

「そんな……。」


国王も拳を強く握りしめている。そんな父親の悔しそうな姿にジクフリードは意を決して口を開いた。


「お父様!私も魔王討伐に!」

「駄目だ。」


国王は即答した。しかし、ジクフリードは食い下がった。


「何故ですか!」

「邪魔だからだ。」


国王はまたもや即答した。とりつく島もない国王の答えに、ジクフリードは口をまごつかせた。


「っ!」


何か言いたいが、何も言えなかった。そんな駄々をこねるようなジクフリードの様子に、国王は深いため息をついた。


「私は、お前を甘やかしすぎたようだな。」


ジクフリードは己が犯した罪の重さを全く理解していない。理解していれば、魔王討伐に参加できる身分だとは思うまい。むしろ、ジクフリードは王子という身分さえも……。

国王は苦虫を噛み潰したような表情で、絞り出すような声で話した。


「お前には罪を償ってもらう。」

「…………はい。」


ジクフリードは草陰から、国王と対峙するイムレとハンナの様子を見ていた。堂々とした二人の態度に、呆気に取られた。あの時のハンナは、ジクフリードが馬鹿にして見下していたハンナとは全く違った。自分が敵わないと思ったイムレの隣がよく似合うハンナの姿に、ジクフリードは焦燥感を覚えた。

『ハンナの婚約者にお前では役不足だ。』

イムレに言われた言葉を嫌でも思い出す。

俯いて目を閉じた。

涙は、出てこなかった。


領民達はキョロキョロと見渡し落ち着かない様子だった。


「ハンナ様がいないな」


ぽつりと、領民の一人がこぼした。


「いやイムレ様もタロウ様もいるはずだから。きっと大丈夫だ。」

「不運にあってなければな。」


ははは、と笑ってみせるが、何故か不安感が広がっていく。


「…………。」


領民達は急に静まり返ってしまった。その雰囲気を壊そうと、またある一人が笑って誤魔化す。


「いやいやいや。まさか〜。」

「ははは……。」


不運令嬢と呼ばれるハンナ。

前科は山のようにある。

どんなに冗談にしたくても、冗談に聞こえないのだった。

そんな時、がさがさと草むらが音を立てた。避難場所にいた人達が一斉に音のする方へと視線を向ける。


「ロートヴァルト辺境伯!」

「ハンナ様!」


二人と二匹の影が見えてきた。

ハンナの腕の中には黒い綿飴のような子犬がいた。そして、そんなハンナに寄り添うようにイムレが現れた。タロウはそんなイムレとハンナを見守るように後ろからついて来ていた。


「よかった。良かった!」


領民達は歓喜の声を上げた。その声に嬉しくなったのかモコも短い手足と尻尾を振りながら鳴き始めた。


「もきゅ!」


その声はなんとも愛らしかった。

人混みをかき分け、国王がハンナ達を出迎えた。


「国王様。」


安心した国王の笑顔に、ハンナも笑顔をこぼした。そして、国王はハンナの腕の中のモコへと視線を移した。


「魔王……。」


国王の視線を威嚇して、モコは牙を剥き唸り始めた。


「ぐるるるぅ」


少しずつ、モコから黒い煙のようなものが立ち始めた。国王はぎょっとして、一歩後ろに下がった。

しかし、そんなモコの頭をハンナはぎゅっと抑えた。


「こら!モコ!」


みるみると黒い煙は消え、モコはしょんぼりと落ち込んだ。


「もきゅうぅ。」


すっかりと魔王を手懐けているハンナに、国王は脱帽した。むしろ下手に手を出すと藪から蛇が出て来そうである。


「魔王が……従っている……。」


ざわめく騎士達に向かって、イムレは大声で叫んだ。


「さっきの暴走を止めたのもハンナ様だ。」


領民達にはあまり驚きはないようだが、騎士達はおおきくどよめいた。その目で見た光景がやはり信じられないようである。


「イムレ殿」


国王は一歩前に出てきた。

そして、眉の根を下げ、情けなく笑った。


「これはとりあえずロートヴァルト辺境伯に魔王の管理を任せた方が良さそうだ。」

「もきゅ!」


誰かが返事するよりも早くモコが鳴いた。

まるで「そうだ」と返事をするようで、思わず目をパチクリさせてモコに視線が集まった。


「くすくす。もうモコたっら。」


ハンナはそんな愛らしいモコの様子にクスクスと笑みをこぼした。何故だか分からないが、ハンナの楽しそうな様子にモコはまた嬉しくなって尻尾を一生懸命振るのだった。


「さあ、屋敷に戻りましょう。」


タロウが後ろから声をかけてきた。


「そうね。」

「もきゅ!」


いつものロートヴァルトが戻ってきた。

魔物と人間が共存する、笑いが絶えない穏やかな土地。

それが、ハンナの目指すロートヴァルトの姿そのものだった。


ズボン!


ハンナが笑顔で一歩を踏み出した時。

ハンナは大きな穴へと姿を消した。


「もぎゅうぅ〜」


ハンナに抱かれていたモコは、文字通り道連れにされて穴に落ちた。

今まで何人もそこを通ったはずだったのに、誰も引っかからなかった落とし穴。領民の誰かが作ったその罠に、ハンナはタイミングよくはまるのだった。


「……」

「……」


しんと静まり返る一同に、ハンナは顔を上げることが出来なかった。

何故、何故このタイミングで落ちるのか。


「はあぁぁー……。で。何か言うことは?」


ひょっこりと穴を覗き込んだタロウは、それはそれは深いため息をついた。


「何もございません。」


できればみんなの記憶から消して欲しい。

心の底からそう思うのだった。


「くっ……はははっ!」


すぐ隣にいたイムレは笑いながら穴を覗き込んできた。

そして、手を差し伸べてくれた。


「ほら、ハンナ様。」

「イムレ様」


ハンナは出来ればしばらく穴に入ったままでいたかった。しかし、イムレの優しさを無碍にするわけにもいかなかった。


「ふふ。ありがとうございます。」


そう言って、ハンナはイムレの手を取って引き上げてもらうのだった。

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