第26話 魔王の覚醒


一方、イムレはジクフリードの両手を縄で縛り、あらかじめ決めていた集合場所に向かっていた。

ジクフリードはすっかり戦意を失っていた。王子としての格も、男としての魅力も、武力も知力も、同じ歳の同じ王子に手も足も出ないのだ。自分がいかに無力で努力不足だったのかを実感した。


「どうしたんですか?」


イムレが合流した時、領民達の多くは皆同じ方向をじっと見つめていた。


「イムレ様。ちょうど今、ハンナ様が国王と話し合いに向かったんです。」

「え!ハンナ様が?紅の森にいるはずじゃ……。」

「すみません。ルイス殿にトドメをさすところに遭遇されてしまいまして、全てバレてしまいました。」


タロウはペコリと頭を下げた。そんなタロウの足元には気を失っているルイスが横たわっている。


「ルイス……。」


ジクフリードの声には力がなかった。よたよたと弱々しく歩き、ルイスの隣にジクフリードも座った。何かを話しかけているようにも見えるが、タロウもイムレも放っておくことにした。


「国王が来ているんですか?」

「ええ。軍を率いて、ですね。」

「ハンナ様は大丈夫なのか?」

「まあ……だからこそ全方位から見守っているのですがね。」


よくよく見ると、ハンナと国王が話している周りには国王軍である騎士達が跪いている。が、さらにその周囲を木々に隠れて領民達が見つめている。武器を構え、いつでも攻撃できる状況である。


ーーまあ。これなら安心か。


少しでもおかしい動きをしたら蜂の巣になりそうだ。そしてイムレはハンナの前に立つ国王へと視線を移した。


「あの方が、勇者の国の国王……か。」


イムレは領民達の横を通ってハンナと国王の元へと歩み始めた。その姿に、領民達は少し目を大きくしたが、タロウが何も言わずに見守っているのに倣って見守ることにした。

イムレがハンナの後ろから近付くのが見えた国王は、視線をハンナからイムレの方へと移した。その様子に、ハンナも後ろを振り向いた。


「イムレ殿下。無事だったか。」

「はい。お騒がせしました。」


国王とイムレが顔見知りだったことに驚いたハンナは、目を丸くしてイムレと国王を交互に見た。そして、イムレはハンナの横で歩みを止めた。


「イムレ様……。」


不思議そうに首を傾げるハンナに、イムレは申し訳なさそうに微笑んだ。


「ハンナ様。俺は隣国・竜王の国の王子、イムレ=リンドヴルムと申します。今まで黙っていてすみませんでした。」

「イムレ様が……王子様……。」


ハンナは空いた口が塞がらなかった。貴族か騎士か、平民ではないと感じていたが、まさか王子だとは思わなかった。

イムレは国王と向き合った。


「魔王の卵を運ぶという大役。さぞ苦難の道だったと思う。紅の森付近で連絡が途絶えたので心配していた。」


国王がそう告げた。


ーー卵?


ハンナは目をパチクリさせた。最近聞いたような、と記憶をたぐる。


ーーそう言えば、イムレ様を見た時、卵を持ってた。あれ?その卵……。


じんわりと汗が出てきた。

なんたってその卵は、ハンナが割ってしまったのだから。


「ハナ、ハナ。」


タロウが後ろの草陰から小さな声で呼びかけてきた。ハンナは後ろを振り返り、同じく小さな声で答えた。


「ハンナだってば。」

「こんな時はどっちでもいいでしょう。それより早く言い出した方が楽になりますよ。」


たしかに、早めに言ってしまった方が楽になるだろう。

しかし、割った卵から出てきたのは、ふわふわもこもこの子犬だった。


「信じてもらえる?」

「まあぶっちゃけ馬鹿にしてるのかと思いますね。」

「でしょう?私もそう思う。」

「あ。ほら、イムレ様が笑いを堪えてこっちを見てきますよ。」


ハンナは前を向いた。すると笑いを堪えたイムレが、チラチラとハンナの様子を伺っていた。


「イムレ様?」


国王はイムレのハンナの落ち着きのない様子に首を傾げた。


「いや。なんでもない。卵か……。あれは、その」


イムレが言葉を選びながら話そうとした。

すると、ガサガサと草むらから音がして、みんながその一点を見つめた。


「もきゅもきゅ」

「え!モコ?」


出てきたのはモコだった。


「どうしたの?紅の森にいて、て言ったのに。」


ハンナはモコを持ち上げた。モコは嬉しそうにハンナにすりすりしてくる。どうやら寂しかったようだ。

そんな愛らしいモコを見て国王は顔を青くした。


「魔王!」


その言葉に騎士達は攻撃体制に入った。その動きに、領民達も武器を構える。

一瞬にしてこの場が緊張に包まれた。


「ハンナ様はご存知だったようですね。」

「……はい。」


ハンナはモコを守るようにぎゅっと抱きしめた。


「国王様。この子は見た目通り無害です。どうか、武器を下ろして話を聞いて下さい。」


国王はじっと様子を伺っていた。


「俺からもお願いです。すぐに襲ってくることはありません。まずは説明させて下さい。」


イムレとハンナの真剣な眼差しと、無害そうな子犬に、国王は深いため息をついた。


「わかった。だがすまないが、魔王は檻に入れてもいいだろうか。」


ハンナは頷いた。

一人の騎士が近づいてきて、ハンナからモコを受け取る。騎士の手は少し震えていた。


「我慢してね、モコ」


モコは名残惜しそうにハンナを見つめたが、大人しく檻の中に入っていった。

檻が閉められたのを確認し、国王はようやくイムレとハンナに向き合った。


「さて。説明してもらおう。」


イムレは頷いた。


「私は卵を運ぶ途中、魔物に襲われました。紅の森でのことです。そこで倒れ、気がつくとここロートヴァルト家にいました。」


「私が紅の森を見回りしていた時に、傷だらけで倒れているイムレ様を見つけました。そこで屋敷まで運んだのです。その時持っていらっしゃった卵は……その……私が落としてしまいまして……。そしたら、その……モコ……あの子が生まれたんです。」


国王は信じられない、と目を丸くした。


「私も驚きましたが、様子を見たところ、現状ただの魔物の子どもにすぎません。潜在能力は計り知れませんが。」

「そうですか……。」


国王は深い深いため息をついた。そうなる気持ちもわからないではない。イムレもモコを見た時は今まで自分がしてきた事とは、と肩を落としたものだ。

国王はもう一度、檻の中にいるモコを見た。

本当にただの可愛らしい子犬だ。

誰かを害するようにはとても見えない。

それでも底知れない魔力に、この子犬は魔王なのだと実感する。国王は意を決してハンナとイムレの方を見た。


「しかし、勇者の国の国王として魔王を放置することは出来ない。」

「え」


国王が騎士達に視線を送ると、騎士達はモコが入った檻を運び始めた。ハンナから離され、不安が大きくなったモコは泣き叫んだ。


「もきゅっもきゅーっ!」

「モコ!?」


聞いた事のないモコの悲痛な鳴き声に、ハンナも駆け寄ろうとして、騎士に遮られた。


「魔王はこちらで封印させていただく。」

「待って!」


ハンナは叫んだ。


「この土地を見ましたか?魔物と人間は共存できるんです!」

「信じられない。」


国王はもうハンナを見ていない。


「誰もロートヴァルトを忌避して来ないからよ!」


思わずハンナは本音を吐露した。

大人しい見た目をしていても、幼い少女であるハンナは、年相応の様々な事を我慢せざるを得なかった。寂しいとも感じたが、優しい領民達やタロウ達のおかげで何とか頑張ってこれた。

けれど、王都に行くたびに田舎者だの魔物は怖いだの心ない言葉を浴びせられてきた。だが誰かが助けてくれたこともなく、ハンナは自分一人で耐えてきた。悪意を言葉にしない貴族でも、一線を引いてハンナと接する。


「臭いものには蓋をして、見ないふりしてるから!モコが何したというの?ここでモコを封印したら、魔物達は一斉に人間を襲ってくるわ!」


ロートヴァルトが悪く言われるたびに、ハンナは自分を責めた。この土地に住む人々の為にもハンナはロートヴァルトへの偏見をどうにか払拭したかった。

しかし、国王までも魔物を、モコを気味悪く思うとは思わなかった。

ハンナは悲しかったし、悔しかった。

ハンナの主張に、騎士達は視線を逸らした。

国王も一瞬言葉をつぐんだが、ゆっくりと口を開いた。


「ロートヴァルト辺境伯よ。この土地は素晴らしい。魔物と人間の共存、それが事実としても、まだ誰も信じられないのだ。」


どんなにロートヴァルトで実現出来ていても、人の意識はすぐに変わるものではない。


「そんな……」


ハンナはモコの方を見た。


「もきゅー!!」


小さな手足をバタつかせ、必死にハンナに助けを求めている。


「モコ……。モコっ!」


ハンナも一生懸命手を伸ばす。



しかし、その手は届かない。



だんだんと離れていくモコの姿に、ハンナはどうすることもできなかった。



「っハナ!」


草陰に隠れていたタロウが飛び出し、ハンナを庇うように抱きしめた。



「もぎゅーーー!!!!」



モコの轟くような叫び声が周囲一帯に鳴り響いた。地響きを起こすほどの大声に、檻のそばにいた騎士達は口から泡を吹いて倒れていった。

メキメキと木の小枝を折るような音が鳴り、空は雲に覆われた。

急に不穏な空気が漂い始め、あたりが暗くなった。



「グルルルルル」



唸るような空気を揺らす動物の鳴き声が響いた。

聞いたこともない魔物の鳴き声に、ハンナは困惑した。


「まずいです。」

「タロウ?何が……。」


タロウのもふもふの胸から顔を出し、ようやく周囲を見た。ボロボロになった檻と、泡を吹いて倒れている騎士。周囲の騎士の中にはガタガタと音を立てて手足が震えている者もいる。


「モコが……魔王が復活しました。」

「え?」


檻のそばには黒い禍々しい存在がいた。

大型犬くらい大きさをしているが、目で見て分かるほどの魔力に、気圧されてしまう。


「モコは他の魔物とは比べ物にならない程魔力が高いんです。それゆえ、魔王の子どもと言われています。今、モコは興奮状態で、魔力を制御しきれていません。」

「モコ……。」


ギラギラと赤く光る目は、キョロキョロと落ち着きなく周囲を見渡している。


「このままでは、暴走した本物の魔王になりますよ。」

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