第25話 国王軍


 ジクフリード軍の陣営は怪我人しかいなかった。誰一人として死んではいないものの、ぐったりとした様子で横たわっているものばかりである。その片隅に、ナディアは不機嫌を露わにして座っていた。口をへの字に曲げて腕を組んでいる。

 そんな時、一人の騎士が駆け込んできた。


「みんな!国王軍が来たぞ!」

「国王軍が?」


希望が見えたように一気に明るくなっていった。

そんな中でナディアは誰よりも早く立ち上がって叫んだ。


「私を助けに来たのよ!」


その言葉に騎士達はげんなりした。喜びに満ちた表情で怪我した騎士達なんて目もくれずに我先にと走り出した。

 そんな聖女に、騎士達は言葉も出なかった。ナディアは騎士達の冷たい視線に気付くことなく国王軍の元へと向かっていった。


「国王様!助けに来てくださったのですね!」


国王軍はすぐそばまで来ていた。

ナディアはか弱い令嬢のように国王軍に縋り付いていった。甘えたような声に、騎士達は冷ややかな視線を向けた。そして、国王はナディアに向かって一言だけ言った。


「捕らえろ。」


ナディアは耳を疑った。騎士達は縄を持ち、呆然とするナディアへと歩み寄っていく。


「は?」


ナディアは目を疑った。


「なつ……なによ。」


じりじりと近付いてくる国王軍の騎士にナディアは顔を真っ青にした。一人の騎士がナディアの腕を握りぐいっと引き寄せた。


「ちょっと触らないで!私は聖女なのよ!?無礼だわ!」


ナディアは腕を振り払い、騎士をきつく睨んだ。しかし騎士は敵を見るのような軽蔑した目をしていた。戦場を知らないナディアは、騎士の冷たい目に体を強張らせた。


ーー何で、何で私が!


それでもなお、ナディアは納得できていなかった。


「国王様!どういう事ですの!」


ナディアは国王に向かって叫んだ。


「愚かな」


国王は騎士達に視線を配った。騎士は頷き、手早くナディアを捕らえた。


「きゃあっ!」


ナディアは抵抗するものの、騎士の力に敵うはずもなかった。抵抗虚しく、縄で縛られたナディアはそれでもなお「無礼な!」ときいきいと叫んでいた。


「ナディアよ。聖女とは誰に認められて名乗っているのか?」

「はあ?」


ナディアは国王を睨んだ。

しかし国王はナディアを見る事なく騎士達に命令を出し、怪我した騎士達の手当てをさせていく。

縄で縛られたナディアを引っ張りながら、騎士はナディアを軽蔑した目で見ながら問いかけた。


「聖女と名乗るということは国王に認められ任命されるということ。貴方は、誰に聖女と認められて名乗っているんだ。そいつを罰する必要がある。それとも……。」


ナディアは言葉に詰まった。

知らなかったのだ。

白魔法が使えるようになった時、喜んだ両親が「聖女になれるかもしれないな。」と影で話していたのを聞き、自分が聖女に選ばれたのだと思い込んでいたのだ。

かつて勇者を導き、後に勇者と共にこの国を興した聖女は、強大な白魔法の使い手だった。聖女亡き後、勇者の国には白魔法の使い手がたびたび生まれてくるようになった。彼らは聖女の意思を継ぎ、勇者の国だけでなく他国の人々も治療し、多くの人から尊敬される存在となった。そんな中で我こそが次なる聖女であるという者も出てきた。これでは新たな争いを生む、ということで聖女と名乗ることを禁じられた。聖女とは国王と、それから『癒しの手』である白魔法使い達から認められて初めて名乗ることができるのだ。

この法を破った者は、重大な罪を負うこととなる。

その事をナディアは知らなかった。しかし、この事は貴族ならば幼い子どもでも知る常識である。ナディアの年齢ならば当然知っている事であり、「知らなかったのだ」と言えば馬鹿にされるだけである。

国王は、ちらりとナディアを見た。

騎士の問いに対するナディアの答えを待っているのだ。


「貴方が勝手に名乗っているのか。」

「……っ!……っ!おっ……お父様よ!そう!お父様に言われたの!」


国王は目を閉じた。国王の悲痛な表情に、ナディアは不安でいっぱいになった。

そして、国王は何も言わずにナディアの前から去っていった。


「貴方には二つの、いえ三つの罪がある。」

「はあ!?」

「一つはロートヴァルト辺境伯を無実の罪で攻め込んだこと、二つ目は聖女と名乗ったこと。そして三つ目は保身のために実の親を無実の罪をきせたこと。」


騎士のことばにナディアは体を震わせた。


「アーベントメーア公爵にはすでに確認をとっている。」


騎士は一枚の誓約書をナディアに見せた。その内容に、ナディアはポロポロと涙を流し始めた。


「貴方がすぐに自分のした事を反省した場合、アーベントメーア家にて再度教育をする。しかし、もし反省しなかった場合は、アーベントメーア家からナディアを追放する、とのこと。」

「お……お父様っ……」


首を横に振り、現実が受け入れられないナディアは「お父様お母様」と壊れたように呟く。


「残念だが、貴方はただのナディア。貴族でもない。そして聖女でもない。」


騎士は呪文を唱え、周囲の騎士達数十人の怪我を治した。ぶわっと広がる白魔法の威力は、ナディアのものとは別格だった。


「私は騎士の端くれで癒しの手でもない。もちろん聖女はこれ以上の力を持っている。それで。」


実力の差を見せつけられたナディアは、その場に座り込んでしまった。


「貴方は何人治癒しましたか?」


元気になった騎士達はチラチラとナディアを見るが、誰も同情してくれない。憎しみのこもった冷たい視線を向けて、すぐに興味を失って視線を逸らす。

まるで害虫を見た時のような、そんな目。

ナディアはようやく、自分がしてきたことが理解できた。


「無知とは本当に愚かだな。」


打ちひしがれるナディアを遠くで眺めながら、国王はそう呟いた。そして、自分の息子であるジクフリードにも想いを馳せる。

アーベントメーア公爵がナディアにしたように、国王もまた、このような事態を引き起こした王子に、自分の息子に、裁きを下す時が近付いているのだと感じていた。


国王軍の到着に、ロートヴァルトの領民達は散り散りになった騎士達を追いかけるのをやめ、ジクフリード陣営に集合していた。ジクフリード軍とは違い連携の取れた部隊に、領民達も気をしきしめ、様子を伺っている。


「みんな!」


聞き慣れた少女の声に、領民達は目を丸くした。


「ハンナ様」


そしてハンナの後ろから付いて来ているタロウへと視線を送る。

もとより、この戦いはハンナに気付かれないよう始めて、知らぬ間に終わらせる予定だった。だからモコの散歩に行くように、との名目でジクフリード軍が来ないだろう紅の森に避難させていたのだ。

タロウの様子からすると、ハンナにはバレてしまったようである。領民達はばつが悪そうに互いに顔を見合わせたり、俯いたりして、ハンナから視線を逸らした。


「みんな。もう武器を下ろして。」

「申し訳ありません、ハンナ様」


なかなか下そうとしない領民達を庇うようにセバスチャンが前に出て来た。


「セバスチャン」

「ここは戦場。いくらハンナ様の命令でも武器は下ろせません。」


そういうセバスチャンは何も武器を持っていないように見える。しかし、ハンナの知るセバスチャンとは違い恐ろしいほど殺気立っているのが分かる。


「……わかった。」


ハンナは戦いの経験がない。武術の経験もなく、このロートヴァルトでは子どもよりも弱いハンナが、いくら何を言おうと机上の空論にすぎない。それを理解したハンナは引き下がった。


「でもまずは私が話をします。」

「それは危険です。」

「大丈夫よ。」


ハンナは自信満々の笑顔を見せた。


「だってみんな強いもの。何かあったらすぐに助けてくれるでしょう?」


その言葉に、誰も何も言えなかった。照れ臭そうに頭を掻きながら、しょうがないなあ、と笑っている。

タロウもセバスチャンもクスクスと笑うしかないのだった。


「じゃあ、私が話をしてくるから。みんなはここで待っててね。」



ハンナは単身国王軍へと向かった。

戦場に似合わないドレス姿の令嬢に、国王軍はどよめいた。令嬢と言っても、凛とした統治者としての風格を持ったハンナに、みんな目を向けた。


「あれが、ロートヴァルト辺境伯。」

「噂には聞いていたがあんなに若いのか……。」


ところどころから聞こえて来る声にも、ハンナは動じなかった。


ーーパーティーに行った時もこんな感じだったわね。まあ、あの時は悪意しかなかったけれど。


もはやあのパーティーが懐かしく感じている。

ハンナは、領民達がこそこそと何かしているのは分かっていた。街だけでなく、紅の森までもが静まりかえっている様子で、何となく何が起こっているのかは分かった。家に帰る途中で、タロウがルイスと対峙しているのを見て、ジクフリードが攻め込んできたのだと思った。その後、ルイスの様子から全てを悟った。


ーーとにかく今はこの状況を落ち着かせなきゃ。


何が起きているのか、何が原因なのか、ハンナには知る必要があった。


「久しいな、ロートヴァルト辺境伯よ。」

「国王様。」


騎士達は国王の登場に膝をついて頭を下げた。

ハンナも頭を下げてドレスの裾を持ち上げた。


「遠路はるばるロートヴァルトまでようこそおいでくださいました。して、何の用事でしょうか。ご覧の通りロートヴァルトは現在少々取り込んでおります。」

「ロートヴァルト辺境伯よ、頭をあげてほしい。」


ハンナは国王の言う通り、顔を上げた。


「この戦いに参戦するために来たわけではない。」


優しい国王の笑顔には、どこか悲しさが滲んでいた。


「ここまで来た目的。それは魔王だ。」

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