第24話 ロートヴァルト辺境伯

「タロウ、どう言う事?」


現れたのはハンナだった。

さすがにタロウも驚いたようで、ぴたりと動きを止めた。そしてしばらくして、何事もなかったように飄々とした態度で微笑んだ。


「何がですか?」


ゴロゴロと喉を鳴らして笑うタロウに、ハンナは表情を変えずに答えた。


「ルイスを傀儡にすると言う事よ。それとも、ほかにまだ何かあるの?」


その態度はまさにロートヴァルト辺境伯の名に相応しい凛とした態度だった。


「いいえ何もありません」


タロウは恭しく頭を下げ、後ろに下がった。一命を取り留めたルイスは、魂が抜けたような呆然とした表情でその場に座り込んだ。

そんなルイスにハンナはゆっくりと歩み寄る。


「ハンナ……」

「あのパーティー以来ね、ルイス=ボートシャフター。今日は何の用事かしら。」


ロートヴァルト辺境伯としての振る舞いや口調に、ルイスは口を閉じ、俯いた。


「答えなさい。」


迫力のあるハンナの声にルイスはびくりと体を震わせた。ルイスの知る地味で冴えないハンナではなく、立派な統治者としての姿に、ルイスは愕然とした。


ーー俺が知るハンナとはこんなにも違うのか……。


昔一緒に遊んだ事などないような、赤の他人、もしくは敵に対する冷ややかな視線に、ルイスは頭を下げるしかなかった。


「ルイス、ロートヴァルトを侵撃しているのは、ジクフリード様やナディアですね。」


いっそこの場から逃げてしまいたいと、ルイスは思った。


「ここはロートヴァルト。この地に足を踏み入れた以上、私の命に従わないものは人間だろうと魔物だろうと容赦しない。ロートヴァルトは貴方達に何をしたのかしら。」


ルイスは奥歯を噛み締め、噛み付くように叫んだ。


「王都を攻める準備をしていた!」


悔しかった。

今まで下に見ていた相手が自分よりもはるか上の存在であり、自分が間違っていたのだと、認めたくなかったのだ。


ーーハンナのくせにっ。


ルイスが憎しみのこもった目で睨みつけても、ハンナはきにもしない。態度も変えず、ルイスを見定めるようにじっと様子を伺っている。


「武器の大量の購入履歴でも見つかった?それともそう言った内容の手紙でも見つけたのかしら。」


この問いにルイスは答えられない。


「……。」


それもそのはず。

ルイスもまたナディアやジクフリード同様、上部だけしか見てきていなかったのだ。


「貴方が見たロートヴァルトはどんな所でしたか?」


ルイスが数日前に偵察で訪れたロートヴァルトは、長閑な田舎町だった。穏やかに流れる時間の中、人々が農作業に励み、楽しげに談笑する。


「魔物と人間が話していた。」


だが、それがどうしたというのだろう。

確かに魔物は脅威である。それは魔物が人間を攻撃する存在であるからだ。ただ、ここロートヴァルトの魔物達は、人間を害する事なく共存していた。

むしろ、人間を害しているのは……。


「ねえ、ルイス。」


ハンナの優しい声かけに、ルイスは泣きそうになるのをぐっと堪えて耳を傾けた。


「私たちからしたら、何の証拠もなく思い込みで殺しに来ている貴方達の方が、よっぽど魔物だわ。」


馬鹿にしてきたハンナは立派な統治者で、自分が魔物だと思ったタロウは神様だった。

ルイスはゆっくりと後ろを振り返り、ロートヴァルトの町を見た。ところどころから悲鳴が聞こえてきて、和やかとは全く違う殺伐とした雰囲気が漂っている。

ロートヴァルトをこのようにしてしまったのは、自分たちなのだ。

ルイスは何も言えずに俯いた。

 そんなルイスの反省した様子に、ハンナはひとつ息をついた。そしてハンナの後ろで何食わぬ顔して立っているタロウを睨みつけた。


「タロウも!すぐに力任せにするんだから!」


頬を膨らませて、両手を腰に当て、タロウに注意する。しかし、タロウは全く気にしていない。ハンナの対応は甘いと言わんばかりに不満そうな目をしている。


「私は、タロウが人殺しになるのは嫌よ。」


怒ってはいるものの心配の色が見え隠れするハンナの瞳に、タロウは何も言えなくなった。耳をへたりと倒して、尻尾も元気をなくして地面に落ちた。


 タロウは、昔ハンナに拾われた猫である。


 雲一つない澄み渡る晴れの日に、ハンナは両親を亡くした。黒いドレスに身を包み、二度と目を開けることのない両親の墓標を前に呆然と立ち尽くしていた時だった。小さくてか弱い鳴き声が突然現れた。

 それがタロウだった。

 その時のタロウもすがるような目でハンナを見ていた。どんなに大きく育ってもハンナには弱い。


「ごめんなさい。」


素直に謝ったタロウに、ハンナは優しく微笑んだ。



どんなに有能で、どんなに猫に見えなくても、タロウはハンナにとって大切で甘えん坊な存在に変わりはないのだ。

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