第23話 ルイスの失態

 以前、ロートヴァルトを訪れた時は、長閑で穏やかな田園風景が広がっていた。戦いを知らないであろう領民達が、和気あいあいと談笑し、農作業に励む。そんな土地を攻め落とすことなんて、大した事ないと思っていた。

 しかし、蓋を開けてみるとどうだろう。

 慢心した自軍がロートヴァルトをせせら笑っていたのなんて、ほんの十数分だけだった。最初に領民達に敗北し、そこからみるみるうちに敗北していった。今はもう、蜘蛛の子を散らすように騎士達が逃げ惑っている。

 早く撤退せねば、とルイスは思った。途中までジクフリードの後ろについて走っていたが、蜃気楼でも見たかのように、ゆらゆらと目の前でジクフリードが消えた。

 ルイスはただひたすら走りながら、ジクフリードを探し続けていた。


「ジクフリード!ジクフリード!」


どこからか悲鳴が聞こえてくるが、辺りを見渡しても誰一人見当たらない。

 自分一人だけ別世界にでも飛ばされたのではないかとルイスは焦った。しかし、目の前にロートヴァルト辺境伯の屋敷が見えてきた。


「おやおや。迷子ですか?」


穏やかな青年の声が聞こえてきた。丁寧な言葉遣いから、ロートヴァルト家に仕える人間かと思い、振り返ると、そこには思いもよらない人物が立っていた。


「……は?」


思わず素っ頓狂な声が出た。

 もふもふした白い毛並みの猫が二足歩行している。もっちりした丸いフォルムが燕尾服を着てルイスに微笑みかかけた。

 この世界には多種多様な種族が存在するが、動物の形をした魔力を持つものを魔物と総称する。魔力が強い魔物の中には人の形に変身できるものもいるし、人間の言葉が話せるものもいる。

 ルイスは叫んだ。


「まっ……魔物!」

「失礼な。私はただ猫です。」


タロウは尻尾をふわりと動かした。その余裕の態度にルイスは逆上した。


「嘘をつくな!」


そう言って剣を抜く。タロウに剣を向け、睨みつけた。しかしタロウは動揺一つせず、にっこりと笑った。


「私と戦うのですか?」


ルイスは奥歯を噛み締め、剣を握りしめた。


「退治してやる!」


ドスンっ!


ルイスはタロウに斬りかかるつもりだった。

しかし、何もできないまま地面に頭をぶつけていた。突然で何が起きたのか全く分からない。全身に走る痛みに眩暈がして、意識が朦朧とする。


「大丈夫ですか?」


何事もなかったように顔を覗き込んでくるタロウ。にやりと不敵な笑みを浮かべたその表情に、ルイスはこの目の前の猫に転がされたのだと思った。


「は?……は?」


タロウが何をしたのか全く見えなかった。

目をパチクリさせて、タロウを見ていた。

タロウは面白そうにニヤニヤと笑って話した。


「貴方は数日前にロートヴァルトにいらっしゃっていましたね。あの日はこそこそされていましたから、今日は私が堂々と案内させていただきましょうか。」

「っ!」


まさか自分の行動が気付かれているとは思わず、目を丸くした。


「気付いていないとでも?」


馬鹿にしたような態度のタロウに、ルイスはカッとなった。


「ふっ……ふざけるな!」


勢いよく起き上がり、再び剣を構えた。

怒りに燃えたギラギラした目でタロウをきつく睨みつける。しかしタロウは小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、尻尾をふわりと動かした。


「貴方には感謝しているのですよ?」


思いもよらない言葉に、ルイスは言葉も出なかった。

そんなルイスの様子に満足そうにタロウは言葉を続けた。


「まず、私は王子様との婚約なんて反対だったのです。見た目だけの王子が釣り合うわけないんですよ。だからこそもう二度と婚約の話が出てこないようにしたかった。このような事件を起こしてくださり、本当に感謝しています。」


タロウの言葉に反論しようとして、口を開けたが、言葉が出なかった。どんなに一生懸命話そうとしても声が出ない。

ルイスの動揺した様子にますますタロウは満足そうに笑みを浮かべた。


「二つ目にナディアです。彼女はいつもハナをバカにしていましたからね。いつか仕返しがしたいと思っていました。ナディアが聖女?とんだ笑い話ですね。」


だんだんルイスは息苦しくなってきた。咳き込みたくてもうまく息が出来ない。


「貴方がここに偵察にきた時から、全て私の手の上です。」


タロウは満面の笑みを浮かべた。タロウのその笑顔に、ルイスはただただ恐怖した。

タロウが魔法を使った素振りもなく、自分に何が起こっているのか、何も分からない。

ただ、目の前のタロウが楽しそうに笑っているのを見ると、タロウがルイスに何かしたことだけはわかる。

タロウは、ゆっくりと、ルイスの耳元で囁いた。


「偵察にきたのが貴方でよかった。」


ルイスは死を覚悟した。

自分が怒らせてはいけないものを怒らせてしまったのだと、ようやくわかった。

何をされたのか、何が起きているのか。

何も分からないまま、ルイスは全てを諦めてそっと目を閉じた。もう、息をするのも辛くなってきた。


「かはっ……はあはあ。」


急に息ができるようになったルイスは、目を見開いてキョロキョロと見渡した。そして、すぐそばにタロウが立っていた。

何故、自分を殺さなかったのか、訳もわからずルイスは怪訝そうな顔でタロウを見つめた。


「ふふ。私が何者か分かりますか?」

「……ま……物……っ。」

「芸のない人ですねえ。魔法が使える種族は他にもいるでしょう?」


タロウは首を横に振ってはあ、と深いため息をついた。

タロウはちらりとルイスを見た。

ところどころにすり傷があり、血が滲んでいる。それを見たタロウはふさふさ尻尾をふわりと動かした。すると、ルイスの怪我が治っていく。


「……白魔法?!」


この世には、多種多様な種族が住む。人間、ドワーフ、竜、妖精、エルフ、魔物、獣人。この中で魔法が使えるのは人間と、妖精と、エルフと魔物。

魔物は魔法が使える種族だが、白魔法は使えない。白魔法が使える種族は、人間、魔法使い、妖精、そして、あと一つ……。


「貴族の貴方なら魔法についてもご存知でしょう。白魔法が使える種族は何でしょう。妖精、人間、魔法使い、そして、あと一つは?」


この世界の頂点に君臨する八百万の存在。

絶大な力を持ち、世界を傍観し、世界の秩序を守る存在。


「そんな……まさか……。」


神。


この世界には、多種多様な神がいる。神々は天界にいるとされ地上で見かけることはほとんどないと言われるが、様々な姿をして人間に溶け込んでいるとも言われる。


まさか、そんな存在を目の当たりにするとは、思いもしなかった。


「しゃべりすぎました。まあいいでしょう。貴方は心も記憶も体も全て私の傀儡となって動く人形になるんですから。」


さようなら。


そう言われている気がした。

タロウはルイスへと手を伸ばした。


ーーああ。どうなっても仕方ない……。


今度こそ、ルイスは死を覚悟した。


「待ちなさい。」

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