第22話 ジクフリードの後悔
騎士達に紛れて、ジクフリードはロートヴァルトの奥へ奥へと向かっていた。後ろにはルイスが付いてきていたはずだが、今は姿が見えない。ジクフリードはとにかく生き延びることだけを考えて走っていた。
先頭で何が起きているのか、はっきりとわかっているわけではない。ただ、我先にと逃げ惑う騎士達を見て、何か想定外の事が起こっていることだけは分かった。
「何が……何が起きているんだ!」
息も絶え絶えに、度々後ろを振り返り様子を確認する。どこからともなく聞こえてくる悲鳴に恐怖し、ただひたすらに走った。
「そんなに急いでどこ行くんだ?」
上から急に声が聞こえてきた。
ぎょっとして止まり、上を見上げると、木の上にひとりの男が立っていた。
男は、愛想良い笑顔を見せて木から降りてきた。細く繊細なガラス細工のような美しさを持つジクフリードと違い、鍛え上げられた肉体にさわやかな印象の男だった。ジクフリードはその男を警戒して、じりじりと後退りした。
しかし、男・イムレは気にもせず人懐っこく話しかけてきた。
「あんたが、ハンナ様の婚約者か?」
ハンナという名前に、ジクフリードはぴくりと眉を動かした。
「誰だ、貴様は。」
敵かもしれない、という思いから、ジクフリードは腰の剣に触っていた。
「おいおい〜。会ったことはあるだろう、勇者の国第一王位継承者・ジクフリード殿下。」
さわやかなイムレの笑顔をじっと見つめ、ジクフリードは自分の記憶を探った。
数年前、会った事がある気がしてきた。
それは、国王に付き添って参加した国際会議の場だった。勇者伝説にちなんで、数年に一回、竜王の国と勇者の国と古王の国で三カ国会議を行う。ジクフリードも勉強のためだとその会議に参加したことがあった。その際、竜王の国に自分の同じくらいの歳の王子がいた。
その王子も武闘派の竜王の国の王子に相応しく体格がよい武術に優れた人物だった。
彼の名前は、イムレ。
「イムレ=リンドヴルム殿下!」
ジクフリードはイムレの名前を叫んだ。イムレは白い八重歯を見せて「正解」と笑った。
イムレ=リンドヴルム。
勇者の国の北側に隣接する竜王の国の王子である。他国に知れ渡るほど武術に優れた人物で、兵士たちからの人望も厚いともっぱらの噂である。
「まさか殿下がハンナ様の婚約者だったとはなあ。驚いたよ。」
「もう婚約者ではない。」
ジクフリードはイムレの様子を伺った。明るく世間話をしてくるが、武術に疎いジクフリードにも、隙がないとわかる。
「それも聞いた。驚いたよ。あんなにいい子なのに。」
イムレの飄々とした態度に痺れを切らしたジクフリードは叫んだ。
「何故ロートヴァルトにいる?貴様の国は竜王の国のはず。何故竜王の国の王子がこのロートヴァルトにいるのだ!」
「王子殿下なら知ってるんじゃないのか?」
イムレはにやりと不敵に笑った。
しかし、ジクフリードには何一つ心当たりがなかった。
「知らん。」
「卵だよ。卵を運んで来たんだ。」
「たまご?」
ジクフリードは首を傾げた。
確かに、国王がそんな話をしていたような気がする。『卵が運ばれてくる』とは聞いていた。しかし、ジクフリードは自分には関係ないと、それ以上知ろうとしなかった。
いや。説明はされたのだろうが、聞き流していた。
「いやあ、魔物に見つからないようこっそり運ぶのは大変だったよ。結局魔物には見つかったんだけどな。」
まさか一国の王子が秘密裏に運ぶほど重要な物だとは思いもしなかった。
所詮、卵だとジクフリードは思っていた。
「将来国王……勇者の国の国王となる者が、この事を知らなかった……とは言わせないぜ。」
ジクフリードはぐっと押し黙った。
「なあ。何でハンナ様との婚約を破棄したんだ?」
「イムレ殿下には関係ない。」
「いや。あるさ。」
ジクフリードは眉間に皺を寄せた。イムレの真剣な眼差しに、心の中がざわついた。
「命の恩人なんだよ。俺は、ハンナ様の味方だ。」
「ならば、私とイムレ殿下は敵だ。」
「かつて、勇者と竜王は手を取り合って戦った。それが今、こうやって対峙することになるとは、ご先祖様も思いもしなかっただろうな。」
「そこを退け!どうしてもと言うなら剣を構えろ!」
ジクフリードはイムレに対して敵対心を剥き出しにしている。
「いいぜ。そっちの方が話がはやい。」
イムレはおもちゃを手にした子供のように笑っていた。
◆
「初めまして、ハンナ=ロートヴァルトと申します。」
勇者の国ではよく見るベージュの髪。特徴のない顔立ちに、飾りっ気のないシンプルなドレス。ハンナ=ロートヴァルトの第一印象は、地味な娘、だった。
この子が自分の婚約者だと思うと、ジクフリードはがっかりしていた。それでもこの子は自分が守っていく存在なのだと思い、優越感を持っていた。
地味でドジなハンナ。
自分よりも下の存在なのだから、自分が守らねばならない、と。
しかしそれは勘違いだった。
両親を亡くしたハンナは一人になったが、ジクフリードがいなくても生きていける女性だった。
ロートヴァルト辺境伯を襲名し、王宮での評判も良い婚約者に、ジクフリードは劣等感を持つようになっていった。
国王になる自分をこんな惨めな気持ちにさせるハンナは、婚約者に相応しくない。
そんな気持ちに囚われていった。
◆
ジクフリードとイムレの勝負はあっさりとついた。
それもそのはず。
ジクフリードはあまりにも弱すぎたのだ。
イムレはため息をついた。
「準備運動にもならない。本当に王子か?」
ジクフリードは幼い頃から華やかな見た目をしており、周囲にちやほやと過保護に育てられた。嫌いな勉強や武術は我が儘を言ってなんとか逃れてきた。勉強をしても、薄っぺらい内容だけ。そのため、プライドだけが高く、実力の伴わない、可哀想な王子になってしまったのだ。
しかし、自分と同じ王子であるイムレはどうだろう。
武術にも長け、国の重要な役目も果たす。
一方のジクフリードは、子どものように「勉強しなさい」と怒られるばかり。そして、「勉強してるのに」と不貞腐れている。誰も自分の努力をわかってくれない、そう思っていた。
けれど現実はどうだろう。
イムレとの差を見せつけられてもなお、ジクフリードは自分の何がダメなのか、全く分からない。
「ハンナの婚約者にお前では役不足だ。」
ため息混じりにイムレがつぶやいた。
それは、ジクフリードには聞き捨てならなかった。
「は!何を言う!ハンナはこの田舎がお似合いじゃないか!国王となる私とは、見た目からも不釣り合いだろう!」
「馬鹿野郎!」
イムレは大声で叫んで、剣を地面に突き刺した。怒りのあまり、剣でジクフリードを殺してしまいかねなかったのだ。
「ハンナ様が影で努力している姿を見た事があるのか!」
「こんな辺鄙な田舎に何故私が来なければならない。来るべきはハンナの方だ!ハンナは!あいつは!」
自分の後ろで着飾ってればよかったのに。辺境伯なんて継がずに、いつまでも自分の優越感を満たすためだけに。
ジクフリードがそう続けて言う前に、イムレはジクフリードを殴り飛ばした。
「つくづく残念だよ。」
たった一撃で、ジクフリードは目を向いて倒れた。
「王としても、ひとりの男としても、お前は何も見えちゃいないよ。」
ジクフリードは意識が沈む中、何度も何度も考えた。
ーー何が悪い。何がいけない。
けれど、彼は答えを出せなかった。
ーー……何も、分からない。
ふと、国王に言われた言葉を思い出した。
『情報ではない、知恵をつけろ』
ハンナの見た目だけにこだわってそれ以外何も見ていなかった。自分の王子であるという地位だけに満足して努力をしなかった。
けれど、どうすればいいのか、答えが出ない。
あんなに沢山勉強したのに、何も得たものはなかった。答えの出し方が、何もわからないのだ。
ーー私は、上部だけ……。
ジクフリードはゆっくりゆっくり後悔しながら意識が遠のいていった。
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