第19話 ひとりぼっち
ロートヴァルトは、いつもと違い、小さい子から大人まで皆忙しそうにしていた。農作業の繁忙期はまだのはずだが、とハンナは不思議そうに慌ただしい街の様子を眺めていた。
倉庫の前に小さな子ども達が集まっているのが見えた。恰幅の良い中年の女性が子ども達に道具を渡していく。
「いいかい、これを皆で運ぶんだよ。」
「「はーい。」」
「もきゅ〜」
子ども達の中に、子犬を抱きかかえた明らかに子どもじゃない女の子が混じっていた。
「ハンナ様、何してるんですか?」
「え。なんだか忙しそうだったから、お手伝いできないかな、て。」
「もきゅきゅ〜。」
恥ずかしそうに頭を掻きながら、正直に話をした。子ども達はハンナの周りに集まってわいわいとはしゃいでいる。「ハンナ様だ」「モコちゃんだ」「今日も不運だった?」などなど、次々と話していく。
「ほら皆!やることがあるでしょ。」
女性がパンパン、と両手を叩くと、その音に子ども達は背筋を伸ばした。
「さあ行った行った。ちゃんと仕事するのよ。」
「はーい。」
女性の言葉に、子ども達は一斉に動き始めた。
「あのお。」
「はい?」
「私にも何か手伝えることはありませんか?」
女性は言い出しにくそうに視線を泳がせた。そして、モコを見た。
「は……ハンナ様はモコの面倒を見ていて下さいな。」
ほほほ、と冷や汗を流しながら笑って、逃げるように去っていった。
見るからによそよそしくて、怪しい。
「みんな、忙しそうだね、モコ。」
「もきゅ」
ハンナはモコをぎゅっと抱きしめた。
それからハンナは町の人たちに声をかけては手伝うことはないかと尋ねたが、答えは皆一緒だった。
「ハンナ様はモコを見てみて下さいな!」
そして逃げるように去っていくのだ。
そんな中、ハンナはイムレを見つけた。町の人たちと笑って話し合い、何やら相談をしているようだった。そして、イムレが一人になったところで、ハンナはイムレに駆け寄っていった。
「イムレ様」
「ああ……ハンナ様」
笑顔で駆け寄ってくるハンナに、イムレも微笑み返した。
「今日はタロウと鍛錬していないのですね。」
「ええ。今日はちょっと用事がありまして。」
イムレは視線を泳がせた。先程の領民達といい、イムレの様子も何やらおかしい。
しかし、それ以上にハンナは嬉しかった。
「ふふ。」
「?どうされました?」
「いえ。イムレ様も随分このロートヴァルトに馴染まれたなあ、と思いまして。」
イムレがロートヴァルトに来てから数週間しか経っていないのに、領民達と楽しく話している姿にハンナはとても嬉しくなった。
「そうですね。ここは本当に心地よい場所です。」
イムレは少し考えて、それからぽつりとこぼした。
「いっそ、ここに住みたいくらいですよ。」
「それは嬉しいですわ!ぜひ住んで下さいませ。」
小さな声でつぶやいたが、ハンナにはしっかり聞こえていた。ハンナはぱっと表情を明るくした。そんの嬉しそうなハンナを見て、イムレは口元を手で押さえた。
「……では。」
和やかな雰囲気とは違い、真剣な眼差しでハンナを見つめてくる。そんなイムレの様子に、ハンナは目を瞬かせた。
「?イムレ様?」
そして、ハンナはイムレの顔を覗き込んだ。そんなハンナの手を握り、イムレは顔を近付けた。
「ハンナ様は、これからこの土地で私と一生一緒に暮らすとしたら、どう思いますか?」
「そうですねえ。」
真剣なイムレの様子に、ハンナも真剣に考えた。
まだ数週間だが、イムレはロートヴァルトを受け入れてくれた。そして、魔物だからと差別することもなく、接してくれている。昔から仲の良かったはずのジクフリード達が決してしようとはしなかったその行動が、ハンナは嬉しかった。もしかしたら、ジクフリードが特殊で、イムレが普通なのかもしれない。
けれど、ハンナにとってはそれが何より嬉しいことだった。
「きっと毎日楽しいですわ。」
心からそう思う。
不運とか、地味とか、色々言われるけれど、イムレはハンナに「普通」をくれる。
それがハンナには、「幸運」なのだ。
「私もそう思います。」
ハンナの笑顔につられてイムレも微笑んだ。
イムレの言葉の本意をハンナは分かっていないのだろう、ということは薄々伝わってきた。それでもハンナのそばで、明るいハンナの笑顔を見られる生活は、イムレにとってとても魅力的だった。
「おやおや、イムレ様。このロートヴァルトに永住なさるおつもりなら、もう少し鍛えていただかねばなりませんよ。」
二人の和やかな雰囲気を壊すかのように一匹が割り込んできた。
「タロウ殿」
イムレはむすっと不機嫌な表情に変わった。イムレがハンナといい雰囲気になると必ず現れるのだから、見張られているとしか考えられない。
イムレの睨みなど気にもせず、タロウはにやにやと面白がっていた。
「ロートヴァルトはいつ魔物に襲われるかわからない土地。領民全てが武を極めた者なのです。」
確かにこの土地に住む者達は、皆隙がない。
そして、それに気付いていないのは、領主であるハンナだけである。
「イムレ様なら大丈夫ですわ。」
ハンナの笑顔が眩しい。
イムレも鍛えており、それなりに腕に自信はあるのだが、農夫にしか見えない領民にすらいい勝負になる。
特に、自称猫の執事であるタロウ。
どんなに手を尽くしても手も足も出ない。
ハンナは「大丈夫」と言うが、タロウにだけは勝てそうにもない。けれど、ハンナの期待には応えたい。
イムレは少し困ったように笑うしか出来なかった。
「もしここに住まれるおつもりなら、ロートヴァルト辺境家一同、選りすぐりの住居を領地にご準備いたします。」
タロウはトドメをさすように提案した。
「…………それはそれは、嬉しい限りです。」
ハンナと仲を深めるには、大きな壁がある。
その壁を超えない限り、「この土地で一生一緒に住む」事は難しいのかもしれない。
「そうだ。タロウ、今からロートヴァルトに行ってくるわ。何だか皆忙しそうだし。」
「そうですか。……すみません。今日は忙しくてお迎えに行けないと思います。」
タロウは頭を下げた。
「そう。お仕事頑張ってね。」
「ええ。それは勿論。手抜き等一切無しです。」
「何だか張り切ってるわね。」
「お仕事が楽しいだけですよ。」
「?ふーん?」
いつも飄々としているタロウだが、今日は本当に機嫌が良い。ふさふさの尻尾を、楽しげにゆらゆら揺らしていた。
◆
紅の森はしんと静まり返っていた。
「あれ?魔物も動物もいない。」
いつもなら寄ってくる魔物や動物が全く出てこない。キョロキョロ辺りを見渡しても、気配すら感じない。かと言って魔物が森から出た様子もなかったので、この森の何処かにいるのだろう。
「何だか皆忙しそうね。」
そう言って、森を元気に駆け回るモコに話しかけた。
「もきゅもきゅ」
ハンナの寂しさが伝わったのか、モコは走ってハンナのもとへやってきた。そしてハンナの周りをうろうろとしながら様子を伺ってくる。
そんなモコが愛おしくて、ハンナはモコを抱き抱えた。ふんわりとしていて温かいモコに心までじんわりと温かくなっていく。
「モコ、寂しいね。」
いつも誰かがそばにいてくれて、寄り添ってくれていたことに、ようやく気付いた。
ジクフリードとの婚約破棄も、ナディアとの絶交も、寂しくて悲しかったけれど、今日のような虚しさはなかった。
ーーああ。みんなそばにいてくれたから。
魔物も、人も、落ち込むとみんなハンナのそばにいてくれた。
「いつもみんながいてくれたんだなって思うね。」
モコは返事をする代わりに、ペロペロとハンナの頬を舐めた。
ーー私は皆に、何が返せるのかな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます