第18話 反撃の準備


 「さて……。どうしてくれましょうか。」


 いくつかの蝋燭の火だけが灯されたロートヴァルト家の一室で、タロウは窓から遠くを眺めていた。尻尾をゆらゆらと揺らしながら、低い声でそう問いかける。

 この部屋に集まっていたのは、セバスチャンを筆頭にしたロートヴァルト家の従者達だった。

 忘れもしない数日前のこと。

 ロートヴァルト家は戦慄した。

 公務が忙しくなかなか遊びに行けないハンナが、久しぶりに友人と会うのだと嬉しそうに話す姿が何と微笑ましかったことか。そんな楽しげに出かけたはずのハンナが、ドレスと髪を汚してどんよりと暗い表情で帰ってきたのだ。いつもの不運とは違う様子だと、すぐにわかった。

「タロウ殿がここに皆を呼んだという事は、彼等に動きがあったという事でよろしいかな。」

セバスチャンの問いに、タロウは不敵な笑みを浮かべた。

 答えはそれだけで充分だった。

「答えなどあの日から決まっております。彼らには死。それ以外に何があるのでしょうか。」

いつも紳士的なセバスチャンだが、今だけは怒りを露わにしていた。

「賛成です。」

「全員俺が溺死させてやる。」

「いやいや。なるべく苦しんで欲しいから殺るなら毒物にしやしょうぜ。」

次々と意見が出てくるが、皆、殺すことで一致しているようである。

「皆さん、優しいですねえ。」

タロウはくつくつと笑った。

部屋からぴたりと話し声が止まり、全員がタロウのほうを見ている。

「本当の苦しみとは何でしょうね。死の瞬間?そんなもの一瞬ではありませんか。それとも死後の世界の苦しみ?そんなあるかどうかも分からない世界に裁きを託すのですか?」

タロウは笑顔を消し、さらに問いかけた。

「死後の世界に逃げるなんて、許せますか?」

皆の目が笑っていない。

賛同するかのような、ギラギラした目に、タロウは満足そうに口の端を上げた。

「さあ。腕によりをかけてお出迎えしてさしあげましょう。」


 あの者達に、裁きの鉄槌を。



 ◆

 最近、なんだかおかしい。

 ハンナはそう思った。

「あー。ハンナ様穴にはまってるー。」

「いつもの事じゃない。」

小さな子どもが穴にはまったハンナを指差して大声でそう言った。しかしその子の母親は、いつもの事だと話を流し、子どもの手を引いて歩き去っていった。

 ハンナは気にもせず、腕を組んで考え込んでいた。不運なんて日常茶飯事だけれども、穴にはまるか転ぶか、どちらか一日に一つ起こるかどうかの頻度だった。

 しかしここ数日、穴にはまる確率が異様に高い。

 何とか穴から這い上がってきたハンナは、後ろを振り返った。そこには、ハンナが落ちた穴が少なくとも五つは確認できる。

 そう。今日だけで五つ以上、穴に落ちている。

 ハンナははっと、思いついた。

「もしかして、何か大きな幸運の前触れ……?」

小さな不幸が重なる時は、大きな幸運の前触れだという話はよく聞く。もしかしたら、最近の不運はまさにそれなのではないか、とハンナは目を輝かせた。

「不運令嬢を侮ってはいけませんよ。」

相変わらずの憎まれ口。

こんなことを言うのは一匹しかいない。

「タロウ」

呆れたような、可哀想なものを見るような目でハンナを見てくる。その手の中にはモコがいた。

「もきゅもきゅ!」

小さな尻尾をパタパタと振りハンナの方へ行きたそうにジタバタ体を動かしている。そんなモコに手を伸ばし、タロウから受け取る。ハンナに抱かれ、嬉しそうなモコはペロペロとハンナの頬を舐めた。

「モコ、くすぐったいよ。」

「そうですよ、モコ。下手したら不運が移りますよ。」

「もぎゅっ!?」

モコは奇妙な鳴き声をあげて、ぴたりと動きを止めた。

ーーそんな目で見ないで欲しいな。

ちょっと嫌そうなモコの目に、ハンナは傷付いた。

「ははは。モコも不運令嬢がどれだけ不運かわかってきたようですね。賢い子です。」

「もう!不運令嬢て呼ばないでよ!ほら、私最近不運続きだから、きっとこの後とっても幸運な事が起きるのよ!不運令嬢の名を返上してあげるんだから!」

胸を張って自慢げに話すハンナ。その瞳には一点の曇りもない。

「……くっ。なんて可哀想な。」

タロウは目頭が熱くなった。

「な……何よ。そのうちタロウもびっくりするはずよ。毎日穴に落ちないし転びもしなくなるのよ。」

「それは幸運ではありません。普通と言うのです。」

「え……そうなの。」

ハンナは大きな衝撃を受けた。

「え。ほら、でも、普通、一日に一回とはいかなくても、数日に一回は……。」

「外を駆け回る小さな子どもなら、多くても数ヶ月に一回。十代の若者も大人も基本転びません。」

とても信じられない事実だった。しかし、確かに思い返してみると、屋敷の人達が転んだところを見たことがない。領民だって、大人だろうが子どもだろうが穴に落ちている姿を見ない。

今まで信じていた常識が的外れだと突きつけられたハンナは、かなり動揺した。

「つくづく可哀想な……。」

タロウは同情に満ちた目でハンナを見た。

「ほら、モコがいますよ。思う存分もふもふして下さい、ね?」

「その優しさが辛いんだけど!」

ハンナはモコをぎゅっと抱きしめた。

生まれたばかりの頃と何ら変わらないもふもふの毛並みに、ちょっとだけ心を癒されていく。

「しばらくモコと一緒にいて下さいね。犬みたいなものですから、穴の場所を教えてくれるかもしれませんよ。」

「…………そうね。」

「もきゅ」


「いいですか、絶対に、モコと一緒にいて下さいね。」

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