第14話 国王の悩み


 一方。ロートヴァルトから遠く離れた中央都市では、ひそかに混乱が起きていた。


 勇者の国の王都であるクライス中央都市。


 都市の形が円形をしていることからクライスと名付けられたこの都市は、中央に向かって縁を描くようになだらかに登り坂になっている。中央の丘になっているところには、強固に守られた王城を構えている。その王城の一室で、国王や宰相をはじめとした国の重鎮たちが円卓を囲んでいた。皆暗く深刻な表情をしている。

 それもそのはず。

 第一王子であるジクフリードが勝手にハンナと婚約破棄したのだ。

 しんと静まり返った部屋に、ノック音が響いた。

 そして入ってきたのは、渦中の人物・ジクフリードであった。

「お呼びでしょうか。」

いつもと変わらぬ様子のジクフリードに、とある宰相は眉間に皺を寄せた。

 国王は、ジクフリードに問う。

「ジクフリード、ハンナ=ロートヴァルト辺境伯との婚約を破棄したというのは事実か?」

「はい。事実です。」

それが何か?と言いたげな表情で首を傾げている。婚約破棄という事実にも、ジクフリードのあっさりした態度にも、宰相たちは動揺を隠せなかった。そんな不穏な雰囲気の中でもジクフリードはけろりとしていた。

 国王は重々しく、言葉を紡いだ。

「この婚約が国王と前辺境伯との間で交わされた内容であるということは知っているな?何故相談なく勝手なことをしたのか。」

「報告が遅くなったことは申し訳ありませんでした。しかし、辺境伯が国王を支える妃となるとは想像つきません。彼女では力不足です。」

 どよめきはさらに大きくなった。

 国王は「相談しなかった」理由を尋ねたのに、王子は「報告しなかった」ことを謝罪した。

ーー実行に移す前に話せっつってんだよ。

部屋の誰かが心の中でそう思った。

ーー国王の命令に背いてんだよ、反逆者王子。

また別の誰かが心の中でそう呟いた。

 さらにジクフリードは、ハンナでは王妃には力不足だと言った。

「ジクフリード殿下。」

その暴言に我慢できなかったのか、一人が手を上げてジクフリードに尋ねた。穏やかな雰囲気の年配の男性だが、その目は鋭くジクフリード観察している。

「ロートヴァルトがどのような地かご存知か?」

 部屋中の視線がジクフリードに集まった。

 ロートヴァルトは、勇者の国を象徴すると言っても過言ではない土地。紅の森に隣接するあの土地を守っているからこそ、この国は勇者の国として他国からも一目置かれる存在であり続けられるのだ。

 宰相たちは固唾を呑んで王子の答えを待った。

「国の農業を一身に背負う農業産地であり、唯一王都に面しない田舎地域であります。」

「それだけですか?」

「それ以外に何か?」

もはや開いた口が塞がらなかった。

国王は、他人事のような態度で立っているジクフリードを見つめた。

「ジクフリードよ、紅の森は知っているか?」

「魔王の住む森ですね。」

「そう。今もなお多くの魔物が住む森であり、我が国だけでなく近隣諸国の脅威となる森だ。その森の管理人として君臨するのがロートヴァルト辺境伯だ。」

「それはそれは。」

初耳だといわんばかりの態度に、宰相の何人かはお手上げ状態だった。

 しかもジクフリードは無知を恥じる様子もない。「ふーん。そうなんだー。」と遠い国の話を聞いているかのような素振りだ。

 国王は根気強く話を続けた。

「ハンナはまだお前と同じ十七歳。就任してたった二年だが、我が国の要所をよく治めている。そんなハンナ以上に妃が似合う者など誰がいるんだ?」

ジクフリードは表情を輝かせて即答した。

「聖女がいます。」

待ってましたとばかりに答えたジクフリードに、みな首を傾げた。

「聖女?」

白魔法が使える者は確かにいるが、「聖女」となるには、もちろんそれだけはいけない。白魔法使い達が集まる「聖女の塔」で認められなければ「聖女」とは名乗れないのだ。そして聖女の登場は、勇者の末裔である国王に必ず知らされることとなっている。

 しかし、国王も初耳だったようで、目を丸くしている。

「ナディア=アーベントメーアです。彼女は聖女に選ばれたのです。」

アーベントメーア公爵家と言えば、勇者の国でも指折りの有力貴族。この場にいる全員が動揺を隠せなかった。「馬鹿な。」「報告は来ていない。」等ざわめいている。

 そんな彼らの様子にしてやったりと気分良さそうにジクフリードは胸を張って続けた。

「ロートヴァルトがいかに重要な土地であるかは理解しました。しかし、私の新しい婚約者は聖女です。例えハンナ……いえロートヴァルト辺境伯が逆恨みして反旗を翻しても、こちらには聖女がいるのですから、何も心配はいりません。」

自信満々に宣言するジクフリードに、誰もが不安げな視線を向ける。

しかし、ジクフリードは気付かない。

鼻で笑うように皆を見下している。

「話はそれだけでしょうか。」

呆れ果てて何も言えない宰相達は、国王へと視線を移した。

「ああ。それだけだ。」

国王はゆっくりと頷いた。

「では、失礼してよろしいでしょうか。」

「ジクフリード。」

「はい。」

「お前は国を背負う者として、この国のことを学んでいると聞く。」

「はい。毎日勉強しております。」

「では何故ロートヴァルトのことを知らない。」

「?」

ジクフリードは首を傾げた。自分はロートヴァルトについて答えたではないか、と反論しようと口を開きかけたが、国王はそれを遮るように言葉を続けた。

「お前の勉強は、学びではない。表面上だけの薄い情報にすぎない。」

「はあ。」

不満げな表情をしたジクフリードを、説得するように国王は話し続ける。

「知恵は手助けになるが、情報は惑わす。情報の是非を知る術を持たぬのであれば、まずは知恵をつけるのだ。」

国王の、父親としての言葉なのだろう。この場にいる重鎮たちを失望させた王子に、なんとか反省する機会を与えたいのだ。そんな国王の親としての思いが、ジクフリード以外には伝わった。

「ジクフリードよ。今の姿勢では、自分の首を絞めているぞ。情報ではなく、知恵をつけろ。いいか。この言葉をよく考えておくように。」

「かしこまりました。」

しかし、悲しいことにジクフリードにだけは、伝わらなかった。

 最後まで不満の様子で、不貞腐れるように部屋を後にしたのだ。

 部屋の扉が、ぱたん、と寂しい音を立てて完全に閉まった。そして、国王はみるみる力が抜けていき、大きなため息をついた。

「はああ……。」

「国王、心労お察しします。」

とある宰相が眉根を下げてそう言った。その励ましの言葉に、国王は苦笑するしかなかった。

「ハンナ様が反旗を翻すとは思えません。とりあえず様子を見てみてもよいのでは?」

また別の宰相の言葉に、国王は頷いた。

「ロートヴァルト辺境伯の名は、軽く見られがちだが、わかる者には分かる様に、かなり重く辛いものだ。それを当時たった十五の少女に負わせてしまった。しかも、支えるべき婚約者があれだ。」

両親を亡くしたばかりのハンナを、ロートヴァルト辺境伯に任命しなければならなかった。社交会デビューしたばかりの、わずか十五歳の少女に、である。しかし、ロートヴァルト辺境伯を継げるのは、ハンナしかいなかったのだ。

ロートヴァルトは、その土地柄、武勇に優れた血筋が多い。ただの農民のふりをしているが、領民の大部分は軍の精鋭として働いていた経歴を持つ。一度主君と認めればどこまでも尽くすが、認めるに足る人物でなければ一切手を出さない。

そのため、すでにロートヴァルトの領民に信頼され、愛されているハンナにしか務まらなかったのだ。

本来ならば、婚約者であるジクフリードは、彼女を支え、その経験がまた国王になる時の糧となるはずだった。しかし、ジクフリードにその度量がなかった。

「ハンナにとっては逆に良かったのかもしれない。」

幼いながらも領民から信頼され立派に土地を治める令嬢と、充分な教育と経験の機会を与えられながら活かせていない王子。

国王は我が子の不甲斐なさと、不運な少女への罪悪感で顔を歪めた。

「私はあの子に何と詫びたらいいのだろうか。」

絞り出すような声で呟いた国王の言葉は、宰相達の胸を打った。

「それでは、とりあえず様子を探るのはどうでしょう。役職上、ロートヴァルト辺境伯がこちらに来るのは難しいはずです。ですから、こっそり様子を見てくるのです。そしてロートヴァルト辺境伯の状況を見てから考えても良いかと。」

一人の宰相の提案に国王は頷いた。

「では仲の良かったルイスに任せましょう。彼ならば幼い頃から知っているので、小さな変化にも気付くでしょう。」

その提案に誰一人として異議を唱える者はいなかった。

 しかし、この判断は後に大きな事件の発端となってしまうのだった。

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