第3話 紅の森
ここ勇者の国は、7つの地方都市と王が治める中央都市から成る。地方を治める事を任された貴族は、貴族たちの中でも絶大な権力を持つ。六つの地方が中央都市と面しているのだが、唯一ロートヴァルト辺境地だけが中央都市と面していない地方だった。それ故、「田舎貴族」と揶揄する貴族もいるが、それは間違いである。ロートヴァルト辺境地は魔王の森と呼ばれる紅の森を監視するという国の中でもかなり重要な役割を担う土地なのだ。
しかし、不幸な事にハンナの父であるロートヴァルト辺境伯は二年前に他界。しかも母親も同時期に亡くなってしまった。
ロートヴァルト辺境伯家は、あまり親族が居らず、跡を継げるのはハンナしかいなかった。
そのため、二年前、齢十五歳のハンナはロートヴァルト辺境伯として領地を治めることとなったのだ。ハンナはロートヴァルト辺境伯を継いでから、紅の森の見回りを日課にしていた。
穏やかな陽の光が木々の合間からこぼれ、草花へと注ぐ。そんな草花に小さな魔物達が集まり、蜜を吸ったり、香りを嗅いだりと、いつもと変わらない穏やかな風景に、ハンナはくすりと笑みをこぼした。
「今日もロートヴァルトは平和だなあ。」
突然の婚約破棄と友人からの絶交宣言をされた昨日の出来事がまるで夢だったような気持ちになる。
しかし、あの出来事は夢でも何でもない。
思い出すと、ハンナから笑みは消え、目頭が熱くなっていく。目をぎゅっと瞑り、下唇を噛み締めて上を向いた。
そして、気持ちの良い紅の森の空気をいっぱい吸い込むために、深呼吸をした。
するとハンナの足元に小さな魔物達がわらわらと集まってきていた。力の弱い魔物は人間の掌くらいの大きさしかなく、その姿は毛玉の様なものが多い。慰めるようにハンナの足に擦り寄ると、ふわふわの毛がハンナの足に触れて、とても心地よい。ハンナはしゃがみ込み、小さな魔物達を撫でた。
「ありがとう、みんな。」
ハンナの掌の上に多くの魔物達が乗ってきて、可愛らしくもこもこと動いている。あまりにたくさんいるので、乗り切れなかった魔物たちはぽろぽろとこぼれ落ちていく。魔物達の仕草を見つめていると、うさぎくらいの大きさの魔物が数匹近寄ってきた。
『ハンナ元気出シテ。ハンナ元気出シテ。』
『ボク達ガイルヨ。』
そして足元に寄り添ってくれた。そんな健気で優しい魔物達に、ハンナは癒されていくのだった。
「よお。ハンナ。」
一人の青年の声がした。小さな魔物達は体を飛び上がらせて、逃げるように姿を消し去っていった。ハンナは少し名残惜しく感じながら、声のする方を向いた。
黒い瞳に黒い髪。精悍な顔立ちをしたガタイの良い若い青年がハンナの後ろに立っていた。
「ピーちゃん。」
「婚約破棄されたんだってな。」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、ハンナの頭をくしゃくしゃと掻き撫でた。その手はほんのりと湿っている。
ピーちゃんは、ケルピーなのだ。獰猛な水の妖精と有名なのだが、ピーちゃんはやんちゃな面はあるものの、人を襲ったりはしない優しい魔物である。
ピーちゃんが手を離すと、ハンナの頭はボサボサになっていた。しかし、ハンナはそれを気にする様子もなかった。
「うん。そうなの。」
立ち上がり、落ち葉を払う。昨日と同じ、騎士の様なパンツスタイルのハンナ。ところどころに花模様の刺繍がされていて、パンツスタイルといっても女性らしい綺麗な衣装なのだが、パーティーでナディアが来ていたようなフリルのついたドレスと比べるとどうしても控えめに見えてしまう。
「地味なんだって。」
パーティーの参加者が口を揃えてそう言っていた。ハンナは無理して笑顔を作った。
そんなハンナを見て、ピーちゃんは大きくため息をついた。
「魔物は外見には拘らない。大切なのは魂だ。」
「魂?」
「いわゆる根源だな。ハンナの魂はとても綺麗だ。俺はジクフリードもナディアも数回しか見たことないが、あいつらの魂は未熟でくすんでいた。」
しっかりとハンナの目を見つめ、真剣な表情をしていた。
「ハンナのほうがずっと綺麗だ。」
カッコいいピーちゃんに真面目な表情で言われると、さすがに照れてしまう。ハンナはほんのりと頬を染めて笑ってお礼を言った。
「ありがとう、ピーちゃん。」
「惚れたか?」
「ふふ。惚れそうだよ。」
「じゃあ結婚しよう。ジクフリードとも婚約破棄したんならいいだろ?」
そしてハンナの手をしっかりと握りしめた。
ハンナは苦笑した。
ピーちゃんは前からこうやって事あるごとにハンナに求婚してくる。婚約者がいようと気にもせず「ジクフリードはハンナには似合わない」とか「ジクフリードがいなくなったら俺と結婚しよう」とか言っていた。
「ピーちゃんに私は釣り合わないよ。」
ハンナはするりとピーちゃんから手を離した。
ピーちゃんは眉間に皺を寄せ、名残惜しそうにハンナの手を見つめていた。
「俺はハンナがいい。」
「ありがとう、ピーちゃん。また慰めてね。」
どんなにピーちゃんが想いを伝えても、ハンナは笑って受け流した。
どうも本気だと思ってもらえていない。
ピーちゃんは肩をすくめた。
「本気なんだけどな。」
しかし、その声はハンナには届かない。
ハンナは歩き始め、少しずつピーちゃんから離れて行っていた。ピーちゃんも仕方なく、ハンナの後についていこうとした時、ぴたりと動きを止めた。
「あれ?ピーちゃん?」
いつもなら黙って付いてくるピーちゃんが全く動かないので、ハンナは不思議に思い、後ろを振り返った。
「悪い。タロウが呼んでやがる。」
ピーちゃんの仕事ほタロウのアシスタントである。どんなに遠くにいてもタロウが呼ぶと、ピーちゃんには聞こえるのだ。
ピーちゃんは深くて重いため息をついた。
「お仕事頑張ってね。」
ピーちゃんはまたハンナの頭をくしゃくしゃに掻き撫でた。乱暴な手つきだが、ピーちゃんの優しさを感じる。ハンナはくすぐったそうに笑った。
名残惜しそうに手を離すと、ピーちゃんはすっと姿を消したのだった。
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