【短編】ちょっと元気の出る物語ー俺と石の不思議な物語ー
だいこん・もやし
第1話
俺は国枝優人、28歳、家族大好き人間だ。
子どもはいないけど、妻は仕事ばかりで帰りの遅い俺のために、ご飯と手紙を用意してくれていて、いつも温かい。本当に感謝しているし、大好きだ。
仕事は、かなり辛い。朝8時から働いて、夜まで働いたあとは、夜中まで飲み会。家に帰るのは午後3時で、2時間ほど寝る。翌日の資料をまとめて、また会社に向かう。
特に最近は忙しすぎる。ほとんど妻の寝顔しか見てない。好きなのに、どうしようもなく、胸が痛む。
数ヶ月前、丸いきれいな石を拾って、妻の似顔絵を描いた。その妻の似顔絵石を普段からポケットに常備していて、密かに愛でては、癒されている。
「って、いまどこだ?何時だ?俺は何してる?」
ふと気がつけば、目の前には弊社の煌びやかなガラス張りオフィスビルがあった。
「ああそうか、もう朝か、いまから仕事か」
最近、限界だ。頭がぼーっとするし、時間感覚がおかしくなってきている。
これから仕事だと思うだけで、大きなため息が漏れた。膝を持ち上げ、一歩前へ。もう一歩前へ。
「もう一歩ーー」
進まない。脚が動かない。膝が地面に落ちて、目から熱いものが込み上げてきた。
もう、ダメだ。身体が言うことを聞かない。
「俺、なにやってんだろ」
でもいかなきゃ、妻との生活はどうする?取引先はどうする?上司に叱責されるどころじゃないぞ。
ーーうるさい。もう、無理なんだ。
ゆっくりと重たい身体を持ち上げ、会社に背を向けた。道行くサラリーマンに見られぬように、溢れる涙を腕で隠しながら、人の流れに、逆行する。
(見られてなるものか)
精魂尽き果てた頃、たどり着いたのは、会社近くの多摩田川だ。会社の始業時間はとっくに過ぎていて、スマホが鳴り響く。
きっと上司のお怒り電話だ。
「ぶーぶーうるさい!」
鳴り響くスマホを川に投げ捨てて、自分も川に向かって走り始めた。
「あぁああぁあ!!」
冬だからか、余計に冷たくて、気持ちいい。このままずっと浸かっていたい気分だ。身体が少し軽く感じる。
「ーーっ軽すぎ!」
気がつけば、激流の中だ。足元を水流に掬われたらしい。あまりにも蛋白な死に方だと思う。でも、これでいいんだ。いいんだ。
最悪の人生だった。
ーーー
ーー
ー
遠く意識のなかで浮かんだのは、妻の笑顔だった。俺は水圧で後方に押し流され、妻の笑顔は、だんだんと遠く、遠くへと離れていく。
妻の笑顔が、手の届かないところに去っていく。
ーーあの笑顔を失いたくない。
激しい水流のなか、右に見えたのは、灰色のコンクリートだ。必死にしがみつき、食らいつく。
「負けてなるもんか、俺は、美結の笑顔をーー」
なんとか水面から上がると、そこは橋のコンクリート柱だった。
柱に捕まりながら、身体を休めると、我に返って、どっと後悔が押し寄せてきた。
「俺……生き延びてしまったん、だな……いや、死んじゃあいけないよな」
苦しくて、胸がチクチクと痛い。妻のことを想うと、また涙が溢れた。
「ごめん、美結」
河原に登り、冬風に凍えた。
ーーどこか暖かい場所はないのか。
でも、こんなみすぼらしい姿、誰にも見られたくない。いつも気丈に支えてくれる妻に合わせる顔もなくて、自宅にも戻れない。
行き場はない。橋の下、河原で三角座りする。
「美結……」
ポケットを探ると、丸くてきれいな石がちゃんとそこにあった。妻の似顔絵石だ。しっかりと愛でたあと、ポケットに戻した。
「失くさないでよかった……」
いまは、この石だけが救いだ。
ーースマホを捨てなきゃよかったかなあ。お金ももったいないし、連絡できなくて妻や母は心配するだろうなあ。
落ち着かず、河原をとぼとぼと歩いて行く。川沿いに小さな公園を見つけた。ベンチに、小さく腰掛ける。縮こまって、三角座りでじっと座る。
睡魔がどっと押し寄せて、意識が遠く。
「そういえば、寝てなかったんだった」
睡眠さえ忘れてた。それでも睡魔は勝手にやってくる。夢の中は、暖かい場所だ。現実をすべて忘れ、幸せな気持ちになれる。甘い香りがして、導かれるままに夢の扉を開く。
「ああ、幸せな匂い」
夢の扉の向こうには、妻と、まだいないはずの息子がいて、一緒にピクニックしている。芝生の香りが甘い。穏やかで、暖かくて、なんと心安らぐ瞬間なんだろう。
ーー夢でもいい、このまま、永久に時が流れればいいのに。
息子がこちらを向いて、首を傾げている。俺《パパ》の作った弁当が不味かったのだろうか?
「ーーお父さん、なにしてるの?こんなところで」
何を素っ頓狂なことをいっているのか。
「パパは、なにもせずに、ここでぼーっと……」
尚も息子は首を傾げている。その様子に違和感を覚えて、
「俺は、……ん?君は……誰?」
幸せな夢の世界が、音を立てて崩れていく。バラバラとパズルのピースのように崩れ、夢の扉の中に、芝生も妻も弁当もすべて収納されていく。残されたのは、息子と、自分だけだ。
河原の公園の、硬いベンチの上。どうやら、現実に戻ったらしい。
目の前には息子ーーではなく丸っこい少年がいた。
「お父さんは、何してるの?こんなところで」
「いやいやお父さんて、俺まだ子どもなんていないよ。君は、こんなところで何してるの?いま、夜何時だと?ーー」
あたりは真っ暗で、すでに夜遅くだ。車の音も減り、人通りもない。
「ーー親御さんが心配するよ?」
「いいんだ、ボクに帰るところなんてないよ。親なんていないし。ここが居心地いい」
「そっそうか、そういうことか……。余計なこと聞いてごめんよ」
「ぜんぜんいいよ。別に余計でもないし。そんなことよりお父さんも、空をみてみてよ」
「それはそんな気分じゃない。なんなら、君と口も聞きたくない。……すまないけど」
「いいからいいから」と後ろに回った少年に頭を捕まれ、無理やり顎を上に向けられた。
さっと大量の星の光が目に差し込む。
「広くてきれいだな、冬の夜空は……」
キラキラと瞬く星々に心を奪われる。上下がわからなくなり、まるで、身体が宙に浮いているように感じる。
何だか、自分の悩みなど、ちっぽけに感じてきた。
少年は、あの星は、なんやらでこの星はなんやらと、色々説明してくれた。聞いたこともない名前ばかりだ。もしかすると、少年のオリジナルの呼称かもしれない。
それでも、感心するほど色々な星を知っている。
「君、天体に詳しいんだな」
「ボクの憧れなんだ。キラキラとしていて、くすんだ色のボクなんかと比べものにならないくらい、素敵で」
「……そうかあ。君には、そういう風に見えるんだね」
「あ、ほら!お父さんは、あの星、フェアリーストーン星!」
「なるほど、フェアリーストーン星、つまりシリウスか。たしかに、悪くないな。でも俺、あんなに輝いてはないよ」
「いいや、違う!お父さんはすごい輝いてる!いつも優しくて完璧で、お母さんのためにがんばってる!ボクお父さんに出会えてよかった」
「そうか、それはなにより。ありがとう。少し大げさな気もするけど」
「大げさじゃないよ!ほんとだよ!だから……」
「だから?」
「……だからボクの、ほんとのお父さんになってくれたら、嬉しいな」
「え?どういうーー」
振り返ると、少年はいなくなっていた。
不思議に思いつつ、慌てて辺りを見回すと、小さな石が落ちていた。ポケットに入れていた、妻の似顔絵石。丸くて美しい石だ。
「幻覚か。冷静に、夢と現実が続くわけないし。……でも、もしかすると君は」
あの少年は、一体何者だったのだろうか。わからない。だけど、ひとつわかったことがある。
この小さな石っころは、自分と同じだ。孤独で、言いたいことも言えなくて、周りがすごく魅力的に見えて。
「もしかすると、石の君が、俺を励まそうとしてくれたのかい?君は、十分魅力的だよ」
俺は、ゆっくりと目を閉じた。目を閉じると、じわりと温かい勇気が湧いてきた。
「よし、家に帰ろう。それで、思ってること、美結にぜんぶ伝えよう」
ーーーー
ーーー
ーー
ー
「心配したのよ!ゆうくん!どこにいってたの!会社から出社してないって連絡あって、警察にいって、もう死んだのかと……」
優人は、泣き崩れる妻の美結に謝って、洗いざらい、じっくり話した。妻は、穏やかに、ゆっくりと聞いてくれた。
「ーー俺は会社をやめたい。でも、そうすると、俺たちの生活はーー」
「わかってます。そういうことなら、一緒に頑張りましょう。でも、貴方はいつもがんばりすぎよ。しばらくは頑張らないでね」
優人は大粒の涙を流した。妻の前で泣いたのは、初めてだった。
ーーそれから数ヶ月後、優人は妻は妊娠したと聞いた。
「わたしたちの子ども!不妊治療続けてよかったわ〜」
「子どもだね!よかったよかった!子ども、かあ……」
子どもと聞いて、石の少年のことがちらりと頭をよぎった。あの日ポケットにいれていた妻の似顔絵石は、どこにあるのだろう。
「たしか、あのスーツのポケットのなかにーー」
優人は当時のスーツのポケットを探した。だが、あの石は見つからない。どこかで落としたのだろうか。よく覚えていなかった。
「まあ、いいか。なんだか、あの石、ずっとそばで見守ってくれてる気がするし」
優人は手に職をつけ、妻とお腹の子どもを気遣った。
生まれた子どもは天体好きで、鈍臭いが頑張り屋さんだ。誰に似たのか、今はまだ5歳だが、決して涙を見せない。
そしてちょっと丸っこい。
優人は密かに喜んでいた。かつての少年が、本当の息子になったのかもしれないと。そして、いつも自分を応援してくれているのかもれないと。
「だから息子よ、君にはかっこ悪い姿は、見せられないよな」
男はスーツを羽織り、マスクをして、今日も戦場に向かう。
「みーんなマスクして、外出もできない。こんなご時世だけど、いつか3人でピクニックにいけたらいいな」
優人は優しく微笑みながら、息子と妻に、「大好きだよ」と愛を誓う。
国枝優人、33歳、家族大好き人間だ。
【短編】ちょっと元気の出る物語ー俺と石の不思議な物語ー だいこん・もやし @Cucumber999
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